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掃除を考える(後編) 掃除はゲームに入りますか

前回の振り返り 掃除との関わりは自然との関わり

 

洗濯や掃除など、

選択肢の選び方を突き詰めていくのが難しく、

言うなれば「俺TSUEEE」がしにくいルーチン。

 

そうしたものをどのように、

趣味や仕事を含む自分の時間の中に回収していくか、考えてきました。

 

さて前回までのところでは、掃除を中心に、

日常生活を自然に繋げるインターフェイスとして捉えてきました。

 

下記のような防衛&攻城ゲームでは、

序盤は大抵、

城下の村を育てていのではないかと思います。

 

そこでは、自然の一部である山から、木々や石を切り出し、

人間にとって有用な施設へ加工していくさまが、

ありありとビジュアル化されます。

 

http://www.4gamer.net/games/283/G028331/20150114092/TN/028.jpg

「ストロングホールド クルセイダー2 日本語版」をレビュー。最強の城を築いたり,難攻不落の城を攻め落としたり,攻城戦を堪能しよう - 4Gamer.net

 

 

労働と自然 

 

『交易する人間 贈与と交換の人間学』(今村 仁司, 2000)によれば、

もともと労働というもの全体が、

自然を解釈し、自然と相互作用するものであったといいます。

 

現在でも、

自然から、誰かの手によって木材や石材が運ばれているおかげで

住居がある点においては変わっていないわけで。

 

そうした住居との関わりである掃除もまた、

人間と自然との相互行為を

思い起こさせてくれるのではないでしょうか。

 

洗濯も、

衣類の更新という一日のリセットが、

川からの水や太陽からの熱によって行われるという意味では、

近い効果がありそうです。

 

さて、以下2つもまた面白い話題になりそうですが、

一旦また今度にしましょう。

 

・歴史を実演するものをはじめ幾つかのゲームが

 人間と自然との関わりについて、リアルな直感をもたらす?

 

・周波数解析できないような、不定期に近い「繰り返し」を実装するには、

 きっかけ(トリガー)を皮切りにした一連のフローを、

 圧縮して記憶しておくことが必要?

 

 

掃除はゲームたり得るか( ≒ 掃除のつまらなさの原因とは?)

 

結論から行くと、

ハードルは高いけど、少しだけなら近づける・・・?という感じです。

 

必要条件でも十分条件でもないかもしれませんが、

「面白」くあるための重要な方法の1つとして、

「ゲーム」にするという方法が考えられます。

 

掃除を少しでも楽しむために、

以下は、掃除などとゲームとの違いを探し、

掃除をゲームに近づけていくことを考えていきます。

 

ここでは、2005 年まででのゲームの定義を6つに整理した、

下記の文献に沿って、

掃除とゲームの相違点を

なぞっていきましょう。

 

 『ハーフリアル  虚実のあいだのビデオゲーム』(Jesper Juul 2005, 松永 伸司 訳 2016)によればゲームとは、

やや言葉の定義が専門的なのですが、私なりに解釈すると、

 

1. ルールを持つ。

2. 結果が明確で、かつ結果を変えられる。

3. それぞれの結果に、良い・悪いなどの意味が与えられている。

4. 努力が影響を及ぼす。

5. 人が結果をまじめに受け止める。

6. 現実に与える影響を、自由に着け外しできる。

 

これがゲームの定義、というか特徴であるようです。

 

6. は最初ぴんと来にくかったのですが、

例えば戦争やギャンブルは、生死やお金への影響を自由に取り外せないので、

これらはゲームではないということになります。

 

さて、掃除の場合もやはり、6. ではゲームに反してしまいますね。

 

しかも、掃除はギャンブルのような「準ゲーム」とでも言うものよりさらに悪く、

2~4. あたりも怪しくなってきます。

どうにかこれを改善できないでしょうか。

 

まず 「2. 結果が明確で、かつ変えられる(訳文ママ:可変かつ数量化可能な結果)」
あたりから攻めましょう。

3~4. もこれを受ける形にもなりますし。

 

つまらなさへの対策:掃除の結果を、努力次第で変わるものにする

 

掃除で一番数量化しやすいのは、

やはり速度ではないでしょうか。

(丁寧さもありますが、ここには主観が入りそうです)

 

干されるオブジェクトあたりの所要時間をストップウォッチで測定し、

「何秒以下だったら失敗」と定義してみることにします。

 

これで、結果は定量化可能で可変で(2.)良し悪しがあり(3.)、

しかも努力が効果を持ちます(4.)。

 

一気に、2~4. の壁が解決されるところまで来ました。

 

あるいは、この『ハーフリアル』によれば、

ゲームはルールとフィクションがお互いに補助し合って作られているとのことで、

(上で挙げたルールの側面だけでなく)

フィクションを用いてみるのも面白いかもしれません。

 

ちょっとゴッコ過ぎますが、

ゾンビから身を守るための防護服を定期的にメンテしてる、とかですかね。

 

より良質なゲームであるために

上のように考えていくことで、

6. の現実への影響(訳文ママ:取り決め可能な帰結)を除いては、

準ゲームという所まで来たと思います。

 

しかしながら、まだ、タイムアタックという、

ゲームとしては単純なものにとどまっている気がします。

 

やはり同じ本に記載されている、シド・マイヤー氏の至言

「ゲームとは興味を引く一連の選択肢である」からは

遠いように思います。

 

つまり、面白いゲームなら、

ゲームが今どこまで進んでたとしても、

悩むべき複数の選択肢があるべき、というわけです。

 

次にどの手を選んだらいいかは常に決まっていて、

いかに上手にやるかだけの問題になってしまうとなると、

ゲームとしては物足りないかもしれません。

 

高々比例程度では飽き足らない

以下は、文献からでなく、自分が考えるゲームの魅力の1つですが。

 

「時間が進むと、成果の総量や、行えることの種類が、雪だるま式に増える」

というのがあると思います。

 

いままでの取り組みの連鎖、あるいは組み合わせの妙と言いましょうか。

RPG なら、覚えることができた2つの技が相乗効果を起こし、

足し算以上の効果を発揮する、ということがあり得るわけです。

 

あるいはRPG、数値だけで見ても、

レベルに対する戦闘力が、

比例どころか2乗以上の速さで右肩上がりしてると思います。

 

HP だけが2倍になっても、攻撃力だけが2倍になっても、

いずれの場合も(かなり粗く見積もれば)2倍程度の強さになるわけですよね。

 

レベルが2倍になった時に両方とも2倍になるのであれば、

4倍程度に(2乗の勢いで)成長してると言えるのではないでしょうか。

さらにこれに、防御力や素早さなども伴ってくるわけで。

 

いっぽうシムシティ等の街づくりゲームは、

現在の都市規模 ∝ 収入 ∝ 成長速度というかたちで比例することが多いので、

ネズミ算式の、(2乗よりはるかに速い)猛烈な勢いで都市が大きくなります。

 

 

ゲームにもプログラミングにも共通する面白さ?

 

これは、システム系の仕事でも言えると思います。

(最も、理想的な場合を考えればですが・・。)

 

一定のペースで自動化の仕組みを増やしていけば、

それぞれ「つづきをヨロシク」できるわけで、

下の左の図のように、単位時間当たりの生産量が増していくわけです。

 

時間当たりの生産量(効率とでも言いましょうか)が

時間に比例して増えていくなら、

これまでの生産の総量は、時間のおおよそ2乗に比例するわけですね。

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それでもゲームをあきらめたくない

 

さて、時間当たりの生産をだんだん増やしていく、

つまり総生産量を2乗や雪だるま式に増やしていくことは無理かもしれません。

 

でも、常に悩ましい選択肢があるような状態のほうは、

作れるように思います。

 

それは、例えば料理とかと「ながらでやる」ことです。

 

料理とかは、ずっと手が離せない時間が続いたと思いきや、

突如、しばらく放置する時間が挟まったりしますね。

 

この隙間に、いかに掃除を効率よく挟むか、を考えると

ちょっとゲームっぽくならないでしょうか。

 

これは掃除と比べると料理特有なのかもしれませんが、

どの時間までに何を達成しないといけないかが

パズル的に組み合わさっていて、その楽しさを導入することができます。

 

あるいは、敢えて作業を締切ギリギリまで残しておき、

それを終わらせる傍ら、いかに掃除も処理するか?とかでも

良いかもしれません。

 

ネットへの接続や、保存・画面更新が遅いときのラグを活かして、

1日全体の効率化を極限まで図ってみる。

 

選択肢をアイテムに頼る

ゲームで多様な選択肢があるのは、

多彩なアイテム、登場人物、スキルや施設などのおかげですよね。

 

そこで掃除・洗濯においても、

アイテムに頼ってみましょう。

 

薬屋や百均で、掃除がラクになりそうな小道具を買ってみたり、

小さいタオルが何枚も掛けられる、旅館とかにあるアレを買ってみたり。

 

掃除や洗濯の最中のコマンドが解禁されて

選択肢が増えるだけでなく、

買い物で、いくらで何を見つけるかというメタゲームとしての充実も

加わりそうです。

 

 

今回のまとめ。

 

と、まあどうしようも無いところはあるにせよ、

掃除や洗濯の単純作業に(自然との関わりを思い出すといった)意味を見いだしつつ、

ゲームとして楽しむことも、少しだけならできる。

 

という具合になりました。

 

次は、ゲームすることについて

より掘り下げてみたいと

何となく考えています。

 

特に鉄道ゲームは、個人的にフラクタル的な情緒を感じていて、

少し詳しく見ていきたいなと。

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上記は Transport Fever というゲームで、

Simurrans という既存ゲームと比べて、弱点もなくはないですが

乗客が割と利便性を求めてたりするところが斬新で。

 

そして機関車が実際に走り始めるさまが感無量・・!
(配線が気に入らず、このあと滅茶苦茶線路引き直しましたw)

 

それでは、ここまでありがとうございました。 

 

掃除を考える 都会の部屋は自然の一部じゃないと思った?

生活という時間の位置づけ

 

どんなことからも学びがある。

 

そう考えるようになってから、

(気のせいか)趣味と仕事がお互いに役立ちあい、

役立ちあっているように感じてきました。

 

2つにリソースをさいて、なるべく多くの学びを得ようと思うとき、
避けては通れない第三の時間、生活を維持するための時間を思い出しました。

最低限必要な、掃除、洗濯、炊事や皿洗い。


避けることができないなら、
そこに学びはあるのか、それをよりよく行なうことはできるのか、
せめて楽しむことくらいはできるのか。

今回は主に掃除について、以下の3つに沿って考えていきます。

 ・掃除とは何か。どのように位置づけられるか。
 ・掃除や散らかすときのコストや効果は。どうするのが理想なのか。
 ・どうすれば掃除は楽しいのか。(これは後半に回します)



掃除とは何か?

そうしたことを学べる本はあるだろうか

 

こうした生活の出来事を掘り下げて考えたいと思ってから、
始めに調べたのは料理です。

そうすると、『食を料理する 哲学的考察』(松本澄夫, 2003)という
大変面白い考察があるのに気づきます。

一方、片付けについては、書籍ではありませんが、
『片づけるとは?を哲学する「片づけなくてもいい!」技術』という記事がありました。(http://garagekidztweetz.hatenablog.com/entry/20110920/1316521832, 2017/01/29 アクセス)
こちらも大変面白く、参考にしていきます。


掃除をするとき、部屋は身体の延長ではないか

たとえば上の『食を料理する』では、動物との共通点や違い、
人間・社会が自然とどうかかわるかが強調されます。

これをもとに考えると、掃除の場合はどうでしょうか。

掃除という、エントロピーを下げる(少なくとも維持する)と言われている行動。

これは生命維持活動に似ているように思います。

生命は摂取したエネルギーを用いて、

自らの体のエントロピーが増えてしまわないよう(つまり機能停止しないよう)、

制御しています。

 

掃除や片付けも、

摂取したエネルギーをエントロピーを抑える(機能停止を防ぐ)ために
用いている点では同じと言えるでしょう。


自分自身を維持するために自分の管理下に置くものが、

自分だけではなくなる。

 

部屋や家という空間、部屋にあるさまざまな物体、

さらには情報やデータまでに広がると思うと

なかなか刺激的なように感じます。

 

身体と環境の共進化

また、似た話かもしれませんが、このように考えても

個人的には面白いです。

 

上で引用したブログの考え方を借りて、

部屋と言うのは1つの系、システムであって、

部屋への流入・流出が釣り合っているのが現在の(そして恒常的な)状態、

という風に考えていってみましょう。

 

そうすると、自分自身も、部屋というシステムと相互作用する構図になります。

 

自分が環境に影響を与え、

環境がまた自分自身に影響する。

 

生命や生態系は、こうした環境とのやりとりの中で、

かなりの複雑さを獲得してきたと言えると思いますが、

その縮図のように感じられてきます。

 

少し大げさに言うと、環境との共進化と言えるでしょうか。

都市の複雑さも似た感じがしますね。

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画像 は simurtans という鉄道経営ゲームで、線路を敷くことが都市の成長に影響し、都市の成長が自分の次の行動に影響する、という点では、共進化の面白さを体感できるゲームと言えるでしょうか。 http://www.simutrans.com/en/

 

もちろん部屋は、生態系や都市と比べてかなり小規模であり、

そのぶん関わりを実感できる面白さはある程度減ってしまいます。

 

が、自然や都市の末端、微細構造の一つとしてとらえることで

やる気を高めることもできるかもしれません。

 

掃除や、散らかすことの効果とは

これは持論を突き詰めていくと、

結局、うまく散らかすためには?

というところに行きついてしまうのですが・・・笑

 

まずは以下から行きます。

掃除のコストを計算する

 

掃除をさまたげる原因の1つとして、掃除のコストがありますね。

 

一方、掃除の頻度が少なすぎるときにコストの合計量が増えると分かれば

(月1の掃除の方が週1の掃除より、1回あたり8倍大変、とか)

掃除のモチベーションが高まるかもしれません。

 

ここはモノの片付けをかなり大雑把に、

「片付けコスト = モノを、仕舞うべき場所ごとに集めるコスト」

としましょう。

◆▼ → ◆◆ 〇〇 ▼▼

そうすると、片付けは並び替え問題である、というわけです。

 

並び替えのコストは最小の場合、(散らかっているモノの数を N コとすると)

 N log N

に比例するわけですね。

 

モノの数に比例するよりも少し大きいので、

これだけ考えると、

頻繁に片付けすればするほどよい、ということになります。

 

でも、例えば1分に一回片付ける、となると、どう考えても非効率。

 

片付け1回あたりに固定コストがかかると思うのが妥当でしょうか。

 

そうすると、いずれにせよ、頻度無限大と無限小の間のどこかに

最良の頻度があるらしいことが分かってきます。

 

幸い、あまり間をあけすぎない方がお得、と分かってきますね。

 

と、これを考えていて気付いたのですが、

 

どうせ散らかすならば、

同じ場所にしまうべきものごとに並ぶように散らかせば

片付けの頻度を減らしても大変にならない、と笑!


とはいえ散らかし過ぎるとやはり弊害があるもので、(下記でもう少し考えます)

とりあえず上記は、片付けを楽にするための手法として

捉えいたいと思います。

 

散らかすメリットを考える

 

いっぽう、散らかすメリットがあるからこそ片付けが阻まれるわけです。

そこにモノが出ていて、すぐ使える状態であるということは、

思考を助けさえもします。

 

モノという形で手が届くところに置けば、

頭の中にメモを残しておかなくても

それを見て思い出しつつ作業ができるわけですね。

 

頭のなかで一時的に保持できるのは7つ前後と言われますから、

これは重要です。

理論上、何十個、何百個という情報を、(頭の限界を超えて)

管理できることになりますね。

 

上の話ともつながりますが、

この見方でも、部屋が身体の延長に見えてきます。

 

ただ、何百個とモノが展開されていると、

その時々で必要なものが瞬時には見つからない。

 

でたらめに散らかっていたら、毎回 N に比例して

(検索に)労力がかかるでしょう。

きれいに並べて散らかしていれば? log N くらいには抑えられますが。

 

同時に目に留まるものの数が N 倍になっても、

(使用頻度の低いものがある限り)N 倍の便利さにはなりませんから、

やはりどこかで片付けるべきかも、

と言う形になりそうです。

 

ここから得られるヒントとしては、

・散らかすときはなるべく用途や片付け先ごとに固めておく

 (散らかす効能を高めて、片付けも楽になる!)

・使用頻度の低いものは片付ける

 

ということでしょうか。

 

まだ3つめのテーマ、掃除を楽しくする方法が残っていますが、

長くなりましたので次回にしたいと思います。

 

ゲーム研究の本などと比べながら、

掃除に(ゲームであるために)足りないものは何か、

どうすればそれが補われるか、を

考えています。

 

それではまた。

ここまで、ありがとうございました。

なぜブログを始めるのか

はじめました

 

前から始めたりやめたりしていますが、久々に再開します。

 

文にしてみたいことが段々出てきた、

まずこれが理由としては大きいです。

 

ただ他にもいくつか理由があるため、

この第一回では、それらを下にまとめていきたいと思います。

 

 

1.インプットだけでは飽き足らない

 

今までに割と不勉強な時期もありましたが、

最近本を読むのが楽しくなってきて、

色々なインプットをするようになりました。

 

そんな中、知られていることを吸収しようとするだけでは、

何となく物足りない。

一方通行になり、自分が社会の構成要素になっている実感が湧かないわけです。

 

それに、絵であったり音楽であったり、

(稚拙ながら)何かしら表現することをしたい、と思いいたりました。

 

それから、↑と関連しますが

 

2.学んだことを組み合わせて使いたい

 

書籍や論文としてのていを成すためには、

特定のテーマに沿って、それなりの量や再現性を持たなければならない。

 

ただ、それに至らないまでも、

さまざまな人が独自に、その人のなかで視点や思考法を組み合わせて、

日々何かしらの新しい理解を生み出しているのではないか、と。

 

これが登場する舞台の一つがブログではないか、と。

 

 

3.実践しなければ下手な状態にとどまり続ける

 

自分は文章能力は稚拙なほうで、

ブログなんて始めるレベルではないだろう、

という躊躇もありました。

 

でも、これを克服する一番の近道は、満を持して始めてみることだ、と。

 

メガネが無くてメガネを探せない、という状態から

脱却しなければいけないぞと感じたのでした。

 

 

4.後で材料になる

 

夢物語の1つではありますが、

遠い将来、何か執筆したり、どこかで講演したりといった

漠然とした野望があります。

 

そんなとき、アーカイブとして残っているものが多少でもあれば

きっと役に立つことでしょう。

 

今後の展望

 

このように、いまこそ文章を書こう、という動機が重なってきたこともあり、

ブログに踏み切ろうと思います。

 

だいたい1か月おきくらいの更新を目指してみようと。

 

テーマとしては、最近気になっているいくつかのことを考えています。

 

(仕事、生活、学問のなかの)ビデオゲームの位置づけ。

 

物理空間を片付けることと考えを整理すること等の間に、

どんな関係があるのか。

 

ある現象を説明するための専用の方法が、あくまでイメージとして、

別の現象にどのくらい使えるのか。

 

ふわっとしてきましたが、そのあたりを考えています。

 

それではまた、よろしくお願いします。