好きを好きと言えることと、それを受け入れること アニガサキ1話感想

こんにちは。センケイです。

自分は割と多趣味で、色々な「好き」のお話をさせていただいているので、推しアニメといえど大量のツイートは避けようかなとは思っていました。

しかし第1話、かなり期待していたのをさらに大きく上回って素晴らしく、当初の予定より割と沢山つぶやいていました。お騒がせしてスミマセン。

 

やや自伝的になるのですが、この日は奇しくも、「好き」をめぐる幾つかのお話に恵まれた一日でした。

このため今回は、これらのことを合わせて、「好き」をめぐる感想を書きたいと思います。

 

この放送初日 10月03日は、月末読書会さんの以下の会に参加させて頂いており、奇しくも「好き」であることや「推す」ことが力になること、そして時にはそれが難しいというお話を多数伺っていました。

 

さらに、推しである優木せつ菜のことをもっと知りたいと思い、とっきーさんがちょうど前日にそうした記事を投稿されていたのを思い出して、こちらを夕方拝読していました。「好き」をめぐる、心に刺さる記事です。

tsktktk.hatenablog.com

そしてご存知22時30分より、待ちに待った『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』 (以下ニジガク) が放送され始めました。

 

いずれも「好き」であることを表明するその難しさ、そしてだからこそ受け入れてもらえる大事さを示している側面があり、これを巡って自分のなかでちょっとした衝撃がありました。

このため、この自分が経験した1日をバックにしつつ、感想を書いていきます。

 

 

 

何かを好きであること、夢中であること

 

自分が何かを好きということ、まして、心の底から揺さぶられているということを、公の場で、あるいは旧来のリアルの友人に向かって、はっきりと表明することは難しいときがある。こうしたご経験がおありのかたも、いらっしゃるのではないでしょうか。

 

今回読書会のテーマになっていた以下の本は、改めてその「好き」をはっきり言うことの難しさを思い出させてくれました。あるいは、自分のような戸籍上の男性と比べて、戸籍上の女性の場合、さらにもっと表明が難しかったのではないか。このようなことを同書は教えてくれます。

 

www.seidosha.co.jp

 

そんな中で、「オタク」や「女オタク」といった言葉は、自分が何かに夢中である理由を説明するための、助け舟として現れてきた。逆に言えば、助け舟なしに自分の欲を表に出すことは、今でも難しいときが多いようです。

 

年齢や性別といった社会的な属性、あるいは、どういう企業や学校のどこに属し、でどのような家庭を持っているかといった社会的な役割によって、「〜は好きでいて良い」「〜は好きでいてはいけない」と制限されるとすれば、これは苦しいことです。

 

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

するとどうでしょう。まさしくこれと呼応するようなシーンが、第1話冒頭で描かれています。高咲侑がピンクの服を推奨するなかで、上原歩夢は、子どもっぽすぎるのではないかという理由でこれを遠慮してしまいます*1

 

もちろん、自分の印象を意図してコントロールするために、自ら進んで服のテイストを変えていくことは、悪いことではないと思います。しかし、もし好きなテイストを敢えて犠牲にしようとしているのなら、話は変わってきます。

ここでは表情がかなり巧みに描かれていて、本当はピンクに関心があるのに躊躇っているという、見事な描写です。

 

「好き」であることを難しくするのは何者か。大雑把に言えば、第一に挙がるのは周りの目でしょう。好きであることを受け入れてくれる周りの理解がなければ、その分、典型的には先程あげたような「オタク」などの説明材料がない限り、不自由を強いられてしまいます。

なお、「オタク」のようなラベルが、ときに人から押し付けられるものでもあるという側面は、無視できません。しかしそのような場合でも、ラベルを能動的なものに読み替えられる余地があるという指摘は、幾つかあります*2

 

青少年を悩ませる「優しい関係」

 

 加えて、近年の若者に固有の問題として、「優しい関係」のもたらす難しさが指摘されています*3

この理論によれば、何に興味関心を持つかが人によってバラけてきている現代では、仲を結びつける共通の基盤が弱まっているというのです。気を遣い合うことでどうにか仲を維持していくしかないため、「あたかもガラス細工を扱うかのように、恐る恐る人間関係をマネージメント」しなければならない、と。

 

「装った自分の表現」*4 をし、無難な振る舞いをしなければ、周りから浮いてしまい、自分のことが見られなくなってしまう。せつ菜のライブを見て思いが「走り出した」後も、「自分の気持ちが止まらなくなりそうで怖」いと思ってしまう歩夢の不安は、こうした事情から来ているのかもしれません。

 

天王寺璃奈の「好きなの?スクールアイドル」「あなたも?」という問いかけに対して、「どうだろう?まだ、よくわからないかな」とはぐらかす歩夢。一見に平穏に見える場面ですが、いやだからこそ、実際には上のような葛藤を持っているかもしれないと思うと、胸が締め付けられます。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

このような葛藤を持つ歩夢にとって、同好会の存在は、侑以上に死活問題だったことでしょう。スクールアイドルという、「好き」を追求する先駆者がいれば、自分の「好き」も許されるかもしれない。同好会に属しているというお墨付きがあれば、自分もスクールアイドルというラベルを支えにして、臆することなく自分の色を出せるかもしれない。

 

しかし、その唯一の希望に見えたスクールアイドル同好会が、部室を目前にしてあえなく廃部となってしまいました。侑でさえも、スクールアイドルへの強いこだわりをやめ始めてしまい、道が閉ざされてしまいます。

 

 

好きを繋げていく灯火

 

しかし、一度火のついた歩夢は、簡単には消えないものを煮えたぎらせてきたのでしょう。

時間を前後しますが、せつ菜のライブを振り返ってみましょう。

 

もうすぐ廃部になる予定の同好会。せつ菜は、とてもその風前の灯火のライブとは思えないほどの、一本筋の通ったパフォーマンスを披露します。

 

考えてみればせつ菜は、自分の好きを飽くことなく追求し、それを歌にする人物です。好きを追求することを迷うオーディエンスに火を付けるには、申し分ない人物でしょう。

アニメ本編で登場していない曲や場面も含めて潜在的なせつ菜の側面を考えるなら、とっきーさんがご指摘されているように、以下の2つを加えることができるでしょう。

  1. 好きを追いかける過程で苦悩も経験してきたからこそ、いっそう強いメッセージを歌うことができる。
  2. だからこそ、人の好きを応援することもできる。

とっきーさんのお言葉を直接お借りすると、「涙や痛みと付き合ってきた高校2年生で、だからこそ彼女の歌声にはある種の熱が宿る」、そして「何があっても、彼女は好きの味方」なのだ、と。

 

特に 1. について言えば、上で述べたような「優しい関係」という難しさこそが、巡り巡ってせつ菜のメッセージを強くした、と言えるのかもしれません。ぶろっくさんがご指摘されているように、せつ菜は「時に周囲に偽り、時に自分を誤魔化し」てきた*5。現代特有の難しさの中でそれでも「好き」を続けてきたせつ菜の言葉に、説得力のないはずがありません。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

自分の「好き」を受け入れてくれる周囲の存在は、自分の力だけではどうすることもできないかもしれない。

でも少なくとも、「受け入れてもらえないかもしれない」という不安だけならば、乗り越えられる。

 

侑の足元を揺るがすようにその心象を炎の中にいざなったせつ菜。しかし実際のところ、逢崎らいさんがツイートでご指摘してらっしゃったのですが、それが歩夢の心にも確かなものを残したのでしょう。

ところで余談ですがこのライブは真に迫る本当にニクい演出ですね。CD 音源と同じものがそのまま流されるのではなく、ラスサビでは、実際のライブで歌われるコーラス部分が前面に出ました。そして楠木ともりさんがコーラスを歌いきった後に見せる笑みもが緻密に再現されています。好きを応援されたのは、侑なのか、歩夢なのか、それとも我々なのか…。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

歩夢の勇気、支える言葉

 

このような熱意を浴びて、心を動かし始めた歩夢。しかし、その熱いライブの記憶が「受け入れてもらえないかもしれない」不安を消してくれたとしても、本当に受け入れてもらえるかは、ある種の賭けになります。

同好会という足がかりは潰え、完全にときめいていた侑でさえも諦め始めていた。だからこそ歩夢の一歩というのは、本当に勇気あるものだと思います。

 

確かに「スクールアイドル」というラベルは、好きをありのままに言う助けになるかもしれない。しかし、少なくとも虹ヶ咲学園においては、既存の基盤が潰えてしまった。しかしそこで、自らそのラベルを獲得しようと決断したのが、歩夢だったのです。

現存して私たちの「好き」を助けてくれるラベルもきっと…、最初はこのように、誰かが勇気を持って掲げ、あるいはネガティブなイメージを絶え間ない努力によって払拭し、そのおかげで培われてきたのでしょう。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

しかし「好き」は一度動き出したならば、『特集=女オタクの現在』や『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』の言葉を借りるなら、エンパワーメントととしても、連帯としても働く。

カワイイを追いかける人を力づけ、そして、ひるがえって、仲を取り持ってくれもするわけです。

思い描くたくさんのカワイイと、侑との関係とに自信を持ち始めたのが溢れ出るかのような、描写と、歩夢の気丈さ。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

そして、これに応える侑の優しさ。

気心知れた仲であっても、関心のズレや、浮いてしまうことの不安が完全に拭い去れないためか、依然気がかりな表情で向き合う歩夢。

このとき、だからこそ、「いつだって私は、歩夢の隣りにいるよ!」という侑の一言は、どれほど人を励ますものであったことでしょう。

 

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

「いつでも受け入れるよ」という意味を持つこの言葉。興味の食い違いがいつでも不安をもたらしうる現代の若者社会で、このような言葉ほど、価値を持つものもなかなかないでしょう。

確かに、上で述べてきたように、周囲の「みんな」に受け入れてもらえるかは自明じゃないし、個人の力ではどうしようもない。それでも、仲を壊したくない筆頭たる幼馴染が上のように言ってくれたなら、どれほど安心できることでしょう。

 

勇気を出した歩夢。人の「好き」を受け入れ、心の不安から守ろうとする侑*6

加えて、まだアニメ本編では出ていないものの、「好き」について「誰かが否定をしたとしても 私は絶対味方だから」という言葉をもつせつ菜。

 

彼女たちの努力や勇気、優しさ、心のなかで燃やした熱い思いが、すんでのところで消えかかったスクールアイドルの灯火を、少しずつだけどよみがえらせてきました。そして、この火が次につながろうとしています。

 

強い味方になるいっぽうで脆くもある「好き」が、思いと言葉によって、生き延び、地に足をつけ始めました。

 

葛藤に揺らぐ中で生き残り、一歩を踏み出し、そしてそれがちょっとした社会の基盤さえも生もうとしている。この歩夢、侑、せつ菜が作り出したうねりによって、私たちが…少なくとも私が、大きく励まされないはずがないです。

 

あとがき

 

さて、もともと1話目からこのような長文を書くように計画していたわけではありません。しかし、1話目にしてあまりに良さを感じてしまったため、何かを書かないではいられず、ついついここまで来てしまいました。

自分には悪い癖があって、少し楽しみなことがあると、事前にあまりにも楽しみにしすぎてしまってその楽しさを前借りしてしまい、「期待ほどではなかったかも…」みたいな目にあうことが何度も何度もありました。今回も性懲りもなく、始まる前からちょっと楽しみにしすぎており、「これはマズイパターンやな」などと思っていたわけです。

しかしいざ22時30分が到来すると、そんな不安など毛ほども気にならないくらい、期待を大きく超えてグッとくる内容で、すっかり満足してしまいました。そして、これは気持ちの冷めないうちに言葉を残さなければ…という思いにかられたわけです。

 

加えて言えば、ちょうど「好き」の価値と難しさとの両方を学んでいたところであったため、いっそう今回の話が琴線に触れるところとなりました。

あわよくば、「好き」を巡って戦う彼女たちの姿が、私だけでなく、多くのかたの助けになると良いな、と思った次第です。

実際、ラブライブ!シリーズは、『特集=女オタクの現在』でもご寄稿されている佐倉智美さんの記事でエンパワーメントになっているというご指摘があったり、『私たちの「戦う姫、働く少女」』で推奨作品に選ばれていたりと、性別を超えて人を励ますものになっている、ということが言われてきています。

今回のこのニジガクも、また、いや今までよりもさらに、そうした励ましになっているように思い、これが多くのかたに届けばいいな、ということも思いながら書きました。なので、「ニジガクが自分の励ましになった」、というかたが少しでも増えられるなら、1ファンとして冥利に尽きる思いです。

 

それでは、ここまで長くなりましたが、ありがとうございました。

 

次週以降も継続するのは難しい気がしていますが、ちょっとずつ追いかけてアウトプットしていこうと思います。

Aqours もちょっとずつですが書いてはいますので、そちらもお楽しみに。

 

※ 2021/04/20 追記 ↓↓

なんやかんやで 13 週完走しました〜!

これも皆で毎週ハッシュタグつきで投稿する、みたいな企画というか流れがあったためで、発案されたかたや盛り上げてらしたかたがたには改めて感謝したいと思います😆

 

この1話についてはハッシュタグ#はじまりのトキメキ」にて素晴らしい記事がたくさん投稿されていますから、オススメです!

※ 追記ここまで ↑↑

 

 

ではまた、何らかの「好き」を話す場で、お会いしまししょう。

 

 

参考文献 

 

出版社サイト

 

 

tsktktk.hatenablog.com※最終アクセス: 2020/10/04

 

 

www.lovelive-anime.jp※アニメ、および『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS』

 

 

 出版社サイト

 

 

ふれる社会学

ふれる社会学

 

 出版社サイト

 

 

 出版社サイト

 

 

 出版社サイト

 

 

k-block.hatenablog.com※最終アクセス: 2020/10/04

 

 

「若者の親子・友人関係とアイデンティティ―― 16~17歳を対象としたアンケート調査の結果から」 辻 大介, 2004 『関西大学社会学部紀要』35巻2号, pp.147-159

 

 

stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp※最終アクセス: 2020/10/04

 

 

 出版社サイト

*1:ピンクを着たいという描写はなかなか両義的で、ちゃんと考えると結構難しい題材です。戸籍上の女性と言えばピンクだ、と固定観念を生むリスクが有る一方で、カワイイものの1つとして戸籍上の女性を勇気づけもする、と言われています。詳しくは『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』など。幸い、他のニジガクのメンバーが必ずしもピンクとは限らない様々なテイストを好むことから、当記事では、ピンクが歩夢を勇気づけ、これを通じて視聴者をも勇気づけるものとして、また、年齢に左右されない自由に着目する意味でも、肯定的に解釈したいと思います。

*2:ふれる社会学』や『欲望する「ことば」

*3:「個性」を煽られる子どもたち

*4:同書より。

*5:スマートフォンアプリ『スクスタ』においては両親との軋轢も描かれていることから、この「周囲」には親子関係も含まれるでしょう。ここで、特に自分のアイデンティティーが複数化しているとき、「友だち親子」感が強まるという調査結果があります (「若者の親子・友人関係とアイデンティティ」)。このため、特に複数の「キャラ」を演じ分けているせつ菜においては、親子関係にも「優しい関係」の困難があった可能性が高いでしょう。せつ菜はこのような、「好き」を押し込められた関係性を生き抜いてきたことになります。

*6:他者の存在こそが自分の新たな面を開拓する、ということについては、Aqours を通じてこんな記事も書きました。