「個人の好き」は、「皆の好き」の敵じゃない アニガサキ3話感想

こんにちは。センケイです。

 

いよいよ推し回ということで緊張して待っていましたが、そのインパクトは想像以上のもので、どう書いたものかと大分悩みました。

が、彼女の目指した「パブリック」を考えることで、ひとつ、この回をじっくり吟味できるかもしれないと思いました。

 

人に自分の好きを押し付けたくない…。そのように皆をおもんぱかる優しさは、中須かすみだけが持つものではありませんでした。

優木せつ菜は、「自分の好き」を追求できる場を求めながらも、同時に、皆の好きが活きるような「パブリックさ」をも求めている人物であった。この第3話からは、そのようなことが推察できます。

 

しかしせつ菜は、その2つは両立しづらいのではないかと疑いを持ち、ジレンマに陥ってしまいます。そしてこれは同好会全体に突きつけられた、皆が好きなことを追求できるという理想が本当に実現できるのか、という新たな難題でもあるでしょう。

しかし、高咲侑と一緒にせつ菜は、実はこの「自分の好き」と「皆の好き」の2つは矛盾するものではないということを見つけていき、見事に難題を乗り越えていきます。

 

そこで、どのように矛盾が解消できたのかを見ていくためにも、パブリックとは何かについて、少し準備しましょう。(ちょっと準備が長めなので、途中を飛ばしてせつ菜と侑が乗り越えてきたものから読んで頂くのでも良い気がしています。)

 

 

パブリックな場はどこにある?

 

しかし考えてみれば「パブリック」というのも難しい言葉です。パッと聞いた感じでは、さしずめ「プライベート」じゃないもの、くらいの印象ですが、それは何を指しているのか。

例えば会社や仕事はプライベートじゃないのでパブリックでしょうか。でも、よく考えたら多くの会社のことを「私企業」とも言います。そう考えていくともう少し複雑そうな感があります。

 

パブリックな場はどこにあるのか。これを整理するために、『モダニティの変容と公共圏』が示している、3つの境界線を引いてみましょう。

(この3つの境界線は「パブリック・スフィア≒公共圏」のためのものですが、「」は少し言葉がカタイので、以下ではこれを「パブリックな場」と書くことにしましょう)。

 

パブリックな場とは、

①国家 (政府) ではない。

②市場 (営利) ではない。

③ インフォーマル (親密圏) ではない。

 

3つのどれでもないもの、3つの境界線の内側にあり、「非政府・非営利・公開性」のあるものこそが、狭い意味での「パブリックな場」だそうです。

 

まず①と②について言えば、パブリックな場とは、ようするに国家サービスでもなければ、お金儲けでもないということです。

大会「ラブライブ」が国家主導のプロジェクトなのか、それともスポンサーである会社がいて主導しているプロジェクトなのか、私が知る限り定かではありません。しかしどちらの場合であっても、大会ラブライブは、少なくとも狭い意味でのパブリックな場には当たらないことになります*1

 

続いて③についていうと、パブリックな場というのは、仲間うちに閉じておらず、公開されたものということになります。

なお、③でないもの、つまり公開性だけがあるものは、広い意味でのパブリックな場に当たるそうです。

 

同好会は、インターネットを通じて仲間募集も行い、ライブの動画配信も行っているため、その意味では公開性があり、少なくとも広い意味では*2パブリックな場だと言えるでしょう。

 

さてでは、狭い意味でのパブリックな場、「非政府・非営利・公開性」の場というと何があるでしょうか。具体的にはおそらく、市民が市民のために行う地域のイベントやボランティアなどが上げられるでしょうか。Aqours の例から探すと、脚注 *3 の例が上げられるでしょう。

あるいは、公開性だけを持っている広義の例なら、法律やお金も入ってくるでしょう。

 

これで、パブリックな場がどこを指しているのかはわかりました。公開性のある場、そして出来れば、国家でもお金儲けでもない場、であると。

しかし、パブリックな場は、何をやっている場なのでしょうか。

 

パブリックな場は何をする?

 

ハーバーマスらの議論をもとに同書が言うには、「パブリックな場」は、個人個人はバラバラであっても特定のメディアでお互いを結びつけるもの、であるようです。バラバラであっても結びつく。私なりに噛み砕いてみた言葉ですが…、甘美な響きです。

広義の例なら、お金は分かりやすいかもしれません。必ずしも個人的に仲が良くなくても、お金をめぐるルールを通じて、店員さんとお客さん、あるいは会社と会社などを紐付けます。

地域ボランティアについても、ルールさえ守れば誰でも参加できるという形に注目すると、たしかにこれに当てはまりそうな感じがします。

 

あるいはルーマン流に言えば、おそらく、コミュニケーションが次のコミュニケーションを生み出すシステム。パブリックな場は、そういうものだと言えるでしょう。

 

ただし、おそらくハーバーマス流の考えによると…、パブリックな場には「共有されるべき価値」はないそうです。

JIHANKI さんの「色」という仰っしゃりかたをお借りするなら、パブリックな場は、「色」は出しにくい場かもしれません。これでは確かに、せつ菜個人が「好き」を目指せる場とは食い違ってしまうでしょう。JIHANKI さんのお知恵をお借りするなら、せつ菜は濃い色の人物なのです。

 

まとめて言うなら、パブリックな場とは、一見バラバラな皆をそれでもなお接続する場所。しかし、システマティックで無色透明に近い場所。そのように言えそうです。

 

なお、③でパブリックな場から取り除いたもの、親密圏とはどういうものかも触れておきましょう。

大ざっぱに言えば、個人的な情緒による、親密さを共有し合う関係の場と言えましょう。またその性質としては、システムによる結びつきではない分、不安定ではあるものの、相手を全面的に受け入れるポテンシャルを持っているようです。

 

せつ菜と侑が乗り越えてきたもの

 

せつ菜の話題に戻りましょう。

自分の好きを追求したい気持ちと、皆がそれぞれに好きを追求してもバラバラにならない場を作りたい気持ち。この2つのコンフリクトに思い悩んでいたのが、せつ菜その人です。

この2つのが両立できないと考えたせつ菜は、優しくも悲しい、自分以外さえ幸せになれればいいという決断をし始めてしまいます。

しかし、それは本当に両立できないものだったのか。

 

侑は、せつ菜の2つの思いを順番に1つずつ助けて行きます。

まずは、皆が好きを好きでいられるためのパブリックな場を、阻んでいるものから。

 

まずは大会「ラブライブ」。それは確かに、色を出し、「共有できる価値」を持つには強い武器になるかもしれない。しかし上で見てきたように、これは狭い意味でのパブリックな場には当てはまらなそうなモノでした。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

大会ラブライブに頼らない同好会こそ、「非政府・非営利・公開性」という意味では、ほんとうのパブリックの場であった。

つまりおそらくは、バラバラな人と人とを接続し、さらに、トキメキがまた次のトキメキを再生産する、そのような場なのです*4。侑は芯の強い言い方で、ラブライブを目指さない進言をします。

 

しかし、想像するにスクールアイドルがラブライブに出演するのが当たり前のようになっているであろう世界観のなか、この発想をすることさえも難しいことであったでしょう。「出なくていい!」という侑の柔軟性、そして確固たる意志は、見事なものでした。

 

なお、逢崎らいさんがツイートされていたお言葉を借りるなら、 大会を避けることで、「評価」されることから離れることができたため、それによって好きを自由に追求できるようになったとも言えるでしょう。
 

ある意味ではパブリックではなく、しかも目指すべき色を揃えなければいけない大会であった、ラブライブを避けるという英断。これで少なくとも、せつ菜が目指した2つの理想像のうち1つ、パブリックさ、つまり皆が好き好きにやっても結びつくような場については、保証されてきました。

しかしもう1つの課題、せつ菜の「好き」の追求とは、どう折り合いをつけられるのでしょうか。

 

上で見てきましたように、パブリックであることは、色を持つこととは相性が悪そうです。せつ菜が好きを追求したとき、その価値を共有することができるのかは、明らかではありません。もっと情緒的に言うなら、そんなせつ菜を、みんなは好きと思ってくれるのだろうか。

一話の記事で少し触れましたが、青少年にとって周りから浮かないことは、重い課題です。胸の内を想像すると心がキリキリします。

彼女はまだ、懸念の晴れきらない様子を見せます。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

実は、上で準備してきた「パブリックとは何か」という話には続きあります。言ってみればパブリックとは無色透明の結びつきだと考えたハーバーマスの分析は、敢えて言うならば少しカタイところがあるというか、美や芸術の側面*5を無視してきているとのことで、それなりの批判があったそうです。

 

同書によると、例えばトゥレーヌという社会学者は、「平等の権利をもつ者どうしが互いに他者の個人的・集合的プロジェクトを尊重する」社会、そんな社会を理想として思い描いたようです。

こうした論者たちの考えによれば、システムによる機械的な結びつきはそれほど大事じゃない。むしろ、イマジネーションや「個人的な経験」、「文化的意味づけをめぐる闘争」が大事だというのです。一人ひとりの美的なものを大事にするものこそがパブリックな場だ、というわけですね。

 

人と人とを結びつけるために、より良い場を作るために、同好会、あるいはスクールアイドルという仕組みは、無色透明になってまで、機械的に人を結びつけるものじゃなくても良い。「他者の個人的 [...] プロジェクトを尊重する」ものでも、それは十分にパブリックなもの。これって、まさに同好会の姿そのものではないでしょうか。

ニジガクの皆がそれぞれに思い悩み、皆の好きを大事に出来る場を探してきた結果、歴史をなぞるように公共性が生まれて、アップデートされていく。それが皆を守り繋げていく。そう思うとなかなか感慨深いものがあります。

 

加えて言えば、上でパブリックな場から除外した、インフォーマルなもの≒親密圏。これが大事な働きをするように思います。個人的ではあるが、情緒でもって人を結びつける場のことです。

 

自分の好きを追求したとして、同好会がバラバラにならないことは保証されてきた。

でも、自分の好きがマイナスに働かないとしても、プラスに働くかは分からない。バラバラにするものではなかったとしても、くっつけるものかどうかは分からない。自分の好きが、同好会にとって良いものなのか。皆が好いてくれるものなのか。そうでなければ、結局、皆離れてしまうかもしてない…。せつ菜には、あるいはそのような心配もあったのかもしれません。

 

しかし、包み込むような侑はその暖かさで、「大好き」ということを保証してくれ、せつ菜の望みに「もちろん!」と答えてくれるのです。どれほど嬉しかったことでしょう。どれほど心強かったことでしょう。

パブリックなものと、親密な間柄で成り立つもの。これらは対立するものではなく、お互いを補い合いながら人を結びつけるものでもあるようです。グループという小社会を作り、個人的な縁でスキマを満たしていく。それがラブライブ!の魅力であり、アニガサキにおいてさらにこの現代社会の流れを勇気づけるように煎じ詰まってきた、そのように言えましょうか。

自分の好きは、皆の好きを実現する場にとって決してジャマじゃないし、しかも、好いてくれる人がいる。優木せつ菜は、無敵になります。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

自由な身体

 

自由に好きを追求できることになったせつ菜の華麗さ。これを見ていくために『「からだ」の社会学』を少し参考にしてみましょう。

人間のからだというものは本来「まっさら」なもので、型にすっかりハマってしまうこともできる一方で、「後天的に意味付与される」自由なものであるようです。

 

好きを追求できるということを受けてひとつの型を脱し、自由であるからこそ、可能性に満ちた はつらつさが生まれてくるでしょう。

 

さて、自由な身体、あるいは作曲のかたが SPYAIR の MOMIKEN さんであるとのことで、スポーツとの繋がりを彷彿とさせられます。

 

いつでも次の一歩へと重心移動できそうな体重のかけ方や足の運び、つま先とカカトの使い分けは、見るだにスポーツそのものではないでしょうか。

特にこの、 A メロ後半のこのしなやかな一歩を見てください。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

これは影山飛雄をして「完璧な一歩目…!」と言わせた宮侑のステップと、かなり近い動きではないでしょうか*6?ダンスの1つ1つの動きが、そのような完璧さのパーツで出来ていると思うと、ゾクゾクしますね。

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出典: ハイキュー!! 4期14話/©古舘春一集英社・「ハイキュー!!」製作委員会・MBS

 

他にも、たびたび間に挟まれる半身の姿勢や、あるいは Nor-Man さんが CHASE! についてツイートされていたお言葉を借りれば「空牙昇竜脚」のような蹴りなど、スポーツを思わせる動きが多く見られます。

好きを追求するときにしばしば現れる「フロー」という状態。せつ菜がこの状態になっているのだとすれば、それは活動それ自体に陶酔しているものであり、再び『「からだ」の社会学』を参照するなら、おのれの肉体への陶酔はこれこそまさにスポーツの魅力、あるいはその美と言えるでしょう。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

加えて言えば、自分の可能性を信じて新しい何かへと向かうさま、そして飽くこと無く挑戦していくさま。これらもまた、スポーツと共通の、見る人の心を揺さぶる部分だと言えるに違いありません。 

 

ところで、もちろん、好きを追求していることが分かる姿も、それ自体大変な魅力になっています。

拳を突き上げるときのこの笑顔!これこそが私たちの見たかったせつ菜です。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

さらに素晴らしいことにせつ菜は、好きと言ってくれる個人にお披露目をしながらもなお、公開性というパブリックさをも忘れてはいません。

自分のための好きや、ひとりの相手のための好きを伸び伸びと追求してなお、それ自体を公に開かれたスクールアイドル活動として機能させてしまう。素晴らしい意地、判断、要領、そしてスキルです。 

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

最後にもう1つ。

誤解を恐れず言えば、古典的な女らしさ/男らしさの境界を揺るがすような凛々しい動きや、自分の加入の許可を「すごいこと」と言ってしまえる堂々とした姿勢。これもまた、視聴者をかなり勇気づけてくれるものに思います。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

ある意味でリーダー的ポジションを譲っても、優秀な いちプレイヤー、エースと言いましょうか、として皆を牽引してしまうその勇ましさ。これこそが私たちの見たかったせつ菜です (2回目) 。侑は、まったくすごいことをやってくれました。

そしてその勇ましい姿に、私たちファンが悶えないはずがないのです…。

 

あとがき

 

…と、思いの丈をここまで書いてきましたが、まだまだあのライブの衝動を書き尽くせたという気がしません…。

飛び込む勇気の美しさ。それを身体に宿し、音楽に乗せられる美しさ。

好きなものを好きという気持ちの大きさは、私たちも負けていないかもしれません。しかし、それをこのように表現できる運動神経や歌唱力は、並大抵のものではないでしょう。少し妬かされてしまうような、そんな力強い美しさです。

ここは1つ「最初からカンペキにできる筈ない」*7 と割り切って、またの機会までにさらなる言葉を練っておくとしましょう。

 

他のメンバーの魅力もますます頭角を現して来ましたね。例を挙げるなら、緊張した空気をうまく丸め込んで和らげてしまう近江彼方の動きが尊いです。かすみも非常にかすみらしい納得の反応をしていますね。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

さて、新同好会軍、スクフェス軍、あいりな軍の3つに分かれ混沌を極めていたかに見えた同好会。しかし、朝香果林の今後の意向こそ明らかでないものの、せつ菜を含む形で新同好会軍とスクフェス軍が合流する形で落ち着いて来ました。

未だ遊軍として動きつつも随所で活躍を示しているあいりながどう動いていくのか。次回も非常に楽しみですね。

 

それでは、ここまでありがとうございました。

また、文化をぶつけあう場でお会いしましょう。

*1:スクスタにおけるスクールアイドルフェスティバルのようにボランティア主導であり、非政府・非営利であるという可能性も有り得ます。しかしそれでも、後述するように、「評価」される点ではやはり市場原理に近いという課題が残ります。

*2:少なくとも広い意味では、って日本語が分かりにくいですね。「少なくとも弱い意味ではパブリック」と言い換えるほうがイメージが湧きやすいかもしれません。

*3:劇場版のラストで行われるライブは、まさに公共圏の典型と言えるのではないでしょうか。個人的にこれは非常に重要な例だと考えているので、のちに公開する予定の記事でまた触れます。

*4:以前の記事では、スクールアイドルが、羽根が次の羽根を生産するシステムだという分析をしました。…そういえば、サンシャイン!! 1期1話において高海千歌がスクールアイドルを目指すきっかけになったステージって、μ's が大会ラブライブを断念した結果生まれたものでしたね。

*5:これも同書の受け売りですが、豊穣やお酒の神様である、ディオニソス的なもの、といって良いかもしれません。

*6:よく見たら名前の漢字が一緒ですね。宮侑の侑はあつむという読みかたです。なお動きの近さについては、アニメの公表時期がほぼ同時期のため、偶然の一致、あるいはスポーツの型であることを通じた一致と見るのが妥当でしょう。後者だとしたら面白いですね。

*7:青空Jumping Heart」より