掃除を考える(前編) 都会の部屋は自然の一部じゃないと思った?

 

生活という時間の位置づけ

 

どんなことからも学びがある。

 

そう考えるようになってから、

(気のせいか)趣味と仕事がお互いに役立ちあい、

役立ちあっているように感じてきました。

 

2つにリソースをさいて、なるべく多くの学びを得ようと思うとき、
避けては通れない第三の時間、生活を維持するための時間を思い出しました。

最低限必要な、掃除、洗濯、炊事や皿洗い。


避けることができないなら、
そこに学びはあるのか、それをよりよく行なうことはできるのか、
せめて楽しむことくらいはできるのか。

今回は主に掃除について、以下の3つに沿って考えていきます。

 ・掃除とは何か。どのように位置づけられるか。
 ・掃除や散らかすときのコストや効果は。どうするのが理想なのか。
 ・どうすれば掃除は楽しいのか。(これは後半に回します)



掃除とは何か?

そうしたことを学べる本はあるだろうか

 

こうした生活の出来事を掘り下げて考えたいと思ってから、
始めに調べたのは料理です。

そうすると、『食を料理する 哲学的考察』(松本澄夫, 2003)という
大変面白い考察があるのに気づきます。

一方、片付けについては、書籍ではありませんが、
『片づけるとは?を哲学する「片づけなくてもいい!」技術』という記事がありました。(http://garagekidztweetz.hatenablog.com/entry/20110920/1316521832, 2017/01/29 アクセス)
こちらも大変面白く、参考にしていきます。



掃除をするとき、部屋は身体の延長ではないか

たとえば上の『食を料理する』では、動物との共通点や違い、
人間・社会が自然とどうかかわるかが強調されます。

これをもとに考えると、掃除の場合はどうでしょうか。

掃除という、エントロピーを下げる(少なくとも維持する)と言われている行動。

これは生命維持活動に似ているように思います。

生命は摂取したエネルギーを用いて、

自らの体のエントロピーが増えてしまわないよう(つまり機能停止しないよう)、

制御しています。

 

掃除や片付けも、

摂取したエネルギーをエントロピーを抑える(機能停止を防ぐ)ために
用いている点では同じと言えるでしょう。


自分自身を維持するために自分の管理下に置くものが、

自分だけではなくなる。

 

部屋や家という空間、部屋にあるさまざまな物体、

さらには情報やデータまでに広がると思うと

なかなか刺激的なように感じます。

 

身体と環境の共進化

また、似た話かもしれませんが、このように考えても

個人的には面白いです。

 

上で引用したブログの考え方を借りて、

部屋と言うのは1つの系、システムであって、

部屋への流入・流出が釣り合っているのが現在の(そして恒常的な)状態、

という風に考えていってみましょう。

 

そうすると、自分自身も、部屋というシステムと相互作用する構図になります。

 

自分が環境に影響を与え、

環境がまた自分自身に影響する。

 

生命や生態系は、こうした環境とのやりとりの中で、

かなりの複雑さを獲得してきたと言えると思いますが、

その縮図のように感じられてきます。

 

少し大げさに言うと、環境との共進化と言えるでしょうか。

都市の複雑さも似た感じがしますね。

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画像 は simurtans という鉄道経営ゲームで、線路を敷くことが都市の成長に影響し、都市の成長が自分の次の行動に影響する、という点では、共進化の面白さを体感できるゲームと言えるでしょうか。 http://www.simutrans.com/en/

 

もちろん部屋は、生態系や都市と比べてかなり小規模であり、

そのぶん関わりを実感できる面白さはある程度減ってしまいます。

 

が、自然や都市の末端、微細構造の一つとしてとらえることで

やる気を高めることもできるかもしれません。

 

掃除や、散らかすことの効果とは

これは持論を突き詰めていくと、

結局、うまく散らかすためには?

というところに行きついてしまうのですが・・・笑

 

まずは以下から行きます。

掃除のコストを計算する

 

掃除をさまたげる原因の1つとして、掃除のコストがありますね。

 

一方、掃除の頻度が少なすぎるときにコストの合計量が増えると分かれば

(月1の掃除の方が週1の掃除より、1回あたり8倍大変、とか)

掃除のモチベーションが高まるかもしれません。

 

ここはモノの片付けをかなり大雑把に、

「片付けコスト = モノを、仕舞うべき場所ごとに集めるコスト」

としましょう。

◆▼ → ◆◆ 〇〇 ▼▼

そうすると、片付けは並び替え問題である、というわけです。

 

並び替えのコストは最小の場合、(散らかっているモノの数を N コとすると)

 N log N

に比例するわけですね。

 

モノの数に比例するよりも少し大きいので、

これだけ考えると、

頻繁に片付けすればするほどよい、ということになります。

 

でも、例えば1分に一回片付ける、となると、どう考えても非効率。

 

片付け1回あたりに固定コストがかかると思うのが妥当でしょうか。

 

そうすると、いずれにせよ、頻度無限大と無限小の間のどこかに

最良の頻度があるらしいことが分かってきます。

 

幸い、あまり間をあけすぎない方がお得、と分かってきますね。

 

と、これを考えていて気付いたのですが、

 

どうせ散らかすならば、

同じ場所にしまうべきものごとに並ぶように散らかせば

片付けの頻度を減らしても大変にならない、と笑!


とはいえ散らかし過ぎるとやはり弊害があるもので、(下記でもう少し考えます)

とりあえず上記は、片付けを楽にするための手法として

捉えいたいと思います。

 

散らかすメリットを考える

 

いっぽう、散らかすメリットがあるからこそ片付けが阻まれるわけです。

そこにモノが出ていて、すぐ使える状態であるということは、

思考を助けさえもします。

 

モノという形で手が届くところに置けば、

頭の中にメモを残しておかなくても

それを見て思い出しつつ作業ができるわけですね。

 

頭のなかで一時的に保持できるのは7つ前後と言われますから、

これは重要です。

理論上、何十個、何百個という情報を、(頭の限界を超えて)

管理できることになりますね。

 

上の話ともつながりますが、

この見方でも、部屋が身体の延長に見えてきます。

 

ただ、何百個とモノが展開されていると、

その時々で必要なものが瞬時には見つからない。

 

でたらめに散らかっていたら、毎回 N に比例して

(検索に)労力がかかるでしょう。

きれいに並べて散らかしていれば? log N くらいには抑えられますが。

 

同時に目に留まるものの数が N 倍になっても、

(使用頻度の低いものがある限り)N 倍の便利さにはなりませんから、

やはりどこかで片付けるべきかも、

と言う形になりそうです。

 

ここから得られるヒントとしては、

・散らかすときはなるべく用途や片付け先ごとに固めておく

 (散らかす効能を高めて、片付けも楽になる!)

・使用頻度の低いものは片付ける

 

ということでしょうか。

 

掃除のゴールを考える

※ ↓2018/12/24 追記

上で挙げたヒントとも関係します。

 

掃除のゴールはよく「エントロピーを」下げることだと

言われていますが、

これは本当なのでしょうか。

 

結論から言うと、掃除のゴールは、

予測可能な情報量を高めること、

あるいは

(利用可能な)複雑さを高めることだと

考えられます。

 

要するに、何がどこに置いてあるかを

予測しやすい状態にする、ということです。

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予測可能な情報量は、エントロピーが中程度のときに

最も大きくなる傾向にあります(理由は後述)。

 

つまり、エントロピーを単に

最小にすればいいというわけではないのです。

 

エントロピーを最小にするのであれば、

単に部屋のありとあらゆるものを捨ててしまえばよいわけです。

(とりわけ、1日に1回未満しか使わない場合が多いロングテールの品々、

 爪切りや絆創膏、体温計、養生テープやお好み焼き粉など・・・。)

 

しかしこれではかえって不便です。

なぜか。

それは道具の多様性が減ってしまうためだと考えられます。

 

ここにおいて、多様性を保ちつつ片付けをする方法こそが、

予測可能性を高めるという方法です。

 

予測可能な情報量のことを、

「どこにあるかを思い出して使うことが出来る道具の多さ

と言い換えてもいいでしょう。

 

歯ブラシの隣には歯磨き粉、さらにその周りには

髭剃りや化粧水、洗顔料を置くなど、

連続して使いがちなものを近くにまとめます。

 

そうすれば一般に、任意の道具 X の位置から

別の任意の道具 Y の位置が

思い出されやすくなります。

 

予測可能な情報量と(情報)エントロピーの関係は、

かなり長文ですが・・・下記記事にまとめています。

a16777216.hatenablog.com

 

(情報)エントロピーが大きくても小さくても

ともに予測可能な情報量が小さいこと、

 

そして「複雑さ」の定義の1つが

予測可能な情報量そのものであること等を、

主に Prokopenko らの論文に沿ってまとめています。

 

以上、掃除のゴールは「予測可能な情報量」を高めること、

つまり何がどこにあるかを分かりやすくすること。

という話題でした。

 

※ ↑ 追記ここまで

 

・・・さて、

まだ3つめのテーマ、掃除を楽しくする方法が残っていますが、

長くなりましたので次回にしたいと思います。

 

ゲーム研究の本などと比べながら、

掃除に(ゲームであるために)足りないものは何か、

どうすればそれが補われるか、を

考えています。

 

それではまた。

ここまで、ありがとうございました。

 

「次回」の記事はこちら↓

a16777216.hatenablog.com

 

 

参考文献

 

「食を料理する」―哲学的考察

「食を料理する」―哲学的考察

 

 

 

garagekidztweetz.hatenablog.com

 

 

www.simutrans.com

 

 

M. Prokopenko, F. Boschetti, A.J. Ryan, An information-theoretic primer on complexity, self-organisation and emergence, Complexity 15 (1) (2009) 11–28, doi:10.1002/cplx.20249.

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/cplx.20249