シミュレーションゲームは現実の何を切り取るか。システムか?

こんばんは。

風呂敷を広げたままにしていたため、

そろそろたたんでいきます。

 

現実のどのよう題材なら、シミュレーションゲームに出来るのか

これについて考えていきます。

 

前提として「シミュレーションとは何か」も

どこかで考えなければなりませんが、


これに立ち入っていくと相当な資源と文献調査が

必要と思われるので、

一旦「シミュレーションゲーム

に焦点を絞りたいと思います。

 

そもそもなぜ

シミュレーションゲームについて考えるのか。

 

まず、そのゲームの種類が非常に多様で、

「これ」という定義を与えるのが

いかにも難しそう

という点が興味深いです。

 

また、学術的な手法としての

「シミュレーション」との位置関係も

気になるところです。

 

それに。


ミクロを犠牲にしてマクロを詳細にするのか。

その逆なのか。

あるいは大雑把でいいから、

様々なスケールを同時に表現しようとするのか。

 

こう考えると、

現実を理解する切り口とも相乗効果がありそうで、

いっそう興味を惹かれます。

 

今回は、

このような流れで進めていきましょう。

 

・何が、シミュレーションゲームの題材に出来るか

・その理由と、ここから生まれる価値

・舞台設定などについて

 

 

シミュレーションゲームとは、システムだ?

「システム」であれば、

シミュレーションゲームの題材に出来ると考えられます。

 

 

結局、2つ前の記事に戻っちゃいましたが・・・。

a16777216.hatenablog.com

 

ですが・・・シミュレーションゲームを、

可能な限りこぼさずに包含しようとすると、

こう区切らざるを得ないのではないでしょうか。

 

シミュレーションゲームによって扱われるモノ。

その、

他の種類のゲーム、アクション、シューティング、

パズル、RPG・・・などとの大きな違いは、

 

必ずしも思惑通りに動かないこと。

個々の要素の和だけでは理解が困難であること。

 

つまりシステムの定義の通り、

「要素の集合とその相互関係の全体」

であるわけですね。

 

我々はゲームに登場する「システム」に対し、

直接操作することはかなわず、

「相互作用」「対話」する。

 

そのような接し方になるでしょう。

 

 

(※「対話」というと、

 社会や都市といった巨大なものでなく単一の何か、

 ワンダープロジェクト J とかシーマンなんかが

 思い浮かびますが、

 これらもやはりシミュレーションゲームでした。)

 

ところで、このように大風呂敷を広げたため、

大急ぎで事後的にシステムを復習していました。

 

そして復習すればするほど・・・

「システム」の中には、

シミュレーションゲーム」を良質にするような性質が

見事に備わっているということが、

改めてよく感じられました。

 

まずは安心する限りです。

 

(※もっとも、仮説に基づいて調べている以上、

 仮説を支持する見方ばかりに着目せぬよう

 気を付けねばなりませんが・・・。)

 

ポイントは少なくとも3つあります。

 

・自分自身を存続できること。

・多数のやりとりや規則によって構成されていること。

世界よりは単純だが、しかし一定の複雑さが残ってること。

 

なぜシステムであり、そしてこれが何をもたらすのか

 

さて、システムというからには、

そのゲームによって扱われる「何か」は、

自分自身を「存続」できなければなりません。

 

言っておいて、

少し大げさすぎたか・・・とも感じましたが、

シミュレーションゲームの題材の多くは、

実際にこれを満たしています。

 

シムシティやシムアース、シムアントといった

古典的名作でさえも、

自己完結した存続の動きを見せますね。

 

もちろん存続といっても、

それらは単に状態を維持するだけではありません。

 

自分自身を維持するために必要な自分のパーツを、

自分自身で賄うことをやってのけるのです。

 

ルーマン 社会システム理論』では、

生命とエンジンの比較がなされています。

もちろん、生命のほうがよりシステムとしての性質を満たす、

 という文脈です。

 

「エンジンは、それが機能しているうちは、決してその構成部分(例えば、キャブレター、クランクシャフト、連接棒、点火プラグなど)を再生産したり修復したりすることはない。」

 

このような「継続的な生産過程」こそが、

システムの典型例である生命に求められています。

 

ただし、「生命」にある重要な性質の1つ

開放性(そのときどきの環境とのエネルギーや物質の交換)」

は、

ゲームにおいては乏しいと考えられます。

 

人間の場合、常に食料から材料を得続けることで、

その姿をほとんど変えないまま・・・

数年後にはほとんど体の材料が入れ替わっいたりもします。

 

しかしゲームの場合、「外」とのやりとりは、

ファンコミュニティのリクエストで新要素が追加でもされない限り、

プレイヤーしか窓口がないと言っていいでしょう。

 

こじつけるなら、我々プレイヤーが(外部の)「環境」だと

言うしかないですが・・・

これについてはまた紙幅を取って考えたいと思います。

 

保留して話題を進めましょう。

 

次は、シミュレーションゲーム

多数の要素ややりとり(相互行為、相互作用)でできていることについてです。

多くの場合、これは明らかでしょう。

 

ただ、上で挙げたワンダープロジェクト J シリーズ等では

単独の登場人物と向き合うため、

一見、多数の要素で構成されているようには見えません。

 

しかしながら実際には、

彼らの中のパラメーターは密接に関係しており

(知性を高めれば、多くの場合運動能力が下がるなど)、

多くの要素の集合体であることが分かります。

1作目のピーノの場合、ステータス画面で明示されているため

 一層明確に可視化されます。

 

www26.atwiki.jp

 

そして3番目のポイントとも関連しますが、

このことがゲームの「難易度」「自由度」「予測不可能性」を

作っていると考えられます。

 

個人的には、これこそがまさに

シミュレーションゲームの「面白さ」だと考えています。

 

ゲームは「世界」よりは単純であるため、

コンピューター上に実現でき、

かつルールが十分に把握しやすいものになります。

 

しかし一方で、一定の複雑さがあるために、

ここにさまざまなものが生まれる余地ができます。

 

まず、人間の認識の限界を超えています。

多くの場合、ルールに関する情報だけからでは、

ゲームの「必勝法」を見出せません。

少なくとも、攻略のための最適な手順を、

1つだけに絞り込めません。

 

1つだけに絞れてしまっては、

淡々とそれを実施するだけの作業に堕してしまいます。

 

RPG との比較でいけば、

RPG が、繊細に作られたイベントを順次放っていくことで

作業になるのを防ぐ「進行型ゲーム」なのに対し、

シミュレーションゲームでは、ルールから生じる現象の多様さによって

作業になるのを防ぐ「創発型ゲーム」と言えるでしょう。

 

(進行型・創発型ゲームの概念は、『ハーフリアル』より)

 

もちろん、重なる部分や兼用される部分はあり得ます。

 

将棋のように敵味方の情報がすべて開示されており、

かつランダム性を排したゲームでさえも

すぐに必勝法が見いだせない点は、

計算複雑性理論なども検証したいところです。が、

これも今回割愛することにします。

 

さて、「創発型ゲーム」と「システム」の共通するところとして、

複数の攻略法が取れる、という点が考えられます。

 

ルーマン 社会システム理論』によれば、

「システムは、複雑になればなるほど、変転する環境の要求に適合した反応をするための、より多くの可能性をもつようになる。」

 

世界より単純とはいえ、ある程度の複雑性を持つことで、

(最適な攻略法はともかく、)まあまあの、妥当な攻略法

いくつもの選択肢から選べるようになります。

 

特にこれがルールや手段の組み合わせから選べる点が、

シミュレーションゲームの見どころと言えるでしょう。

 

(これに焦点を絞った場合、

 今度はパズルゲームとの差が課題として残るため、

 これもいずれ考えなければなりません。)

 

そして、多くの要素から構成されているがゆえに、

こちらのアクションに対する応答も、

予想を超えた複雑なものになりえます。

 

我々プレイヤーの打ち手にだけではなく、

コンピューターの応答にも創発が生まれる余地がある、

と言えるかもしれません。

 

複雑性なものの表現について少し脱線すると、

 Total War シリーズ、Wargame シリーズ、後述の光の目といった

 いくつかの戦略ゲームでは、

 次にどこを攻める/守るかという戦略パートと、

 どのようにその局地戦を戦うかという戦術パートという、

 2つの異なるレベルが描かれています。

 複数のレベルが階層的になったものをメタシステムと呼んでいいかについては

 やや慎重になる必要がありそうですが、

 なるべく単純に表現しつつもより現実の本質を適切に表現していくうえで

 非常に重要と言えるでしょう。

 

このように、シミュレーションゲームは、

一般的なシステム(生命、社会、法、経済、学問など)と

多くの共通点を有しており、

 

それゆえに幾つかの面白さが

必然的に担保されてきます。

 

すぐには必勝法を見いだせない難易度。

 

選択できる攻略法の多彩さ。

(そもそも攻略が目的ではない場合さえもあります。

 この場合、『ハーフリアル』の狭義の「ゲーム」からは逸脱しますが・・・)

 

そして敵の NPC さえ時に創発してしまうような予測出来なさ。

 

 

さらに有難いことに、

「システム」は現実のいたるところに遍在していますから、

題材には事欠きません。

 

具体例が出遅れましたが、

刑務所もシステムであるからにはゲームになるし、

store.steampowered.com

 

緊急の電話への対応もまた、システムであるからには、

ゲームになると言えそうです。

store.steampowered.com

 

ここまで、システムが持つ(ローカルな、要素同士の)

ルールの性質が、

シミュレーションゲームと適合しているであろうことを

考えてきました。

 

しかし、シミュレーションゲームの題材として選ばれるには、

単にシステムであるというだけでなく、

どのような表現、絵柄、世界観であるかについても、

一定の条件がありそうです。

 

『ハーフリアル』でいうところの、

ルールに対する「フィクション」の部分ですね。

 

シミュレーションゲームの舞台設定

ゲームに適した舞台、世界観。

戦略ゲームなどについては、

RPG やアクションと同様の基盤を有しているように見えます。

 

つまり、中世や近現代の戦争、

あるいは宇宙戦争などが典型的で分かりやすく、

なじみもあります。

 

中世と近代の間である「近世」なんかも、

ハマるとなかなか乙です。

 

銃の登場によって諸兵科のバランスが変わりつつある時代に、

魔法までもがバランスする『光の目』。

 

freegame-mugen.jp

 

こちらはグラフィックや戦闘の進行に限らず、

消耗戦の様相もリアリティがある

南北戦争のゲーム。

store.steampowered.com

 

では、アクションや RPG にはない、

シミュレーションゲーム特有の舞台は何でしょうか。

そしてその共通点は。

 

一方、単なる「シミュレーション」にはない、

シミュレーションゲームに特徴的な舞台とは何でしょうか。

 

いずれも、先に一般化のほうから考えましょう。

 

他ジャンルのゲームにないものとしては、

 1.「システム」であることによって想像が促されるもの

 2.拡大再生産

 

「シミュレーション」にないものとしては、

 3.ルールの理解を促すもの

 

これら両方ともになく、シミュレーションゲームだけに特有のものとして、

 4.(社会で)生き抜くための本能を刺激するもの

 

 が考えられます。

 

システムであるという「ルール」、

つまりゲームに登場する人物やオブジェクト同士が

どのようにやりとりするか。

 

この基盤であることによって一層活き活きとするような

絵柄・世界観こそが、

適した舞台設定と言えるでしょう。

 

なお、この議論と次に述べる議論は、いずれもハーフリアルの

「ルールの理解を促すフィクション、フィクションの想像を促すルール」から

概念を拝借しています。

 

まずは、さまざまな種類のオブジェクトが一斉に動き、

お互いに影響を及ぼしながら、

それぞれ適した仕事を思い浮かべてみます。

 

この事実がぴったりとはまり、

このゲームシステムであるがゆえに活きる題材とは?

 

すると自ずと、

蟻の集団、軍隊、ロボットの集団などが

連想されてきます。

 

ロボットの集団を操作してタワーを作るゲームも

結構前にありましたね。

http://mukou.sakura.ne.jp/reviews/hr2.html

 

このように、舞台が蟻や軍人、ロボットの集団であるとき、

集団行動のありさまを

リアルなものとして感じ取ることができます。

 

オブジェクト間のやりとりについて、

もう少し詳しく見ましょう。

 

例えば上記の光の目。

このゲームの戦略性を広げるルールとして、

遠隔攻撃を受けたときに後方に押し返される

「ノックバック」効果があります。

 

しかしそうした強力な遠隔攻撃使いも、

移動力が高く高速で間合いに入り込んでくる集団に

蹂躙されたりする。

 

しかしそこで、横に隊列を組んだ

近接攻撃の前衛がいたら・・・?

 

このようにオブジェクト間のルールに似つかわしいのは、

やはり、遠隔攻撃=銃兵、移動力=重騎兵、

隊列=槍兵であったりしますよね。

 

このルールとフィクションの相性の良さにより、

近世の戦いが非常に生き生きとしたものとして描かれます。

 

今度は、集団の動きとはまた別の視点を考えます。

Civilization のような文明開発、シムシティのような都市開発は

なぜ市販のゲーム足り得るのでしょうか?

 

これは、拡大再生産が快感であるから、と

説明できるように思います。

 

これもきちんと定式化するには

欲望の理論をきちんと理解する必要があり、

障壁が大きいですが・・・

一旦は深入りせず、実際の流行から間接的に示唆します。

 

Cookie Clicker が、

(恐らく・・・批判的な意味も込めて、)

拡大再生産のよろこびを純粋な形で切り出し、

結果、一世を風靡したこと。

 

4X というジャンルが、

Wikipedia の一項目になるほどまでには

浸透しているということ。

 

これらの事実は、

一度投入した資源がさらなる富を生み、

その富をさらに投資の拡大に使うという雪だるま式の拡大が、

人類にとっていかに快感であるかを示唆しています。

 

流れで、上のリストの 3.に入っていきましょう。

 

「あなたはこの都市の市長です」とか、

「あなたはこの文明の指導者です」と言われれば、

何をすればいいか、それだけであるていど明確になると思います

(滅亡や衰退でなく拡大を目指すのがスジですからね)。

つまり、

その舞台がルールを分かりやすく説明しているとも言えます。

 

もうすこし立ち入り、

開発→収入増加→さらに開発 という

拡大再生産を実装するルール(≒システム)を思い浮かべてみましょう。

これを直観的に理解しやすくする・・・

つまり馴染みあるものの中から探すとすれば、

やはり都市や文明といった題材になるでしょう。

 

あるいは、

生命のような謎の何かでも良いかもしれません。

 

store.steampowered.com

 

舞台が都市、文明、生命(のようなもの)であること自体が、

拡大再生産を促すように作り込まれたルールの

適切な説明書になっているわけです。

 

 

あるいは要素に着目するなら、 

(1.と重なる部分もそれなりに現れますが、)

各要素がロボットであれば製作や運搬をしてくれそうだし、

銃を持っていれば離れた相手に攻撃できそうだし、

ニンジンの姿の生物なら引っこ抜くことができそうだ、と。

 

このように見た目が自ずとルールを説明します。

 

上記のような要素の見た目や、

あるいはその背景(ビルや宇宙船、城塞都市)などが協力し、

どのような働きをするシステムなのかを

一掴みで理解するよう促しています。

 

このまま滑らかに 4.に進みましょう。

 

・部隊に適切な指示を出せるよろこび

・戦争を勝利に導くよろこび

これらは、社会を生き抜くために備えられた感覚であると

想像できます。

 

ところで、

 戦略ゲームが好きであっても実際の戦争を快く思わないことについては、

 論を待つまでもないですね。

 

もちろんこれらだけでではありません。

政治的・経済的な成功を収めること。

 以前にも少し触れたりしています。

a16777216.hatenablog.com

 

施設を順当に運営すること。

(こちらはまだ未プレイですが・・・)

store.steampowered.com

 

こうしたタスクが与えらえたとき、

社会の中を生きる存在としての知覚が刺激されると考えられます。

 

<面白さ>の研究』の言葉を借りれば、

「社会感覚」あるいは「マキアベリ的知性」が

刺激されると言った形ですね。

 

つまり、「個体は、他社の意図を汲み、コミュニケートを試み、ときには協力したり、他者を出し抜いたり、さらには、特定の他者と協力して、第三者を出し抜いたりすらしなければならない。」

 

このような本能が人間に備わっていると仮定するならば、

我々プレイヤー社会の中の登場人物、あるいは社会の指導者になるとき、

その興亡に感情を動かされるのは当然と言えるでしょう。

(つまりゲームになります。)

 

考えてみれば、

(シミュレーション屋としてはやや自虐的になりますが、)

気象や電子の軌道といったシステムは、

シミュレーションによって扱われることはあっても、

ゲームとして扱われることは少ないように見えます。

 

 

まとめ

それなりに長くなってしまいました。

 

シミュレーションゲームに適した題材とは何か。

 

・それはシステムであり、

 多数の要素ややりとりで構成され、

 

・システムの構造が舞台のリアリティを高めるか、

 あるいは舞台がシステムの勘所を分かりやすいものにし、

 

・拡大再生産のよろこびか、

 あるいは社会の中を生き抜く感覚をもたらす。

 

これらを良く満たすのは、

もう語るまでもないかもしれませんが、

戦争をはじめ、

都市、文明、交通、生命、経済、政治、工場、企業、施設、感染、・・・

というものたちではないでしょうか。

 

交通については個人的な思い入れが強いので、

また別途切り出して考察したいと思います。

 

 

システムであることはゲームにとって意義のあることで、

創発や予想不可能性を自然に促すために、

面白さを担保しているように思います。

 

個人的には、

システムがゲーム化されることにより、

 現実の理解を促すという意義も感じられます。

 

1つのシミュレーションゲームはたいてい、

社会全体の1つか2つだけの側面に着目しており、

社会全体よりも物事が単純化されています。

 

(想像するにこの単純化はかなり技術を要すると思われ・・・

 面白いゲームからは匠の技が感じられます。)

 

こうした単純化は、

人間の限られた理解力、あるいは

コンピューターの有限の計算能力の中で、

世界を適切に理解できるよう促すものだと考えています。

 

 

一方、題材、世界観、映像といった舞台設定は、

やはりこのルール≒システムの面白さを最大限引き出すようなものが

好んで選ばれるでしょう。

 

良質のシステムであっても、

理解が難しかったり、直感に反していたりすると

その本質(そのシステムのうまみは何なのか)に

スムーズに到達しにくいですからね。

 

残された課題はまだいくつかあります。

文中でも、

計算複雑性や、欲望、開放性の議論について

保留にしておりました。

 

そのほかにも、恋愛シミュレーションの位置づけについては

ここでは考察出来ていません。

 

まだ調べられていないそうしたものに、

徐々に立ち入っていきたいです。

 

いっぽうで、

この文が多少でも肥やしにして頂け、

世の中的にこうした考察がより活発になったらいいなあと願うところです。

 

 

それでは、

ここまで、ありがとうございました。

 

参考文献

ゲオルク・クニールほか『 ルーマン 社会システム理論』 舘野受男ほか訳, 1995, 新泉社

イェスパー・ユール 『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』松永伸司訳, 2016, ニューゲームズオーダー

都留泰作『<面白さ>の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』 2015, KADOKAWA/角川書店

ゲームによって変わる生活 大図書館と、済んだ物語

こんばんは。

前回の宣言に従い、

こういう制約って、あるほうが物事が進みやすくなるタイプの

 制約ですねw

・ゲームと生活

・現実のどのよう題材なら、シミュレーションに出来るのか?を

 一般化してみる

 

という流れで進めていきます。

2つ目のものは、さらに次回になりそうな気がします・・・。

 

ゲームが自分の生活にもたらしたもの

 

さて・・・「ゲームと生活」とは言ったものの、

これを一般的に取り扱おうとすると、

ちょっと広すぎます。

 

そもそも生活とは何でしょうか?

 

芸術とは何か?とか、社会とは何か?に匹敵するような、

境界線の定義の難しさがあります。

 

そこで、いったんゲームと生活全般について考えるのはやめ、

 

私の生活がゲームによってどう変わったか?

 

に特化して考えたいと思います。

 

大きく分けると、

・中間目標をあきらめる良さが、実感できるようになった

・時間の費用対効果を、いつも考えるようになった

・生活をなるべくゲームに例えて、退屈が少し和らいだ

・時間に対する感覚が変わった

 

こういった変化がありました。

(今回も長くなったため、

 また過去分とも重複するため、一部を割愛します。)

 

中間目標の良さとは? アレクサンドリア図書館の陰と陽

初出の言葉があるので、1つ1つ説明していきます。

 

自分にとって、

Civilization 5 というゲームのこの図書館は、

中間目標の良さと欠点をありあり教えてくれた

大事な存在です・・・。

 

世界遺産としてアレクサンドリア図書館も建てることができる

Civilization というシリーズは、

 

平たく言えば・・・

都市と科学を発展させて文明を強くし、

一番すごい文明が優勝、なゲームです。

 

store.steampowered.com

 

つまり科学が超大事です。

 

科学で劣っていると致命的です。

科学が劣っているということは極端な話、

馬車や弓矢しかない状態で、

戦車やバズーカと闘わなくてはいけなくなりますから・・・。

 

そんな中、アレクサンドリア図書館は、

世界中の科学を吸収してしまうチート設定こそ見られなくなりましたが、

建設した瞬間に、一瞬で科学が1つ前進してしまうという、

強力無比な施設です。

 

これを建てるだけで、

優勝に向けてかなり有利になると言えるでしょう。

 

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しかし世界遺産ですから、

世界に1つしか建てることができません。

このゲームでは、実は複数個存在できる遺産もありますが、

 これはいったんおいておきますw

 エルミタージュが世界に8つ建ったりするw

 

デフォルトでは、

自分たちのほかに7文明が群雄割拠しており、

それらのなかの誰かが先に建ててしまうと・・・

 

「ドゥーーン!!」 という痛々しい効果音とともに

今までの建設計画が水の泡になります。

 

「途中まで建てていた」という事実は、

申し訳程度のお金以外の、何の役にも立ちません。

 

しかもこれの建設のために、

ほかのそこそこ重要な施設の3~4倍という

莫大なコスト(ターン数)がかかります。

 

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これを建てようとしている瞬間にも、

ほかの(アレクサンドリア図書館を建てようとしない)文明たちは

地道にいろいろな施設を作り、

爪を研ぎ澄ましているわけです。

 

なので、完成間際で先を越されて

進捗がパーになってしまうと、

ほとんど敗退といっていい状況にまで

追い詰められます。

 

さて、これを踏まえたうえで、

アレクサンドリア図書館を建てようとするのが正解でしょうか?

諦めるのが正解でしょうか?

 

・・・状況次第、

と言ってしまえば、何も言ってないも同然なのですが、

 

ライバルより先に建て終える確信があるならば建てる!
そうでないならば諦める!

というのが、妥当な判断と言えるでしょう。

 

この、アレクサンドリア図書館に関する

一連の出来事を通して、

私は中間目標の意味を

改めて考えるようになりました。

 

中間目標は、AI 研究においても

 重要な意味を持ちそうだと考えているのですが、

 長くなりそうなので別のときに。

 

人生における中間目標は、

人生のゴールそのものではないよなあ、と。

 

なので、いかに人生を有利にしそうな中間目標であっても、

手に入るのが難しすぎるのなら

(あまりに無駄にコストを割きすぎるよりは)

諦めるのが良いよなあ、と。

 

 

・・・と、ここまで、

中間目標をあきらめる良さを見てきました。

 

しかしもちろん、これだけでは片手落ちです。

 

 

中間目標を目指す良さとは何でしょうか?

プロを目指すわけでもないが特定の何かに打ち込む青春は、

あのとき流してきた汗は、

どのような意味があるでしょうか?

 

これは私は特に下記の二つだと考えています:

1.目標の情報が圧縮されていて、分かりやすい

2.モチベーションがあがり、かつ、

 それを目指す途中で得て来たものは、他でも使える

 

まず1.ですが、

 

自分(あるいは他者)の人生を良いものにしていくために、

小さい目標を何百、何千個も列挙していくよりは、

そこそこ大きい目標を1つ持つほうが

恐らくずっと分かりやすいと思います。

 

ある県の全ての市町村を列挙するかわりに、

その県名を言うようなものでしょうか。

 

(階層的な感じを言いたいのですが、

 我ながらあんまりいい例じゃないですね・・・)

 

具体的には、

単に「いろいろなところに行く!」というのでなく

「〇〇の舞台になったところを全部回る!」とすれば

より分かりやすく明確になる、という感じでしょうか。

 

続いて2.ですが、

例えばスポーツであれば、

特にプロにならなかったとしても、

鍛えた身体や、身に付けた集団の中での振る舞い方などは、

汎用的なものとして残ります。

 

もちろんスポーツに限らず

似たことが成り立つはずです。

 

Civilization 5 で言えば、

例え チチェン・イツァというこれまた非常に強力な建造物を

最終的にあきらめたとしても、

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これを建てる前提である「官吏」の発見を目指すことは

他のことにも非常に役立ちます。

(川沿いで収穫できる食料が急増するなど)

 

これらを総合して考えた結果、

(あくまで自分の中の)中間目標のありかたとして、

 

・自分の中の沢山の小課題を整理するために作ってみる

・そのプロセスをなるべく他にも生かすように作ってみる

 (一石 N 鳥を狙っていく!)

 

というがよさそうだと考え至りました。

 

このように、ゲームは自分の生活の中にも

それなりに(いや、かなり)入り込んできていると、

改めて感じます。

 

・・・ちょっとこれだけでお腹一杯になりそうなので、

ゲーム⇔生活のいくつかは割愛し、最後の1つに行きましょう。

 

最後から二番目(生活をなるべくゲームに例えて、退屈が少し和らいだ)は、

前にもちょっと書きましたし。

 

a16777216.hatenablog.com

 

ゲームと時間感覚

ゲームをするようになって、

やっぱり時間の感覚は変わったと思います。

 

時間の流れは単一でも連続でも等間隔でもなく、

複数同時にあり、刻み幅も変わり続けているように感じ始めました。

 

ゲームにおいてはこれは大前提と言えるでしょう。

現実の時間とゲームの時間とが同時に存在しており、

 

また、場合によっては、

ゲーム内の時間の早送りなども

容易にできるわけですから。

 

しかし、

ゲームがもたらしてくれる新鮮な時間間隔は、

それだけにとどまりません。

 

ある編著に掲載の「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム」では、

興味深い示唆が述べられています。

 

オープニングムービーにおいて、

今からプレイする物語が

実はすでに終わった出来事として語られるとき、

プレイヤーの経験に何が起こるのか。

 

すでに終わったことを経験すると同時に、

この先の未来を目標にするという、

より複雑な経験が現れ得ることが分かります。

 

さて、このように(すでに終わった)未来に向かうというのは、

(他のメディアと比べても)

ゲーム特有の性質に感じられます。

 

となると、

はたして現実には

これに近い経験はありうるでしょうか。

 

私たちは、映画やアニメ、小説といた作品を、

必ずしも同時にではなく、

様々なタイミングで視聴します。

 

昔、地元の友人と一緒に見た映画を、

最近になって別の友人と見たりするとき、

どのような時間感覚になるか。

(あるいは、そのことを思い出して人に話すとき。)

 

ネット上でみんなが口々に「泣いた」と叫ぶ作品を、

後から遅れて見ていくとき、

そこにある時間感覚とは。

 

あるいは、途中まで視かけていたもの、

途中までやりかけていた作業の場合は

どうでしょうか。

 

このように考えていくと、

間接的とはいえ、

ゲームと似たような時間感覚(複数、不連続、さまざまな刻み幅)が

現実に入り込んでくるのを、

それなりの強度で感じます。

 

あるいは単位時間あたりの生産性。

 

上記の Civilization のような、

時間あたりの生産性が勝敗を分けるゲームをやっていると、

このゲームはリアルタイムではありませんが

 リアルタイムにそれが求められるゲームも存在します)、

現実においても、

単位時間あたりの有効性に意識が向いてきます。

 

とはいえ現実は、

そもそもゲームと比べると「良い」とは何か?が

明確にしにくいため、

「有効性」を高めるのが難しように思いますが。

 

他にも、

未来のある予定の意味が、近づくにつれて変化したり、

過去のある出来事が、別の出来事をきっかけにその意味を変えたり。

 

これらもまた、

ゲームプレイによって所与のイベントの意味付けが変化するのと

共通する部分があります。

 

このように、ゲームを通じて、

誰と同じスペースにいる時間か、

何(の続き)を見たり作ったりしている時間か、

生きている時間のうちのどこに位置するのか、

 

と、複数の時間感覚が並行して走っているのを、

よりリアルに感じるようになりました。

 

また、ゲームが1つの完結する物語であるために、

現実という1つの完結する物語が長いのか?短いのか?

ということを意識して考えるようにもなりました。

 

 

ところで、ゲーム⇔生活、ゲーム⇔仕事などを考えてきたので、

他に「ゲーム⇔研究」という軸もあるなあと

思い至ったのですが、

これもまた回をあらためて考えたいと思います。

 

例えば、

 ゲームの空間そのものが興味深い事象を生むという意味では、

 ゲームは研究対象をもたらしうるし、

 

 一方もし、現実の特定の性質を再現していくなかで理解しようとする

 構成論的なアプローチを研究に含んで良いとするなら、

 現実の特定の性質を高精度で再現するゲームは、

 研究手法をももたらしうる、

 ・・・このように思えてきます。

 

 

まとめ

長くなってしまったため、

シミュレーションの一般化については

また次回にしたいと思います。

 

こうしてだんだん

書くハードルが上がっていく。

 

今回、ゲームが生活に与えた影響について、

あくまで自分の例を通じて見てきました。

 

中間目標はどうやら、

目標を分かりやすくパッケージしたり、

短期・長期のと一石二鳥を目指したりするのがよさそうだなあ、

とか、

 

時間感覚が、

複数同時に、とぎれとぎれで、さまざまな刻み幅で

流れているよう感じ始めたなあ、とか、

 

そういったことを述べてきました。

 

ゲームによって、

現実の生活の生産性が高まったり、

現実の感覚がより豊かになったりすることの

一例が示せたように思います。

 

今回はここまでにします。

 

そんなわけで次回、

現実のどのよう題材なら、シミュレーションに出来るのか?を

一般化してみる

 

お楽しみに!

ここまで、ありがとうございました。

 

参考文献

榊祐一  (2015)「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム——『バイオハザード』を例として」押野 武志 編著『日本サブカルチャーを読む 銀河鉄道の夜からAKB48まで』 pp. 253-286, 北海道大学出版会

 

ゲームで得た仕事術と暮らし システムのシミュレーション

どうもです。

さて早速、前回に続いて、

シミュレーションゲームの意味や構造について考えていきます。

が、

 

1つのテーマとして、

ゲームで得た知見が仕事にどう活かせたか。

これについても考えていきます。

 

自分の人生における仕事経験はまだそう長いほうではないため、

あくまで自分はこう役立った、

という話になります。

 

全体の構成としては、

0.準備

1.ゲームによって仕事に何がもたらされたか

2.ゲームによって暮らしに何がもたらされたか

3.続・どのような題材ならシミュレーションに出来うるか

※長くなるのでやっぱり2回に分けます 

 

という感じで行きましょう。

 

0.準備

まずは前回を振り返っていきましょう。

 

シミュレーションゲームによって何がもたらせるか、

②どのようなシミュレーションがありうるか、

この2つについて考えていきました。

 

①では、

・現実では体験が難しい、極限環境のようなものをまざまざと味わえ、

 理解が助けられる。

・あったかもしれないもう一つの現実を、実験的に再現できる。

 (文字通りの意味での「シミュレーション」。)

という一応の結論に至りました。

 

②では、

・生態系や道徳であればゲームに出来えるのではないか。

というところまで思索しましたが、

 

まだ萌芽する具体例を挙げるにとどまっており、

より一般化する余地が残っていますので、

この記事の後半(次回)でもう一度考えます。

 

 

1.ゲームによって仕事に何がもたらされたか 

 

前回考察したように、

ゲームの「シミュレーション」は、

 

文字通りの意味、

車や天気、買い物客などの動向を、計算や思考実験で予想するといった意味での

シミュレーションに近いとも言えます。

 

かなり大風呂敷を広げれば・・・

「科学」に貢献するポテンシャルをも持つように感じられます。

 

では、より手近なところ、仕事や生活においてはどうでしょうか。

 

それぞれ、

かなり初歩的なことを言っているかもしれないので、

「あ~、まあな」くらいの形で流していただけると幸いです。

 

例えば、下記の 『Factorio』では、

かなり仕事術に近い学びが得られたように思います。

 

store.steampowered.com

 

前回のようにシミュレーション対象別に言うならば

生産と物流のシミュレーションといえるでしょう。

 

前回参照した「Block'hood」は、

作り上げていくことが楽しさの中心であるためか、

「生産した資源が、どのように運ばれていくか」は省略されていました。

 

一方 Factorio は、より、物流に特化したものになります。

 

このゲームでは自分一人で、無限に広がっていく大規模工場を

マネジメントするため、

 

相当な工夫と、さまざまな自動化、

そして確かな保守が求められます。

 

 1.1.まずは半自動化

 

工場を作っていくゲームと聞いて始めて見ると、

驚きのスタートを迎えることになります。

 

なんと、周りにまだ何もなく、

つるはしを持った人が一人で立っているのです・・・。

 

このようなとき、どうすればいいでしょう。

 

いきなりフローの全てを自動化することはできませんから、

可能なところだけまずは自動化すればいいわけです。

まずは、機械と人のハイブリッドです!

 

f:id:a16777216:20170715190807p:plain

 

まずは銅などを掘る機械を置き、

(こいつが動くには燃料が必要なので、)

手動で燃料を与えてやります。

 

まだ、鉄や銅を加工して機械や設備を作るようなものは、

一切できていないので、

自動化されたシステムと呼ぶには程遠いです。

 

しかし、この1つのモジュールを作るだけで大分手が空くため、

このおかげで、後続の自動化が体よく進むようになります。

 

さて、機械と人のハイブリッドという手法は、

相当程度システムが機械化出来た後でも

重要になる局面がかなりあることをよく経験しますが・・・

これについては長くなるため、またどこかで。

 

1.2.スケーラビリティー

 

さて、この後・・・

自動化を急ぎすぎて、重大なミスを2つ犯します。

 

そのうちの1つがスケーラビリティー。

 

f:id:a16777216:20170715193500p:plain

 

真ん中の段は、

左半分と右半分とで、

作るものを変えていますが、

 

右半分は、画面外の右のほうに湖があるため、

これ以上工場を拡大できなくなっています。

 

つまり工場全体を、2倍、3倍、・・・と拡大するのを

非常に困難にしてしまっているのです。

 

思えば当然のことでしたが、

何倍にも大きくなるのに備え、なるべく簡単に拡大できるよう

設計を考えるべきなのでした。

 

現実では不幸にも、結局拡大どころか縮小することになり、

 拡大に備えることがかえって無駄になる場合も多いですので、

 そもそも拡大するのかを見極める必要があったりしますね・・・

 

1.3.各部門を専門化する

 

さらにこのあと困難に直面します。

 

加工する機械へのインプット・アウトプットのベルトコンベアに

無関係のものを溜めすぎてしまい、

工場が何度も機能停止に陥ります。

 

f:id:a16777216:20170715201244p:plain

この工場では緑のフラスコを作り、

下のコンベアに流すはずなのですが・・・

 

下のコンベアが別の具材で埋められており、

緑のフラスコを流せません。

このアームは相当融通が利く万能なヤツで、

 インプットてあろうとアウトプットであろうと、

 手渡すべきものを自動で手渡してくれるスグレモノですが(現実でも欲しいくらい)、

 コンベアの奥側がいっぱいだと置けない、という難点(利点でもある)があります

 

これに対する解決策はズバリ、

各加工場に対応するコンベアにはそれに関係するものしか流さない、

でした。

欲張って兼用にするからうまくいかないのです・・・

 

下記のブログを拝見し唖然としました。

極論、うまいかたのやり方を見ることが、

一番仕事に役立つかもしれません。

holdgame.net

 

スケーラビリティと合わせて振り返ると、

 

なるべく小さい範囲に工場を作ろうとするのでなく、土地をふんだんに使って、

隙間とかも残すことで後で改修しやすくし、

かつインとアウトを専門化するべきだったということですね。

 

ところで現実では、専門化が必ずしもうまくいかない場合もあるかもしれません。

横断的に知識を活用することと、専任することのトレードオフ

情報を階層化することと、メールのパス数をなるべく減らすことのトレードオフ

規模の経済と、管理が行き届かなくなることのトレードオフ

そして、前述の、人と機械のハイブリッドの必要性。

このあたりもまたの機会に改めて考えたく思います。

 

ともあれこの factorio の世界でうまくやるには、

上のような工夫が賢いやり方であったわけです。

そしてこれは現実においても一定の有用性を持つに違いありません。

 

1.4.バッファと恒常性

 

さて、雨量しかり、

世の中供給が一定とは限りませんから、

そのデコボコを埋める工夫が必要であります。

 

それは例えばダムだったりします。

 

上のような失態の中、

今回唯一自分を褒められる点があったとすれば、

 

ダムのような一時保管箇所を挟むことで

流量をなるべく一定にした点です。

 

f:id:a16777216:20170715203751p:plain

 

電車でたまに運ばれてくる鉄をコンベアに移すさい、

なるべく時間当たりの供給を一定量にするために、

 

箱に一時保管するというクッションを挟み、

そこから、非常にゆっくりとしたペースで取り出していきます。

 

(まあ、これも誰でも思いついてるかもしれませんが・・・笑)

 

森は水を大地にとどめ、

川の流量をなるべく一定にする天然のダムだなんて言ったりしますが、

まあそんな感じをイメージしつつ。

 

 

他にも「見えているリマインダー」みたいなテクニック

例えば、次のTODOを敢えて途中までやりかけておくことで、

 その場にいったときに思い出せるようにするとか

なんてのも考えられます。

 

これは前に、下記の終盤の「散らかすメリットを考える」でも考察しました。

a16777216.hatenablog.com

 

さて、

長くなってきたのでこの辺りにしたく思います。

 

次回への布石とまとめ

 

最後に、残りの2~3についての布石だけ残しておくことにします。

 

ゲームのある暮らしを考え始めると、

もちろん費用対効果も頭をよぎります。

 

ゲームの中で「さいきょう」を目指す際もやはり現実と同様に、

95% を 99% にするには、

ふつう相当な時間がかかると思います。

 

いかに 20% の努力で 80% の「さいきょう」を目指すのか?

これもある意味ゲームのうまさと言えますね。

 

(その意味でも、教訓としてはよかったものの、

 上の1.2~1.3みたいなミスは避けたほうがいいわけですね)

 

もちろん、「ゲームと生活」の中には、

これを包含してもっと広大な考察の余地が広がります。

 

 

一方、「どのような題材ならシミュレーションに出来うるか。」

 

これを一般化する切り口では、

たとえば「現実の中でゲームに似た構造を有するものは何か?」

などが考えられますね。

 

戦いはもちろん、

経済や政治なんかは非常にゲーム的といえるでしょう。

 

一方、「生産や物流」は、ゲームと少し遠いように感じられます。

そんな中、Factorio のもたらした貢献として、

「いかに(非ゲーム的な現実から)ゲームに近しい側面を切り取るか?」

という問いを

垣間見たように思います。

 

 

この見方を通じて、非ゲーム的な現実のシミュレーション化や、

他にどのようなゲームができうるかを、

次回考えていきたく。

 

 

さて、ここまで、

ゲームの中から仕事に応用できそうなエッセンスを見出してきました。

 

これは Factorio という、

いかに自動化するかが問われるゲームだからこそと言えるでしょう。

(そしてその自動化を実装するための、ゲームの自由度の高さ。)

 

これを一般化して考えるなら、

・「短期についての最適化」と「長期についての最適化」の優先順位決め

・自然や社会、生態系など、既存の構造から模倣できること

 

このようにまとめられるでしょうか。

 

また、この2点は、問いかけと解釈することも出来そうです。

 

さらに、こうした問いは、上記のゲームに限らず、

普遍的なものであるはずです。

 

とするならば、

よりさまざまなゲームの中で答えを探る、

という課題も残されます。

 

これを踏まえて、最後の布石に

「ゲームは生命をシミュレーションするか?

(そしてその見方は仕事に有用足り得るか?)」

を、残します。

 

絶え間なく自分の縄張りを拡大し、

個体を増やし続けることを善とする集団。

 

 

jp.automaton.am

これは、

(生体の詳細な部分はさておき)

生物の集団の挙動そのものではないでしょうか。

 

そしてその普遍性・状況依存性を探求する窓口としても

十分な価値を発揮できるのではないでしょうか。

 

・ゲームと、生命としての人間の関わり合いは。

・生命のどのような側面がゲームたり得るのか。

・そして、ゲームを通じて集団の挙動を理解したとき、その応用は。

 

・・・と、次回とのつながりも、薄っすら残せました。

 

 

それではまた次回。

ありがとうございました。

 

参考文献

「ほるげー Factorio:8時間クリア実績獲得のための手順メモ その[1, 2]」2017/07/15 アクセス

 

 

ゲームは現実を理解するか(社会と文明のシミュレーション)

ヴィデオゲームはたいていの場合、現実にある活動を模倣している。』 

 『ルールズ・オブ・プレイ ㊦』で引用されている、

ウォレン・ロビネットという人の言葉だそうです。

 

ゲームは現実の何らかの側面をクローズアップし、

それに豊かな描写や音声を与える。

 

であれば、肉眼では観測できないほど大きな / 小さな / 抽象的な / 実行不可能な現象を

(社会 / 細菌 / 感情 / 宇宙戦争など)

ゲームであればこそありありと知覚できる

ということにならないでしょうか。

 

今回はこの観点を考えていきたいと思います。

 

特に、まさに人間の知覚と関連する、

下記に注目しながら進めていきたく思います。

 

一つのシミュレーションが広くかつ深いということはあり得ない。

(これもルールズ・オブ・プレイ ㊦』より。

 

少し回り道になりますが、

まず、広い観点( ⇔と、相対的に深い観点)の

典型例と構造を考えていきます。

 

同時に、

ゲームはどこまでシミュレーションの題材にできるか?

も考えていきましょう。

 

ゲームは現実をシミュレートする。

典型的には戦争がシミュレートできます。

しかし、他にはどういったものがあるでしょうか。

 

 

社会という1つの全体はどのような部分でできているか

 

※ ここは少し長い能書きになるため、

 本題へ進みたいかたは、割愛いただけると幸いです。

 

 

社会 / 文明といったスケールは、

典型的な「広い」観点といえるでしょう。

 

store.steampowered.com

 

(熱エネルギーの循環などを考えれば、

 どれほど小さく見積もっても

 太陽と地球の公転半径まで考えなければならず、

 人間の活動に限っても「最大」と言えるかは躊躇われますが、)

 

いったん社会を1つの閉じた系と考えます。

(幸か不幸か、熱のやりとりのみを許す系は「閉じた系」と言えるため、

 地球+その周辺は、かなり「閉じた系」に近い様子ではあります。)

 

さらにもう少し遠回りになりますが、

少し面白い概念があるため、

 

社会という大きな系を、ある要素で表現するとはどういうことか?

について少し立ち入ってみます。

 

以下は、「全体的社会的事実」という概念の説明で、

典型的には宗教、経済、政治、法といったもの(→相互行為)を指します。

1. (中略)複数の社会的現象が共存しながら一個の社会的現象を作りあげている。(中略)

2.  一つの特定の相互行為はそれ自身で、単独で、全体的社会的事実である。

(『交易する人間』より) 

 

強そうな言葉が出てきました。

 

贈与論で出てくるこの言葉について、文献も少なく、

また自分の学習時間から言っても理解が不正確かもしれないので、

以降はこの「全体的社会的事実」という言葉の多用は避けたく思います。

 

ただ、ここで借りたいのは、

どれをとってもそれ自体が全体を表す

という考え方です。

 

以下は自分の解釈をまとめた図です:

f:id:a16777216:20170621212651p:plain

 

この見方を踏まえると、

 

例えば政治にスポットを絞ったゲームは、 

「政治」を通して社会全体を捉えなおすゲームではないか?

と思えてきます。

 

store.steampowered.com

 

「深い」と同時に、

別の観点から「全体」を理解 / 再現(しようと)することでもある、

と言えるかもしれませんね。

 

 

政治のシミュレーション

 

いよいよ具体的な例に入っていきます。

 

http://cdn.akamai.steamstatic.com/steam/apps/245470/ss_5ca771991ed2dd075d5fe9e35914c05055df1d83.1920x1080.jpg?t=1480673981

上記で引用した『Democracy 3』というゲームは、

まさに政治をシミュレーションするものです。

 

税率や教育、医療制度などが複雑にからみあう様子、

通常であれば人間が理解しにくい複雑な様相(あるいは「過程」)を、

ピクトグラムで巧みに可視化しています。

 

特に下記のことがらは、ゲームという媒体ならではでしょう。

・時間の経過を経験できること。

・自分の行動に対してレスポンスが感じられること。

・〇〇(し)たい、という目標を通じて関われること。

 

(・あと恐らくですが、制作者の意図を超えた驚くべき現象が

  ユーザーによって見出されること。

  これは自己組織化にも近い様相ではないかと思いますが、またの機会に。)

 

興味深いことに、このピクトクラムの中には、

経済に関するもの、宗教に関するもの、法に関するものが登場し、

 

社会の他の要素を1枚絵にすっぽり収めて(再現して)いることが

確認されます。

 

これらのことから、

 

社会という大きなスケールを、

かつ政治という、抽象的かつ通常体験し得ない観点から理解しようとするさいに、

ゲームという媒体が役立つと示唆されます。

 

さらに、少し飛躍かもしれませんが、

政治の「モデル化」でもあるため、

仮説発見のツールにもなりえるのではないでしょうか。

 

(現実でそうなるかはさておき)

「もし〇〇の条件を△△にしたらどうなるか?」

が確認できるという意味では、

「計算機実験」としてのシミュレーションとも見なせるよう思うからです。

 

 

経済のシミュレーション

 

持てるものを出来るだけ増やしていく。

 

このような「経済」という構造は、

ゲームとかなり相性が良いギミックの1つでしょう。

 

ルールズ・オブ・プレイ㊦』によると、

サットン=スミスにより、同時参加型 RPG の遊び方の分類が

達成型(♦)、探索型(♠)、交際型(♥)、殺人型(♣)

とされていますが、

 

RPG に限らないゲームの楽しみ方一般として解釈すれば)

経済はこのうち達成型そのもとのもいえるでしょう。

 (「ポイントを集めたり、レヴェルを上げることに注意を払う。」)

 

store.steampowered.com

 

上記の「Offworld Trading Company」は、

拠点を作り、

資源の採掘といった開発・拡張を進めるゲームなのですが、

特に経済に焦点を当てています。

 

余っていてみんなが売りたいものは、安く。

不足していてみんなが買いたいものは、高く。

 

そのような価格調整が、システムによって自動で行われ、

(市場)経済のエッセンスが再現されています。

 

モノ・コトの激しい価格変動を体感することは、

(株などについては)一般の人でも可能になっていますから、

政治に比べれば経験可能な領域です。

 

しかし、その変化のスピードと豊かなエフェクト

何よりも自分の人生の損得を賭けることなく

(少ない制約と自由のもとで)行為できる点は、

やはりゲームだからこそ得られる経験でしょう。

 

(ところで、価格がシステムによって不整合することなく

 調整されることは、まさにビデオゲームならではの長所と言えます。

 人力ではとうてい不可能な情報量を確実に取り扱い、

 ルールメーカーとして各人の可能な行動と選択肢を管理しますからね。

 しかし一方、序盤で引用した Civilization シリーズで対人プレイするとき、

 取引の際は、両者の合意のもとで人為的に「価格」が取り決められますが、

 ある意味ではこちらの在り方のほうが「経済」っぽいかもしれません。

 もちろんそれぞれ異なる面白さやリアリティを作り、補いあうことは、

 論を待ちません。)

 

 

ゲームはどのようなものまでシミュレーションできるのか

 

ここまで、ゲームがいかに現実を再現し、

通常得られないような豊かな実感をもたらすかということを、

幾つかの例を通して見てきました。

 

それでは、ゲームはいったいどれほどまでさまざまな要素を

豊かに描き出す(かつ、面白くする)ことができるでしょうか。

 

社会と同レベルに、「退き」のスコープになっている現象は、

政治や経済の他に、

例えば道徳、科学、生態系、交通、法、企業、家族、・・・

などが考え得ます。

 

他にも、考えうるありとあらゆる作用や行為、概念を、

取り扱うことができるでしょうか。

 

道徳。

道徳がゲームになるかどうか自体が明らかではないので、

「ゲームがいかに道徳を表現するか」というよりはむしろ、

「道徳はどのようにゲームになり得るか」のほうが、興味がわきます。

 

個人的に、(ジャストヒットではないが)

ある道徳に程度近いと思うのは、

勢力が競い合う

(かつ、どれを主人公にするか選べる)タイプのゲームです。

 

freegame-mugen.jp

 

フリーゲームでありながら、

さまざまなゲームの系譜を受け継ぎ、

クオリティもかなり良い「むなしい努力」。

 

ゲームの中心はあくまで戦略・戦術であり、

道徳自体がテーマではありません。

 

しかし、

矛盾をはらんだ正義を抱えて進んでいく、多数の勢力からは、

色濃く描かれた道徳の在り方が感じられます。

 

実際このゲームのそうした厚いプロットは、

かなりの高評価を受けています。

 

私自身は、まだ全勢力の半分も攻略できていませんが・・・

個人的にグッと来たのは、

 

個々の勢力が、正義の仮面の下に隠した、

矛盾や偽善、行き過ぎた自尊心などが、

非常に気持ちの悪い化身として(終盤に)具現化する点です。

 

 

続いて。

「生態系」もまた

ゲームとしてあり得るでしょう。

 

下記の「Block'hood」は、これも直接生態系をテーマにしたものではなく、

おもな焦点は「タテに積むこと」です。

store.steampowered.com

 

しかし一方、ほとんどすべての人工物や自然が

「入力」と「出力」を持っており、

そのゲーム設計がおのずと(広い意味での)「生態系」を

作り出しています。

 

(『意味論的転回』の「人工物のエコロジー」という考え方を借りています。)

 

作品のテーマの1つに「共生」があり、

そういう意味でも生態系とは密接な関係にあります。

 

 

 まとめ

 

長くなってきたので今回このへんにしましょう。

 

ゲームによって社会・文明が、

何らかの形で(本来経験できないリアリティを伴って)

描かれることを見てきました。

 

これは、なかなか直感がわかないような学問分野を

新しく学び始める際などにも、

培った直感が有利に働くのではないかと考えています。

 

また、いかに大きなスケールを描くものであっても、

それだけですべてを描きつくすということはあり得ず

(スケールが「退き」になれば、細部は描かれにくくなります)、

 

別のスケールからの理解(≒同スケールの別の側面からの理解)を

貼り合わせることによって、

全体としての理解がなされることになるでしょう

(この辺りも自己組織化や分散型などの話題に派生できそうです) 。

 

 

また、ゲームに限って話して来ましたが、

ゲーム以外の趣味も

ある種の「シミュレーション」かもしれず、

これを通じた現実の理解ができると思います。

 

例えば旅行であれば、

現地のマナー(制度)や、

歴史的な建物内における振る舞い(歴史)を

疑似的にシミュレーションできるでしょう。

 

あるいは、スポーツは、

儀式としての側面を持つものもあるといいますから、

これもまた儀式を疑似的にシミュレーションしていると見なせそうです。

 

一般に、視聴覚・体感をもたらす趣味。

 

これらにより、

本来直感できないような抽象的な / 日常から離れた理念を、

間接的に(しかしながら近道で)

会得できるのではないでしょうか。

 

まだそのほんの一部について考えただけであり、

範囲、量、質、どれをとっても

より進めていくことが今後の課題となるでしょう。

 

ここまでありがとうございました。

 

 

参考文献

ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ(下)』山本貴光訳, 2013,  SB クリエイティブ

今村仁司『交易する人間(ホモ・コムニカンス)』2000,  講談社選書メチエ

クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』 小林昭世ほか訳, 2009, エスアイビー・アクセス

プレイ日記 Transport Fever 後編

田舎から都市に向かうにつれ、

始発が加わり、1時間あたりの本数が増え、

さまざまな路線が合流し、

他の線からの乗り換えで乗客も増え続けていき、

場所によっては複々線になり、

高い頻度で隣の線と並走したりすれ違ったりし、

駅のたびに高層マンションが現れるのが都心への接近を物語り・・・。

 

こうした景色の中を抜けていく快速電車は、魅力が尽きません。

 

そうした光景を(仮想現実といえど)生み出したい思いが、

このゲームを始めた理由の1つ。

 

快速の快速たるさまを追求したく、

みんなの憧れ(と勝手に思っている)関西の新快速のような、

政令指定都市間を貫いて100km 以上も続く方向別複々線(↑↑↓↓の感じ)を

どうしても生み出してみたくなるわけです。

(どうやら、全国2位の区間の、5倍以上の長さのようですね)

 

これについてはまた別途考察したいと思います。

 

立ちはだかる立体交差化

 

さて、ゆくゆくは複々線化するような

メインの路線はほぼ出来ました。

ここで、

まずは立体交差化が壁になります。

 

最終的には3分毎以上は走らせたいので、

ひとまずここはクリアしないといけない(気がする)。

 

 

まずは北東部の大きな拠点の2つ。
マップ全体でみれば北東部に発展した都市が多いので、
ここらへんを重点的に整備します。

f:id:a16777216:20170508210642p:plain

1939年での館山駅前の様子。

(マップ上の位置はあとでまとめて。)

青い線はまだ複々線化しません。

 

オレンジの線は徐々に複々線化を進めていますが、

各駅停車はここで終点にする予定です。

 

この館山から、北東にある朝霞にかけて

ほぼ市街地がなくなるためです。

 

合わせてその朝霞も立体交差に。

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バスで結べる至近距離の都市が多かったため
さいしょはここを最大の都市にするべく目指していました。

マップの隅のため通勤圏の範囲はそう広くなく

あとで示すように柏が最大都市になっていきます。

 

しかし、思わぬところが育っていき、

それに応じて最初の想定とは違ったリアクションをとる形になるのは

大きなやりがいを感じます。

 

 

支線とマップ全体の計画

 

1950~1960年あたりで支線を設計。

代表的な都市では、その東西をはさむように縦貫路線を用意します。

 

この機会に路線図を作成。

パワポでの作成に限界が来たので

ベクトル画像の編集ソフトで。

 

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たーのしー!

朝霞、館山、渋谷、柏(オレンジと緑)に囲まれたエリアは
さいしょの都市数が多かったため
都心っぽい感じに育てていっています。

 

ただ、渋谷-柏間と朝霞-館山間に挟まれた都市が少なく、

多少アンバランスなところもあり。

これには目をつむらねば。

 

しいて言えば上尾→柏が、当初の理想に近い(だんだん都心になっていく)

区間と言えます。

次点で飯能→館山。

 

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1974年の柏の様子です。

北側に位置する千葉、神崎を、それぞれ挟み込むようなかたちで

青緑の支線を追加。

(支線同士の乗り換えもなるべく最適化し、

 柏を中心に、小さなカウエル原型のようにしています)

 

人口も大分増えました。(最初は都市ごとに300~500人ほどだったのに)

 

バスを使わずに駅に行ける住民を増やし、

必要な乗り換え数をカットすることで、

電車同士の乗り換えを促進します。

(渋滞対策にもなるはずです)

 

速さと高さへの憧れ

 

柏駅前はもっとも地価が高くなり、

高層化も進んできました。

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RGBの内訳はというと、

残念ながらさいしょ駅前に何があったかに依存するようで、

都心の駅前は主にオフィスが建つ、という現実の一側面は

再現できなさそうです。

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ただ土地代の高まり方はかなりリアルです。

 

快速の停車駅で、

柏から近づくにつれ、

土地代・ビルの階数が徐々に高くなっていきます。

 

住宅・商業のいずれであっても高層化されるので、

車窓の移り変わりは現実に近しい美麗さになってきました。

 

しいて言えば、都市と都市の間がまだ離れていて

間に何もないのがアレ・・・。

 

ところで、

拡大した時だけ住民一人ひとりの動きが詳細に追える、という仕組みは

ふだんは粒子のかたまりを大きな1つの粒子とみなして粗視化し、

計算量を節約しつつ(時間の進行を遅れないようにしつつ)も、

必要に応じて詳細を再現する、という

かなり高度な多粒子シミュレーションが行われているのでは?という気がします。

 

(本当のところはわかりませんが、)

テンション上がりますね。

 

 

住民の行動のリアルさ

なお、住民がちゃんと必要に応じて乗り換えることも

目視確認できました。

 

下図の左端に見えるピクトグラムは、

まだ駅前に住民がおらずバスも走っていない石神井公園駅

待機客です。

 

これは青い線と黄色い線の相互乗り換えがあることを示しています。

 

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この158721 という乗客は、

このあと青い線で移動し、石神井公園で黄色い線に乗り換えて右上方向に行きます。

 

この時点では、

全体的に電車同士の乗り換えをしない客のほうが多いですが、

電車の頻度を高めるにつれ、

シナジーが起こるかのように乗り換え客が増えていきます。

楽しいです。

 

駅構内を歩く時間もリアルに再現されているので、

この距離を短くしたり、

大岡山みたく同じホームで乗り換えらえるようにしたりすることにも

有意義さがあるかも・・・?

 

利便性に応じて乗客が増していくのがまたリアルです。

不便なままだと自家用車に客を奪われていく点も良いですね。

これは前述の、鉄道事業戦略と共通するような楽しさの1つですね。

 

 

飽くなき開発の果てに

 

このブログの時点でもまだ複々線化せずに残っている課題もあって、

肝心の柏近辺で、

複々線化できてないところがあります。

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1985年時点です。

東側の立体交差は何回かに分けて整備しましたが、

(線形がわるいと最高速度が下がるため、

 複雑な立体交差は手を焼きます・・・。)

北西にのびる青い線は一部、ふつうの複線のまま。

 

(この青い線、もっとも乗客の多い主力路線ではありますが・・。)

新しい電車の登場に合わせて整理する予定にしています。

 

(すでにこの時代、300km/h の電車も登場していますが、

 最速でもせめて200km/h くらいのほうが、っぽい気もするし、

 快速向けに丁度いい具合のを待っているところです。)

 

他についてはしばらく新線を作る必要もなさそうで、

頻度を少しずつ高めつつ、

乗り換えが相乗効果で高まるのを

まったり楽しんでいけそうです。

 

もし作るとするなら、柏を通る青緑の線が混んできていて、

ふつうの複線だと頭打ちになりそうか。

(途中に千葉、匝瑳など大きな都市が多く、

 需要が高そうです)

 

あと上尾~石神井公園複々線化も検討中で、

線路はすでに建設済みの状態で、

石神井公園から館山を通すか、

南東へ流すか

(横浜で各停相当が横須賀線から京浜東北にバトンタッチするみたいな)

で迷うところです。

 

 

 

 

あとは住民数の高まりが少し懸念されます。

steam の掲示板っぽいところでは、

人が増えすぎた場合のリスクが語られているように見えます。

 

 

まあ、行けるところまでじっくり煮込んでみましょう。

 

 

さて今後

 

特定ゲームにしばらく焦点を当ててきたので、

また改めて、いろいろなゲームやそれ以外のものも跨ぎ、

横断的に考えていきたく思います。

 

(プレイ日記は初めて書いたのですが、不慣れなこともあってか

 今回あわせて 10人h くらい使ったし、

 結構力をかける必要がありますね。)

 

ゲームは社会をどのようにシミュレーションするのか。

 

ゲームと、シミュレーション研究や機械学習に通底する面白さはあるのか。

あるとしたらどのような面か。

 

そうしたところにまだ初学というのもあるので、

文献をこなしつつ、

ぼちぼちやっていこうと思います。

(そもそも、需要があるのかはよく分からないですが)

 

ここまでありがとうございました。

また来月かどこかでお会いしましょう。

プレイ日記 Transport Fever 前編

 うーむ、3月のブログを落としてしまい、

「約」月次のブログとなりました。

 

気を取り直していきたいと思います。

 

今回は、新しく買った Transport Fever というゲームが面白かったので

ほぼこちらの紹介です。

 

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内容は

・Simutrans などと比べて良かった所

 (なぜ買ったのか、なぜ面白いのか)

 

・実際に遊んでみている感じ

 

・苦戦したところのTIPS

 (前面展望の出し方、立体交差の仕方、他におやっと思ったところ)

 

 

良かった所

 

個人的に 「Simutrans」 という鉄道経営ゲームは

過去最もハマったゲームで、

無料という点もあってとてもオススメです

(が、深入りすると長くなるため、詳細なところは今後の考察にします)。

 

このゲームをまず振り返りつつ、

もう1つ楽しんだゲーム「鉄道事業戦略」とも見比べて

Transport Fever の面白さを見ていきます。

 

 

Simutrans、良い

 

(個人的に思う)面白さは

 

1. 乗客が、目的地を目指して乗り換えをする。(重要!)

 

2. 軽量なので、街を大きくして駅を増やしやすい。

 

3. (便利さによらず)必要なら必ず乗り換えるため、

 大きな駅が増えるごとに、シナジーが起こってくる。

 

4. マップを車両が走り、

 それに応じてリアルタイムに乗降が起きる。

 

5. いろいろな方が無料のDLC(アドオン)を公開していて、

 車両選びや駅作りの自由度がめちゃめちゃに高い

 

ほかにも沢山ありますが、

大きなところだと、このあたりになると思います。

 

この後紹介する鉄道事業戦略と比べ、

Simutrans ならではの部分は青色で書いています。

 

鉄道事業戦略、良い

 

さて、Simutrans は個人的に、史上最高のゲームだと感じていますが

1つのゲームだけで世界のすべての要素を

シミュレートできるわけではありませんから、

 

ほかにもこういう要素がやりたい、というのはやっぱりありますね。

 

特に、ほぼ必ず乗り換えが起こる、という点は(魅力の一つではありますが)、

「どこからどこへ行く時でも、乗り換え回数が最小になるような、

 乗客にやさしい交通網を心がけたい!」

というモチベーションとは相反します。

 

不便な路線図でも十分に乗り換えられちゃったら、

工夫する甲斐がありませんからね。

 

ロンドンの地下鉄みたく、

どこにいくにも乗り換え回数が少なくて済むような

洗練された交通網を考えたい。

 

そんな最適化の面白さってあると思います。

 

これを追求したく、探してたどり着いたものの1つが、鉄道事業戦略でした。

 

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個人的に楽しさを感じた点は、

 

1. 乗客が、目的地を目指して乗り換えをする。(重要!)

 

2. 軽量なので、街を大きくして駅を増やしやすい。

 

6. 便利かどうかを乗客が気にし、これによって乗客が増減する。

 

7. ターミナルでは商業が生じやすいなどの特徴から、

 住宅地と商業地が分かれ、「通勤」のギミックが生まれる。

 

8. 建物も運営できる。

 

鉄道事業戦略ならではの点は赤色にしました。

このように新たな面白さがいろいろにあり、

別種のゲームとしての楽しみを

いろいろと見いだせます。

 

改めて振り返ると、

経営ゲームとしての側面がより強い感じですね。

 

高難度になるほど、

遠くの郊外にエグくベッドタウンを用意するなどの工夫がいるようで、

現実に即して戦略を練るような楽しみ方も。

 

(Simurtans で配線図を考える時もそうですが、

 現実についての知見がゲームに応用できるというのは

 ゲームの複雑さと進化とを感じられて興奮しますね・・・)

 

そういう意味で、都市圏の発展の歴史も垣間見れますね。

シナリオも、現実の創始者のミッションに近いものになっています。 

 

 

Transport Fever 、良い

 

さて、そうしたゲームを遊びつつも、

これらを兼ね備えたゲームがもしあれば・・・

という思いが残り。

 

リアルタイム乗降と乗り換えがある中で、

超便利な乗り換え構造を作って乗客を満足させたい。

 

さいきょうの交通網をかんがえたい。

 

時間は経つこと2016年末。

 

PC ゲーム販売プラットフォーム である Steam をうろうろしていたところ、

たどり着いたのが、

これでありました。

 

 

1. 乗客が、目的地を目指して乗り換えをする。(重要!)

 

4. マップを車両が走り、

 それに応じてリアルタイムに乗降が起きる。

 

6. 便利かどうかを乗客が気にし、これによって乗客が増減する。

 

9. 3D のリアルな描画と全面展望

 (あまり注目してなかったですが、思いのほか楽しい・・・!)

 

10. 道路の渋滞に対策する遊びもできる

 

・・・と、期待していた部分通りの点に加え、

さらに思わぬ美点(紫色にしました)もいくつかある。

 

これは買うしかないでしょう。

 

もっとも、発売から半年と、若めのゲームのため

(2017/04時点では、ぱっと見、全体マップがないなど)不便な点もややありますが、

 

それなりの頻度でアップデートされてってますし、

自分は上のメリットのほうが大分おおきいな、という感じでした。

 

 

うーむ。

 

記事が終わらないですね。

 

 

最後に、開始直後の配線計画と、

TIPSだけ書きまして、

今回はここまでにいたします。

 

さいしょの配線設計

 

マップ全体にまんべんなく街があるため、

複々線にするような長距離の線で広くカバーしつつ、

 

これらは互いにすべて交わるようにします。

 

平行の路線を、郊外でひねって重ねる、

カウエル原型を基盤にしましょう。

 

(新谷洋二編 (1993) 『都市交通計画』技報堂出版 および

系統編成を考慮した 交通網の路線配置についての研究, http://www.risk.tsukuba.ac.jp/~ussrl/public_html/dissertations/Ghabe.pdf 2017/04/06 アクセス)

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さて、いざ敷こうとしてみると

 

マップ北西部にタテに山があったり、

マップ最南東に意外と街が密集してたりと

いろいろ課題があったので、

 

最終的にこのような計画になりました。

色もちょっと変えました。

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1850 年にスタート、1865年ごろから徐々に線路を敷いていき、

 

1912年でおおむね上記が完成しました。

南西部の3つの交点の様子です。

(この時はまだ、赤い線は図の左の小鹿野で上下に分かれています)

 

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経路をマップ上に、しかも色付きで表示できる点も

かなりいいですね。

 

 

地名は下記スレのを使わせていただいています。

Train Fever/Transport Fever 総合スレ【3路線目】 [無断転載禁止]©2ch.net

 

 

TIPS

 

▼前面展望はどうやって?

 

英語でなんていうかよく分からず、

まず調べ方を調べるところから始まりました。

cockpit camara っていうんですね。

https://steamcommunity.com/app/446800/discussions/0/282992646984726130/

 

列車ウインドウの左下のほうにカーソルを持っていくと、

カメラボタンが出現し・・・

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うわっ、これは良い!

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対向車とすれ違いつつ、

田舎から都市へ風景が様変わりしていくのを

高速で抜けていくのはたまりませんね。

 

 

立体交差の仕方

 

勾配みたくなってるボタンを押したら、

上下ボタンが現れました。

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これで片方ないし両方を最大勾配にしていくと、

それぞれ途中でトンネルや高架になります。

 

高架はよくも悪くもリアルで、

橋げたにあたると、下の線路を敷けなかったり。

 

 

▼さいしょは乗客が増えにくい?

 

乗降客が便利さを気にする分、

序盤はこれが足かせにもなったりします。

 

駅を都市から少し離して作り、

バスで都市⇔駅を結ぶと、

(バスの移動時間+バスの運行間隔+鉄道の移動時間+鉄道の運行間隔 ≒ 所要時間?
 みたくなっているためか)

ほとんど乗客が出ない場合も。

 

最序盤は、歩いて住・商・工に行ける所に駅を作るのが

良かったっぽいです。

 

▼ほか、日本語で操作法を見つけるのには

 

前作 Train Fever について調べると

出てくる場合が多そうですね。

 

TrainFever Wiki*

 

 

自分が線を敷くことで都市が思わぬ発展を見せ、

都市の思わぬ発展を受けて自分もまた最初の計画と違った路線を用意する、

 

そんな相互作用と共進化が

これからますます楽しみです。

 

一人で遊んでいるのにもかかわらず、

意図しなかった秩序が作り上げられていくっていうのは

良いですね。

 

街づくりゲームとは絵筆である、

とも言えましょうか。

 

ここまでありがとうございました。

後編に続きます。

掃除を考える(後編) 掃除はゲームに入りますか

前回の振り返り 掃除との関わりは自然との関わり

 

洗濯や掃除など、

選択肢の選び方を突き詰めていくのが難しく、

言うなれば「俺TSUEEE」がしにくいルーチン。

 

そうしたものをどのように、

趣味や仕事を含む自分の時間の中に回収していくか、考えてきました。

 

さて前回までのところでは、掃除を中心に、

日常生活を自然に繋げるインターフェイスとして捉えてきました。

 

下記のような防衛&攻城ゲームでは、

序盤は大抵、

城下の村を育てていのではないかと思います。

 

そこでは、自然の一部である山から、木々や石を切り出し、

人間にとって有用な施設へ加工していくさまが、

ありありとビジュアル化されます。

 

http://www.4gamer.net/games/283/G028331/20150114092/TN/028.jpg

「ストロングホールド クルセイダー2 日本語版」をレビュー。最強の城を築いたり,難攻不落の城を攻め落としたり,攻城戦を堪能しよう - 4Gamer.net

 

 

労働と自然 

 

『交易する人間 贈与と交換の人間学』(今村 仁司, 2000)によれば、

もともと労働というもの全体が、

自然を解釈し、自然と相互作用するものであったといいます。

 

現在でも、

自然から、誰かの手によって木材や石材が運ばれているおかげで

住居がある点においては変わっていないわけで。

 

そうした住居との関わりである掃除もまた、

人間と自然との相互行為を

思い起こさせてくれるのではないでしょうか。

 

洗濯も、

衣類の更新という一日のリセットが、

川からの水や太陽からの熱によって行われるという意味では、

近い効果がありそうです。

 

さて、以下2つもまた面白い話題になりそうですが、

一旦また今度にしましょう。

 

・歴史を実演するものをはじめ幾つかのゲームが

 人間と自然との関わりについて、リアルな直感をもたらす?

 

・周波数解析できないような、不定期に近い「繰り返し」を実装するには、

 きっかけ(トリガー)を皮切りにした一連のフローを、

 圧縮して記憶しておくことが必要?

 

 

掃除はゲームたり得るか( ≒ 掃除のつまらなさの原因とは?)

 

結論から行くと、

ハードルは高いけど、少しだけなら近づける・・・?という感じです。

 

必要条件でも十分条件でもないかもしれませんが、

「面白」くあるための重要な方法の1つとして、

「ゲーム」にするという方法が考えられます。

 

掃除を少しでも楽しむために、

以下は、掃除などとゲームとの違いを探し、

掃除をゲームに近づけていくことを考えていきます。

 

ここでは、2005 年まででのゲームの定義を6つに整理した、

下記の文献に沿って、

掃除とゲームの相違点を

なぞっていきましょう。

 

 『ハーフリアル  虚実のあいだのビデオゲーム』(Jesper Juul 2005, 松永 伸司 訳 2016)によればゲームとは、

やや言葉の定義が専門的なのですが、私なりに解釈すると、

 

1. ルールを持つ。

2. 結果が明確で、かつ結果を変えられる。

3. それぞれの結果に、良い・悪いなどの意味が与えられている。

4. 努力が影響を及ぼす。

5. 人が結果をまじめに受け止める。

6. 現実に与える影響を、自由に着け外しできる。

 

これがゲームの定義、というか特徴であるようです。

 

6. は最初ぴんと来にくかったのですが、

例えば戦争やギャンブルは、生死やお金への影響を自由に取り外せないので、

これらはゲームではないということになります。

 

さて、掃除の場合もやはり、6. ではゲームに反してしまいますね。

 

しかも、掃除はギャンブルのような「準ゲーム」とでも言うものよりさらに悪く、

2~4. あたりも怪しくなってきます。

どうにかこれを改善できないでしょうか。

 

まず 「2. 結果が明確で、かつ変えられる(訳文ママ:可変かつ数量化可能な結果)」
あたりから攻めましょう。

3~4. もこれを受ける形にもなりますし。

 

つまらなさへの対策:掃除の結果を、努力次第で変わるものにする

 

掃除で一番数量化しやすいのは、

やはり速度ではないでしょうか。

(丁寧さもありますが、ここには主観が入りそうです)

 

干されるオブジェクトあたりの所要時間をストップウォッチで測定し、

「何秒以下だったら失敗」と定義してみることにします。

 

これで、結果は定量化可能で可変で(2.)良し悪しがあり(3.)、

しかも努力が効果を持ちます(4.)。

 

一気に、2~4. の壁が解決されるところまで来ました。

 

あるいは、この『ハーフリアル』によれば、

ゲームはルールとフィクションがお互いに補助し合って作られているとのことで、

(上で挙げたルールの側面だけでなく)

フィクションを用いてみるのも面白いかもしれません。

 

ちょっとゴッコ過ぎますが、

ゾンビから身を守るための防護服を定期的にメンテしてる、とかですかね。

 

より良質なゲームであるために

上のように考えていくことで、

6. の現実への影響(訳文ママ:取り決め可能な帰結)を除いては、

準ゲームという所まで来たと思います。

 

しかしながら、まだ、タイムアタックという、

ゲームとしては単純なものにとどまっている気がします。

 

やはり同じ本に記載されている、シド・マイヤー氏の至言

「ゲームとは興味を引く一連の選択肢である」からは

遠いように思います。

 

つまり、面白いゲームなら、

ゲームが今どこまで進んでたとしても、

悩むべき複数の選択肢があるべき、というわけです。

 

次にどの手を選んだらいいかは常に決まっていて、

いかに上手にやるかだけの問題になってしまうとなると、

ゲームとしては物足りないかもしれません。

 

高々比例程度では飽き足らない

以下は、文献からでなく、自分が考えるゲームの魅力の1つですが。

 

「時間が進むと、成果の総量や、行えることの種類が、雪だるま式に増える」

というのがあると思います。

 

いままでの取り組みの連鎖、あるいは組み合わせの妙と言いましょうか。

RPG なら、覚えることができた2つの技が相乗効果を起こし、

足し算以上の効果を発揮する、ということがあり得るわけです。

 

あるいはRPG、数値だけで見ても、

レベルに対する戦闘力が、

比例どころか2乗以上の速さで右肩上がりしてると思います。

 

HP だけが2倍になっても、攻撃力だけが2倍になっても、

いずれの場合も(かなり粗く見積もれば)2倍程度の強さになるわけですよね。

 

レベルが2倍になった時に両方とも2倍になるのであれば、

4倍程度に(2乗の勢いで)成長してると言えるのではないでしょうか。

さらにこれに、防御力や素早さなども伴ってくるわけで。

 

いっぽうシムシティ等の街づくりゲームは、

現在の都市規模 ∝ 収入 ∝ 成長速度というかたちで比例することが多いので、

ネズミ算式の、(2乗よりはるかに速い)猛烈な勢いで都市が大きくなります。

 

 

ゲームにもプログラミングにも共通する面白さ?

 

これは、システム系の仕事でも言えると思います。

(最も、理想的な場合を考えればですが・・。)

 

一定のペースで自動化の仕組みを増やしていけば、

それぞれ「つづきをヨロシク」できるわけで、

下の左の図のように、単位時間当たりの生産量が増していくわけです。

 

時間当たりの生産量(効率とでも言いましょうか)が

時間に比例して増えていくなら、

これまでの生産の総量は、時間のおおよそ2乗に比例するわけですね。

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それでもゲームをあきらめたくない

 

さて、時間当たりの生産をだんだん増やしていく、

つまり総生産量を2乗や雪だるま式に増やしていくことは無理かもしれません。

 

でも、常に悩ましい選択肢があるような状態のほうは、

作れるように思います。

 

それは、例えば料理とかと「ながらでやる」ことです。

 

料理とかは、ずっと手が離せない時間が続いたと思いきや、

突如、しばらく放置する時間が挟まったりしますね。

 

この隙間に、いかに掃除を効率よく挟むか、を考えると

ちょっとゲームっぽくならないでしょうか。

 

これは掃除と比べると料理特有なのかもしれませんが、

どの時間までに何を達成しないといけないかが

パズル的に組み合わさっていて、その楽しさを導入することができます。

 

あるいは、敢えて作業を締切ギリギリまで残しておき、

それを終わらせる傍ら、いかに掃除も処理するか?とかでも

良いかもしれません。

 

ネットへの接続や、保存・画面更新が遅いときのラグを活かして、

1日全体の効率化を極限まで図ってみる。

 

選択肢をアイテムに頼る

ゲームで多様な選択肢があるのは、

多彩なアイテム、登場人物、スキルや施設などのおかげですよね。

 

そこで掃除・洗濯においても、

アイテムに頼ってみましょう。

 

薬屋や百均で、掃除がラクになりそうな小道具を買ってみたり、

小さいタオルが何枚も掛けられる、旅館とかにあるアレを買ってみたり。

 

掃除や洗濯の最中のコマンドが解禁されて

選択肢が増えるだけでなく、

買い物で、いくらで何を見つけるかというメタゲームとしての充実も

加わりそうです。

 

 

今回のまとめ。

 

と、まあどうしようも無いところはあるにせよ、

掃除や洗濯の単純作業に(自然との関わりを思い出すといった)意味を見いだしつつ、

ゲームとして楽しむことも、少しだけならできる。

 

という具合になりました。

 

次は、ゲームすることについて

より掘り下げてみたいと

何となく考えています。

 

特に鉄道ゲームは、個人的にフラクタル的な情緒を感じていて、

少し詳しく見ていきたいなと。

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上記は Transport Fever というゲームで、

Simurrans という既存ゲームと比べて、弱点もなくはないですが

乗客が割と利便性を求めてたりするところが斬新で。

 

そして機関車が実際に走り始めるさまが感無量・・!
(配線が気に入らず、このあと滅茶苦茶線路引き直しましたw)

 

それでは、ここまでありがとうございました。