ゲームは現実を理解するか(社会と文明のシミュレーション)

ヴィデオゲームはたいていの場合、現実にある活動を模倣している。』 

 『ルールズ・オブ・プレイ ㊦』で引用されている、

ウォレン・ロビネットという人の言葉だそうです。

 

ゲームは現実の何らかの側面をクローズアップし、

それに豊かな描写や音声を与える。

 

であれば、肉眼では観測できないほど大きな / 小さな / 抽象的な / 実行不可能な現象を

(社会 / 細菌 / 感情 / 宇宙戦争など)

ゲームであればこそありありと知覚できる

ということにならないでしょうか。

 

今回はこの観点を考えていきたいと思います。

 

特に、まさに人間の知覚と関連する、

下記に注目しながら進めていきたく思います。

 

一つのシミュレーションが広くかつ深いということはあり得ない。

(これもルールズ・オブ・プレイ ㊦』より。

 

少し回り道になりますが、

まず、広い観点( ⇔と、相対的に深い観点)の

典型例と構造を考えていきます。

 

同時に、

ゲームはどこまでシミュレーションの題材にできるか?

も考えていきましょう。

 

ゲームは現実をシミュレートする。

典型的には戦争がシミュレートできます。

しかし、他にはどういったものがあるでしょうか。

 

 

社会という1つの全体はどのような部分でできているか

 

※ ここは少し長い能書きになるため、

 本題へ進みたいかたは、割愛いただけると幸いです。

 

 

社会 / 文明といったスケールは、

典型的な「広い」観点といえるでしょう。

 

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(熱エネルギーの循環などを考えれば、

 どれほど小さく見積もっても

 太陽と地球の公転半径まで考えなければならず、

 人間の活動に限っても「最大」と言えるかは躊躇われますが、)

 

いったん社会を1つの閉じた系と考えます。

(幸か不幸か、熱のやりとりのみを許す系は「閉じた系」と言えるため、

 地球+その周辺は、かなり「閉じた系」に近い様子ではあります。)

 

さらにもう少し遠回りになりますが、

少し面白い概念があるため、

 

社会という大きな系を、ある要素で表現するとはどういうことか?

について少し立ち入ってみます。

 

以下は、「全体的社会的事実」という概念の説明で、

典型的には宗教、経済、政治、法といったもの(→相互行為)を指します。

1. (中略)複数の社会的現象が共存しながら一個の社会的現象を作りあげている。(中略)

2.  一つの特定の相互行為はそれ自身で、単独で、全体的社会的事実である。

(『交易する人間』より) 

 

強そうな言葉が出てきました。

 

贈与論で出てくるこの言葉について、文献も少なく、

また自分の学習時間から言っても理解が不正確かもしれないので、

以降はこの「全体的社会的事実」という言葉の多用は避けたく思います。

 

ただ、ここで借りたいのは、

どれをとってもそれ自体が全体を表す

という考え方です。

 

以下は自分の解釈をまとめた図です:

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この見方を踏まえると、

 

例えば政治にスポットを絞ったゲームは、 

「政治」を通して社会全体を捉えなおすゲームではないか?

と思えてきます。

 

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「深い」と同時に、

別の観点から「全体」を理解 / 再現(しようと)することでもある、

と言えるかもしれませんね。

 

 

政治のシミュレーション

 

いよいよ具体的な例に入っていきます。

 

http://cdn.akamai.steamstatic.com/steam/apps/245470/ss_5ca771991ed2dd075d5fe9e35914c05055df1d83.1920x1080.jpg?t=1480673981

上記で引用した『Democracy 3』というゲームは、

まさに政治をシミュレーションするものです。

 

税率や教育、医療制度などが複雑にからみあう様子、

通常であれば人間が理解しにくい複雑な様相(あるいは「過程」)を、

ピクトグラムで巧みに可視化しています。

 

特に下記のことがらは、ゲームという媒体ならではでしょう。

・時間の経過を経験できること。

・自分の行動に対してレスポンスが感じられること。

・〇〇(し)たい、という目標を通じて関われること。

 

(・あと恐らくですが、制作者の意図を超えた驚くべき現象が

  ユーザーによって見出されること。

  これは自己組織化にも近い様相ではないかと思いますが、またの機会に。)

 

興味深いことに、このピクトクラムの中には、

経済に関するもの、宗教に関するもの、法に関するものが登場し、

 

社会の他の要素を1枚絵にすっぽり収めて(再現して)いることが

確認されます。

 

これらのことから、

 

社会という大きなスケールを、

かつ政治という、抽象的かつ通常体験し得ない観点から理解しようとするさいに、

ゲームという媒体が役立つと示唆されます。

 

さらに、少し飛躍かもしれませんが、

政治の「モデル化」でもあるため、

仮説発見のツールにもなりえるのではないでしょうか。

 

(現実でそうなるかはさておき)

「もし〇〇の条件を△△にしたらどうなるか?」

が確認できるという意味では、

「計算機実験」としてのシミュレーションとも見なせるよう思うからです。

 

 

経済のシミュレーション

 

持てるものを出来るだけ増やしていく。

 

このような「経済」という構造は、

ゲームとかなり相性が良いギミックの1つでしょう。

 

ルールズ・オブ・プレイ㊦』によると、

サットン=スミスにより、同時参加型 RPG の遊び方の分類が

達成型(♦)、探索型(♠)、交際型(♥)、殺人型(♣)

とされていますが、

 

RPG に限らないゲームの楽しみ方一般として解釈すれば)

経済はこのうち達成型そのもとのもいえるでしょう。

 (「ポイントを集めたり、レヴェルを上げることに注意を払う。」)

 

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上記の「Offworld Trading Company」は、

拠点を作り、

資源の採掘といった開発・拡張を進めるゲームなのですが、

特に経済に焦点を当てています。

 

余っていてみんなが売りたいものは、安く。

不足していてみんなが買いたいものは、高く。

 

そのような価格調整が、システムによって自動で行われ、

(市場)経済のエッセンスが再現されています。

 

モノ・コトの激しい価格変動を体感することは、

(株などについては)一般の人でも可能になっていますから、

政治に比べれば経験可能な領域です。

 

しかし、その変化のスピードと豊かなエフェクト

何よりも自分の人生の損得を賭けることなく

(少ない制約と自由のもとで)行為できる点は、

やはりゲームだからこそ得られる経験でしょう。

 

(ところで、価格がシステムによって不整合することなく

 調整されることは、まさにビデオゲームならではの長所と言えます。

 人力ではとうてい不可能な情報量を確実に取り扱い、

 ルールメーカーとして各人の可能な行動と選択肢を管理しますからね。

 しかし一方、序盤で引用した Civilization シリーズで対人プレイするとき、

 取引の際は、両者の合意のもとで人為的に「価格」が取り決められますが、

 ある意味ではこちらの在り方のほうが「経済」っぽいかもしれません。

 もちろんそれぞれ異なる面白さやリアリティを作り、補いあうことは、

 論を待ちません。)

 

 

ゲームはどのようなものまでシミュレーションできるのか

 

ここまで、ゲームがいかに現実を再現し、

通常得られないような豊かな実感をもたらすかということを、

幾つかの例を通して見てきました。

 

それでは、ゲームはいったいどれほどまでさまざまな要素を

豊かに描き出す(かつ、面白くする)ことができるでしょうか。

 

社会と同レベルに、「退き」のスコープになっている現象は、

政治や経済の他に、

例えば道徳、科学、生態系、交通、法、企業、家族、・・・

などが考え得ます。

 

他にも、考えうるありとあらゆる作用や行為、概念を、

取り扱うことができるでしょうか。

 

道徳。

道徳がゲームになるかどうか自体が明らかではないので、

「ゲームがいかに道徳を表現するか」というよりはむしろ、

「道徳はどのようにゲームになり得るか」のほうが、興味がわきます。

 

個人的に、(ジャストヒットではないが)

ある道徳に程度近いと思うのは、

勢力が競い合う

(かつ、どれを主人公にするか選べる)タイプのゲームです。

 

freegame-mugen.jp

 

フリーゲームでありながら、

さまざまなゲームの系譜を受け継ぎ、

クオリティもかなり良い「むなしい努力」。

 

ゲームの中心はあくまで戦略・戦術であり、

道徳自体がテーマではありません。

 

しかし、

矛盾をはらんだ正義を抱えて進んでいく、多数の勢力からは、

色濃く描かれた道徳の在り方が感じられます。

 

実際このゲームのそうした厚いプロットは、

かなりの高評価を受けています。

 

私自身は、まだ全勢力の半分も攻略できていませんが・・・

個人的にグッと来たのは、

 

個々の勢力が、正義の仮面の下に隠した、

矛盾や偽善、行き過ぎた自尊心などが、

非常に気持ちの悪い化身として(終盤に)具現化する点です。

 

 

続いて。

「生態系」もまた

ゲームとしてあり得るでしょう。

 

下記の「Block'hood」は、これも直接生態系をテーマにしたものではなく、

おもな焦点は「タテに積むこと」です。

store.steampowered.com

 

しかし一方、ほとんどすべての人工物や自然が

「入力」と「出力」を持っており、

そのゲーム設計がおのずと(広い意味での)「生態系」を

作り出しています。

 

(『意味論的転回』の「人工物のエコロジー」という考え方を借りています。)

 

作品のテーマの1つに「共生」があり、

そういう意味でも生態系とは密接な関係にあります。

 

 

 まとめ

 

長くなってきたので今回このへんにしましょう。

 

ゲームによって社会・文明が、

何らかの形で(本来経験できないリアリティを伴って)

描かれることを見てきました。

 

これは、なかなか直感がわかないような学問分野を

新しく学び始める際などにも、

培った直感が有利に働くのではないかと考えています。

 

また、いかに大きなスケールを描くものであっても、

それだけですべてを描きつくすということはあり得ず

(スケールが「退き」になれば、細部は描かれにくくなります)、

 

別のスケールからの理解(≒同スケールの別の側面からの理解)を

貼り合わせることによって、

全体としての理解がなされることになるでしょう

(この辺りも自己組織化や分散型などの話題に派生できそうです) 。

 

 

また、ゲームに限って話して来ましたが、

ゲーム以外の趣味も

ある種の「シミュレーション」かもしれず、

これを通じた現実の理解ができると思います。

 

例えば旅行であれば、

現地のマナー(制度)や、

歴史的な建物内における振る舞い(歴史)を

疑似的にシミュレーションできるでしょう。

 

あるいは、スポーツは、

儀式としての側面を持つものもあるといいますから、

これもまた儀式を疑似的にシミュレーションしていると見なせそうです。

 

一般に、視聴覚・体感をもたらす趣味。

 

これらにより、

本来直感できないような抽象的な / 日常から離れた理念を、

間接的に(しかしながら近道で)

会得できるのではないでしょうか。

 

まだそのほんの一部について考えただけであり、

範囲、量、質、どれをとっても

より進めていくことが今後の課題となるでしょう。

 

ここまでありがとうございました。

 

 

参考文献

ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ(下)』山本貴光訳, 2013,  SB クリエイティブ

今村仁司『交易する人間(ホモ・コムニカンス)』2000,  講談社選書メチエ

クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』 小林昭世ほか訳, 2009, エスアイビー・アクセス

プレイ日記 Transport Fever 後編

田舎から都市に向かうにつれ、

始発が加わり、1時間あたりの本数が増え、

さまざまな路線が合流し、

他の線からの乗り換えで乗客も増え続けていき、

場所によっては複々線になり、

高い頻度で隣の線と並走したりすれ違ったりし、

駅のたびに高層マンションが現れるのが都心への接近を物語り・・・。

 

こうした景色の中を抜けていく快速電車は、魅力が尽きません。

 

そうした光景を(仮想現実といえど)生み出したい思いが、

このゲームを始めた理由の1つ。

 

快速の快速たるさまを追求したく、

みんなの憧れ(と勝手に思っている)関西の新快速のような、

政令指定都市間を貫いて100km 以上も続く方向別複々線(↑↑↓↓の感じ)を

どうしても生み出してみたくなるわけです。

(どうやら、全国2位の区間の、5倍以上の長さのようですね)

 

これについてはまた別途考察したいと思います。

 

立ちはだかる立体交差化

 

さて、ゆくゆくは複々線化するような

メインの路線はほぼ出来ました。

ここで、

まずは立体交差化が壁になります。

 

最終的には3分毎以上は走らせたいので、

ひとまずここはクリアしないといけない(気がする)。

 

 

まずは北東部の大きな拠点の2つ。
マップ全体でみれば北東部に発展した都市が多いので、
ここらへんを重点的に整備します。

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1939年での館山駅前の様子。

(マップ上の位置はあとでまとめて。)

青い線はまだ複々線化しません。

 

オレンジの線は徐々に複々線化を進めていますが、

各駅停車はここで終点にする予定です。

 

この館山から、北東にある朝霞にかけて

ほぼ市街地がなくなるためです。

 

合わせてその朝霞も立体交差に。

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バスで結べる至近距離の都市が多かったため
さいしょはここを最大の都市にするべく目指していました。

マップの隅のため通勤圏の範囲はそう広くなく

あとで示すように柏が最大都市になっていきます。

 

しかし、思わぬところが育っていき、

それに応じて最初の想定とは違ったリアクションをとる形になるのは

大きなやりがいを感じます。

 

 

支線とマップ全体の計画

 

1950~1960年あたりで支線を設計。

代表的な都市では、その東西をはさむように縦貫路線を用意します。

 

この機会に路線図を作成。

パワポでの作成に限界が来たので

ベクトル画像の編集ソフトで。

 

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たーのしー!

朝霞、館山、渋谷、柏(オレンジと緑)に囲まれたエリアは
さいしょの都市数が多かったため
都心っぽい感じに育てていっています。

 

ただ、渋谷-柏間と朝霞-館山間に挟まれた都市が少なく、

多少アンバランスなところもあり。

これには目をつむらねば。

 

しいて言えば上尾→柏が、当初の理想に近い(だんだん都心になっていく)

区間と言えます。

次点で飯能→館山。

 

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1974年の柏の様子です。

北側に位置する千葉、神崎を、それぞれ挟み込むようなかたちで

青緑の支線を追加。

(支線同士の乗り換えもなるべく最適化し、

 柏を中心に、小さなカウエル原型のようにしています)

 

人口も大分増えました。(最初は都市ごとに300~500人ほどだったのに)

 

バスを使わずに駅に行ける住民を増やし、

必要な乗り換え数をカットすることで、

電車同士の乗り換えを促進します。

(渋滞対策にもなるはずです)

 

速さと高さへの憧れ

 

柏駅前はもっとも地価が高くなり、

高層化も進んできました。

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RGBの内訳はというと、

残念ながらさいしょ駅前に何があったかに依存するようで、

都心の駅前は主にオフィスが建つ、という現実の一側面は

再現できなさそうです。

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ただ土地代の高まり方はかなりリアルです。

 

快速の停車駅で、

柏から近づくにつれ、

土地代・ビルの階数が徐々に高くなっていきます。

 

住宅・商業のいずれであっても高層化されるので、

車窓の移り変わりは現実に近しい美麗さになってきました。

 

しいて言えば、都市と都市の間がまだ離れていて

間に何もないのがアレ・・・。

 

ところで、

拡大した時だけ住民一人ひとりの動きが詳細に追える、という仕組みは

ふだんは粒子のかたまりを大きな1つの粒子とみなして粗視化し、

計算量を節約しつつ(時間の進行を遅れないようにしつつ)も、

必要に応じて詳細を再現する、という

かなり高度な多粒子シミュレーションが行われているのでは?という気がします。

 

(本当のところはわかりませんが、)

テンション上がりますね。

 

 

住民の行動のリアルさ

なお、住民がちゃんと必要に応じて乗り換えることも

目視確認できました。

 

下図の左端に見えるピクトグラムは、

まだ駅前に住民がおらずバスも走っていない石神井公園駅

待機客です。

 

これは青い線と黄色い線の相互乗り換えがあることを示しています。

 

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この158721 という乗客は、

このあと青い線で移動し、石神井公園で黄色い線に乗り換えて右上方向に行きます。

 

この時点では、

全体的に電車同士の乗り換えをしない客のほうが多いですが、

電車の頻度を高めるにつれ、

シナジーが起こるかのように乗り換え客が増えていきます。

楽しいです。

 

駅構内を歩く時間もリアルに再現されているので、

この距離を短くしたり、

大岡山みたく同じホームで乗り換えらえるようにしたりすることにも

有意義さがあるかも・・・?

 

利便性に応じて乗客が増していくのがまたリアルです。

不便なままだと自家用車に客を奪われていく点も良いですね。

これは前述の、鉄道事業戦略と共通するような楽しさの1つですね。

 

 

飽くなき開発の果てに

 

このブログの時点でもまだ複々線化せずに残っている課題もあって、

肝心の柏近辺で、

複々線化できてないところがあります。

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1985年時点です。

東側の立体交差は何回かに分けて整備しましたが、

(線形がわるいと最高速度が下がるため、

 複雑な立体交差は手を焼きます・・・。)

北西にのびる青い線は一部、ふつうの複線のまま。

 

(この青い線、もっとも乗客の多い主力路線ではありますが・・。)

新しい電車の登場に合わせて整理する予定にしています。

 

(すでにこの時代、300km/h の電車も登場していますが、

 最速でもせめて200km/h くらいのほうが、っぽい気もするし、

 快速向けに丁度いい具合のを待っているところです。)

 

他についてはしばらく新線を作る必要もなさそうで、

頻度を少しずつ高めつつ、

乗り換えが相乗効果で高まるのを

まったり楽しんでいけそうです。

 

もし作るとするなら、柏を通る青緑の線が混んできていて、

ふつうの複線だと頭打ちになりそうか。

(途中に千葉、匝瑳など大きな都市が多く、

 需要が高そうです)

 

あと上尾~石神井公園複々線化も検討中で、

線路はすでに建設済みの状態で、

石神井公園から館山を通すか、

南東へ流すか

(横浜で各停相当が横須賀線から京浜東北にバトンタッチするみたいな)

で迷うところです。

 

 

 

 

あとは住民数の高まりが少し懸念されます。

steam の掲示板っぽいところでは、

人が増えすぎた場合のリスクが語られているように見えます。

 

 

まあ、行けるところまでじっくり煮込んでみましょう。

 

 

さて今後

 

特定ゲームにしばらく焦点を当ててきたので、

また改めて、いろいろなゲームやそれ以外のものも跨ぎ、

横断的に考えていきたく思います。

 

(プレイ日記は初めて書いたのですが、不慣れなこともあってか

 今回あわせて 10人h くらい使ったし、

 結構力をかける必要がありますね。)

 

ゲームは社会をどのようにシミュレーションするのか。

 

ゲームと、シミュレーション研究や機械学習に通底する面白さはあるのか。

あるとしたらどのような面か。

 

そうしたところにまだ初学というのもあるので、

文献をこなしつつ、

ぼちぼちやっていこうと思います。

(そもそも、需要があるのかはよく分からないですが)

 

ここまでありがとうございました。

また来月かどこかでお会いしましょう。

プレイ日記 Transport Fever 前編

 うーむ、3月のブログを落としてしまい、

「約」月次のブログとなりました。

 

気を取り直していきたいと思います。

 

今回は、新しく買った Transport Fever というゲームが面白かったので

ほぼこちらの紹介です。

 

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内容は

・Simutrans などと比べて良かった所

 (なぜ買ったのか、なぜ面白いのか)

 

・実際に遊んでみている感じ

 

・苦戦したところのTIPS

 (前面展望の出し方、立体交差の仕方、他におやっと思ったところ)

 

 

良かった所

 

個人的に 「Simutrans」 という鉄道経営ゲームは

過去最もハマったゲームで、

無料という点もあってとてもオススメです

(が、深入りすると長くなるため、詳細なところは今後の考察にします)。

 

このゲームをまず振り返りつつ、

もう1つ楽しんだゲーム「鉄道事業戦略」とも見比べて

Transport Fever の面白さを見ていきます。

 

 

Simutrans、良い

 

(個人的に思う)面白さは

 

1. 乗客が、目的地を目指して乗り換えをする。(重要!)

 

2. 軽量なので、街を大きくして駅を増やしやすい。

 

3. (便利さによらず)必要なら必ず乗り換えるため、

 大きな駅が増えるごとに、シナジーが起こってくる。

 

4. マップを車両が走り、

 それに応じてリアルタイムに乗降が起きる。

 

5. いろいろな方が無料のDLC(アドオン)を公開していて、

 車両選びや駅作りの自由度がめちゃめちゃに高い

 

ほかにも沢山ありますが、

大きなところだと、このあたりになると思います。

 

この後紹介する鉄道事業戦略と比べ、

Simutrans ならではの部分は青色で書いています。

 

鉄道事業戦略、良い

 

さて、Simutrans は個人的に、史上最高のゲームだと感じていますが

1つのゲームだけで世界のすべての要素を

シミュレートできるわけではありませんから、

 

ほかにもこういう要素がやりたい、というのはやっぱりありますね。

 

特に、ほぼ必ず乗り換えが起こる、という点は(魅力の一つではありますが)、

「どこからどこへ行く時でも、乗り換え回数が最小になるような、

 乗客にやさしい交通網を心がけたい!」

というモチベーションとは相反します。

 

不便な路線図でも十分に乗り換えられちゃったら、

工夫する甲斐がありませんからね。

 

ロンドンの地下鉄みたく、

どこにいくにも乗り換え回数が少なくて済むような

洗練された交通網を考えたい。

 

そんな最適化の面白さってあると思います。

 

これを追求したく、探してたどり着いたものの1つが、鉄道事業戦略でした。

 

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個人的に楽しさを感じた点は、

 

1. 乗客が、目的地を目指して乗り換えをする。(重要!)

 

2. 軽量なので、街を大きくして駅を増やしやすい。

 

6. 便利かどうかを乗客が気にし、これによって乗客が増減する。

 

7. ターミナルでは商業が生じやすいなどの特徴から、

 住宅地と商業地が分かれ、「通勤」のギミックが生まれる。

 

8. 建物も運営できる。

 

鉄道事業戦略ならではの点は赤色にしました。

このように新たな面白さがいろいろにあり、

別種のゲームとしての楽しみを

いろいろと見いだせます。

 

改めて振り返ると、

経営ゲームとしての側面がより強い感じですね。

 

高難度になるほど、

遠くの郊外にエグくベッドタウンを用意するなどの工夫がいるようで、

現実に即して戦略を練るような楽しみ方も。

 

(Simurtans で配線図を考える時もそうですが、

 現実についての知見がゲームに応用できるというのは

 ゲームの複雑さと進化とを感じられて興奮しますね・・・)

 

そういう意味で、都市圏の発展の歴史も垣間見れますね。

シナリオも、現実の創始者のミッションに近いものになっています。 

 

 

Transport Fever 、良い

 

さて、そうしたゲームを遊びつつも、

これらを兼ね備えたゲームがもしあれば・・・

という思いが残り。

 

リアルタイム乗降と乗り換えがある中で、

超便利な乗り換え構造を作って乗客を満足させたい。

 

さいきょうの交通網をかんがえたい。

 

時間は経つこと2016年末。

 

PC ゲーム販売プラットフォーム である Steam をうろうろしていたところ、

たどり着いたのが、

これでありました。

 

 

1. 乗客が、目的地を目指して乗り換えをする。(重要!)

 

4. マップを車両が走り、

 それに応じてリアルタイムに乗降が起きる。

 

6. 便利かどうかを乗客が気にし、これによって乗客が増減する。

 

9. 3D のリアルな描画と全面展望

 (あまり注目してなかったですが、思いのほか楽しい・・・!)

 

10. 道路の渋滞に対策する遊びもできる

 

・・・と、期待していた部分通りの点に加え、

さらに思わぬ美点(紫色にしました)もいくつかある。

 

これは買うしかないでしょう。

 

もっとも、発売から半年と、若めのゲームのため

(2017/04時点では、ぱっと見、全体マップがないなど)不便な点もややありますが、

 

それなりの頻度でアップデートされてってますし、

自分は上のメリットのほうが大分おおきいな、という感じでした。

 

 

うーむ。

 

記事が終わらないですね。

 

 

最後に、開始直後の配線計画と、

TIPSだけ書きまして、

今回はここまでにいたします。

 

さいしょの配線設計

 

マップ全体にまんべんなく街があるため、

複々線にするような長距離の線で広くカバーしつつ、

 

これらは互いにすべて交わるようにします。

 

平行の路線を、郊外でひねって重ねる、

カウエル原型を基盤にしましょう。

 

(新谷洋二編 (1993) 『都市交通計画』技報堂出版 および

系統編成を考慮した 交通網の路線配置についての研究, http://www.risk.tsukuba.ac.jp/~ussrl/public_html/dissertations/Ghabe.pdf 2017/04/06 アクセス)

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さて、いざ敷こうとしてみると

 

マップ北西部にタテに山があったり、

マップ最南東に意外と街が密集してたりと

いろいろ課題があったので、

 

最終的にこのような計画になりました。

色もちょっと変えました。

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1850 年にスタート、1865年ごろから徐々に線路を敷いていき、

 

1912年でおおむね上記が完成しました。

南西部の3つの交点の様子です。

(この時はまだ、赤い線は図の左の小鹿野で上下に分かれています)

 

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経路をマップ上に、しかも色付きで表示できる点も

かなりいいですね。

 

 

地名は下記スレのを使わせていただいています。

Train Fever/Transport Fever 総合スレ【3路線目】 [無断転載禁止]©2ch.net

 

 

TIPS

 

▼前面展望はどうやって?

 

英語でなんていうかよく分からず、

まず調べ方を調べるところから始まりました。

cockpit camara っていうんですね。

https://steamcommunity.com/app/446800/discussions/0/282992646984726130/

 

列車ウインドウの左下のほうにカーソルを持っていくと、

カメラボタンが出現し・・・

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うわっ、これは良い!

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対向車とすれ違いつつ、

田舎から都市へ風景が様変わりしていくのを

高速で抜けていくのはたまりませんね。

 

 

立体交差の仕方

 

勾配みたくなってるボタンを押したら、

上下ボタンが現れました。

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これで片方ないし両方を最大勾配にしていくと、

それぞれ途中でトンネルや高架になります。

 

高架はよくも悪くもリアルで、

橋げたにあたると、下の線路を敷けなかったり。

 

 

▼さいしょは乗客が増えにくい?

 

乗降客が便利さを気にする分、

序盤はこれが足かせにもなったりします。

 

駅を都市から少し離して作り、

バスで都市⇔駅を結ぶと、

(バスの移動時間+バスの運行間隔+鉄道の移動時間+鉄道の運行間隔 ≒ 所要時間?
 みたくなっているためか)

ほとんど乗客が出ない場合も。

 

最序盤は、歩いて住・商・工に行ける所に駅を作るのが

良かったっぽいです。

 

▼ほか、日本語で操作法を見つけるのには

 

前作 Train Fever について調べると

出てくる場合が多そうですね。

 

TrainFever Wiki*

 

 

自分が線を敷くことで都市が思わぬ発展を見せ、

都市の思わぬ発展を受けて自分もまた最初の計画と違った路線を用意する、

 

そんな相互作用と共進化が

これからますます楽しみです。

 

一人で遊んでいるのにもかかわらず、

意図しなかった秩序が作り上げられていくっていうのは

良いですね。

 

街づくりゲームとは絵筆である、

とも言えましょうか。

 

ここまでありがとうございました。

後編に続きます。

掃除を考える(後編) 掃除はゲームに入りますか

前回の振り返り 掃除との関わりは自然との関わり

 

洗濯や掃除など、

選択肢の選び方を突き詰めていくのが難しく、

言うなれば「俺TSUEEE」がしにくいルーチン。

 

そうしたものをどのように、

趣味や仕事を含む自分の時間の中に回収していくか、考えてきました。

 

さて前回までのところでは、掃除を中心に、

日常生活を自然に繋げるインターフェイスとして捉えてきました。

 

下記のような防衛&攻城ゲームでは、

序盤は大抵、

城下の村を育てていのではないかと思います。

 

そこでは、自然の一部である山から、木々や石を切り出し、

人間にとって有用な施設へ加工していくさまが、

ありありとビジュアル化されます。

 

http://www.4gamer.net/games/283/G028331/20150114092/TN/028.jpg

「ストロングホールド クルセイダー2 日本語版」をレビュー。最強の城を築いたり,難攻不落の城を攻め落としたり,攻城戦を堪能しよう - 4Gamer.net

 

 

労働と自然 

 

『交易する人間 贈与と交換の人間学』(今村 仁司, 2000)によれば、

もともと労働というもの全体が、

自然を解釈し、自然と相互作用するものであったといいます。

 

現在でも、

自然から、誰かの手によって木材や石材が運ばれているおかげで

住居がある点においては変わっていないわけで。

 

そうした住居との関わりである掃除もまた、

人間と自然との相互行為を

思い起こさせてくれるのではないでしょうか。

 

洗濯も、

衣類の更新という一日のリセットが、

川からの水や太陽からの熱によって行われるという意味では、

近い効果がありそうです。

 

さて、以下2つもまた面白い話題になりそうですが、

一旦また今度にしましょう。

 

・歴史を実演するものをはじめ幾つかのゲームが

 人間と自然との関わりについて、リアルな直感をもたらす?

 

・周波数解析できないような、不定期に近い「繰り返し」を実装するには、

 きっかけ(トリガー)を皮切りにした一連のフローを、

 圧縮して記憶しておくことが必要?

 

 

掃除はゲームたり得るか( ≒ 掃除のつまらなさの原因とは?)

 

結論から行くと、

ハードルは高いけど、少しだけなら近づける・・・?という感じです。

 

必要条件でも十分条件でもないかもしれませんが、

「面白」くあるための重要な方法の1つとして、

「ゲーム」にするという方法が考えられます。

 

掃除を少しでも楽しむために、

以下は、掃除などとゲームとの違いを探し、

掃除をゲームに近づけていくことを考えていきます。

 

ここでは、2005 年まででのゲームの定義を6つに整理した、

下記の文献に沿って、

掃除とゲームの相違点を

なぞっていきましょう。

 

 『ハーフリアル  虚実のあいだのビデオゲーム』(Jesper Juul 2005, 松永 伸司 訳 2016)によればゲームとは、

やや言葉の定義が専門的なのですが、私なりに解釈すると、

 

1. ルールを持つ。

2. 結果が明確で、かつ結果を変えられる。

3. それぞれの結果に、良い・悪いなどの意味が与えられている。

4. 努力が影響を及ぼす。

5. 人が結果をまじめに受け止める。

6. 現実に与える影響を、自由に着け外しできる。

 

これがゲームの定義、というか特徴であるようです。

 

6. は最初ぴんと来にくかったのですが、

例えば戦争やギャンブルは、生死やお金への影響を自由に取り外せないので、

これらはゲームではないということになります。

 

さて、掃除の場合もやはり、6. ではゲームに反してしまいますね。

 

しかも、掃除はギャンブルのような「準ゲーム」とでも言うものよりさらに悪く、

2~4. あたりも怪しくなってきます。

どうにかこれを改善できないでしょうか。

 

まず 「2. 結果が明確で、かつ変えられる(訳文ママ:可変かつ数量化可能な結果)」
あたりから攻めましょう。

3~4. もこれを受ける形にもなりますし。

 

つまらなさへの対策:掃除の結果を、努力次第で変わるものにする

 

掃除で一番数量化しやすいのは、

やはり速度ではないでしょうか。

(丁寧さもありますが、ここには主観が入りそうです)

 

干されるオブジェクトあたりの所要時間をストップウォッチで測定し、

「何秒以下だったら失敗」と定義してみることにします。

 

これで、結果は定量化可能で可変で(2.)良し悪しがあり(3.)、

しかも努力が効果を持ちます(4.)。

 

一気に、2~4. の壁が解決されるところまで来ました。

 

あるいは、この『ハーフリアル』によれば、

ゲームはルールとフィクションがお互いに補助し合って作られているとのことで、

(上で挙げたルールの側面だけでなく)

フィクションを用いてみるのも面白いかもしれません。

 

ちょっとゴッコ過ぎますが、

ゾンビから身を守るための防護服を定期的にメンテしてる、とかですかね。

 

より良質なゲームであるために

上のように考えていくことで、

6. の現実への影響(訳文ママ:取り決め可能な帰結)を除いては、

準ゲームという所まで来たと思います。

 

しかしながら、まだ、タイムアタックという、

ゲームとしては単純なものにとどまっている気がします。

 

やはり同じ本に記載されている、シド・マイヤー氏の至言

「ゲームとは興味を引く一連の選択肢である」からは

遠いように思います。

 

つまり、面白いゲームなら、

ゲームが今どこまで進んでたとしても、

悩むべき複数の選択肢があるべき、というわけです。

 

次にどの手を選んだらいいかは常に決まっていて、

いかに上手にやるかだけの問題になってしまうとなると、

ゲームとしては物足りないかもしれません。

 

高々比例程度では飽き足らない

以下は、文献からでなく、自分が考えるゲームの魅力の1つですが。

 

「時間が進むと、成果の総量や、行えることの種類が、雪だるま式に増える」

というのがあると思います。

 

いままでの取り組みの連鎖、あるいは組み合わせの妙と言いましょうか。

RPG なら、覚えることができた2つの技が相乗効果を起こし、

足し算以上の効果を発揮する、ということがあり得るわけです。

 

あるいはRPG、数値だけで見ても、

レベルに対する戦闘力が、

比例どころか2乗以上の速さで右肩上がりしてると思います。

 

HP だけが2倍になっても、攻撃力だけが2倍になっても、

いずれの場合も(かなり粗く見積もれば)2倍程度の強さになるわけですよね。

 

レベルが2倍になった時に両方とも2倍になるのであれば、

4倍程度に(2乗の勢いで)成長してると言えるのではないでしょうか。

さらにこれに、防御力や素早さなども伴ってくるわけで。

 

いっぽうシムシティ等の街づくりゲームは、

現在の都市規模 ∝ 収入 ∝ 成長速度というかたちで比例することが多いので、

ネズミ算式の、(2乗よりはるかに速い)猛烈な勢いで都市が大きくなります。

 

 

ゲームにもプログラミングにも共通する面白さ?

 

これは、システム系の仕事でも言えると思います。

(最も、理想的な場合を考えればですが・・。)

 

一定のペースで自動化の仕組みを増やしていけば、

それぞれ「つづきをヨロシク」できるわけで、

下の左の図のように、単位時間当たりの生産量が増していくわけです。

 

時間当たりの生産量(効率とでも言いましょうか)が

時間に比例して増えていくなら、

これまでの生産の総量は、時間のおおよそ2乗に比例するわけですね。

f:id:a16777216:20170226152600p:plain

 

それでもゲームをあきらめたくない

 

さて、時間当たりの生産をだんだん増やしていく、

つまり総生産量を2乗や雪だるま式に増やしていくことは無理かもしれません。

 

でも、常に悩ましい選択肢があるような状態のほうは、

作れるように思います。

 

それは、例えば料理とかと「ながらでやる」ことです。

 

料理とかは、ずっと手が離せない時間が続いたと思いきや、

突如、しばらく放置する時間が挟まったりしますね。

 

この隙間に、いかに掃除を効率よく挟むか、を考えると

ちょっとゲームっぽくならないでしょうか。

 

これは掃除と比べると料理特有なのかもしれませんが、

どの時間までに何を達成しないといけないかが

パズル的に組み合わさっていて、その楽しさを導入することができます。

 

あるいは、敢えて作業を締切ギリギリまで残しておき、

それを終わらせる傍ら、いかに掃除も処理するか?とかでも

良いかもしれません。

 

ネットへの接続や、保存・画面更新が遅いときのラグを活かして、

1日全体の効率化を極限まで図ってみる。

 

選択肢をアイテムに頼る

ゲームで多様な選択肢があるのは、

多彩なアイテム、登場人物、スキルや施設などのおかげですよね。

 

そこで掃除・洗濯においても、

アイテムに頼ってみましょう。

 

薬屋や百均で、掃除がラクになりそうな小道具を買ってみたり、

小さいタオルが何枚も掛けられる、旅館とかにあるアレを買ってみたり。

 

掃除や洗濯の最中のコマンドが解禁されて

選択肢が増えるだけでなく、

買い物で、いくらで何を見つけるかというメタゲームとしての充実も

加わりそうです。

 

 

今回のまとめ。

 

と、まあどうしようも無いところはあるにせよ、

掃除や洗濯の単純作業に(自然との関わりを思い出すといった)意味を見いだしつつ、

ゲームとして楽しむことも、少しだけならできる。

 

という具合になりました。

 

次は、ゲームすることについて

より掘り下げてみたいと

何となく考えています。

 

特に鉄道ゲームは、個人的にフラクタル的な情緒を感じていて、

少し詳しく見ていきたいなと。

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上記は Transport Fever というゲームで、

Simurrans という既存ゲームと比べて、弱点もなくはないですが

乗客が割と利便性を求めてたりするところが斬新で。

 

そして機関車が実際に走り始めるさまが感無量・・!
(配線が気に入らず、このあと滅茶苦茶線路引き直しましたw)

 

それでは、ここまでありがとうございました。 

 

掃除を考える 都会の部屋は自然の一部じゃないと思った?

生活という時間の位置づけ

 

どんなことからも学びがある。

 

そう考えるようになってから、

(気のせいか)趣味と仕事がお互いに役立ちあい、

役立ちあっているように感じてきました。

 

2つにリソースをさいて、なるべく多くの学びを得ようと思うとき、
避けては通れない第三の時間、生活を維持するための時間を思い出しました。

最低限必要な、掃除、洗濯、炊事や皿洗い。


避けることができないなら、
そこに学びはあるのか、それをよりよく行なうことはできるのか、
せめて楽しむことくらいはできるのか。

今回は主に掃除について、以下の3つに沿って考えていきます。

 ・掃除とは何か。どのように位置づけられるか。
 ・掃除や散らかすときのコストや効果は。どうするのが理想なのか。
 ・どうすれば掃除は楽しいのか。(これは後半に回します)



掃除とは何か?

そうしたことを学べる本はあるだろうか

 

こうした生活の出来事を掘り下げて考えたいと思ってから、
始めに調べたのは料理です。

そうすると、『食を料理する 哲学的考察』(松本澄夫, 2003)という
大変面白い考察があるのに気づきます。

一方、片付けについては、書籍ではありませんが、
『片づけるとは?を哲学する「片づけなくてもいい!」技術』という記事がありました。(http://garagekidztweetz.hatenablog.com/entry/20110920/1316521832, 2017/01/29 アクセス)
こちらも大変面白く、参考にしていきます。


掃除をするとき、部屋は身体の延長ではないか

たとえば上の『食を料理する』では、動物との共通点や違い、
人間・社会が自然とどうかかわるかが強調されます。

これをもとに考えると、掃除の場合はどうでしょうか。

掃除という、エントロピーを下げる(少なくとも維持する)と言われている行動。

これは生命維持活動に似ているように思います。

生命は摂取したエネルギーを用いて、

自らの体のエントロピーが増えてしまわないよう(つまり機能停止しないよう)、

制御しています。

 

掃除や片付けも、

摂取したエネルギーをエントロピーを抑える(機能停止を防ぐ)ために
用いている点では同じと言えるでしょう。


自分自身を維持するために自分の管理下に置くものが、

自分だけではなくなる。

 

部屋や家という空間、部屋にあるさまざまな物体、

さらには情報やデータまでに広がると思うと

なかなか刺激的なように感じます。

 

身体と環境の共進化

また、似た話かもしれませんが、このように考えても

個人的には面白いです。

 

上で引用したブログの考え方を借りて、

部屋と言うのは1つの系、システムであって、

部屋への流入・流出が釣り合っているのが現在の(そして恒常的な)状態、

という風に考えていってみましょう。

 

そうすると、自分自身も、部屋というシステムと相互作用する構図になります。

 

自分が環境に影響を与え、

環境がまた自分自身に影響する。

 

生命や生態系は、こうした環境とのやりとりの中で、

かなりの複雑さを獲得してきたと言えると思いますが、

その縮図のように感じられてきます。

 

少し大げさに言うと、環境との共進化と言えるでしょうか。

都市の複雑さも似た感じがしますね。

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画像 は simurtans という鉄道経営ゲームで、線路を敷くことが都市の成長に影響し、都市の成長が自分の次の行動に影響する、という点では、共進化の面白さを体感できるゲームと言えるでしょうか。 http://www.simutrans.com/en/

 

もちろん部屋は、生態系や都市と比べてかなり小規模であり、

そのぶん関わりを実感できる面白さはある程度減ってしまいます。

 

が、自然や都市の末端、微細構造の一つとしてとらえることで

やる気を高めることもできるかもしれません。

 

掃除や、散らかすことの効果とは

これは持論を突き詰めていくと、

結局、うまく散らかすためには?

というところに行きついてしまうのですが・・・笑

 

まずは以下から行きます。

掃除のコストを計算する

 

掃除をさまたげる原因の1つとして、掃除のコストがありますね。

 

一方、掃除の頻度が少なすぎるときにコストの合計量が増えると分かれば

(月1の掃除の方が週1の掃除より、1回あたり8倍大変、とか)

掃除のモチベーションが高まるかもしれません。

 

ここはモノの片付けをかなり大雑把に、

「片付けコスト = モノを、仕舞うべき場所ごとに集めるコスト」

としましょう。

◆▼ → ◆◆ 〇〇 ▼▼

そうすると、片付けは並び替え問題である、というわけです。

 

並び替えのコストは最小の場合、(散らかっているモノの数を N コとすると)

 N log N

に比例するわけですね。

 

モノの数に比例するよりも少し大きいので、

これだけ考えると、

頻繁に片付けすればするほどよい、ということになります。

 

でも、例えば1分に一回片付ける、となると、どう考えても非効率。

 

片付け1回あたりに固定コストがかかると思うのが妥当でしょうか。

 

そうすると、いずれにせよ、頻度無限大と無限小の間のどこかに

最良の頻度があるらしいことが分かってきます。

 

幸い、あまり間をあけすぎない方がお得、と分かってきますね。

 

と、これを考えていて気付いたのですが、

 

どうせ散らかすならば、

同じ場所にしまうべきものごとに並ぶように散らかせば

片付けの頻度を減らしても大変にならない、と笑!


とはいえ散らかし過ぎるとやはり弊害があるもので、(下記でもう少し考えます)

とりあえず上記は、片付けを楽にするための手法として

捉えいたいと思います。

 

散らかすメリットを考える

 

いっぽう、散らかすメリットがあるからこそ片付けが阻まれるわけです。

そこにモノが出ていて、すぐ使える状態であるということは、

思考を助けさえもします。

 

モノという形で手が届くところに置けば、

頭の中にメモを残しておかなくても

それを見て思い出しつつ作業ができるわけですね。

 

頭のなかで一時的に保持できるのは7つ前後と言われますから、

これは重要です。

理論上、何十個、何百個という情報を、(頭の限界を超えて)

管理できることになりますね。

 

上の話ともつながりますが、

この見方でも、部屋が身体の延長に見えてきます。

 

ただ、何百個とモノが展開されていると、

その時々で必要なものが瞬時には見つからない。

 

でたらめに散らかっていたら、毎回 N に比例して

(検索に)労力がかかるでしょう。

きれいに並べて散らかしていれば? log N くらいには抑えられますが。

 

同時に目に留まるものの数が N 倍になっても、

(使用頻度の低いものがある限り)N 倍の便利さにはなりませんから、

やはりどこかで片付けるべきかも、

と言う形になりそうです。

 

ここから得られるヒントとしては、

・散らかすときはなるべく用途や片付け先ごとに固めておく

 (散らかす効能を高めて、片付けも楽になる!)

・使用頻度の低いものは片付ける

 

ということでしょうか。

 

まだ3つめのテーマ、掃除を楽しくする方法が残っていますが、

長くなりましたので次回にしたいと思います。

 

ゲーム研究の本などと比べながら、

掃除に(ゲームであるために)足りないものは何か、

どうすればそれが補われるか、を

考えています。

 

それではまた。

ここまで、ありがとうございました。

なぜブログを始めるのか

はじめました

 

前から始めたりやめたりしていますが、久々に再開します。

 

文にしてみたいことが段々出てきた、

まずこれが理由としては大きいです。

 

ただ他にもいくつか理由があるため、

この第一回では、それらを下にまとめていきたいと思います。

 

 

1.インプットだけでは飽き足らない

 

今までに割と不勉強な時期もありましたが、

最近本を読むのが楽しくなってきて、

色々なインプットをするようになりました。

 

そんな中、知られていることを吸収しようとするだけでは、

何となく物足りない。

一方通行になり、自分が社会の構成要素になっている実感が湧かないわけです。

 

それに、絵であったり音楽であったり、

(稚拙ながら)何かしら表現することをしたい、と思いいたりました。

 

それから、↑と関連しますが

 

2.学んだことを組み合わせて使いたい

 

書籍や論文としてのていを成すためには、

特定のテーマに沿って、それなりの量や再現性を持たなければならない。

 

ただ、それに至らないまでも、

さまざまな人が独自に、その人のなかで視点や思考法を組み合わせて、

日々何かしらの新しい理解を生み出しているのではないか、と。

 

これが登場する舞台の一つがブログではないか、と。

 

 

3.実践しなければ下手な状態にとどまり続ける

 

自分は文章能力は稚拙なほうで、

ブログなんて始めるレベルではないだろう、

という躊躇もありました。

 

でも、これを克服する一番の近道は、満を持して始めてみることだ、と。

 

メガネが無くてメガネを探せない、という状態から

脱却しなければいけないぞと感じたのでした。

 

 

4.後で材料になる

 

夢物語の1つではありますが、

遠い将来、何か執筆したり、どこかで講演したりといった

漠然とした野望があります。

 

そんなとき、アーカイブとして残っているものが多少でもあれば

きっと役に立つことでしょう。

 

今後の展望

 

このように、いまこそ文章を書こう、という動機が重なってきたこともあり、

ブログに踏み切ろうと思います。

 

だいたい1か月おきくらいの更新を目指してみようと。

 

テーマとしては、最近気になっているいくつかのことを考えています。

 

(仕事、生活、学問のなかの)ビデオゲームの位置づけ。

 

物理空間を片付けることと考えを整理すること等の間に、

どんな関係があるのか。

 

ある現象を説明するための専用の方法が、あくまでイメージとして、

別の現象にどのくらい使えるのか。

 

ふわっとしてきましたが、そのあたりを考えています。

 

それではまた、よろしくお願いします。