読書を通じてサンシャイン!! を楽しもう #03 移動と都市編 ほんものに続くバスの道

 

 

はじめに

こんにちは。センケイです。

 

今回も例によって

導入だけでも長くなってしまうので、

最初に

問いゴールを明確にします。

 

私たちは旅行やその他の移動をするとき、

はたして「ほんもの」の都市

出会えているのでしょうか?

 

なにをそんな当たり前のことを、と

お思いになるかもしれません。

 

しかし、私たちが東京や沼津市

その他の都市や地域を訪問するとき

それはすでに、インターネットや冊子、

アニメ、ドラマ、CM など、

何らかのメディアを通じて

知っている風景なのではないでしょうか?

 

それはつまり、風景そのものではなく、

すでにメディアを通じて何らかの

イメージが上塗りされた風景なのでは

ないでしょうか?

 

メディア、特に広告や物語は、

ありのままの都市を描くのではなく、

広告や物語にそぐうようにある程度の

編集をして描写しているはずです。

 

そうすると私たちは、風景に出会うとき、

なまの風景には出会わず、必ず、

編集というフィルタを一枚通した

風景に出会ってしまうのではないか。

 

これが、『視覚都市の地政学』の

319, 323, 361, 433, 455, 456P 等から

読み取ることができる主張です。

 

ここで、今回考えたい仮説は、

サンシャイン!! と沼津市に関する移動が、

ほんものの風景に出会う可能性を

多少なりとももたらすのではないか、

という仮説です。

 

この仮説を完成させ、ほんものの風景を

再生できる予感を獲得することが、

今回のゴールになります。

 

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撮影は著者。Snow halation を待つまでもなく、いくつもの”イメージ”が塗り重ねられたこの場所を、私たちはありのまま見ることができるのでしょうか。

 

 

上のゴールを達成するために、

当記事は以下のような構成で進みます。

 

まずは理論です。

 

1つは、都市が「ほんもの」ではなくなる

そのプロセスを確認します。

 

もう1つは、都市を理解する手がかり、

あるいはサンシャイン!! と沼津市

効果を確認する手がかりとして、

移動という枠組みを確認していきます。

 

これは、

第一に都市と移動が密接にかかわるため、

第二にサンシャイン!! に豊富な移動手段

登場するためですね。

 

以上の理論を確認した上で、次に、

サンシャイン!! における移動手段の

それぞれの意味を考察していきます。

 

その過程で、今回のゴールである

ほんものの都市や風景再生のために

有用な道具を探していきます。

 

ただし、今回のゴールとの関係が

薄いものであっても、

サンシャイン!! の読み解きの上で

意義深いものに対しては、

少し寄り道することを厭いません。

 

最後に、沼津市を探訪するさいの

私たちファンの移動を確認します。

 

これを通じて、

私たちがほんものの風景に出会うことが

できるのかについて迫ります。

 

この際、サブの目標として、

沼津市の交通手段の魅力や、

地域再生に繋がる可能性についても

適宜拾い集めましょう。

 

都市と移動の理論

都市が失われる理由

上で概観した風景の消失、

とりわけ都市の消失について、

改めて詳しく確認していきましょう。

 

その際、基本的に上と同様に、

『視覚都市の地政学』に基づきます。

 

1980年代に始まり、今なお都市の意味が

損なわれて続けている。

このように主張される背景には、

いくつかの理由があります。

 

1つは、上で見たように、

イメージが現実に先行してしまうためです。

 

結果の良しあしはさておき、

この構造はディズニーランドによって

産み出されたものであるようです。

 

映像制作を端緒とするディズニーは、

遊園地を巨大スクリーンの論理

構成しているようで、また、

ランドもまた映画の美術監督

手掛けているようなのです*1

 

すなわち、どこか遠くの風景や

ファンタジーについてのイメージが

先にあり、

風景のほうがそのイメージに合わせて

作られる形になります。

 

同書は、これに似たことが

現代社会全体に広がりつつあるとし、

このことを以下のように表現します*2

旅行者たちは「現実によってイメージを確かめるのではなく、イメージによって現実を確かめるために旅行する」。

現代日本社会の日常的現実も、しだいにメディアにおいて構成される平面的な世界の拡張として経験されている。

 典型的にはショッピングモールにおいて

こうしたことが見られるでしょう*3

 

モールの設計思想によって、私たちの

歩く道のりが巧みにコントロールされ、

まるで映画の一人物のように

制御されてしまいます。

 

さらに、モールによっては、

どこでもないどこか異国の地を思わせる

空間の演出がなされ、

これはその地域でそれをやるという

必然性がないという意味で、

場所の固有性と対立してしまいます。

 

このように、

「現実をイメージに合わせる」*4構成が

行なわれており、

私たちや街は、予め想定されたような

描像のなかに収まっていきます。

 

 

もっとも、東京の都心や、

地方都市の駅前などは、

必ずしもこのようなモールの構造には

なっていないため、

上記の問題を免れるように見えます。

 

しかし、

東京、あるいは沼津市の訪問の際、

私たちは確かにメディアによって

予めイメージを持ってしまっており、

これを通して都市に出会うことは

避けることができません。

 

さらにこれに加えて、

都市が消失しているとされる

第2の理由も働きかけてきます。

 

2つめの理由は、

あらゆる地域が都市化したり、

さらには同質化したりすることで、

都市や場所の固有性が

失われているとされる、というものです*5

 

1つ目の記事でも多少触れましたが、

例えば渋谷駅の前にさえも、

どこにでもある量販店が広がり、

渋谷の渋谷らしさが弱まっているかに

見えます。

 

あたかも、世界各国の空港が

互いに似てしまっているかのように*6

都市はグローバル経済のもと、

同じような量販店が立ち並び、

似たような都市になってしまい得ます*7

 

と同時に、それぞれのお店は

物語的な連続性を持たずに

言ってみればランダム的に並んでおり、

消費者としても、

そこにストーリーを見出すのでなく、

ザッピングするような買い方を

産み出す形になります。

 

言い換えると、

記号や意味を産み出していけるような

都市の経験ではないということです*8

 

この、

記号や意味の生み出せなさについては、

沼津市が抵抗を示しうることを

1つめの記事で見出しました。

 

横断幕をはじめさまざまな所に、

文脈を持ったアイコンが置かれることで、

沼津市が舞台≒都市としての息吹を

再び得ているように見えるからです。

 

しかし、イメージが先行してしまう点が

課題として残っています。

アニメや冊子、SNS で見たイメージに

合わせさせられるかのごとく、

私たちの現実≒旅のルート&楽しみ方

いざなわれてしまいます。

 

(なお、こと東京は、メディアが作り出した東京のイメージに合わせるがごとき開発が行われているように見えなくもなく、その意味ではディズニーランドやモールの論理により直接乗っかっているように見えます。)

 

私たちは、沼津市においても、

東京においても、

同様に各大都市や地方都市においても、

ほんものの都市、ほんものの風景に

出会うことができないのでしょうか?

 

この課題の解消の余地を見るべく、

さらに続けていきましょう。

 

最初に予定したように、

続いて、移動の枠組みを確認します。

 

移動のパラダイム

当記事のゴールである、

ほんものの都市との出会いのために

移動を考えることが重要です。

 

しかし一方、

サンシャイン!! を楽しむこと

これ自体のためにも、

移動の枠組みの確認が

意義深いものになるでしょう。

 

乗り物が多く登場するサンシャイン!! では

移動が鍵になるような場面が

もちろん多く現れてきます。

 

まして、現代においては、

移動という枠組みそのものの意味が

高まっていると言われています。

 

例えば、

モビリティーズ 移動の社会学』は、

移動中という時間や空間が、

1つのモノの見方になることを主張します。

 

移動中ということそのものが

一定の幅を持ちつつあることを象徴するのが、

例えばネットカフェの存在です*9

まだ目的地に到着していない、

あるいは目的の待ち合わせになっていない、

そんな移動中の時間を補完するかのように

こうした施設が台頭します。

 

あるいは『メディア・コンテンツ論』等は、

前回記述しましたように

特に移動という場において、

物理空間と虚構空間が並行することを

端的に示しています。

 

このように、

それ自体が大事とされてきている、移動

そんな移動の、種類や方法について、 

『モビリティーズ 移動の社会学』を

手掛かりに概観していきましょう。

 

これを踏まえることで、

続く次章における

サンシャイン!! 内での移動の効果の、

また最終章における

私たちの現実空間における移動の効果の、

それぞれの確認につながっていきます。

 

 

移動にはどんな種類があるのか

 

まずはじめに、

移動の種類について考えましょう。

 

『モビリティーズ 移動の社会学』にならい

物理的な移動の種類や方法、

そしてさらに、

物理的以外の移動の種類について

確かめていきます。

 

物理的な移動の方法

同書が最初に詳しく扱う移動は、

歩くことです(4章)。

 

歩くことがいかに重要であるか、

いかに移動の基礎をなすかについては、

同書の

移動の歴史から見れば、歩くことは間違いなく最も重要な移動形態である。

という記載や、

そして、今なお、歩くことは他のほとんどの移動形態を構成する要素である。

という記載から理解できます。

 

また、歩くことを前提として

作られた道のいくつかは、

それ自体が人間にアフォーダンス、つまり

働きかけられる選択肢をもたらします。

 

具体的には、19世紀パリのアーケード。

 

欲望に刺激されることや、

都市の生活を想像すること、

こうしたもろもろのことが、

徒歩のパターン、および、

可能なこと、楽しめることを構成します。

 

人々は消費者となり、

「視覚的な楽しみを味わい」、

「群衆に溶け込み」、

「新たな商品やサービスを消費し」、

「悠然たるさまを全般的に身につける」

のです。

 

『視覚都市の地政学』は 30~31P で、

この時代が夢見る時代であるという

ベンヤミンの解釈を紹介しています。

 

陳列された商品は非日常的だが、

家に買って帰れるという意味では現実的、

そういう意味で、現実性と非現実性が

同時に現れると言います。

 

このような意味で、

パリのアーケード(≒パサージュ)、

あるいは万国博覧会は、

幻視的なものを眼前に生じさせていた。

そのようなものであったようです。

 

また同書は、このような事態を受けて、

建築が1つの美術として

独り立ちし始めたことも示唆しています。

 

・・・少し遠回しになりましたので、

私の理解でざっとまとめます。

 

つまり、

人や建物、商品が一体となり、

次々と新しい意味、そして記号

産み出していた。

そしてこの流れを引き起こすのが、

他でもない歩くことだった。

このように理解できましょうか。

 

例えば、

「これこれこういう服を着る人は、

これこれこういう生活をするに違いない」

といった形で、

服がメッセージになったことでしょう。

逆に言えば着る服次第で、

人にどんなメッセージを伝えるか

選択することができます。

 

自由な選択肢というのが、

まさに社会的に構築されるわけです。

 

20世紀を席巻する広告*10や、その他による

さまざまな変容を受けつつも、

この歩くことの創造性は今なお

生き続けているのではないでしょうか。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期6話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!
歩く人々にアフォーダンスをもたらすアーケードが、都会の象徴の1つとして描かれます。

 

さて、

『モビリティーズ 移動の社会学』が

続く5章で扱うのは、鉄道です。

 

徒歩や馬車と比べると、

鉄道は巨大な機械のシステムです。

 

同書は、このような

「一つのまとまり」であるシステムを

ネクサス・システムと呼びます。

 

同書はさらに、

鉄道の影響の大きさを説明します。

 

鉄道登場以前の人々の時間、

「教会や修道院の鐘」が告げていた時間は、

地域ごとに違っていたそうです。

 

ところが時刻表が登場することで、

各地域の時間は「グリニッジ標準時」の

「クロック・タイム」にそろえるよう

要請されるようになった。

これほどの影響、とりわけ

近代化に伴う変貌を、

地域にもたらしたようなのです。

 

時間はもちろん、

空間への影響もやはりまた大きく、

同書は米国の旅行者たちが

鉄道が比類なき速度によっていかに空間を絶滅させたか

を取り上げたとしています。

このことは人々のアイデンティティにも

結びつき、想像の共同体の共有が

可能になったと言います。

その姿や速さに、皆が共通の希望を

持てるというわけですね。

 

またについていえば、

これが大聖堂に匹敵するほどの

近代を代表する建築物になった点や、

地域を都市にするという空間の再編

もたらした点が挙げられています。

 

加えて、予期せぬ交流の場になった点、

しかしその交流がその地を離れる前の

つかの間の出会いに終わりがちだった点が

挙げられています。

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出典:Aqours 3rdSingle「HAPPY PARTY TRAIN」Full/Lantis Channel
駅での予期せぬ出会い、またそれがつかの間であるかのような寂しさ、その両面を感じさせるPV です。

 

また鉄道のネガティブな点として、

自然環境がシステムに組み込まれ

一要素としてまなざされたために、

場所が「アウラ」を失ってしまった、

という点が指摘されています。

 

 

次に同書が6章で取り上げるのは、

自動車です。

 

速度の意味では鉄道と比べ

地味に見えるかもしれませんが、

駅や線路、時刻表にとらわれない

「自由な移動の歓び」をもたらす点で

やはり革新をもたらした交通手段です。

 

現に自動車の旅客人員数の推計値は、

1965年と1975年の間に鉄道を抜かし、

2009年には 74.4% という割合にまで

至っています*11

 

『モビリティーズ 移動の社会学』は

さらに続けて、自動車が

複雑な社会生活のパターンや、

新たな時間パターンを生み出すことを

説明していきます。

 

勤務や娯楽、食事や買い物の場所、

そして移動する時間をフレックスに

することができ、さらに、

砂漠に対して象徴的に、

「終わりなき未来のメタファー」と

述べています。

 

時刻表に拘束されないため、そして

次の瞬間瞬間に自由に新しい走り

追加できるためですね。

 

またネガティブな点として、

歩く空間と衝突し、その空間を

とびとびのものに分割してしまう点が

挙げられています*12

 

さて、物理的移動の方法だけで

それなりの長文になってきていますが、

これで最後になりますので

よろしくお付き合いください。

 

 

同書が7章で取り上げるのは、

飛行機です。

 

電車やバスから飛行機に乗り換える

空港という移動途中の場所が

それ自体 街のようになっており、

移動という時間や空間の増殖が

象徴されています。

 

いっぽう、

空港と空港、大都市と大都市が結ばれる

空旅行の空間全体が、

それ自体で1つの大きな秩序だと

理解することも可能でしょう。

 

この空間内を自由に移動できることが、

より自分にあう場所を探すことや*13

望みの取引を行うことを

有利にするでしょう。

 

良くいえば、移動できる能力が

大きな価値を持っており、

悪くいえば、これが

格差の源にもなっているでしょう。

 

 

非物理的な移動

非物理的な移動として

第一に思い浮かぶのは、

情報空間への/内での移動です。

 

『モビリティーズ 移動の社会学』が

続く第8章で着目するのは、

この情報空間です。

 

情報空間の面白いところは、 

その空間内で完結するというよりは、

物理空間と連動してしまうところです。

 

典型的には、携帯電話がもたらす効果が

例として挙げられます。

それは、

情報空間内の移動を可能にするだけでなく、

情報空間内と物理空間内での移動を

同時に可能にしてしまいます。

 

(前回も挙げましたが、沼津まちあるきスタンプを思い浮かべてみてください。)

 

テレビもまた遠くの出来事と近くの出来事を

あいまいにする装置として働きます。

 

つまり、情報空間と物理空間は、

電子機器や情報技術をを通して

あいまいに溶け合う状況になってきて

いるのです。

 

以上を少しまとめましょう。

 

徒歩は全ての移動の基本であり、また

建築や商品と一体となって、可能な選択肢

いろいろな記号を人々に提供しました。

 

鉄道は巨大なシステムを構築し、

全国的な時間パターンや、速さへの夢、

駅という交流の場を生み出した一方、

自然の場所らしさを弱めもしました。

 

自動車は自由な生活パターンを生む

最もメジャーな交通の機械になり、

新しい瞬間瞬間を生み出した一方、

徒歩とは衝突する形になりました。

 

飛行機については、それに伴う空港

それだけで街のようになりました。

また、

航路および航路で結ばれた箇所が

場合によっては格差のもとにもなる

独自のレイヤーを構成しました。

 

情報空間の移動は物理空間の移動とも

密接に結び付き、さらに言えば、

情報空間と物理空間の境界を

あいまいにさえしました。

 

 

サンシャイン!! における移動の時空間

当記事のゴールは、私たちが

ほんものの都市に出会う余地を

見出していくことです。

 

その準備としてここまで、

いろいろな移動手段/方法の

基本的な性質を確認してきました。

 

上のゴールにせまりつつ、

サンシャイン!! のシーンの意味を

楽しむために、

作中の移動について

振り返っていきましょう。

 

足による移動

歩くこと、もとい、

自らの足を使って移動することは、

サンシャイン!! においても

全ての基礎をなしているように見えます。

 

なにより、

Aqours のこれまでの努力と出来事は

「走ってきた道」として描かれます。

 

作中ではバスが非常に重宝しますが、

それでもなお、今までの物語が

「僕らのバスに乗ってきた道は…」という

歌によって振り返られるわけでは

決してありませんね*14

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期3話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

移動と足に着目する典型的なシークエンスは

2期3話。

 

現代社会における移動の重要さを

改めて述べるかのように、

いかに迅速に2会場間を移動するかという

移動そのものを課題として乗り越える、

そんな回でしたね。

 

ここにおいても最後に象徴的に描かれるのは

まさに走る姿でありました。

 

また、前章の理論編では、

足による移動が建築を新しい美術として

独り立ちさせる可能性を述べました。

 

この『僕らの走ってきた道は…』の

ジャケット背景が沼津駅であることが、

そのことを象徴するかのようです。

 

購入されたかたはご存知の通り、

中身を空けると沼津駅のみが

美術として描かれています。

 

歩くことや走ることが

建築物を美術へと昇華させる。

事実 沼津駅は、足で訪問する私たちに

豊富な選択肢と意味の現場を構成する。

足による移動が建築物を美術たらしめ、

私たちに様々な選択肢意味をもたらす。

  

この CD ジャケットには、

あるいはこのようなことが込められて

いるのではないか。

このように解釈するのは、

少々考えすぎでしょうか?

 

 

鉄道による移動

サンシャイン!! においても鉄道による移動は、

時空間に劇的な効果をもたらします。

 

1期7, 8話は、鉄道によって

東京、あるいは全国のレベルに

接続されるような物語でした。

 

それまでは地域で人気を博し、

順調に成長してきたかに見えました。

それでもなお、全国に接続されたさいには

1点も得られないほどの大敗を

喫することになりました。

 

この一連の流れは、それまで

比較的ローカルなシステムにいたのが、

鉄道のネットワークで構成された

巨大なネクサス・システムの中に

巻き込まれるようになってしまった、

このような流れに思えます。

 

一方、ここでの Aqours は、

鉄道の特長の1つである速度の追求を

いたずらに追い求めはしません。

 

このこともまた、

一定の意味を持って感じられます。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期8話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

移動途中という間の時間によって、

お互いの考えや今の状況を

確かめあうチャンスとしていく。

 

新幹線を選択せず、

間を取った旅程を選び、

車内で時間をかけて話し合ったことが、

この後の克服のために

じわじわと効果を発揮したことでしょう。

 

鉄道固有の意義からは少し離れますが、

移動そのものという時空間の意義を、

ここに感じ取れます。

 

 

自動車による移動

作中における自動車の活躍は

もはや言うまでもないことに思えますが、

上で挙げた意義との関係から

やはり振り返っていきましょう。

 

確かにサンシャイン!! においても、

自動車は自由なアクセスと

自由な時間パターンのために

大いに用いられます。

 

2期10話においては、時間、位置ともに、

公共交通機関に縛られない

自由なアクセスを創り出します。

 

桜内梨子が「何も決めないで9人で遊びにいく」

と述べるように、彼女たちは新しい瞬間瞬間を

産み出していきます。

いつ晴れるとも分からない雨の中、

星空を待つことが可能だったのも、

この自動車の能力ゆえでしょう。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期10話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

ところで、

運転によって瞬間瞬間を作り続ける

小原鞠莉の姿は、

劇場版の Hop? Stop? Nonstop! とも

重なってきます。

 

いちきんぐさんのご指摘のように、

母の説得のために必要だったものは、

過去の成果ではなく、

今を生み出し続けることであった。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow/©2019 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!ムービー

これを踏まえると、

鞠莉が自ら運転した意味も、

改めて意味を持って感じられます。

 

あるいはこの運転は、

内浦における自動車の欠かせなさを

象徴しているかもしれません。

 

飛行機による移動

作中での飛行機の移動は、

よく考えてみると両義的です。

 

2期8, 9話で複数回に渡り搭乗できたのも

劇場版で海外渡航できたのも

小原家の金銭的支援があったためです。

 

このように、恵まれた状況によって

課題を乗り越えていくさまは、

1期13話の「みんな一緒に輝こう!」とは

一見矛盾して見えます。

 

好意的に解釈するなら、こうでしょうか。

富める者は富める者にしかできないことを

為すべし、と。

 

イタリア渡航を経て、

6人が課題を乗り越えたことが、

浦の星のみんなへ分校阻止という

公共の利益をもたらしたわけですから。

 

一方空港のシーンは作中で基本的に

描かれませんが、

実は描かれないことこそが

意味を持っているのではないかと

予感しています。

これについては後述します。

 

 

情報空間内での/への移動

情報空間への移動も、

この作品の根幹を支えています。

 

1期1話の序盤では、

「環境に溶け込んたテレビ」*15

すなわち情報空間への移動によって

サンシャイン!! の物語は幕を開けますね。

 

秋葉原への移動の中において

さらに情報空間へと2重に移動する、

このことが象徴的です。

 

情報空間内への移動を経て

着想したことが、

彼女たちの現実を大きく

作り上げていく。

 

情報空間は現実を構成する要素の

一部分というわけです。

 

こうした情報空間のありかたは、

前回も詳しく探求したため、

是非こちらもご参照ください。

a16777216.hatenablog.com

 

また、

情報空間を通じて、人間関係が

一層密になる点も見逃せません。

 

鹿角聖良が思わず「うわ!」と

後ずさりするほどのリアリティを伴い、

活発なコミュニケーションが

遂行されます。

 

なお、このリアリティがもたらす意味も

気になるところではあります。

 

前回触れましたように、

人間によって支配されすぎない

技術のポテンシャル、新たな用法こそが、

決定されてしまった私たちではなく、

未来に可能性を開くとも考えられます*16

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期4話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

ともあれ、

情報空間は人間関係を活発にする意味でも

物理空間と連動して現実を構築します。

ともあれ、この「うわ!」が好きなんですよ・・・。) 

 

 

ここまでをまとめましょう。

 

サンシャイン!! 作中においても、

各種移動手段の意味や価値が

概ね踏襲されていました。

 

踏襲していない点があるとすれば、

移動に”間”を取っている点です。

 

まずは踏襲している点について。

 

足による移動は、作中においても、

全ての移動の基礎をなしていました。

また、19世紀パリのアーケードよろしく、

足による移動を通じて建築を美術に昇華し、

記号と意味を生産していました。

 

鉄道による移動は、全国を結ぶ

巨大なシステムを象徴しました。

 

自動車による移動は、瞬間瞬間を生み出す

自由な時空間の構築に貢献しました。

 

飛行機による移動は、ややもすれば

富める者に与えられる権利かのような

位置づけになりました。

 

情報空間を通じた移動は、

Aqours 開始のきっかけになるほどに

現実を構成しました。

人間関係を一層密にする点もまた

見逃せません。

 

 

また、各移動手段の特性に必ずしも

寄り添わない例として、

鉄道の、を取った利用が挙げられます。

 

在来線を使うその移動時間の中で、

自分たちのあり方を振り返り

消化していく。

これは上で挙げた1期8話のみでなく、

1期12話にも当てはまりますね。

 

 

さて、都市と移動の理論の確認に続き、

作中における移動の意義について

振り返ってきました。

 

いよいよ、

私たちがほんものの都市に出会えるかを

考えていきましょう。

 

なお、作中において非常に重要なバスは、

記事の最後のお楽しみです。

 

私たちの移動の中で私たちが出会う都市

都市の都市らしさを蘇らせるため、

どんな可能性、あるいは

どんなが方法が考えうるのか。

 

これについて、サンシャイン!! と沼津市は、

以下の3つの方法を使って

「都市」の蘇生を試みつつある。

このように私は考えました。

 

地域の固有性

② 移動における”

現実から現実を作ること

 

1つ1つ順に見ていきましょう。

 

劇場版が描く地域の固有性

まず、サンシャイン!! の劇場版は、

無印の劇場版と比べ、

都市のどこに着目するかが

大きく異なっています。

 

まずは変化の速度。

さめさんがご指摘されているように、

サンシャイン!! においては

フィレンツェの街並みの変わらなさ

渡辺月によって強調され、

無印においてニューヨークの変わるさま

強調されることと対を成します。

 

変わる良さに対する、変わらない良さ。

街並みが変わらないことは、恐らく、

その街並みの固有の景色が残されることに

結びつくのではないでしょうか。

 

均質化された無印都市になっていかない、とも言えますね。

 

また、サンシャイン!! の劇場版は、

無印とは打って変わって、

空港の様子を描き出しません

 

1章目で述べましたように空港は、

「世界都市」、すなわち

世界中どこでも比較的姿が似ている

典型的な例とされており、

固有性とは逆を行ってしまいます。

 

空港を描かないことでサンシャイン!! は、

間接的に地域の固有性を強調している、

そう感じられなくもありません。

 

加えて言えば、サンシャイン!! は、

学校とその周りの自然景観

変わらなさについても、

改めて念入りに強調します。

 

9人でもう一度学校を訪れるとき、

9人の固有の意味を持つ学校が

なくならないということ、さらに、

それを取り囲む海や自然

残り続けることを確かめます。

 

これらのことと、

ローカルな都市の再発見とが相まって*17

世界中が均質な単一の都市になることや、

全域的な都市化が進むことに対し、

抵抗を示しているように見えます。

 

 

また、沼津市内について焦点を当てると、

徒歩の空間と自動車の空間の

巧みな両立が確認できます。

 

上で見てきましたように、

徒歩の空間は、パリのアーケードよろしく

人々、建物、商品が

意味と記号を創り出す現場です。

 

また徒歩の空間は、

コンパクトシティ」の主要素として

賑わいをつくる場とも言われます*18

 

これに対して沼津市は、

徒歩の代表的な空間である商店街が

比較的充実しています。

 

全国アーケード商店街一覧」を見るに、

東日本(糸魚川静岡構造線伊東と定義)の

約 800~900 の市町村のうち、

沼津市は、9番目に単位人口当たりの

アーケードが多い市町村になります*19

 

歩行者専用の道である

あゆみ橋や蛇松緑道の存在にも

注目したいところです。

 

さて一方で、前述しましたように、

自動車は瞬間瞬間を作る重要な乗り物です。

また、恐らく沼津市の地域によっては

生活に欠かせない存在でもあるでしょう。

 

これに対し沼津市は、

歩行者と自動車との両立を図る工夫を

凝らしているように見えます。

 

例えば内浦漁協近辺の車道では、

このように歩きやすい歩道が

整備されています。

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一方、沼津港近辺の道路は、

車道がクネクネと曲がっていて

車の減速を促しており、

歩行者の歩きやすさと安全を

確保しています。

 

一方を排除するのではなく、

歩行者と自動車とを両立させる。

賑わいの空間をつかむことで、

生活の利便性をあきらめない。

こうした工夫が

そこかしこに見られるのです。

 

加えて言うなら、

車のための駐輪施設や自転車道

市内に一定の充実を見せているように

見えます。

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まちあるきスタンプと、

多様な交通の選択肢とが協調しあい、

地域固有のお店への立ち寄りを促し、

そして地域の固有性は存続される。

 

少なくとも直感的には、このように

街の展望を感じることができます。

 

 

鉄道やバスにおける"間"の時空間

サンシャイン!! は作中において、

その速度への追求に全面的に賛同せず、

在来線の利用、そして

その間の移動時間の活用を

前面に見せてきました。

 

さて、こうした””の時間は、

私たちファンの、バス移動の中で

いっそう顕著になる。

このような考えが頭をよぎりました。

 

私たちが舞台探訪し、

沼津駅前や沼津港近辺を出発しとして

淡島エリアや三津エリアを訪れるとき、

一定時間をかけて下香貫や静浦地区

通り抜ける形になります。

 

ここに、

メディアによって組み尽くされない

手つかずの美観が有るのではないか、と

そう思えました。

 

特に2期においては、

9人全員で三津近辺から駅前へと

毎日のように移動していたはずです。

 

しかしアニメの中では、

ジャンボエンチョーや島郷を除き、

下香貫や静浦地区が必ずしも

詳しく描かれるわけではありません*20

 

あるいは観光マップで

事前にこのエリアの目当てを探すことも

あまり多くはないのではないでしょうか。

 

だとすれば私たちは、

いかなるメディアからも先入観を受けずに

このエリアの自然景観や街並みを

堪能することができる。

このように言えないでしょうか。

 

その上で私たちは、

9人がプラサ ヴェルデに向かう

この道のりで、いかに今後のことを

話しあってきたかを

自由に想像することもできる。

 

私たちにとってこの道のりは、

風景の堪能と意味の想像において、

自由な可能性が残された場所だ、と

こう解釈できるかもしれません。

 

交通手段がバスであること、すなわち

全国的なネクサス・システムに

回収されていないことも、

手つかずの風景に力を貸していると

考えられます*21

 

舞台としては、

駅前という徒歩の空間の創造のために

鉄道を活用する一方で、

鉄道の巨大なシステムに対する

クッションもまた用意している。

交通を巧みに利用した位置関係です。

 

ディズニーランド化する社会さながらに

コンビニやファミレスによって

グッズが全国に均質にあまねく備給され、

"Lovelivization" される社会といっても

過言ではない中で、逆説的に、

こここそが生の風景を保っている

貴重な退避場所なのかもしれません。

 

なお、この道が同沼津市内の

都市部と自然景観とを結んでいる点も、

これまた興味深いです。

 

都市と自然の境界の時空間

間を取って体験できることで、私たちは

都市の輪郭、すなわち都市の外部

認識できるのではないか、と。

 

都市の外部がない、すなわち

全てが都市であったならば、

もはや都市という概念は成り立ちません。

 

都市の外部を気づかせてくれるこの道は、

その意味でも、

都市という概念が生き続けていることを

私たちに知らしめようとしているように

感じられます。

 

 

現実が現実を作る沼津市

上では都市が損なわれる一因として、

現実がイメージに合わせてしまう点を

挙げました。

 

これに対しサンシャイン!! と沼津市は、

幾つかの点でこのことを

防いでいるように見えます。

 

典型的にはあわしまマリンパーク

この桟橋。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期1話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!
淡島の船乗り場。む!よく見たらここでは「ついた!」のポーズを高海千歌のほうがやっていますね。良い間柄が伺えます。

知られているように、

この桟橋は台風の被害を受けたのち、

アニメのシーンがあったからこそ

再建できたのだといいます*22

 

アニメが現実を再現し、

現実もまたアニメをもとに、

元の現実を再現しました。

 

言うなれば、アニメというイメージは、

現実を侵略するというよりも、

いっそう現実を現実たらしめるために

貢献しているのです。

あたかもベルナルド・ベロットの絵画が

戦火に焼けたワルシャワの景観を

蘇らせたかのように*23

 

一方、面白いことに、アニメと現実とで

以下のような食い違いが見られます。

 

仲見世商店街や三の浦総合案内所では

現実では登場人物が描かれたアイコンが

これでもかと掲載されますが、

アニメのほうにはこれが一切

描かれていません。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow/©2019 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!ムービー

私たちが現実において登場人物の絵

追い求めれば追い求めるほど、一層、

アニメの描画を思い描いてはいけず、

生の現実に目を凝らさなければ

なりません。

 

これはサンシャイン!! に限ったことでも

ないかもしれません。

しかしいずれにせよ、

アニメ聖地巡礼をするさい、

私たちはありのままの現実をみるべく

差し向けられるのです。

 

アニメを含むメディアというものは、

イメージを先行させることで現実を

いびつにしてしまうだけではなく、

現実と強調することで現実を共創

してもいる。

そんな技術なのではないでしょうか。

 

恐らくは、メディアは、やはり

可能性の開かれた技術なのです。

 

 

まとめ

これにてようやく、

サンシャイン!! と沼津市を通して

改めて現実と出会うための可能性が

出そろいました。

 

私たちは始めに、

実は我々は今やほんものの都市に

出会えていないのではないか、

という疑問にぶつかりました。

 

80年代以降のコンテンツの方法論により

イメージが現実に先行してしまい、

メディアや商品のフィルタを通さずに

現実を見ることが難しくなったからです。

 

加えて90年代以降の固有性の減耗により、

量販店がときにランダムな並びを作り、

街に文脈を感じることもまた

難しくなりました。

 

これを受けて私たちは、

都市における移動の方法やその価値を確認し、

どのような都市への出会い方があるかを

作中と現実から探し出してきました。

 

徒歩を通じて都市に出会うなら、

建物を美術と見立てつつ、

意味や記号、いうなれば舞台を見出すことが

可能になるでしょう。

 

鉄道を通して都市や地方に出会うなら、

良くも悪くも大きなシステムの中に

巻き込まれていくことになります。

 

自動車を通じて都市に出会うなら、

歩行者とは対立しがちですが、

自由な時間と空間のパターン、そして

瞬間瞬間を生み出すことができるでしょう。

 

情報空間を通じて都市に出会うなら、

物理空間での出会いを一層豊かにし、

ときには物理空間とともに

現実を作ることも為されるでしょう。

 

このような事態の中私たちは、

作品と沼津市を通じて、都市に再会する

3つの可能性を見出しました。

 

一つは、改めて地域の固有性を発見したり、

固有性を守ったりする余地があること。

劇場版にはそれを再認識させる描写が多く、

また沼津市には固有性を保つ工夫が多い、

すなわち徒歩の意味自動車の自由とが

両立される工夫がある。

こうしたことが確認できました。

 

二つ目は、内浦に向かう道のりにおいて、

比較的メディアにさらされていない

手つかずの道を通るため、

ここで生の現実に出会う余地があること。

加えて鉄道ではなくバスであるために、

巨大なシステムからも距離を置いた

自然景観との出会いが作られうることも

確認できました。

 

そして三つ目は、サンシャイン!! という

メディアが、むしろ元の現実を蘇生したり、

あるいは人を一層現実に向けさせたりし、

現実が現実を作る余地を残していること。

 

以上3つの、

ほんものの都市に再開する可能性を、

確認することができました。

  

もっとも、長年蓄積された都市研究が、

ほんものの都市に出会えないことを

吟味の末に結論していることを思えば、

素人の私の理解が簡単に通用しないことは

容易に想像できます。

 

起きるであろう様々な批判に耐えるべく、

いっそう検証をしていく必要が

あるでしょう。

 

しかしそれでも少なくとも、

都市に再会できうる選択肢、

その芽を提示することだけは

この場でできたのではないでしょうか。

 

都市と地域の景観を守ったり、

あるいは作っていったりするために、

できることをやり、そして

やり続けてきたいですね。

 

そしてそれに役立つのであれば、

鳥の目も虫の目も

駆使していきたいですね。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow/©2019 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!ムービー

それではここまで、

ありがとうございました。 

 

願わくばまたどこかの都市で

お会いしましょう。

 

参考文献

書籍・論文

※ 便利のため、再び、商品紹介の形式に戻します。そのうえで、販売社さんの公平性を期すため、 ページが有る場合には出版社さんへのリンクも付記します。

 

出版社リンク 

 

無印都市の社会学: どこにでもある日常空間をフィールドワークする

無印都市の社会学: どこにでもある日常空間をフィールドワークする

 

 出版社リンク

 

モビリティーズ――移動の社会学

モビリティーズ――移動の社会学

 

出版社リンク

 

フラット・カルチャー―現代日本の社会学

フラット・カルチャー―現代日本の社会学

 

 

 

メディア・コンテンツ論 (シリーズ メディアの未来)

メディア・コンテンツ論 (シリーズ メディアの未来)

 

 出版社リンク

 

広告20世紀 広告批評アーカイブ

広告20世紀 広告批評アーカイブ

 

出版社リンク

 

日本語研究のための認知言語学

日本語研究のための認知言語学

 

 出版社リンク

 

存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ

存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ

 

出版社リンク

 

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

 

出版社リンク

 

出版社リンク 

 

鵤心治, et al. "ベルナルド・ベロットが描いた風景画の構図と修復に活用された経緯." (2010): 11-26.

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/20654/jaud018_p011.pdf

 

Web

ichikingnoblog.hatenablog.com

※2019/03/30 最終アクセス

 

same-lovelive.hatenablog.com

※2019/03/30 最終アクセス

 

syoutengai-net.jp

※2019/03/30 最終アクセス

 

netatopi.jp

※2019/03/30 最終アクセス

 

ja.wikipedia.org

※2019/03/30 最終アクセス

 

映像作品

www.lovelive-anime.jp

 

www.lovelive-anime.jp

*1:『視覚都市の地政学』308P, 318P

*2:同書 319P(ブーアスティンを下敷きに), 323P(ボードリヤールを下敷きに)

*3:同書 328P。なお『無印都市の社会学』にはショッピングモールの章があり、こちらも参考になります。

*4:同書 365P

*5:同書 356P, 362-368P

*6:同書 356P 「世界都市」

*7:2019年現在、例えばロンドンの繁華街ではユニクロH&M無印良品ZARA などがしのぎを削っており、買い物経験としてほとんど東京と違いがないかのようです。

*8:同書 367P

*9:『フラット・カルチャー』91P

*10:広告20世紀』 7P 「20世紀は、広告の時代だった、と言ってしまおうか。」

*11:『交通経済のエッセンス』 7P。「交通関連統計資料集」が出所とのこと。

*12:『モビリティーズ 移動の社会学』 4章

*13:『クリエイティブ都市論』5章

*14:もちろん、走ることがピックアップさせる理由は、実際に走ってきたためだけではなく、概念メタファーのためでもあるでしょう。『日本語研究のための認知言語学』105P では、時間は移動する物体である、というメタファ、すなわち比喩(の体系)が示されます。よく、「この数十年を歩んできました。」といった表現がなされますね。

*15:この表現も『モビリティーズ 移動の社会学』にて。公共空間に設置された端末をこのように捉えます。

*16:存在論的メディア論』より。なお同書は電話についても、両義的ながらも以下の余地を示します。私たちを〈いま・ここ〉から遠くへ連れ去ったり、リアリティに対して〈後ずさり〉させたりするとき、それでもなお残されるものとして《存在》を思い出させるのではないか、と。《存在》は、未来へ可能性を開く鍵概念です。

*17:当シリーズの#-1より。

*18:例えば『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか』3章。

*19:上位から熱海市武蔵野市小樽市甲府市気仙沼市前橋市燕市北上市、そして沼津市。なお西日本は圧倒的にアーケードが多いため、比較になりません。あるいは、沼津市はそうした西日本の影響を受けていてアーケード数が多いのだ、という考え方をすることも可能でしょう。

*20:ねたとぴ」によると、獅子浜は短い時間ですが描かれるようです。

*21:これは個人の感覚ですが、鉄道でアクセスできない景勝地のほうが、これ見よがしなほどの観光地化が進んでおらず、元々の自然や街並みが残っているような気がします。実体験としては熊野古道の途上、写真で見たものとしては伊根の舟屋など。

*22:電撃G'sマガジン号外 ラブライブ!サンシャイン!! Aqours Winter Special 2018』44P。

*23:ベルナルド・ベロットが描いた風景画の構図と修復
に活用された経緯
」および Wikipedia より。