掃除を考える(後編) 掃除はゲームに入りますか

前回の振り返り 掃除との関わりは自然との関わり

 

洗濯や掃除など、

選択肢の選び方を突き詰めていくのが難しく、

言うなれば「俺TSUEEE」がしにくいルーチン。

 

そうしたものをどのように、

趣味や仕事を含む自分の時間の中に回収していくか、考えてきました。

 

さて前回は、掃除を中心に、

日常生活を自然に繋げるインターフェイスとして捉えてきました。

 

下記のような防衛&攻城ゲームでは、

序盤は大抵、

城下の村を育てていのではないかと思います。

 

そこでは、自然の一部である山から、木々や石を切り出し、

人間にとって有用な施設へ加工していくさまが、

ありありとビジュアル化されます。

 

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「ストロングホールド クルセイダー2 日本語版」をレビュー。最強の城を築いたり,難攻不落の城を攻め落としたり,攻城戦を堪能しよう - 4Gamer.net

 

 

労働と自然 

 

『交易する人間 贈与と交換の人間学』(今村 仁司, 2000)によれば、

もともと労働というもの全体が、

自然を解釈し、自然と相互作用するものであったといいます。

 

現在でも、

自然から、誰かの手によって木材や石材が運ばれているおかげで

住居がある点においては変わっていないわけで。

 

そうした住居との関わりである掃除もまた、

人間と自然との相互行為を

思い起こさせてくれるのではないでしょうか。

 

洗濯も、

衣類の更新という一日のリセットが、

川からの水や太陽からの熱によって行われるという意味では、

近い効果がありそうです。

 

さて、以下2つもまた面白い話題になりそうですが、

一旦また今度にしましょう。

 

・歴史を実演するものをはじめ幾つかのゲームが

 人間と自然との関わりについて、リアルな直感をもたらす?

 

・周波数解析できないような、不定期に近い「繰り返し」を実装するには、

 きっかけ(トリガー)を皮切りにした一連のフローを、

 圧縮して記憶しておくことが必要?

 

 

掃除はゲームたり得るか( ≒ 掃除のつまらなさの原因とは?)

 

結論から行くと、

ハードルは高いけど、少しだけなら近づける・・・?という感じです。

 

必要条件でも十分条件でもないかもしれませんが、

「面白」くあるための重要な方法の1つとして、

「ゲーム」にするという方法が考えられます。

 

掃除を少しでも楽しむために、

以下は、掃除などとゲームとの違いを探し、

掃除をゲームに近づけていくことを考えていきます。

 

ここでは、2005 年まででのゲームの定義を6つに整理した、

下記の文献に沿って、

掃除とゲームの相違点を

なぞっていきましょう。

 

 『ハーフリアル  虚実のあいだのビデオゲーム』(Jesper Juul 2005, 松永 伸司 訳 2016)によればゲームとは、

やや言葉の定義が専門的なのですが、私なりに解釈すると、

 

1. ルールを持つ。

2. 結果が明確で、かつ結果を変えられる。

3. それぞれの結果に、良い・悪いなどの意味が与えられている。

4. 努力が影響を及ぼす。

5. 人が結果をまじめに受け止める。

6. 現実に与える影響を、自由に着け外しできる。

 

これがゲームの定義、というか特徴であるようです。

 

6. は最初ぴんと来にくかったのですが、

例えば戦争やギャンブルは、生死やお金への影響を自由に取り外せないので、

これらはゲームではないということになります。

 

さて、掃除の場合もやはり、6. ではゲームに反してしまいますね。

 

しかも、掃除はギャンブルのような「準ゲーム」とでも言うものよりさらに悪く、

2~4. あたりも怪しくなってきます。

どうにかこれを改善できないでしょうか。

 

まず 「2. 結果が明確で、かつ変えられる(訳文ママ:可変かつ数量化可能な結果)」
あたりから攻めましょう。

3~4. もこれを受ける形にもなりますし。

 

つまらなさへの対策:掃除の結果を、努力次第で変わるものにする

 

掃除で一番数量化しやすいのは、

やはり速度ではないでしょうか。

(丁寧さもありますが、ここには主観が入りそうです)

 

干されるオブジェクトあたりの所要時間をストップウォッチで測定し、

「何秒以下だったら失敗」と定義してみることにします。

 

これで、結果は定量化可能で可変で(2.)良し悪しがあり(3.)、

しかも努力が効果を持ちます(4.)。

 

一気に、2~4. の壁が解決されるところまで来ました。

 

あるいは、この『ハーフリアル』によれば、

ゲームはルールとフィクションがお互いに補助し合って作られているとのことで、

(上で挙げたルールの側面だけでなく)

フィクションを用いてみるのも面白いかもしれません。

 

ちょっとゴッコ過ぎますが、

ゾンビから身を守るための防護服を定期的にメンテしてる、とかですかね。

 

より良質なゲームであるために

上のように考えていくことで、

6. の現実への影響(訳文ママ:取り決め可能な帰結)を除いては、

準ゲームという所まで来たと思います。

 

しかしながら、まだ、タイムアタックという、

ゲームとしては単純なものにとどまっている気がします。

 

やはり同じ本に記載されている、シド・マイヤー氏の至言

「ゲームとは興味を引く一連の選択肢である」からは

遠いように思います。

 

つまり、面白いゲームなら、

ゲームが今どこまで進んでたとしても、

悩むべき複数の選択肢があるべき、というわけです。

 

次にどの手を選んだらいいかは常に決まっていて、

いかに上手にやるかだけの問題になってしまうとなると、

ゲームとしては物足りないかもしれません。

 

高々比例程度では飽き足らない

以下は、文献からでなく、自分が考えるゲームの魅力の1つですが。

 

「時間が進むと、成果の総量や、行えることの種類が、雪だるま式に増える」

というのがあると思います。

 

いままでの取り組みの連鎖、あるいは組み合わせの妙と言いましょうか。

RPG なら、覚えることができた2つの技が相乗効果を起こし、

足し算以上の効果を発揮する、ということがあり得るわけです。

 

あるいはRPG、数値だけで見ても、

レベルに対する戦闘力が、

比例どころか2乗以上の速さで右肩上がりしてると思います。

 

HP だけが2倍になっても、攻撃力だけが2倍になっても、

いずれの場合も(かなり粗く見積もれば)2倍程度の強さになるわけですよね。

 

レベルが2倍になった時に両方とも2倍になるのであれば、

4倍程度に(2乗の勢いで)成長してると言えるのではないでしょうか。

さらにこれに、防御力や素早さなども伴ってくるわけで。

 

いっぽうシムシティ等の街づくりゲームは、

現在の都市規模 ∝ 収入 ∝ 成長速度というかたちで比例することが多いので、

ネズミ算式の、(2乗よりはるかに速い)猛烈な勢いで都市が大きくなります。

 

 

ゲームにもプログラミングにも共通する面白さ?

 

これは、システム系の仕事でも言えると思います。

(最も、理想的な場合を考えればですが・・。)

 

一定のペースで自動化の仕組みを増やしていけば、

それぞれ「つづきをヨロシク」できるわけで、

下の左の図のように、単位時間当たりの生産量が増していくわけです。

 

時間当たりの生産量(効率とでも言いましょうか)が

時間に比例して増えていくなら、

これまでの生産の総量は、時間のおおよそ2乗に比例するわけですね。

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それでもゲームをあきらめたくない

 

さて、時間当たりの生産をだんだん増やしていく、

つまり総生産量を2乗や雪だるま式に増やしていくことは無理かもしれません。

 

でも、常に悩ましい選択肢があるような状態のほうは、

作れるように思います。

 

それは、例えば料理とかと「ながらでやる」ことです。

 

料理とかは、ずっと手が離せない時間が続いたと思いきや、

突如、しばらく放置する時間が挟まったりしますね。

 

この隙間に、いかに掃除を効率よく挟むか、を考えると

ちょっとゲームっぽくならないでしょうか。

 

これは掃除と比べると料理特有なのかもしれませんが、

どの時間までに何を達成しないといけないかが

パズル的に組み合わさっていて、その楽しさを導入することができます。

 

あるいは、敢えて作業を締切ギリギリまで残しておき、

それを終わらせる傍ら、いかに掃除も処理するか?とかでも

良いかもしれません。

 

ネットへの接続や、保存・画面更新が遅いときのラグを活かして、

1日全体の効率化を極限まで図ってみる。

 

選択肢をアイテムに頼る

ゲームで多様な選択肢があるのは、

多彩なアイテム、登場人物、スキルや施設などのおかげですよね。

 

そこで掃除・洗濯においても、

アイテムに頼ってみましょう。

 

薬屋や百均で、掃除がラクになりそうな小道具を買ってみたり、

小さいタオルが何枚も掛けられる、旅館とかにあるアレを買ってみたり。

 

掃除や洗濯の最中のコマンドが解禁されて

選択肢が増えるだけでなく、

買い物で、いくらで何を見つけるかというメタゲームとしての充実も

加わりそうです。

 

 

今回のまとめ。

 

と、まあどうしようも無いところはあるにせよ、

掃除や洗濯の単純作業に(自然との関わりを思い出すといった)意味を見いだしつつ、

ゲームとして楽しむことも、少しだけならできる。

 

という具合になりました。

 

次は、ゲームすることについて

より掘り下げてみたいと

何となく考えています。

 

特に鉄道ゲームは、個人的にフラクタル的な情緒を感じていて、

少し詳しく見ていきたいなと。

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上記は Transport Fever というゲームで、

Simurrans という既存ゲームと比べて、弱点もなくはないですが

乗客が割と利便性を求めてたりするところが斬新で。

 

そして機関車が実際に走り始めるさまが感無量・・!
(配線が気に入らず、このあと滅茶苦茶線路引き直しましたw)

 

それでは、ここまでありがとうございました。