こんにちは、センケイです。
今回もたいへん尊い回でしたね。
その印象の強さのあまり、しばらく叫び声ばかりのツイートをしていたのは、私だけではなかったと記憶しています。
スクスタ20章もまた別方向に大変印象を残すものでしたが、ひとまずはこちらの記事で気持ちの決着をつけて来ました。
私の読み方がおかしくなければ、細かい動機の疑問点こそ残るものの、いずれにしても9人の優しさを信じて良いはずです。これで準備は整いましたので、参りましょう。
ひとり残されたかに見えた朝香果林。
これを受けて、エマの暖かさやパーソナリティー、そして「みんな」という場が、どのように意義深かったのか。これを見ていきましょう。
成長しあう、「愛」とみんなとライトグリーン
今回は、以下の3つの道具を、手短に用意します。
1つは、変わる「あなた」や違う「あなた」を許すことで、新しい特別を作っていける関係になるということ*1。
これはスクスタ20章の感想の準備で、2番めに挙げたものと同じです。
今回も、このような「愛」のあり方を「ラインを描く」関係、と表現していきます*2。
※ 2020/11/04 加筆修正↓↓
これまでの感想では、人と人とを結び、グループを作り上げる大事な力の1つとして、親密さの力≒愛の力を挙げてきました。
しかし、親密さという力がいつでもいい効果をもたらすとは限りません。
1話や4話の感想でも少し触れたのですが、親密さはときに人に圧力をかけたり、人を縛ったりする恐れもあります。
だからこそ、簡単なことではないのですが、あなたは私とは違っても良い、世界との関わりの中でさらに違うあなたへと変わっていっても良い、と許すことが、重要な意味を持ってくるのです。
これは、2人の間柄はもちろん、グループにとっても意味のある力になってくるようです。
※ 加筆修正 ここまで↑↑
2つめは、多種多様なものこそが、共≒みんなのもの を作るということ*3。
まず、多種多様なもの のほうから触れると、まずニジガクは多種多様なもの、といっていいでしょう。
目指すべき方向性ばかりではなく、学科すなわち専門技能もさまざまであり、身長のばらつきも μ's や Aqours と比べて大きいです。加えて、エマ・ヴェルデのように留学生をメンバーに迎え入れています。
では、共≒みんなのもの とは何か。
これには2つあって、まず物質的な、「空気や水、大地の恵みなど、あらゆる自然の賜物」があります。
次に、非物質的な、「知識や言語、コード、情報、情動など」が挙げられています。
これら「共」はその働きとして、有益なものをもたらしたり、弊害を排除したり、またケア (配慮) をし合う場を提供したりするわけです。
なお、一見すると「共」は、3章の感想で使った「パブリックな場 (公共圏)」と近いようですが、共はその内に経済活動を含むことも許します。経済活動自体を、一緒に共を作り上げる登場人物として認めているわけです。
(ただし同書は、企業がすっかり「共」を管理し尽くしてしまうのはマズい、と釘を刺してはいますが。)
※ 2020/11/05 追記↓↓
まとめると、ニジガクの多種多様さこそ、自然の恵みや知識、情報といった「みんなのもの」を作り、そこではケアをし合う力も生まれるだろう、ということです。
※ 追記ここまで↑↑
3つめは、エマのイメージカラーは今までの4人と残りの4人の間の色の緑であること。
そして、その色はエヴァーグリーンではなくライトグリーンであること。
位置関係の可視化のために、こんな図を作ってみました*4。
これはメンバーのイメージカラーを HS 平面に配置したもの、つまり、中心からの距離が彩度を、中心からの方向が色相を表したものです*5。
振り返ってみると今までの4人はみな右上の暖色系でした。皆それぞれに明るい歌や元気な歌を披露した理由がうなずけます。
エマは近江彼方とともに、残りの寒色系のメンバーとの間の位置になっています。
エマが、どちらにもなれるキャラで、元気な歌と落ち着いた歌の両方を披露できるキャラであったとしても、おかしくはありません。
また、エヴァーグリーンやその日本語にあたる常磐色、千歳色が、変わらないことを良しとする色である*6のに対して、エマの色はもっと淡い明るい緑です。
緑は、常磐色の意味とは一転して、若さや成長という意味にもなります*7。エマの色 (132, 195, 110) に比較的近い若竹色 (104, 190, 141) は、「成長を始めたばかりの若い竹をイメージ」しているそうです*8。
なお、古代エジプトにおいては、再生・復活の象徴とされていたそうです*9。
さて、ではさっそくアニメに参りましょう。
お互いの違いの尊重が、歴史を作っていく
ニジガクのみんなは、お互いの違いを認めることで、まさに新しいものを編み上げていきます。
エマと果林について言えば、この最初のアバンの場面ですでに、2人はすでに別々の道を歩む相手のことを尊重しあっています。「すごい!」「アイドルだってすごいじゃない」と。
ぶろっくさんに似た言い方をするなら、答えは最初にもう見え始めていたんですね。
また、ニジガクのみんなは、たんに多種多様さを認め合うだけでなく、そこから「みんなのもの」を作り上げていきます。
高咲侑が心に思い描いたと思われる、現実を遥かに凌駕する風景。それをカンペキに動画へと再現してしまう天王寺璃奈の、情報処理学科としての才覚が発揮されます。
また、エマのイメージを固める話題になったとき、演劇に精通した桜坂しずくは、それを活かして衣装に着目するという提案をします。
ここにおいて、果林はすでに蚊帳の外ではありませんでした。
モデルとしてか、ライフデザイン学科としてか、服飾同好会とのツテ、そして具体的な衣装の提案と、同好会へのコミットメントを果たしていきます。
ニジガクの多種多様さは、すでに果林を含めた輪の中で、「みんなのもの」としての同好会を生み出し始めていたのです。
逆に言えば、同好会の力の源である多種多様さとって、果林はすでに欠かせない存在になっていると言えるでしょう。
しかしそれでも果林は、「にぎやかなのは苦手」とし、同好会への加入を断り続けていました。クールさや冷たさのイメージを持つ、青の果林らしい反応かもしれません。
また、のちになって果林は、「クールでカッコつけて、大人ぶって」いる自分を変えるわけにはいかない、という旨も表明します。
読者モデルという経済活動がプレッシャーとなったためか、果林は自身のパーソナリティーの変化を恐れます。
それにいっぽう同好会は、競争原理という意味では経済に近い、大会ラブライブを手放したのです。果林の経済活動にはなじまない部分があった。少なくとも、果林にはそう映ったのかもしれません。
許すみんなと、繋ぐケアの気持ち
しかし、「共≒みんなのもの」は、経済活動もその源泉の1つとして認めるものであり、なおかつ、ケアをする働きも持つのでした。
同好会の皆が悩み、努力の末に作りあげてきたパブリックな場、あるいは信頼関係は、ケアすることを含めた成員の自由な活動を尊重します。
心理的安全性に気配りをしてきた同好会は当然のように、撮影のさなか抜け出していくエマのことを咎めはせず、止めることもしません。
エマのことを信頼してもいるのでしょう。
エマは、言葉を選ばず言えば、マイノリティーとして特別扱いされないために、相当な努力をしてきているのではないかと思います。日本語の流暢さ1つ取っても、そのために割いてきたであろう時間は想像を絶します。
「べき」という意味では、学校において人数的な少数派が不利な扱いをうけるべきではありません。しかし、今の現実世界を知るにつけ、上のような想像が頭をよぎってしまいます。
そのように乗り越えてきたであろうエマだからこそ、ニジガクのメンバーの中でマイノリティーになりつつあった、いや、少なくとも本人はそのように感じていたのだろう果林の思いを、敏感に察したのではないかと思います。
そしてエマの色は寒色と暖色を繋ぐ色でもあった。踏み込んだ解釈にはなりますが、明るく元気な暖色と、果林の寒色とを繋ぐのも、エマだから出来たことではないかと思えてきます。
一緒に変わっていくことを歌う
果林はそれでも、馴染もうとすると変わってしまいそうになる、そんな自分のことを恐れていました。
これまで貫いてきた自分を変えるのは、勇気のいることです。特に、それまでの自分の性質、「タグ」が人から愛されていたのならば、それを手放すことで嫌われるかもしれない。そのような怖さは、相当なものになるでしょう。
しかし、エマが果林を好きで、尊敬していたのは、「クールで、カッコ」いいキャラだからでは決してなかったのです。
エマは、果林がそんな悩みを打ち明けるとすかさず、「変わっていく」果林のことを認め、受け入れます。
その包容は、変化を尊重しあう同好会の一員としての未来を、果林に十分に想像させたに違いありません。
※ 2020/11/03 追記↓↓
「変わらないあなた」を求めないこともまた、覚悟を要することではないでしょうか。
エマは、ホームシックにならない理由として、同好会のみんなと一緒にいることを挙げていました。
同好会が解散という形で変化をしていったとき、そんなエマは、人知れず寂しい思いを抱えていたのかもしれません。そんなときに、ある意味で変わらずにいてくれた果林は、かけがえのない存在に思えたことでしょう。
しかしエマは、変わらないでいてくれることを有り難く思う以上に、かけがえのない「あなた」だからこそ、止められない熱意に素直であって欲しい、変わりゆく未来を一緒に描きたい、このような思いをより大切にしました。
人の心を、とくに親友の心を、ポカポカにさせたいというエマの切実な願い、矜持が、ひしひしと感じられます。
※ 追記ここまで↑↑
そして指先でなぞる螺旋は、絶えず形を変えながら進んでいく未来の軌跡かのようでもありました。
このなぞる動きも大変魅力的ですね。
準備で引用してきた『コモンウェルス (上)』には、こんな面白い見方もあります。
「共≒みんなのもの」の一角を占める「自然」は、形を変え、生み出されていくものでもあると。
科学技術は、人間が自然を知り、うまく活用する歴史の中で育ってきました。舞台となった日本科学未来館は、なまのままあるだけでなく、人間とともに絶えず生み出されていく自然を見守る、象徴のようにも思えてきます。
これと呼応するように、エマはエヴァーグリーンの歌だけではなく、技術によって作られたビルディングをバックにして「街中に響くよ」とも歌っています。
技術によって手の加わった自然である「街」のことをも愛するエマ。そんなエマにとって、なまのままの「あなた」だけではなく、変わっていく「あなた」を愛することは、難しいことではなかったのかもしれません。
変化していくことを含めてエマが自然を愛するためか、果林の目には、建物と雄大な自然とが融和した風景が映ります。
このように、エマや同好会のメンバーは、みんなの場所を絶えず作っていくとともに、お互いが変わっていくことを尊重し、それぞれの「ラインを描」きあって行くことでしょう。
そして果林もその中に一歩歩み寄り、早くもエマの撮影という形で同好会の未来のラインを描いたのです。
そこに勇気を与える、「これから何が起こっても」というエマの歌。これから変わっていくときめきの芽に、常緑の信頼をもたらす歌。
そして一緒に未来を刻んでいこうとするエマの姿勢に、私たちの心がほどけていかないはずはないのです。
あとがき
寒色と暖色の間を取り持つエマの色は、元気な色に転じることもできたようで、今回の演目も大変素晴らしいものでしたね。
それに、お互いに未来を作り上げていこうとする関係性が、2人からみんなへと広がっていく点で、まるで理想のコミュニティのあり方を教えてもらっているようだな、ということも感じました。
フィクションとは言っても、この現代社会にメスをいれるかのごとく、私たちを元気づけ、そして導いてくれるような感がありますね。
好きなポイントはまだまだ沢山ありますし拾い切れていないところがありますが*10、自分がみたエマや同好会の素晴らしさを、一旦キリの良いところまでは書けたのではないかと思います。
なお、今回も、アニガサキの感想にタイトル名のハッシュタグを付けてツイートしよう (記号はアンダーバーに置き換える)、という流れに参加させていただく予定です。
今回なら「#今しかできないことを」を含むツイートですね。
今回もこのハッシュタグに、素晴らしい記事が沢山投稿されるに違いありませんので、検索からこちらにいらしたかたは、是非こちらもご覧になって頂けたらと思います。
それでは、今回もありがとうございました!
また、今をときめく自然のどこかでお会いしましょう。
*1:『コモンウェルス (上)』。
*3:同書。
*4:スプレッドシートと手作業で作成しましたが、1時間くらい要したので、Python でやったほうが早かったです…。
*6:『日本の色・世界の色』や、コトバンクの項目 エバーグリーン。
*7:同『日本の色・世界の色』。
*10:自分の気持ちに嘘をつく難しさにはこれまたエモさがありましたし、Poppin'Party のオタクでもある自分としてはますます拾いたいところでした。が、これはまたの機会に。それと、「みんなで1つのことに向かって」、という果林の評価は、これまでの流れを踏まえると意外に感じられます。同好会が「共」を作り上げてきた結果、そのように結実して見える場が生まれてきたのでしょうか?