忘れないことの自由と不自由

今回はある企画に参加させて頂き「忘れたいことについて」の一次創作です。

一次創作の公開は初めてですが、面白いものになっていたら幸いです。

 

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記憶っていうのはなんでこんなに不自由なんだろう。

記憶が出来るからこそ出来るようになることはたくさんある。だから記憶は私たちにとっては宝物のような能力だ。

それなのに、上手く言うことを聞いてくれない。

来月まで忘れないようにしたい史実のことや文学者の名前なんかはすぐに忘れてしまう。そうかと思ったら、二度と思い出したくないような悲惨な出来事のことはいつまでも覚えていてしまう。

 

また思い出してしまった。私が何日も何日もほとんど徹夜で作ったアプリを見せたら、内容についてはなんにもコメントせずに、何時間も見た目に難癖を付けてきたヤツのことを。しかもそれをその後何回もされた。おかげでもうアプリの継続改善をしようとは思えなくなってしまった。

私のショートカットの使い方を褒めるような人は苦手なんだ。いつも最初はいい人に見えるし、確かに新しい技術を色々と教えてくれることも多い。でもそういうタイプの人は、いつも最後はそうやって偉そうに口出しばかりしてきて…。ショートカットだけが上手い人だと思って、本当はどういうことが得意かも見ようとせず、馬鹿にしているんだろうな。もちろん、私の技術がまだ足りていないところもあるのかもしれないけど…。

あの嫌な思い出を忘れられれば、また続きを作れるかもしれない。本当は追加したかったこともあった。でも今はそれを追加しようという気にはなれない。

 

 

そんなことを考えていたからか、楽しいわけでもなく癖でよく眺めてしまっていたあるニュースサイトで、片隅にあったあるバナーを見逃さなかった。

記憶のことを研究している製薬会社が出しているらしい、人材募集。私もそう遠くないうちに就職活動をしなくちゃいけないのは確かだから、それを見抜いてこの広告を載せているんだとしたら、最近の広告はよく出来ている。

でも、私はその広告が狙っていたこととは違うことを考えていた。この会社なら、私が望んでいたようなことについてもう何か開発しているんじゃないかな。

 

世の中そんなに欲しい物が見つかるわけじゃない、とは思いつつも、試しに調べてみる。その会社が、忘れることの出来る商品を作ってはいないものか、と。

少し驚いた。どうやらそういう薬をもう出しているようなのだ。時代は気付かないうちに思ったよりも進んでいた。

 

忘れること。それが今の私にとって一番大切とも思えなかったから、すぐに手に入れたいわけでもなかった。

でも、アプリの続きを作りたい理由も頭の中をチラついた。本当はちゃんとリリースして、多くの人に届けたかったのだ。

もともと届いて欲しい人たちのイメージはあった。そういう人たちが自分のアプリで少し便利になったら、どれほど嬉しいだろう。もちろん、私のアプリが少し知られたらちやほやされるかもしれない、という気持ちも正直ある。

単純にトラウマを乗り越えて再開できたら良いのかも知れないけど、自分自身っていうのは自分で思っているほど簡単じゃない。

そうこう考えていたからか、薬のことは頭の片隅に残っていた。

そしてあるとき、ふと、気持ちを強くしてトラウマに立ち向かうより、薬に頼ったほうが賢いのでは、という思いがよぎった。そして手に入れようと思い始めた。

 

手に入れよう、といっても、記憶のような、人間の仕組みに介入するようなしろものだからか、市販のものを買うのではなく、病院で医者の立ち会いのもと服用する必要があるようだった。それで、来週の月曜の朝に飲みに行こうと決意する。

 

忘れる、というよりは、正確には、上書きする力を強める薬のようだった。服用して丁度 30 分待合室で待ったあと、そのときのことを思い浮かべながら、専用の、上書きする力の強い映像を見る。そんな処方だった。

 

そんなさっきまでのことも、自分が何かトラウマがあって病院に行ってきたことも、もちろんよく覚えている。

どんなトラウマだったのかは、…そうか、これはもう思い出すことが出来ないんだ。これがさっきの処方の成果だったとしたら、凄い効き目だ!

 

 

記憶は人類にとってとても便利なものだ。でも、忘れたい苦い思い出まで勝手に覚えてしまうのは、上手く出来てないと思っていた。でもそんな辛い思いも卒業だ。

もちろん、苦い思い出だって、ひょっとしたら役に立つものかもしれない。苦しみを覚えていて、同じ毒を二回飲んでしまうことを防ぐとか。飲んでいるときに、同じような地雷をまた踏んでしまうのを防ぐとか。

でも、全部覚えておかなくたっていいと思う。忘れたい思い出だってある。自由に忘れることが出来ないっていうのは、ずっと不思議だった。だから、こんな風に忘れることが出来るのこそ、私達にとってあるべき姿だったんじゃないかな。

 

来年から行く研究室が決まって、週に1回ずつ、そこで手を動かすことになった。

先輩の一人が、私のショートカットの使いこなしを評価してくれた。嬉しい。これは前からちょっと自慢だったんだ。

こころなしか嫌な予感がしたけど、勘違いだと思う。私の得意なことに気づいてくれた先輩、あの人は優しくて、それにとても気が合うに違いない。

 

 

 

今の会社でもう4年になる。前の会社では6年いたから、もう働き始めてからは 10 年か。アプリ作りをなぜか一度挫折してしまっていたんだけど、再開したおかげでいろんな学びがあって、結局のところインフラ関係で今でも働けているし、ずっと続けてきたことを誇りに思っている。

研究室に通い始めたころも、タスクが落ち着いたら、そこでアプリ開発もちょっとやらせてもらっていたっけ。そんな私のことを先輩がいたけど、その人は卒業したあとも、他の人には相談できないことでも何でも相談できて、仕事で困ったときもいつも助けて貰った。今までこの仕事を続けてこられているのも、その人のおかげかも知れない。私も今ではその人の相談に乗ってあげられることが多くなったけど、私もその人の役に立っているといいな。一番の親友である、その人のために。