ブログを始めてよかったこと

 

こんにちは。

センケイです。

 

ついついこういうメタ記事を作るのが

私の悪い癖なんですが、

ブログを始めることで得てきたことも

だんだん増えたので、

少しまとめてみます。

 

今回は参考文献や、心理学的な根拠など

全然なくて、単に個人の感想なのですが

よろしくお付き合いください。

 

 

1. 一貫性を持たせようと工夫するクセがついた

 

本来ブログというと恐らく

1,000字くらいでまとめるべきで、

毎回10,000字を超えてしまうと

もはやブログというフォーマットから

逸脱しているのではないかと

思わなくもないですが・・・笑。

 

ともあれ、

10,000字越えの記事を書くとなると、

だんだん最初と最後で言っていることが

食い違ってきたり、

何を主張したいのかが

分からなくなってきたりと、

一貫性の担保が難しくなってきます。

 

そこで、ブログ内だけでなく

ブログ外、ノートや google drive 等に

メモを取り始めるわけですね。

 

最初の節と最後の節とで

共通して言いたいことは何か。

 

どの参考文献の何ページを使うか。

 

 

特に参考文献のページを記録すると、

何を主張したくてそれを参照したのか

その理由が振り返れるので、

主張がまとまりやすくなる気が

しています。

 

それにページ数をメモしておけば、

参考文献へのアクセシビリティ

高まりもしますね。

自分の本棚の情報整理が行われるので

ブログを超えたメリットがあるわけです。

 

また、一貫性を担保するための

もう1つの工夫は、

その記事内での移動や探索を

楽にすることです。

 

これはプログラミングや、

社内外のための資料作成など、

仕事にも共通することだと思います。

 

表記のブレや論理のブレがないように、

自分の書いたもの内を検索することで、

整合性を確かめるとしましょう。

 

そうすると検索の仕方や、

そもそも後から検索しやすくする書き方

自然と意識してしまうわけですね。

 

言ってみれば、ブログを始めたことで、

仕事でのコードや文章の書き方も

つられて良くなってきたように

感じています。

 

なお、

上で述べた外部資料の添え方や、

参考文献のリスト作成、これもやはり

仕事でコードや資料を作るさいに

かなり役立ってきますね。

 

どのサイトを参考にしたために

この実装にしたのか、これを

一覧にしておくと振り返れますし、

人に引継ぎもしやすくなりますからね。

 

 

2. この世に生まれてほしいものが生まれた

 

これはときどき小出しで

述べてきた主張ですが、

ブログお動機はある意味では

同人誌の動機に似ていると思います。

 

A と B の組み合わせは絶対に

描かれてしかるべきだし、

なにより自分がそれを読みたい。

 

そう思わされるようなことが

多々あると思います。

 

これを解決する手っ取り早い方法の1つが、

自分で作ってしまう方法ですね。

 

メディアミックスに関する本を読んでいて、

あ、これってメチャメチャ

『きのこたけのこ戦争・IF』だと感じて、

『きのこたけのこ戦争・IF』に適用された

文章があってしかるべきと思いまいた。

 

誰もやっていないのであれば自分がと

書き始めた結果、

その文章を残すことができました。

 

最終アップデートから

数年たちつつあったので、

今更かなと思って書くのを少し

ためらっていました。

 

しかし、最悪自分だけ楽しめればいいやと

奮起して書くことにしました。

 

その結果として、

予想よりも多くの反応を頂くことができ、

とても救われた思いでした。

 

なお、こうして書いたものが、

あとで考え方を振り返る資料として

自分でも使えるのは隠れたメリットです。

 

 

3. 参考文献の大事さが改めて分かった

 

学部時代後半や大学院時代は、

いかに参考文献が大事かを

繰り返し教えて頂いた覚えがあります。

 

しかし当時はまだ、恥ずかしながら

あまりその真意がつかめてませんでした。

 

今なら当時よりも分かる気がします。

 

記事を書いていて、ある単語を使うとき、

この単語にはもっと深い意味があるけど

ここでは書ききれない・・・

そういうことも結構あります。

 

そんなとき、

参考文献に書いてあります、という手法が

使えるわけですね。

 

あるいは自分の述べたい主張の根拠

これはやはり参考文献に勝るものは

なかなかありません。

 

(個人的に、自分の実体験も

 ひとつの事実として根拠になりうる、と

 考えてはいます。

 しかしそれでも、再現性を示したり、

 嘘を言っていないと示したりするには、

 参考文献含む学術的成果というのが、

 一番カタイということにはなるでしょう。)

 

昔は、書籍や論文にとっての参考文献は、

付録くらいのものだと考えていました。

しかし最近は、むしろ参考文献のほうが

本体だと思うくらいです。

 

立脚する基盤の強さ、言うなれば、

足場になる巨人の肩の高さや頑丈さを

表しているわけです。

 

これは、読みたい論文を選んだり、

買いたい本を決めたりするときにも

応用できるかもしれません。

 

最初に参考文献リストを見て、

それで自分に合うかどうか、

議論が確かで堅いものかを判断し、

読むかどうかを決めるのでも

案外いいかもしれませんね。

 

 

4. 自分にはコレがある、と思うようになった

 

これもやはり大学院の頃の経験ですが、

例えば他大学の先生の研究が面白くて、

話を聞きに訪れたいという場面です。

 

このようなときに、

よく回りから助言いただいたのは、

自分が何をやっているか説明できるように

しておこう、ということです。

 

自分が何に取り組んでいるのかは、

質問や訪問をするための理由として

土台になるというわけです。

 

これはしかし言わずもがな、

仕事で他社さんを訪問するときも

同様と言えそうですね。

 

あるいはもっとプライベートに、

自己紹介のとき。

特に、自分が好きなものについて

どれほど好きかを話すというとき。

 

私の場合は本を読むことが趣味で

本を買うことにかなり投資しているので、

正直、DVD やグッズへの投資の仕方は

さほど自慢できるものではありません。

 

しかし少なくとも、

あまりに好きなのでこれだけ文を書いてます。

ということが言えるようになってきました。

 

研究や仕事もさることながら、

プライベートで人にお会いするときも、

どんなことを話したいのか、

どんなことを聞きたいのかをざっと示す

基盤として活きるのだと思います。

 

あるいはもっと抽象的なこと。

 

仕事にせよ何にせよ、

やりきった、と言えることが

少なくとも1つある。

 

苦難を迎えるようなときは、

このことが自信になって

自分を助けてくれたように思います。

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BanG Dream! 1期9話/©BanG Dream! Project 「やりきったと思う者は?」というオーナーの問いかけが耳に残るカットです。

例えば BanG Dream! 1期が示すように、

やりきった、と思うことは

簡単ではありません。

 

遠くまで来たつもりでも、

だいたいはまだまだ足りない。

 

言うなれば逆説的ですが、

やりきったと思いそうになる自分を

疑い続けなければ到達できないでしょう。

上で挙げた場面は、このことを

教えてくれているように思います。

 

 

正直自分のブログの書き方は、

マーケティング的にうまいものでは

ありません。

 

どうしても使いたい難しい概念があるとき

どうにか噛み砕こうと四苦八苦したり、

本をなるべく出版社さんや本屋さんで

買いやすいようにリンクを工夫したり、と

遠回りなところに時間を割いています。

 

それでも、ここだけは守りたいと思い、

曲りなりにも何度も質の精査をして、

書き続けてきました。

 

これをやってきたことが、

少なからず自信につながっているのを

今では感じています。

 

いやあるいは、

まじめにマーケティングをするにしろ、

こうしたこだわりを持って為すことが

結果的にいい方向に結び付くのかも

しれませんが。

 

もっというと、

「やりきった」と思うことがいかに大変か

そういうメタな学びを得る上でも

ブログをやって良かったと思えます。

 

 

なお、

上で引用しました1期9話のカットは

非常に重要な箇所と思われるため、

これについて後でより詳しく

考えてみたいと思います。

 

差し当ってここでは、

本当の完成には到達し得ないのだけども、

有限の時間のなかで悔いなくやりつくす、

という意味で解釈します。

 

前に書いたサンシャイン!! の自己物語編で、

やり続けることの中に輝きを見出す

これをより理解するうえでも、

同じブシロード文化圏として

この「やりきった」の理解は

欠かせないものになるでしょう。

 

 

まとめとその他

 

このような具合で、

ブログを書くことは趣味にとどまらず

実用的な意味にもなってきているのかなと

少しずつ感じてきた次第です。

 

恐らく、「趣味」という表現も

正確ではなくて、

内側から現れてくる何かに

どうしようもなく突き動かされて

やっていること、というような

活動ではありますが。

 

ひとつのカタマリに一貫性を持たせるべく

カタマリを振り返りやすくする工夫

身についてきたこと。

 

どうしてもこれがあって欲しいもの、

これがあってしかるべきと思うものを

世に出現させられたこと。

 

根拠や、もっと伝えたいこと

伝える方法として、参考文献こそが

やっぱり大事だったということ。

 

人に会いに行ったり、もしくは

自分を奮い立たせたりするとき、

足場になるものができたこと。

 

 

他にもいくつかあります。

 

好きなゲームやアニメに対し

多少は貢献できたと思えること。

 

逆に迷惑をかけることのないよう

それなりに苦慮がありましたが、

この苦慮も後から振り返ると、

やって良かったというものに

なってきています。

 

もちろんまだまだ根拠や論理、あるいは

誤解の与えなさについて、

至らない点があるかと思いますが、

現時点で悔いの残らない状態には

持ってこれたと感じています。

 

 

また、本を読むこと

以前よりさらに楽しくなりました。

 

アウトプットを見越してインプットすると

また違ってくるのかもしれません。

 

またこのことによって

理解も定着しやすくなっているかも

しれませんが、この問いについては

自分を2つに割って

AB テストするわけにもいきませんので、

問いを保留にしたいと思います。

 

 

ゲームやアニメについても、

想定よりももっと楽しめるように

なってきました。

 

一緒にそれを楽しめるかたがたとの

出会いにも恵まれてきましたし、

作品を見る目も前よりずいぶんと

養われてきたように思います。

 

ほぼ記事を書くためだけに

何度も見直したカットもありますが、

そのおかげで初めて気づけたことも

それなりにあります。

 

以上のように、

記事を書くということを通じて

色々と得られることがあるのだと

書いてきました。

 

記事を書く時間も自分の時間の一部ですから、

どうせなら楽しく、そして

生きられた時間で、他にも繋がる時間に

なるに越したことはないですね。

 

記事数もさほど多くなく

まだまだこれからというところですが、

ここで書いたことが

少しでもお役にたてれば幸いです。

 

それでは、

ここまでありがとうございました。

 

参考文献

bang-dream.com