複素関数の中の小さなゲーム 開発日記

こんにちは。

 

いきなりですがごめんなさい、

SNS 等でもお知らせしましたが

以前の記事に誤りがあったため訂正しました。

 

 達成型(♦)、探索型(♠)、交際型(♥)、殺人型(♣)

について、

誤:サットン=スミスの分類

正:バートルの分類

 

------------------------------------------

 

さて。

冬は手が寒くて PC がはかどりませんね。

 

そうはいっても世の中には興味深いことが

尽きないので、

1つ1つ進めていきましょう。

 

今回は、以前こっそりと公開したゲーム、

"The Defense on Complex" について、

つまり複素関数をギミックにした

ゲームについて、

少しその背景を振り返ろうと思います。

ゲームのリンク(無料ホームページレンタルです):

http://kyotorisuu.toypark.in/contents/game/leaf/

 

数学から感じるミステリアスな魅力

最初に言っておくと、

私はどちらかというと物理の人で、

かつ、その中でも大学院ではそれほど、

地に足着いた知識を固められては

いませんでした。

 

なので数学と言ってもまだまだ

山のふもとの方にいる状態で、

語れることも限られています。

 

ですが、

その入山口から少しばかり進んだ所で、

早くも謎めいた魅力に

エンカウントしました。

 

(といっても高校時代の数学は辛く、

 そこに辿り着くだけでも

 小から数えて10年以上ではありました。)

 

さて、その道の先に何があるのか

まるで予想もつかないが、

しかし大いなる何かを記述できそうという

予感だけははっきりと感じる。

 

その「枠組み」というか、

気付かずにいた空間そのものの歪みを

明かしてしまうかのような所?

(今改めてそのワクワクを言葉にすると

 このような表現になるでしょうか。)

そこに、惹き込まれたのでしょう。

 

大丈夫、おぼえてる。名前は… 二葉のリーマン

 

さて、複素関数については

入門書くらいは分かるようになり、

量子力学のための特殊関数などを

習っていたときのことです。

 

どうも複素関数では、

その平面上を1周回ってきても

同じ場所に戻らない場合

あるんですってね。

 

積分路などの詳しい議論については

ここでは深く立ち入らないことにします。

 

が、ともあれ

原点の周りを一周回って

戻ってきたつもりでも、

裏面に行ってしまうという事態が

あるわけです。

 

とにかくこの複素関数というのが

2次元を2次元へ写像するわ、

直角から直角にすることが

不思議と重要視されるわ、

積分の定性的な意味もいまひとつ

つかみきれないわで・・・、

 

しかし、謎が多いからこそ

魅了される側面もあるでしょう。

 

積分や直角、2次元という、

あるていど既知の道具で

説明されるからこそ、

 

かえってその未知の組み合わせに

幻惑されるのかもしれませんね。

 

しかし!これだけの謎に

満ちているにもかかわらず、

幸い、2次元上に描けるのです。

(少なくとも、基本的な構造が。)

 

絵に出来るというだけで、

分かりやすさは全然違いますよね。

 

であればこの謎めいた性質を

少しでも描いて表現したい。

 

裏面に行ってしまうという事態も

含めて。

というのが初動でありました。

 

遊びの定義における固定と自由

さて今回も例によって

 『ルールズ・オブ・プレイ ㊦』より

引用していくと。

 

遊びとは、

固定した構造の中の自由な動き、

と広く定義されるという形です。

 

このうち、この複素関数には

・固定としての構造の良さ

・自由(抵抗を含む)の魅力

の、双方がありありと感じられます。

 

順を追って書いていきます。

 

前回書きましたように、

数学や数理科学は、

色々な設定値およびその影響が

定量的に設定でき、

ゲームの題材として適切と思われます。

a16777216.hatenablog.com

 

( 一方でデジタルゲームのほうは、

 人の頭の中では覚えきれない、

 あるいは同時に処理しきれない量の

 中間値などを保持できるため、

 数理科学を表現する媒体として

 適切と思われます。

 

固定されたルールを持っている点で、

ゲームの要請を

デフォルトで満たしていますね。

 

今回は、通常の直線だけのグリッドでは

表現しえない、歪んだ2次元を

描けるという点で、

数学によって従来の固定されたルールが

拡張され得ます。

 

 複素解析という数学の一分野が

固定されたルールを生成するのに

有効である、ということを確認しましたが、

一方、面白さへの貢献はどうでしょう。

 

これは例えばカイヨワの4分類では

「イリンクス(めまい)」に近いと

思われますが、

イリンクスの説明としては

身体感覚が主に強調されているため、

ここでは関連性の推測にとどめます。

 

ここで言いたかったのは、

方眼紙のように規則的な

正方格子では表現し得ない、

歪んだ操作感がもたらしうる魅力です。

 

しかし、ここまでの所だけであれば

単に操作が難しいだけのゲームに過ぎず、

「二葉のリーマン」が手続きとして持つ

特殊性も、ほぼ反映されていません。

 

そこで、多少安直ではありますが、

「裏面」に行ってしまった場合には

登場人物の性質が変わるように

してみます。

f:id:a16777216:20180203181003p:plain

パックマンをヒントにし、

条件を満たしたときのみ、

ここでは互いに裏面にいるときのみ、

敵勢力を撃破できる設定にしています。

 

ホントは複素積分の直感的な意味とか、

微分可能の何たるかとか、

やりたかったですが・・・、

今はまだ断念。

 

さて、これでゲームの骨格が整いました。

しかし、これでほんとに面白いでしょうか。

 

これがゲームであるために・・・

単に敵から逃げれば死なないのなら、

上図のように苦労して

敵勢力を撃破する必要があるでしょうか?

 

いつも引用しているイェスパー・ユールの

6分類を用いるまでもなく、

努力が結果にいい影響を及ぼすことで

面白くなるのは当然と言えましょう。

 

ここでどうせなら時流を生かし、

ゾンビ論の議論を反映してみましょう。

 

『メディア・コンテンツ論』の岡本健さんや、

『新世紀ゾンビ論』の藤田直哉さんの

議論を踏まえ、

ゾンビ映画のフォーマットを一般化して、

「攻め込まれている拠点を防衛する」

ととらえれば、

 

映画の他にもマンガ・ゲームに一貫し、

相当数の作品が該当する、

近年の流行りと言えるのでは

ないでしょうか。

 

これも安直な援用にはなりますが、

拠点に攻め入られたらアウト、

というルールを追加します。

 

これで、努力して敵を妥当しに行く

積極的な動機が出来ました。

 

かくして、曲がりなりにも、

数学的背景、文化的背景を参照しつつ、

ゲームとしても動機を持てるものに

なったのではないかと思います。

 

数学へのコミットメントとしても、

・2周しなければ戻ってこれない

・歪んでいても直角が直角のママであれば、

 元の空間に復元できる

という、ほんらい直感から遠い概念を、

体験のレベルにできたのではないかと。

 

2つ目のほうを補足すると、

 このゲームにおけるグリッドが

 ゆがみを持ちながらもそれぞれ

 直角に交わっているところに注目ください。

 ざっくり言えばこの性質のおかげで、

 上下左右キーで異なる場所に移動すれば、

 画面上でも対応するどこか別の場所へ

 移動することができ、かつ、

 画面上の位置に対応して、

 手元の上下左右で操作できる元の位置も1つに定まる。

 ということになっています。)

 

大学生の頃に感じたあの驚きも、

多少なりとも形にできたかなと。

 

今後の課題としては、

自分としても直感的な理解が難しく、

何とか表現したい積分値。

あるいは微分可能性

 

あるいは、集合・位相や体論など、

他の数学の基礎概念の体験化。

 

もちろん自分一人では

すべては着手できないため、僭越ながら

後続のクリエイターのかたが

現れるのに貢献できればと思います。

 

それではここまで、

ありがとうございました。

 

改めて、そのゲームのリンクです。

http://kyotorisuu.toypark.in/contents/game/leaf/

 

作り方は JavaScript と enchant.js ですね。

 

参考文献

物理のための数学入門 複素関数論

物理のための数学入門 複素関数論

 

出版社ページ: 

物理のための数学入門 複素関数論 / 有馬 朗人 神部 勉 著 | 共立出版

 

物理のための応用数学

物理のための応用数学

 

出版社ページ:  

<書籍紹介> 物理のための 応用数学(小野寺嘉孝 著)【物理学】

 

ルールズ・オブ・プレイ(下) ゲームデザインの基礎

ルールズ・オブ・プレイ(下) ゲームデザインの基礎

 

出版社ページ:

SBクリエイティブ:ルールズ・オブ・プレイ(下)

 

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

 

 出版社ページ:

half-real - New Games Order, LLC.

 

メディア・コンテンツ論 (シリーズ メディアの未来)

メディア・コンテンツ論 (シリーズ メディアの未来)

  • 作者: 岡本健,遠藤英樹,柿崎俊道,山田奨治,井手口彰典,岡井崇之,須川亜紀子,レーナ・エーロライネン,前田至剛,平侑子,増本貴士,鎗水孝太,山村高淑
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2016/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 出版社ページ: 

メディア・コンテンツ論 - 株式会社ナカニシヤ出版

 

新世紀ゾンビ論: ゾンビとは、あなたであり、わたしである (単行本)

新世紀ゾンビ論: ゾンビとは、あなたであり、わたしである (単行本)

 

 出版社ページ:

筑摩書房 新世紀ゾンビ論 ─ゾンビとは、あなたであり、わたしである / 藤田 直哉 著

 

 

 

 

ブログのタイトルと、アニメに隠れたメッセージへの敬意

速いもので、

およそ月一でゆるゆるやろうと思って

ブログを始めて以来、

かれこれ1年ちょっとが経ちました。

 

ところでこのタイトルですが、

ブログを始めるまえに

子1カ月ほど迷った甲斐あり、

今でもなかなか気に入ったものに

なっています。

 

それで今回は、

このタイトルについて

振り返ってみたいと思います。

 

アニメ、とりわけ少女にもらったエネルギー

私は実際かなり後発隊なのですが、

 スクフェスを人がやってるのを見たり、

アルバムを借りて聞いたりしているうちに

 ラブライブにハマり

(元祖2期も終わって改めて1期の再放送が

 なされていたころのことです)、

 

以来仕事にせよ趣味の活動にせよ、

「こんな風に自分も頑張らなければ」と

奮起させられてきました。

 

この想いを多少なりとも

形にできないものか。

 

このような経緯より、

ブログのタイトルは上記にちなみつつ、

さらに対立概念同士をうまく並べることで

整合性のとれたものを目指しました。

 

まずは

格言などによく見られるパターンとして、

x のように p し、 y のように q しなさい。

という型で考えることに。

 

まずは対立軸の片方に、

スクールアイドルを髣髴とさせる

「少女」を置きます。

 

そして、対立するものとして

「機械」を。

 

これはもちろん機械学習を示唆しており、

個人的な機械学習への関心を

この場で適宜書いていこうというフラグです。

 

スクールアイドルと学習の射程

 

さて、では、機械学習を通じて我々は

何を理解すべきでしょうか。

 

これを包括的に括ろうとするならば、

「時間」「空間」といった

2軸がまず考えられるでしょう。

 

ちょうどこのころ

ベルクソンの入門書を読んでおり、

その影響も受けてのことです。

 

そしてラブライブを暗に示唆しながら

これを表現するのにうってつけなのが、

「いま」「ここ」

というわけです。

 

togetter.com

 

この momorin さんの感想まとめが好きで

よく拝読しているのですが、

そのまとめによれば

 

「スクール」アイドルであること、

つまり学校に所属している前提であるがゆえに

有限の時間のなかで取り組む必要があり、

かつそれが貴重であることが

読み取られています。

 

togetter.com

 

だからこそ「いま」「この場所」が

繰り返し問われるわけです。

 

そして「いま」「ここ」を起点にする、

つまりそれらを最重要視する事は、

機械学習の一種である

強化学習にも通じるでしょう。

 

であるがゆえに、

このブログのタイトルに含ませたいと

確信してきたわけです。

 

少女と機械とを通じて

我々が再認識するのは、

「いま」と「この場所」の重要性です。

 

類似性の危険と、対比によるアース

しかしながら、

機械と少女の類似性に着目しすぎると、

独自の隘路に入る危険もあります。

 

そこで、

隷属といった負のイメージとは

全く異なる、

別の共通点に焦点を合わせるよう

考えてみます。

 

そして、これはまぐれなのですが・・・

興味のおもむくままに「敢えて、

 一見逆っぽく組み合わせてみよう」

という試みをした結果、

 

ちょうど解消しあう形になりました。

 

つまり、

少女が機械のように隷属されるのではなく

機械が少女のように生き生きと、

そして主体的・創造的に振舞うさまを

表現できたと思うのですね。

 

「機械のように今を輝き、」

つまり機械だって「輝く」すなわち

人々との相互作用を通じる中で、

今を充実させてよいのです。

 

というか、

人間との相互作用を通じて

何かを見出すこと・・・

ありていに言えば「自己実現」を

定義するような機械が、

(1つの方向性として)

求められているのではないでしょうか。

 

そして、

文字通り物理的に発光する物体で

我々が最もよく見ているものは、

まさに機械ではないでしょうか?

 

 

では、

「定義」のほうはどうでしょうか。

 

これこそまさに

機械の得意ワザに見えるし、

機械がモノを理解するのに

必須の概念と言えます。

 

が、実際にモノゴト、

言葉や概念を定義するのは、

これはむしろ少女ではないでしょうか。

 

資料をきちんと当たれていませんが、

女子高校生を中心とする少女によって

日々新しい概念、価値観、括りが

定義されているのは

周知としていいのではないでしょうか。

 

また、少しラブライブに戻りましょう。

 

その前に1つ、

ベルクソン=時間と空間の哲学』に

基づく考え方ですが。

「前よりも果物が甘くなった」とき、

変化したのは果物のほうか、

それとも自分の味覚のほうか。

 

こう考えていくと、

案外モノの定義というのはいい加減で、
(その分柔軟性が高いとも言えます)

その内容がすっかり変わってしまっても

同じ名前で呼ばれ続けるわけですね。

 

三宅陽一郎さんの先日の講演

テセウスの船という話題がありましたが、

修理のたびに船の一部ずつパーツを入れ替え

ついには船の100%が入れ替わったとき、

それでも・・・

その船は同じ名前で呼ばれますよね。

 

ようやくラブライブに戻りますが、

ユリイカのアイドルアニメ特集号にて。

目まぐるしく変わりゆく秋葉原の街を

「この街」と呼ぶ彼女たちが、

ついにはニューヨークのことを

秋葉原と似た)「この街」と

呼び始めるわけです。

 

「いま」「ここ」をこの街として定義し、

その定義は彼女たちが移動することで

越境し拡張されるわけですね。

 

この意味でもまさに「少女」によって

「いま」「ここ」が「定義」されます。

 

長くなりましたが、

このように趣味全開でスタートした

「機械のように今を輝き、

 少女のようにここを定義せよ」、

今後もよろしくお願いします。

 

ここまでありがとうございました。

 

鉄道ゲームの考察も近々したいですが、

そのためには美の起源なども

やはり学んでおきたく・・・

なかなかモノを述べるのには

時間をかけないといけませんね。

 

参考文献

ベルクソン=時間と空間の哲学 (講談社選書メチエ)

ベルクソン=時間と空間の哲学 (講談社選書メチエ)

 

出版社ページ 

 

高瀬司 (2016) 「スクールアイドルの輝きの向こう側へ 『けいおん!』から読む『ラブライブ!』」, 下記 pp. 149 - 167

出版社ページ 

 

@momorin_cloverZ 【ラブライブ!1期】8話感想まとめ。―いまを生きている(Live)ことを全力で愛する(Love)こと 2017/01/22 最終アクセス


@momorin_cloverZ 【ラブライブ!2期】1話感想まとめ。―『奇跡』だって叶えてみせる 2017/01/22 最終アクセス

 

三宅陽一郎 明治大学「ゲーム研究の新時代に向けて」講演資料(上)2017/01/22 最終アクセス

自然科学を堪能できるゲーム

こんにちは。

先日のアドベントカレンダー

数学とゲームの接点について

意外と反応をいただいていたので、

 

 

その延長で、自然科学全般をゲームで体感?

できるかについて考えていきたいと思います。

 

社会科学については

以前のこの記事が近しいかと思うために

一旦見送ります。

 

a16777216.hatenablog.com

 

 

さて、 まずは有名どころから。

直近の典型例と物理シミュレーション

 

どうも自分は流行りをスルーする癖があって

未プレイである点が今悔やまれますが、

これ。 

store.steampowered.com

 

 

宇宙船の物理シミュレーションだけでなく、

試行と失敗を繰り返して

目的へと到達していくらしい

このゲームは、

そのプロセスまでも含めて、

自然科学的と言えるでしょう。

 

下記のような橋の建造ゲームもあるようで、

こちらもよく目にしますね。

store.steampowered.com

 

さて、ようやく1つめの

既プレイゲームです。

store.steampowered.com

 

競って素早く要塞を作り、

兵器をバシバシ打ち合うこのゲームは

まさに「男の子ってこういうのが

好きなんでしょ?」と言わんばかりですが

 

デフォルメされた司令官たちは愛らしいし、

それに↑のようなプロトタイプ論はまあ

言葉遊びにとどめておくとして、

ともあれ性別を問わず

楽しい時間を提供してくれるゲームと言えるでしょう。

 

f:id:a16777216:20171213222814p:plain

 

魔法陣グルグルにおける

 アラハビカ防衛戦なんかでは、

 あっこういうのに混ざりたい・・・と

 思わされたものですが、

 そういうワイワイに混ざれるかはさておき

 防衛設備の建設と砲撃とを合わせ持つ展開には

 (これに物語ができ、介入できるなら尚更)

 心踊らされるものがあります。

 

そしてなんとこれら3ゲームとも

日本語対応!

 

このように言うと

意外に感じられるかもしれませんが、

 

Steam でゲームを探していると、

比較的よく耳にするゲームであっても、

英語版しか手に入らないことのほうが

多いように思います。

 

 

さて、少しマイナーなところまで

掘り下げてきました。

 

物理というのは、その法則が比較的明確なためか、

(単に動きの再現に用いられるだけでなく)

ゲームのルールの中核に来ている場合が

比較的多くありますね。

 

スマホ・無料で比較的手をつけやすいものには

こんなものもありますし。

gigazine.net

従来のテトリスでは基本的には連鎖というものが

ありませんでしたが、

こちらは難しい反面一度連鎖が生じ始めると

それなりに続くことが多く、

なかなか爽快です。

 

宇宙との組合わせではこんなものも。

store.steampowered.com

 

円軌道を描くには地面に対して水平に

速度を持っていなければならない、

なんてことも直感的には忘れてしまっていました。

それを感じさせてくれるのも

宇宙の舞台ならではと言えますね。

 

 

さて一方、サンドボックスがらみにおいては

物理シミュレーションのゲームが

かなりの数あるようで、

まだプレイできているものも少ないですので

物理についてはぼちぼち終わりにしようと思いますが、

 

最後に1つ。

ここまで挙げたのは現実の物理法則

モデルになっているものでした。

 

DiGRA の 2015 年の大会で、

尾田欣也先生という方の講演で

印象に残っている言葉があり、

それは

フィクションにはフィクションの物理法則がある、

という内容のものだったと記憶しています。

digrajapan.org

 

架空の法則であっても、

その法則の中で閉じ、

一貫性と整合性が担保されていれば

(現実とはパラメーターの異なる)

物理法則として意味を持ちうるわけなんですね。

 

そのような法則とともにゲームを考えることには

大変な魅力を感じます。

 

 

ところで思い出してみれば、

特有の物理法則を持っている直近の例も

存在しますね。

www.jp.playstation.com

 

このシリーズでは、

主人公キトゥンとその周辺の重力を、

好きな方向へ変更することができます。

 

1のほうはプレイしましたが、

決して設定の奇抜さにとどまりません。

 

広大で(2ではさらにその2.5倍とも!)、

重力が操れることともマッチするマップ構成や、

アメコミ風のストーリー進行など、

それぞれの要素が調和しており

ゲームとしての完成度も感じました。

 

自然の/とのインタラクション

 

さて、では、

生命や化学、地学などの自然科学を

堪能できるゲームはあるでしょうか。

 

古典的な名作としてシムアースやシムアントは

言わんやですが、

 

閲覧注意(蟻の絵がリアルのため)の

下記のようなゲームが発売されていることが

目に留まります。

Empires of the Undergrowth on Steam

 

あるいは、生態系のコントロールという

意味ではこちら。

 

store.steampowered.com

 

ここでは、「成る」「生じる」「自生する」

という意味での自然に当たるのは、

むしろ人間のほうですが笑。

 

(このような「自然」の定義は、木田元さんの

 反哲学史精神の哲学・肉体の哲学より。)

 

生命、資源、あるいは人間が

ときには自発的に生み出されて相互作用し、

その多寡のバランスが影響し続ける点は、

 

(生態系の本質的な部分が、ゲームを

 面白くするためのルールに組み込まれていると

 言えそうですし、)

 

シムアースの良さを継承したゲームとも

言えるのではないでしょうか。

 

(ところで、

 自然に繁殖するものを管理するという視点でいくと、

 実は鉄道ゲームや街づくりゲーム、会社経営ゲームこそが

 生命シミュレーションに近しいかもしれませんね。)

 

さて、広くライフゲーム的なゲームについても

議論の余地が大いにありますが、

過去にも多少述べましたし、

ここでは深入りしないことにします。

 

 

さて、ゲームからは少し脱線しますが、

生命の定義については下記の1話が

示唆を与えてくれます。

anicobin.ldblog.jp

 

2017年秋放送中のこのアニメ、

どの話数においても内容が示唆的ですが、

 

この9話では特に生命の定義について、

ほとんど誰でも直感的にわかるように

豊かな映像とともに説明してくれます。

 

そして、

「生命とはなにか?」という問いへの

回答を考えるという遊びへと、

初心者から上級者まで誰でも楽しめるように

いざなっています。

 

自身を維持するものを生命とするのであれば

都市もまた生命。

 

ゲームの話題に戻りましょう。

 

上のようなことを考えてみると、

ゲームというのは、人工物の中でも比較的

人工生命の先端にあるように

思えてきます。

 

予想だにしない動きを自発的にすることに、

商売というモチベーションがある。

このため人間はその開発と研究に力を注ぐ。

そしてプレイヤーの行動という教師・情報源が、

サーバーの稼働中に常に与えられます。

 

一方で、人間から学習しないほうが

 強い AI プレイヤーになったという

 悲しい事例も聞きますが・・・

 より情報が抽象的であったり、

 あるいはランダム性を含んでいたり、

 情報の一部が非公開であったりする環境では

 機械のオリジナリティに人間がいい影響を

 与えられるかどうか。

 今後の研究や制作の動向が気になるところです。

 

これを一段階大きく括って、

遊びと知性の関係を考えることもまた

非常に興味深いところですが

ホモ・ルーデンスという言葉もありますし)、

これはまた別の機会に。

 

今後も、自然、あるいは生態系のメカニズムを

取り込んだようなゲームの出現があるか

引き続き着目していきたいと思います。

 

作者やプレイヤーの意図を超えて

結果やバランスが自然に生じるというのは

構造としてきれいだし、

適用・応用への期待がたかまりますね。

 

今や鉄板、情報系とゲーム

ここ最近、

ゲームでプログラミングが学べるという話を

よく聞くようになりました。

 

しかしこうした学習目的だけでなく、

ゲームとしての面白さを重視したであろうもので

プログラミングに近しいものが

多いこと、多いこと。

 

Steamではド直球で、

「プログラミング」というタグがあるほどです。

 

これを書いている今、タグのリンクが

なぜかうまく機能していないので、

代わりに検索結果のリンクを張ります。

http://store.steampowered.com/search/?term=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

 

プログラミングの面白さ自体が、

ゲームに近しいところがあるのでしょうか。

 

これは以前、『ハーフリアル』における

ゲームの定義を、

私が分かりやすく感じる言葉で書いたものですが、

 

1. ルールを持つ。

2. 結果が明確で、かつ結果を変えられる。

3. それぞれの結果に、良い・悪いなどの意味が与えられている。

4. 努力が影響を及ぼす。

5. 人が結果をまじめに受け止める。

6. 現実に与える影響を、自由に着け外しできる。

 

この6つのうち、6.以外の5つが

プログラミングにも共通していそうですね。

 

ゲームというのはそもそもプログラムなので

構造上近いのはある意味当然かもしれませんが。

 

その改題解決のプロセス自体にも

共通の面白さがあるかどうかは非自明ですし

発見があります。

 

パズルに特化した面白さの考察については

 『パズル本能』という本がありますが、

まだ読めていないので、

ともあれそうした関連性の指摘がある点だけ

挙げておきます。

 

まとめ

ゲームによって自然科学が学べるような

ものだけでなく(もちろんそれも重要ですが)、

 

ゲームとしての面白さを追求するために、

自然科学の特長がうまく活用されているものが、

多数あるのを見てきました。

 

典型的には物理や情報、

そしてときには生物(学)の知見・性質が

面白い・好ましいルールの実現に役立つのは

嬉しいとともに興味深いことです。

 

しかし必然のようなところもあります。

 生態系等の場合、

 現に持続可能性を実現しているモノゴトに

 横たわる法則であるからこそ、

 それをゲームに適用したとき、

 あっさり決着がつくようなアレなゲームでなく、

 最後まで誰が勝つか分からないような

 白熱したゲームにできるポテンシャルがあると、

 そう言えるわけなんですね。

 いい法則というのは自然界にたくさん落ちているので、

 使える材用としては申し分ないのかな、

 という側面がありそうです。

 

これにはいろいろな有意義さがあって、

第一に、

長い歴史の中で人間が見出してきた知見が

科学や、実用性(つまり技術?)だけでなく

遊び(つまり文化?)に用いれるのは、

一度で二度おいしいことだし、

創作の地平線と多様性を推し進めるうえでも

十分なリターンがあります。

 

第二に、

学習目的というよりは

純粋に楽しむために手を付けたゲームから、

自然科学を直感できるチャンスがある、

ということです。

 

さらに考えうる良さとしては、

「ゲームの空間内の自然科学」というのが

研究になる余地が垣間見える点ですね。

 

ゲームにおいて(ゲームを楽しくするために)

独自に定義される、

現実と異なる自然法則が、

もし非自明な現象を生み起こしたら

どうなるか。

 

研究に役立つとしら勿論嬉しいし、

個人的には、

そうしたことの生じる可能性自体に

大きなワクワクを感じてしまします。

 

ゲームの中でやはり(楽しさという)必要に

かられて AI 研究も進んでいると

見受けられますから、

こちらについても期待が膨らむところです。

 

長くなりましたが、

そのような期待と伏線を残しつつ、

今回はここまで。

ありがとうございました。

 

参考文献

※労力対効果を鑑みて、この埋め込み形式を試してみます。

反哲学史 (講談社学術文庫)

反哲学史 (講談社学術文庫)

 

 出版社ページ:『反哲学史』(木田 元):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

 

精神の哲学・肉体の哲学  形而上学的思考から自然的思考へ

精神の哲学・肉体の哲学 形而上学的思考から自然的思考へ

 

 出版社ページ:『精神の哲学・肉体の哲学 形而上学的思考から自然的思考へ』(木田 元,計見 一雄)|講談社BOOK倶楽部

 

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

 

 出版社ページ:half-real - New Games Order, LLC.

 

ゲームと数学の接点と応用

こんにちは。

 

数学も専攻ではなく、

またゲーム研究についても門外漢の私ではありますが、

 

趣味としてそれぞれ少しずつ触れている身という

自分のスコープから言えることを、

書いていこうと思います。

 

ざっくり下記のような形で進めていきます。

 

数学と(デジタル)ゲームの共通点を挙げていく


ゲームを数学に応用する

ゲームを数学に積極的に応用する

 

数学をゲームに応用する

数学をゲームに積極的に応用する

 

まずは こちらから。
その近しさから、どのような応用可能性があるかの
直感の枠組みを組み立てていきます。

数学と(デジタル)ゲームの共通点を挙げていく

 

数学とデジタルゲームは、
自分の感覚としては通底するものが多くあるように思います。

まず思いつくのは、

ルールが厳格であり、

その「マジックサークル」の内側で完結するように

活動すること。

あるいはもうすこし細かく、

ゲームの面白さの分類に寄り添って

分析するとすれば、

 

(面白さの分類も選択肢は多いですが、)

例えば以前にも用いたサットン=スミスによる分類

(※申し訳ありません、上記誤りでした。)

リチャード・バートルによる分類

達成型(♦)、探索型(♠)、交際型(♥)、殺人型(♣)

を用いるとすると。

両者には少なくとも達成の喜びがあり、

(数学は難易度が十分高く、そのプロセスにも面白さがあって
 楽しめますね。
 あるいは全国の強豪プレイヤーとの切磋琢磨との競争。)

探索の喜びがあり、

(目の前の問題をどのような道具立てで解くか考える際、

 今知っている定理だけでは事足りず、

 あらたな学習を要する局面が容易に想像できます。)

 

また交際の喜びがあります。

(たとえば「~がく徒のつどい」という催しでは、

 オリジナルは数学であったかと思います。

 あるいは仕事に活用するために学ぶ意義が大きいためか、

 協力して理解を深めるような交流会が

 十分多いように思います。)

 

殺人型は分かりませんが・・・

無理やり紐づけるとすれば、

両辺で相殺して消える項を発見する際などは

打倒に近い快感がありそうですね。

 

いっぽうで数学の特質のほうに

改めて寄り添うと、どうでしょう。

 

素人目線から思い当たるのは、

「~とは何か」を問い直す作業における類似性、

といったあたりです。

 

ドラクエのカジノを筆頭に、

ゲームの中にミニゲームが登場するような場面も

今や当たり前になりましたが。

 

この「ゲームにおけるゲーム」という視線は

「現実におけるゲーム」を相対化しうるわけです。

 

現実で当たり前に施行されている法や政治というのが、

(ゲームの「魔王を倒す」というルールから逸脱して

 脇道にそれてしまう行為の是非を通じて)

問い直されうるわけですね。

 

どこまで整合性良く当てはまるかはありますが、

数学における「数の集合」「集合の集合」を考えて

「数とは何か」さらには「集合とは何か」を考える点は

直感的には類似性がありそうです。

 

これらを踏まえて、

(といっても、

 書いてる自分としては事前に一応の小ゴールはあるのですが)

それぞれの応用可能性を探索していきましょう。

 

ゲームを数学に応用する

ゲームで学ぶ数学・・・というものが最近では増えたかと思いましたが、

ぱっと調べてみても

そう人口に膾炙してもいなさそうです。

 

なので、楽しむためのゲームだが

結果的に数学を学べる(た)ようなものを挙げてみましょう。

 

自分をサンプルにすると偏りはするので恐縮ですが、

 

まずはシムシティ

 

元祖シムシティにおいて、

できるかぎり高速で街を発展させようとした場合、

最初の所持金 $20,000 のうち

いくら残していくら使うのが良いでしょうか?

 

$20,000 全て使うのが良いですね。

 

途中で港や空港といった大規模・高額な施設が必要になることを

近似的に無視し、

常に残金 $ 0 前後になるよう投資すれば、

税収は人口に比例しますから、

 

町の人口 x の増加分がほぼ

\dfrac{dx}{dt}=x

となって、人口が

x=e^t

で増えることが分かります。

 

人口数千人の town のころなんかは

50万人に到達するのに無限に時間がかかるかのように

思ってしまうのですが、

実際には急速に増えて行くので大丈夫。

 

あるいはぷよぷよ

 

相手に降らせられるおじゃまぷよの数は、

どう見ても連鎖の数の比例ではありませんね。

 

このようなところから、

「雪だるま式に増えるってどういうことだろう?」

とか、

 

「二次関数『ふえる数がふえる』に比べてバイバインは、

『ふえる数がふえる数がふえる数が・・・』ってなってるから

これはとてつもないのでは?」

ということを

ぼんやり考える様になったりならなかったりしますね。

 

ゲームという、興奮、あるいはありありと現前する描画を通じて

数学で初めて触れるような感覚を

先取りする形になります。

(なにしろ現実では、ここまで理想的な指数関数や N 次関数(N ≧ 3)も
 そう多くはないでしょうから。)

 

ゲームを数学に積極的に応用する

さて、ここまでのところだと、

「ゲーム」のところを他の言葉に置き換えても

成り立ってしまうようにも思います。

 

ゲームならではの、

ゲームにしかできない数学への貢献とするには、

どのような形がありうるでしょうか。

 

下のような例については、

残念ながら自分が知るかぎりでは

数学における同様の事例にめぐり合っていませんが・・・

 

生化学の分野においては、

問題をゲーム化することによって

論文執筆に至る結果を見出しています。
www.afpbb.com


ゲームのなかの可能な選択肢を、

数学の一部の手続きと等しくなるよう対応させることも

可能と思われるため、

このような応用は十分に考え得ます。

 

下記でも少しだけ、

そのほかの展望について触れます。

 

数学をゲームに応用する

 

これはゲームを攻略するにせよ、

ゲームを作るにせよ

言い尽くせない応用があると思います。

 

 さきほど挙げた、

 常に予算ゼロぎりぎりまで投資すれば

 指数関数的に成長できる

という考えは、

ボードゲームならカタン

対戦ならいたストなど

経済的な要素のある多くのゲームに適用できますね。

 

賭け事や格ゲー大会などにおいては、

相手に(残予算や実力の)差を付けられているときほど

リスクの高い戦略が有効であるといった

自然な帰結も出てきます。

 

いっぽうでゲームを作る場合はどうか。

 

この場合はなおのこと数学からの応用が重要で、

近年では画像処理の計算量が大きいことからも、

その計算技術が重要となってきていることが分かります。

 

ここでは詳細には立ち入りませんが、

かの有名メーカー NVIDIA などの計算技術によって

ゲームの一端が担われているとも言えるでしょう。

 

computational-chemistry.com

www.4gamer.net

 

あらためてこうした記事を参照してみると、

ゲームのための、あるいはゲームに応用できる基盤が

幾つかの数値計算にも活用されており、 

 

広い意味で、ゲームから数学への貢献を

感じることが出来ます。

 

数学をゲームに積極的に応用する

では、数学から学べる計算技術というよりは、

ゲームのルール自体に、

数学の概念を適用できないでしょうか?

 

ゲームは(多くの場合デジタルな)ルールの集合体で出来ていますが、

その設定自体に、

集合論や、解析といった

数学独自の尺度を導入することは可能でしょうか。

 

この問いに答えるべく、

(非常に粗削りですが)以前、ゲームを1つ作りました。

https://pbs.twimg.com/media/DFBRG9BUQAAoqCI.jpg:large

 

 

複素関数においてよくある、

「原点を中心に1周回ったつもりが実は裏側に行ってて、

 元に戻ってくるには2周必要だった」、

このギミックをなんとか活用したかったわけです。

 

というわけで象限の裏・表が一致のときと不一致のときで

敵を倒せるか、敵にやられるかが異なるように

ルールを設定しました。

 

(desmosを使って2葉になってる事がよくわかる

 アニメを作ろうと思いましたが、

 時間も迫ってきたので断念)

 

では既存のゲームはというと、

(日本語のドキュメントも少なく全貌をつかんでいませんが、)

下記ゲームなんかは生態系を作るゲームのようで、

狭義の数学には当てはまりませんが

広く数理科学の概念をルール化した、

挑戦的なゲームと言えるでしょう。

store.steampowered.com

 

 

下記については未発売のため

感触も不明で、

こちらも説明を見る限りは数学というより物理よりのようですが・・・

期待が持てるタイトルです。

store.steampowered.com

 

 

数理科学、とりわけ自己組織化まで話を拡張すると、

その旨みが生きているゲームは数多くあると言えるでしょう。

 

 

また、ゲーム攻略においては

ペアノ曲線をフォーマットとすることで

クリアを少しでも容易にしようとした持ちネタもありますが

すでに結構な文字数になりつつあるので、

 

目指したんだけれども部分最適にとどまってしまった状況だけ

画像で貼って残したいと思います。

Factorio というゲームです)

f:id:a16777216:20171205222523p:plain

 

ハルスベリヤ叙事詩2という名作戦略ゲームにおいても

偶発的な現象がいくつか(起こるべくして)

起こっていて面白いなと思ったところですが

こちらもまたの機会に。

 

まとめと展望

このように、数学と(デジタル)ゲームは一定の共通性を持ちつつ、

互いが互いに貢献するような側面も

幾つか見られつつあります。

 

個人的には、

とりわけ学習理論や自己組織化といった範囲まで含めれば

幅広く研究できる箇所もあるように感じます。

 

こうした観点から、

具体的な数学的概念あるいはゲームを通じて

論述が進まないかなあと願望するところです。

 

自分個人としても、

論文を書くところまで行くのは

素養としても現状としても

なかなか着手が厳しい状況ではありますので、

せめてこうした議論だけでも

初心者ながら進められればと思うところです。

 

直近の目標としては、

数学的な概念や自己組織化がうまく生かされたゲームの事例を

もう少し集めるあたりですね。

 

それでは、

ここまでありがとうございました。

またどこかで。

 

参考文献

藤井雅実・沢野雅樹編著『人はなぜゲームするのか―電脳空間のフィロソフィア (キーワード事典)』,1993, 洋泉社 

 ↑今や古本でないと入手できないと思いますが、
 ゲームが現実を対象化するような側面、意義を思考の枠組みとして考えることができ
 得るものが大きい1冊と思います。

イェスパー・ユール 『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』松永伸司訳, 2016, ニューゲームズオーダー

ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ(下)』山本貴光訳, 2013,  SB クリエイティブ

シミュレーションゲームは現実の何を切り取るか。システムか?

こんばんは。

風呂敷を広げたままにしていたため、

そろそろたたんでいきます。

 

現実のどのよう題材なら、シミュレーションゲームに出来るのか

これについて考えていきます。

 

前提として「シミュレーションとは何か」も

どこかで考えなければなりませんが、


これに立ち入っていくと相当な資源と文献調査が

必要と思われるので、

一旦「シミュレーションゲーム

に焦点を絞りたいと思います。

 

そもそもなぜ

シミュレーションゲームについて考えるのか。

 

まず、そのゲームの種類が非常に多様で、

「これ」という定義を与えるのが

いかにも難しそう

という点が興味深いです。

 

また、学術的な手法としての

「シミュレーション」との位置関係も

気になるところです。

 

それに。


ミクロを犠牲にしてマクロを詳細にするのか。

その逆なのか。

あるいは大雑把でいいから、

様々なスケールを同時に表現しようとするのか。

 

こう考えると、

現実を理解する切り口とも相乗効果がありそうで、

いっそう興味を惹かれます。

 

今回は、

このような流れで進めていきましょう。

 

・何が、シミュレーションゲームの題材に出来るか

・その理由と、ここから生まれる価値

・舞台設定などについて

 

 

シミュレーションゲームとは、システムだ?

「システム」であれば、

シミュレーションゲームの題材に出来ると考えられます。

 

 

結局、2つ前の記事に戻っちゃいましたが・・・。

a16777216.hatenablog.com

 

ですが・・・シミュレーションゲームを、

可能な限りこぼさずに包含しようとすると、

こう区切らざるを得ないのではないでしょうか。

 

シミュレーションゲームによって扱われるモノ。

その、

他の種類のゲーム、アクション、シューティング、

パズル、RPG・・・などとの大きな違いは、

 

必ずしも思惑通りに動かないこと。

個々の要素の和だけでは理解が困難であること。

 

つまりシステムの定義の通り、

「要素の集合とその相互関係の全体」

であるわけですね。

 

我々はゲームに登場する「システム」に対し、

直接操作することはかなわず、

「相互作用」「対話」する。

 

そのような接し方になるでしょう。

 

 

(※「対話」というと、

 社会や都市といった巨大なものでなく単一の何か、

 ワンダープロジェクト J とかシーマンなんかが

 思い浮かびますが、

 これらもやはりシミュレーションゲームでした。)

 

ところで、このように大風呂敷を広げたため、

大急ぎで事後的にシステムを復習していました。

 

そして復習すればするほど・・・

「システム」の中には、

シミュレーションゲーム」を良質にするような性質が

見事に備わっているということが、

改めてよく感じられました。

 

まずは安心する限りです。

 

(※もっとも、仮説に基づいて調べている以上、

 仮説を支持する見方ばかりに着目せぬよう

 気を付けねばなりませんが・・・。)

 

ポイントは少なくとも3つあります。

 

・自分自身を存続できること。

・多数のやりとりや規則によって構成されていること。

世界よりは単純だが、しかし一定の複雑さが残ってること。

 

なぜシステムであり、そしてこれが何をもたらすのか

 

さて、システムというからには、

そのゲームによって扱われる「何か」は、

自分自身を「存続」できなければなりません。

 

言っておいて、

少し大げさすぎたか・・・とも感じましたが、

シミュレーションゲームの題材の多くは、

実際にこれを満たしています。

 

シムシティやシムアース、シムアントといった

古典的名作でさえも、

自己完結した存続の動きを見せますね。

 

もちろん存続といっても、

それらは単に状態を維持するだけではありません。

 

自分自身を維持するために必要な自分のパーツを、

自分自身で賄うことをやってのけるのです。

 

ルーマン 社会システム理論』では、

生命とエンジンの比較がなされています。

もちろん、生命のほうがよりシステムとしての性質を満たす、

 という文脈です。

 

「エンジンは、それが機能しているうちは、決してその構成部分(例えば、キャブレター、クランクシャフト、連接棒、点火プラグなど)を再生産したり修復したりすることはない。」

 

このような「継続的な生産過程」こそが、

システムの典型例である生命に求められています。

 

ただし、「生命」にある重要な性質の1つ

開放性(そのときどきの環境とのエネルギーや物質の交換)」

は、

ゲームにおいては乏しいと考えられます。

 

人間の場合、常に食料から材料を得続けることで、

その姿をほとんど変えないまま・・・

数年後にはほとんど体の材料が入れ替わっいたりもします。

 

しかしゲームの場合、「外」とのやりとりは、

ファンコミュニティのリクエストで新要素が追加でもされない限り、

プレイヤーしか窓口がないと言っていいでしょう。

 

こじつけるなら、我々プレイヤーが(外部の)「環境」だと

言うしかないですが・・・

これについてはまた紙幅を取って考えたいと思います。

 

保留して話題を進めましょう。

 

次は、シミュレーションゲーム

多数の要素ややりとり(相互行為、相互作用)でできていることについてです。

多くの場合、これは明らかでしょう。

 

ただ、上で挙げたワンダープロジェクト J シリーズ等では

単独の登場人物と向き合うため、

一見、多数の要素で構成されているようには見えません。

 

しかしながら実際には、

彼らの中のパラメーターは密接に関係しており

(知性を高めれば、多くの場合運動能力が下がるなど)、

多くの要素の集合体であることが分かります。

1作目のピーノの場合、ステータス画面で明示されているため

 一層明確に可視化されます。

 

www26.atwiki.jp

 

そして3番目のポイントとも関連しますが、

このことがゲームの「難易度」「自由度」「予測不可能性」を

作っていると考えられます。

 

個人的には、これこそがまさに

シミュレーションゲームの「面白さ」だと考えています。

 

ゲームは「世界」よりは単純であるため、

コンピューター上に実現でき、

かつルールが十分に把握しやすいものになります。

 

しかし一方で、一定の複雑さがあるために、

ここにさまざまなものが生まれる余地ができます。

 

まず、人間の認識の限界を超えています。

多くの場合、ルールに関する情報だけからでは、

ゲームの「必勝法」を見出せません。

少なくとも、攻略のための最適な手順を、

1つだけに絞り込めません。

 

1つだけに絞れてしまっては、

淡々とそれを実施するだけの作業に堕してしまいます。

 

RPG との比較でいけば、

RPG が、繊細に作られたイベントを順次放っていくことで

作業になるのを防ぐ「進行型ゲーム」なのに対し、

シミュレーションゲームでは、ルールから生じる現象の多様さによって

作業になるのを防ぐ「創発型ゲーム」と言えるでしょう。

 

(進行型・創発型ゲームの概念は、『ハーフリアル』より)

 

もちろん、重なる部分や兼用される部分はあり得ます。

 

将棋のように敵味方の情報がすべて開示されており、

かつランダム性を排したゲームでさえも

すぐに必勝法が見いだせない点は、

計算複雑性理論なども検証したいところです。が、

これも今回割愛することにします。

 

さて、「創発型ゲーム」と「システム」の共通するところとして、

複数の攻略法が取れる、という点が考えられます。

 

ルーマン 社会システム理論』によれば、

「システムは、複雑になればなるほど、変転する環境の要求に適合した反応をするための、より多くの可能性をもつようになる。」

 

世界より単純とはいえ、ある程度の複雑性を持つことで、

(最適な攻略法はともかく、)まあまあの、妥当な攻略法

いくつもの選択肢から選べるようになります。

 

特にこれがルールや手段の組み合わせから選べる点が、

シミュレーションゲームの見どころと言えるでしょう。

 

(これに焦点を絞った場合、

 今度はパズルゲームとの差が課題として残るため、

 これもいずれ考えなければなりません。)

 

そして、多くの要素から構成されているがゆえに、

こちらのアクションに対する応答も、

予想を超えた複雑なものになりえます。

 

我々プレイヤーの打ち手にだけではなく、

コンピューターの応答にも創発が生まれる余地がある、

と言えるかもしれません。

 

複雑性なものの表現について少し脱線すると、

 Total War シリーズ、Wargame シリーズ、後述の光の目といった

 いくつかの戦略ゲームでは、

 次にどこを攻める/守るかという戦略パートと、

 どのようにその局地戦を戦うかという戦術パートという、

 2つの異なるレベルが描かれています。

 複数のレベルが階層的になったものをメタシステムと呼んでいいかについては

 やや慎重になる必要がありそうですが、

 なるべく単純に表現しつつもより現実の本質を適切に表現していくうえで

 非常に重要と言えるでしょう。

 

このように、シミュレーションゲームは、

一般的なシステム(生命、社会、法、経済、学問など)と

多くの共通点を有しており、

 

それゆえに幾つかの面白さが

必然的に担保されてきます。

 

すぐには必勝法を見いだせない難易度。

 

選択できる攻略法の多彩さ。

(そもそも攻略が目的ではない場合さえもあります。

 この場合、『ハーフリアル』の狭義の「ゲーム」からは逸脱しますが・・・)

 

そして敵の NPC さえ時に創発してしまうような予測出来なさ。

 

 

さらに有難いことに、

「システム」は現実のいたるところに遍在していますから、

題材には事欠きません。

 

具体例が出遅れましたが、

刑務所もシステムであるからにはゲームになるし、

store.steampowered.com

 

緊急の電話への対応もまた、システムであるからには、

ゲームになると言えそうです。

store.steampowered.com

 

ここまで、システムが持つ(ローカルな、要素同士の)

ルールの性質が、

シミュレーションゲームと適合しているであろうことを

考えてきました。

 

しかし、シミュレーションゲームの題材として選ばれるには、

単にシステムであるというだけでなく、

どのような表現、絵柄、世界観であるかについても、

一定の条件がありそうです。

 

『ハーフリアル』でいうところの、

ルールに対する「フィクション」の部分ですね。

 

シミュレーションゲームの舞台設定

ゲームに適した舞台、世界観。

戦略ゲームなどについては、

RPG やアクションと同様の基盤を有しているように見えます。

 

つまり、中世や近現代の戦争、

あるいは宇宙戦争などが典型的で分かりやすく、

なじみもあります。

 

中世と近代の間である「近世」なんかも、

ハマるとなかなか乙です。

 

銃の登場によって諸兵科のバランスが変わりつつある時代に、

魔法までもがバランスする『光の目』。

 

freegame-mugen.jp

 

 

 

こちらはグラフィックや戦闘の進行に限らず、

消耗戦の様相もリアリティがある

南北戦争のゲーム。

※2017/09/26 追記

 これはどちらかというと近代ですね。

store.steampowered.com

 

では、アクションや RPG にはない、

シミュレーションゲーム特有の舞台は何でしょうか。

そしてその共通点は。

 

一方、単なる「シミュレーション」にはない、

シミュレーションゲームに特徴的な舞台とは何でしょうか。

 

いずれも、先に一般化のほうから考えましょう。

 

他ジャンルのゲームにないものとしては、

 1.「システム」であることによって想像が促されるもの

 2.拡大再生産

 

「シミュレーション」にないものとしては、

 3.ルールの理解を促すもの

 

これら両方ともになく、シミュレーションゲームだけに特有のものとして、

 4.(社会で)生き抜くための本能を刺激するもの

 

 が考えられます。

 

システムであるという「ルール」、

つまりゲームに登場する人物やオブジェクト同士が

どのようにやりとりするか。

 

この基盤であることによって一層活き活きとするような

絵柄・世界観こそが、

適した舞台設定と言えるでしょう。

 

なお、この議論と次に述べる議論は、いずれもハーフリアルの

「ルールの理解を促すフィクション、フィクションの想像を促すルール」から

概念を拝借しています。

 

まずは、さまざまな種類のオブジェクトが一斉に動き、

お互いに影響を及ぼしながら、

それぞれ適した仕事を思い浮かべてみます。

 

この事実がぴったりとはまり、

このゲームシステムであるがゆえに活きる題材とは?

 

すると自ずと、

蟻の集団、軍隊、ロボットの集団などが

連想されてきます。

 

ロボットの集団を操作してタワーを作るゲームも

結構前にありましたね。

http://mukou.sakura.ne.jp/reviews/hr2.html

 

このように、舞台が蟻や軍人、ロボットの集団であるとき、

集団行動のありさまを

リアルなものとして感じ取ることができます。

 

オブジェクト間のやりとりについて、

もう少し詳しく見ましょう。

 

例えば上記の光の目。

このゲームの戦略性を広げるルールとして、

遠隔攻撃を受けたときに後方に押し返される

「ノックバック」効果があります。

 

しかしそうした強力な遠隔攻撃使いも、

移動力が高く高速で間合いに入り込んでくる集団に

蹂躙されたりする。

 

しかしそこで、横に隊列を組んだ

近接攻撃の前衛がいたら・・・?

 

このようにオブジェクト間のルールに似つかわしいのは、

やはり、遠隔攻撃=銃兵、移動力=重騎兵、

隊列=槍兵であったりしますよね。

 

このルールとフィクションの相性の良さにより、

近世の戦いが非常に生き生きとしたものとして描かれます。

 

今度は、集団の動きとはまた別の視点を考えます。

Civilization のような文明開発、シムシティのような都市開発は

なぜ市販のゲーム足り得るのでしょうか?

 

これは、拡大再生産が快感であるから、と

説明できるように思います。

 

これもきちんと定式化するには

欲望の理論をきちんと理解する必要があり、

障壁が大きいですが・・・

一旦は深入りせず、実際の流行から間接的に示唆します。

 

Cookie Clicker が、

(恐らく・・・批判的な意味も込めて、)

拡大再生産のよろこびを純粋な形で切り出し、

結果、一世を風靡したこと。

 

4X というジャンルが、

Wikipedia の一項目になるほどまでには

浸透しているということ。

 

これらの事実は、

一度投入した資源がさらなる富を生み、

その富をさらに投資の拡大に使うという雪だるま式の拡大が、

人類にとっていかに快感であるかを示唆しています。

 

流れで、上のリストの 3.に入っていきましょう。

 

「あなたはこの都市の市長です」とか、

「あなたはこの文明の指導者です」と言われれば、

何をすればいいか、それだけであるていど明確になると思います

(滅亡や衰退でなく拡大を目指すのがスジですからね)。

つまり、

その舞台がルールを分かりやすく説明しているとも言えます。

 

もうすこし立ち入り、

開発→収入増加→さらに開発 という

拡大再生産を実装するルール(≒システム)を思い浮かべてみましょう。

これを直観的に理解しやすくする・・・

つまり馴染みあるものの中から探すとすれば、

やはり都市や文明といった題材になるでしょう。

 

あるいは、

生命のような謎の何かでも良いかもしれません。

 

store.steampowered.com

 

舞台が都市、文明、生命(のようなもの)であること自体が、

拡大再生産を促すように作り込まれたルールの

適切な説明書になっているわけです。

 

 

あるいは要素に着目するなら、 

(1.と重なる部分もそれなりに現れますが、)

各要素がロボットであれば製作や運搬をしてくれそうだし、

銃を持っていれば離れた相手に攻撃できそうだし、

ニンジンの姿の生物なら引っこ抜くことができそうだ、と。

 

このように見た目が自ずとルールを説明します。

 

上記のような要素の見た目や、

あるいはその背景(ビルや宇宙船、城塞都市)などが協力し、

どのような働きをするシステムなのかを

一掴みで理解するよう促しています。

 

このまま滑らかに 4.に進みましょう。

 

・部隊に適切な指示を出せるよろこび

・戦争を勝利に導くよろこび

これらは、社会を生き抜くために備えられた感覚であると

想像できます。

 

ところで、

 戦略ゲームが好きであっても実際の戦争を快く思わないことについては、

 論を待つまでもないですね。

 

もちろんこれらだけでではありません。

政治的・経済的な成功を収めること。

 以前にも少し触れたりしています。

a16777216.hatenablog.com

 

施設を順当に運営すること。

(こちらはまだ未プレイですが・・・)

store.steampowered.com

 

こうしたタスクが与えらえたとき、

社会の中を生きる存在としての知覚が刺激されると考えられます。

 

<面白さ>の研究』の言葉を借りれば、

「社会感覚」あるいは「マキアベリ的知性」が

刺激されると言った形ですね。

 

つまり、「個体は、他社の意図を汲み、コミュニケートを試み、ときには協力したり、他者を出し抜いたり、さらには、特定の他者と協力して、第三者を出し抜いたりすらしなければならない。」

 

このような本能が人間に備わっていると仮定するならば、

我々プレイヤー社会の中の登場人物、あるいは社会の指導者になるとき、

その興亡に感情を動かされるのは当然と言えるでしょう。

(つまりゲームになります。)

 

考えてみれば、

(シミュレーション屋としてはやや自虐的になりますが、)

気象や電子の軌道といったシステムは、

シミュレーションによって扱われることはあっても、

ゲームとして扱われることは少ないように見えます。

 

 

まとめ

それなりに長くなってしまいました。

 

シミュレーションゲームに適した題材とは何か。

 

・それはシステムであり、

 多数の要素ややりとりで構成され、

 

・システムの構造が舞台のリアリティを高めるか、

 あるいは舞台がシステムの勘所を分かりやすいものにし、

 

・拡大再生産のよろこびか、

 あるいは社会の中を生き抜く感覚をもたらす。

 

これらを良く満たすのは、

もう語るまでもないかもしれませんが、

戦争をはじめ、

都市、文明、交通、生命、経済、政治、工場、企業、施設、感染、・・・

というものたちではないでしょうか。

 

交通については個人的な思い入れが強いので、

また別途切り出して考察したいと思います。

 

 

システムであることはゲームにとって意義のあることで、

創発や予想不可能性を自然に促すために、

面白さを担保しているように思います。

 

個人的には、

システムがゲーム化されることにより、

 現実の理解を促すという意義も感じられます。

 

1つのシミュレーションゲームはたいてい、

社会全体の1つか2つだけの側面に着目しており、

社会全体よりも物事が単純化されています。

 

(想像するにこの単純化はかなり技術を要すると思われ・・・

 面白いゲームからは匠の技が感じられます。)

 

こうした単純化は、

人間の限られた理解力、あるいは

コンピューターの有限の計算能力の中で、

世界を適切に理解できるよう促すものだと考えています。

 

 

一方、題材、世界観、映像といった舞台設定は、

やはりこのルール≒システムの面白さを最大限引き出すようなものが

好んで選ばれるでしょう。

 

良質のシステムであっても、

理解が難しかったり、直感に反していたりすると

その本質(そのシステムのうまみは何なのか)に

スムーズに到達しにくいですからね。

 

残された課題はまだいくつかあります。

文中でも、

計算複雑性や、欲望、開放性の議論について

保留にしておりました。

 

そのほかにも、恋愛シミュレーションの位置づけについては

ここでは考察出来ていません。

 

まだ調べられていないそうしたものに、

徐々に立ち入っていきたいです。

 

いっぽうで、

この文が多少でも肥やしにして頂け、

世の中的にこうした考察がより活発になったらいいなあと願うところです。

 

 

それでは、

ここまで、ありがとうございました。

 

参考文献

ゲオルク・クニールほか『 ルーマン 社会システム理論』 舘野受男ほか訳, 1995, 新泉社

イェスパー・ユール 『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』松永伸司訳, 2016, ニューゲームズオーダー

都留泰作『<面白さ>の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』 2015, KADOKAWA/角川書店

ゲームによって変わる生活 大図書館と、済んだ物語

こんばんは。

前回の宣言に従い、

こういう制約って、あるほうが物事が進みやすくなるタイプの

 制約ですねw

・ゲームと生活

・現実のどのよう題材なら、シミュレーションに出来るのか?を

 一般化してみる

 

という流れで進めていきます。

2つ目のものは、さらに次回になりそうな気がします・・・。

 

ゲームが自分の生活にもたらしたもの

 

さて・・・「ゲームと生活」とは言ったものの、

これを一般的に取り扱おうとすると、

ちょっと広すぎます。

 

そもそも生活とは何でしょうか?

 

芸術とは何か?とか、社会とは何か?に匹敵するような、

境界線の定義の難しさがあります。

 

そこで、いったんゲームと生活全般について考えるのはやめ、

 

私の生活がゲームによってどう変わったか?

 

に特化して考えたいと思います。

 

大きく分けると、

・中間目標をあきらめる良さが、実感できるようになった

・時間の費用対効果を、いつも考えるようになった

・生活をなるべくゲームに例えて、退屈が少し和らいだ

・時間に対する感覚が変わった

 

こういった変化がありました。

(今回も長くなったため、

 また過去分とも重複するため、一部を割愛します。)

 

中間目標の良さとは? アレクサンドリア図書館の陰と陽

初出の言葉があるので、1つ1つ説明していきます。

 

自分にとって、

Civilization 5 というゲームのこの図書館は、

中間目標の良さと欠点をありあり教えてくれた

大事な存在です・・・。

 

世界遺産としてアレクサンドリア図書館も建てることができる

Civilization というシリーズは、

 

平たく言えば・・・

都市と科学を発展させて文明を強くし、

一番すごい文明が優勝、なゲームです。

 

store.steampowered.com

 

つまり科学が超大事です。

 

科学で劣っていると致命的です。

科学が劣っているということは極端な話、

馬車や弓矢しかない状態で、

戦車やバズーカと闘わなくてはいけなくなりますから・・・。

 

そんな中、アレクサンドリア図書館は、

世界中の科学を吸収してしまうチート設定こそ見られなくなりましたが、

建設した瞬間に、一瞬で科学が1つ前進してしまうという、

強力無比な施設です。

 

これを建てるだけで、

優勝に向けてかなり有利になると言えるでしょう。

 

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しかし世界遺産ですから、

世界に1つしか建てることができません。

このゲームでは、実は複数個存在できる遺産もありますが、

 これはいったんおいておきますw

 エルミタージュが世界に8つ建ったりするw

 

デフォルトでは、

自分たちのほかに7文明が群雄割拠しており、

それらのなかの誰かが先に建ててしまうと・・・

 

「ドゥーーン!!」 という痛々しい効果音とともに

今までの建設計画が水の泡になります。

 

「途中まで建てていた」という事実は、

申し訳程度のお金以外の、何の役にも立ちません。

 

しかもこれの建設のために、

ほかのそこそこ重要な施設の3~4倍という

莫大なコスト(ターン数)がかかります。

 

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これを建てようとしている瞬間にも、

ほかの(アレクサンドリア図書館を建てようとしない)文明たちは

地道にいろいろな施設を作り、

爪を研ぎ澄ましているわけです。

 

なので、完成間際で先を越されて

進捗がパーになってしまうと、

ほとんど敗退といっていい状況にまで

追い詰められます。

 

さて、これを踏まえたうえで、

アレクサンドリア図書館を建てようとするのが正解でしょうか?

諦めるのが正解でしょうか?

 

・・・状況次第、

と言ってしまえば、何も言ってないも同然なのですが、

 

ライバルより先に建て終える確信があるならば建てる!
そうでないならば諦める!

というのが、妥当な判断と言えるでしょう。

 

この、アレクサンドリア図書館に関する

一連の出来事を通して、

私は中間目標の意味を

改めて考えるようになりました。

 

中間目標は、AI 研究においても

 重要な意味を持ちそうだと考えているのですが、

 長くなりそうなので別のときに。

 

人生における中間目標は、

人生のゴールそのものではないよなあ、と。

 

なので、いかに人生を有利にしそうな中間目標であっても、

手に入るのが難しすぎるのなら

(あまりに無駄にコストを割きすぎるよりは)

諦めるのが良いよなあ、と。

 

 

・・・と、ここまで、

中間目標をあきらめる良さを見てきました。

 

しかしもちろん、これだけでは片手落ちです。

 

 

中間目標を目指す良さとは何でしょうか?

プロを目指すわけでもないが特定の何かに打ち込む青春は、

あのとき流してきた汗は、

どのような意味があるでしょうか?

 

これは私は特に下記の二つだと考えています:

1.目標の情報が圧縮されていて、分かりやすい

2.モチベーションがあがり、かつ、

 それを目指す途中で得て来たものは、他でも使える

 

まず1.ですが、

 

自分(あるいは他者)の人生を良いものにしていくために、

小さい目標を何百、何千個も列挙していくよりは、

そこそこ大きい目標を1つ持つほうが

恐らくずっと分かりやすいと思います。

 

ある県の全ての市町村を列挙するかわりに、

その県名を言うようなものでしょうか。

 

(階層的な感じを言いたいのですが、

 我ながらあんまりいい例じゃないですね・・・)

 

具体的には、

単に「いろいろなところに行く!」というのでなく

「〇〇の舞台になったところを全部回る!」とすれば

より分かりやすく明確になる、という感じでしょうか。

 

続いて2.ですが、

例えばスポーツであれば、

特にプロにならなかったとしても、

鍛えた身体や、身に付けた集団の中での振る舞い方などは、

汎用的なものとして残ります。

 

もちろんスポーツに限らず

似たことが成り立つはずです。

 

Civilization 5 で言えば、

例え チチェン・イツァというこれまた非常に強力な建造物を

最終的にあきらめたとしても、

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これを建てる前提である「官吏」の発見を目指すことは

他のことにも非常に役立ちます。

(川沿いで収穫できる食料が急増するなど)

 

これらを総合して考えた結果、

(あくまで自分の中の)中間目標のありかたとして、

 

・自分の中の沢山の小課題を整理するために作ってみる

・そのプロセスをなるべく他にも生かすように作ってみる

 (一石 N 鳥を狙っていく!)

 

というがよさそうだと考え至りました。

 

このように、ゲームは自分の生活の中にも

それなりに(いや、かなり)入り込んできていると、

改めて感じます。

 

・・・ちょっとこれだけでお腹一杯になりそうなので、

ゲーム⇔生活のいくつかは割愛し、最後の1つに行きましょう。

 

最後から二番目(生活をなるべくゲームに例えて、退屈が少し和らいだ)は、

前にもちょっと書きましたし。

 

a16777216.hatenablog.com

 

ゲームと時間感覚

ゲームをするようになって、

やっぱり時間の感覚は変わったと思います。

 

時間の流れは単一でも連続でも等間隔でもなく、

複数同時にあり、刻み幅も変わり続けているように感じ始めました。

 

ゲームにおいてはこれは大前提と言えるでしょう。

現実の時間とゲームの時間とが同時に存在しており、

 

また、場合によっては、

ゲーム内の時間の早送りなども

容易にできるわけですから。

 

しかし、

ゲームがもたらしてくれる新鮮な時間間隔は、

それだけにとどまりません。

 

ある編著に掲載の「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム」では、

興味深い示唆が述べられています。

 

オープニングムービーにおいて、

今からプレイする物語が

実はすでに終わった出来事として語られるとき、

プレイヤーの経験に何が起こるのか。

 

すでに終わったことを経験すると同時に、

この先の未来を目標にするという、

より複雑な経験が現れ得ることが分かります。

 

さて、このように(すでに終わった)未来に向かうというのは、

(他のメディアと比べても)

ゲーム特有の性質に感じられます。

 

となると、

はたして現実には

これに近い経験はありうるでしょうか。

 

私たちは、映画やアニメ、小説といた作品を、

必ずしも同時にではなく、

様々なタイミングで視聴します。

 

昔、地元の友人と一緒に見た映画を、

最近になって別の友人と見たりするとき、

どのような時間感覚になるか。

(あるいは、そのことを思い出して人に話すとき。)

 

ネット上でみんなが口々に「泣いた」と叫ぶ作品を、

後から遅れて見ていくとき、

そこにある時間感覚とは。

 

あるいは、途中まで視かけていたもの、

途中までやりかけていた作業の場合は

どうでしょうか。

 

このように考えていくと、

間接的とはいえ、

ゲームと似たような時間感覚(複数、不連続、さまざまな刻み幅)が

現実に入り込んでくるのを、

それなりの強度で感じます。

 

あるいは単位時間あたりの生産性。

 

上記Civilization のような、

時間あたりの生産性が勝敗を分けるゲームをやっていると、

このゲームはリアルタイムではありませんが

 リアルタイムにそれが求められるゲームも存在します)、

現実においても、

単位時間あたりの有効性に意識が向いてきます。

 

とはいえ現実は、

そもそもゲームと比べると「良い」とは何か?が

明確にしにくいため、

「有効性」を高めるのが難しように思いますが。

 

他にも、

未来のある予定の意味が、近づくにつれて変化したり、

過去のある出来事が、別の出来事をきっかけにその意味を変えたり。

 

これらもまた、

ゲームプレイによって所与のイベントの意味付けが変化するのと

共通する部分があります。

 

このように、ゲームを通じて、

誰と同じスペースにいる時間か、

何(の続き)を見たり作ったりしている時間か、

生きている時間のうちのどこに位置するのか、

 

と、複数の時間感覚が並行して走っているのを、

よりリアルに感じるようになりました。

 

また、ゲームが1つの完結する物語であるために、

現実という1つの完結する物語が長いのか?短いのか?

ということを意識して考えるようにもなりました。

 

 

ところで、ゲーム⇔生活、ゲーム⇔仕事などを考えてきたので、

他に「ゲーム⇔研究」という軸もあるなあと

思い至ったのですが、

これもまた回をあらためて考えたいと思います。

 

例えば、

 ゲームの空間そのものが興味深い事象を生むという意味では、

 ゲームは研究対象をもたらしうるし、

 

 一方もし、現実の特定の性質を再現していくなかで理解しようとする

 構成論的なアプローチを研究に含んで良いとするなら、

 現実の特定の性質を高精度で再現するゲームは、

 研究手法をももたらしうる、

 ・・・このように思えてきます。

 

 

まとめ

長くなってしまったため、

シミュレーションの一般化については

また次回にしたいと思います。

 

こうしてだんだん

書くハードルが上がっていく。

 

今回、ゲームが生活に与えた影響について、

あくまで自分の例を通じて見てきました。

 

中間目標はどうやら、

目標を分かりやすくパッケージしたり、

短期・長期のと一石二鳥を目指したりするのがよさそうだなあ、

とか、

 

時間感覚が、

複数同時に、とぎれとぎれで、さまざまな刻み幅で

流れているよう感じ始めたなあ、とか、

 

そういったことを述べてきました。

 

ゲームによって、

現実の生活の生産性が高まったり、

現実の感覚がより豊かになったりすることの

一例が示せたように思います。

 

今回はここまでにします。

 

そんなわけで次回、

現実のどのよう題材なら、シミュレーションに出来るのか?を

一般化してみる

 

お楽しみに!

ここまで、ありがとうございました。

 

参考文献

榊祐一  (2015)「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム——『バイオハザード』を例として」押野 武志 編著『日本サブカルチャーを読む 銀河鉄道の夜からAKB48まで』 pp. 253-286, 北海道大学出版会

 

ゲームで得た仕事術と暮らし システムのシミュレーション

どうもです。

さて早速、前回に続いて、

シミュレーションゲームの意味や構造について考えていきます。

が、

 

1つのテーマとして、

ゲームで得た知見が仕事にどう活かせたか。

これについても考えていきます。

 

自分の人生における仕事経験はまだそう長いほうではないため、

あくまで自分はこう役立った、

という話になります。

 

全体の構成としては、

0.準備

1.ゲームによって仕事に何がもたらされたか

2.ゲームによって暮らしに何がもたらされたか

3.続・どのような題材ならシミュレーションに出来うるか

※長くなるのでやっぱり2回に分けます 

 

という感じで行きましょう。

 

0.準備

まずは前回を振り返っていきましょう。

 

シミュレーションゲームによって何がもたらせるか、

②どのようなシミュレーションがありうるか、

この2つについて考えていきました。

 

①では、

・現実では体験が難しい、極限環境のようなものをまざまざと味わえ、

 理解が助けられる。

・あったかもしれないもう一つの現実を、実験的に再現できる。

 (文字通りの意味での「シミュレーション」。)

という一応の結論に至りました。

 

②では、

・生態系や道徳であればゲームに出来えるのではないか。

というところまで思索しましたが、

 

まだ萌芽する具体例を挙げるにとどまっており、

より一般化する余地が残っていますので、

この記事の後半(次回)でもう一度考えます。

 

 

1.ゲームによって仕事に何がもたらされたか 

 

前回考察したように、

ゲームの「シミュレーション」は、

 

文字通りの意味、

車や天気、買い物客などの動向を、計算や思考実験で予想するといった意味での

シミュレーションに近いとも言えます。

 

かなり大風呂敷を広げれば・・・

「科学」に貢献するポテンシャルをも持つように感じられます。

 

では、より手近なところ、仕事や生活においてはどうでしょうか。

 

それぞれ、

かなり初歩的なことを言っているかもしれないので、

「あ~、まあな」くらいの形で流していただけると幸いです。

 

例えば、下記の 『Factorio』では、

かなり仕事術に近い学びが得られたように思います。

 

store.steampowered.com

 

前回のようにシミュレーション対象別に言うならば

生産と物流のシミュレーションといえるでしょう。

 

前回参照した「Block'hood」は、

作り上げていくことが楽しさの中心であるためか、

「生産した資源が、どのように運ばれていくか」は省略されていました。

 

一方 Factorio は、より、物流に特化したものになります。

 

このゲームでは自分一人で、無限に広がっていく大規模工場を

マネジメントするため、

 

相当な工夫と、さまざまな自動化、

そして確かな保守が求められます。

 

 1.1.まずは半自動化

 

工場を作っていくゲームと聞いて始めて見ると、

驚きのスタートを迎えることになります。

 

なんと、周りにまだ何もなく、

つるはしを持った人が一人で立っているのです・・・。

 

このようなとき、どうすればいいでしょう。

 

いきなりフローの全てを自動化することはできませんから、

可能なところだけまずは自動化すればいいわけです。

まずは、機械と人のハイブリッドです!

 

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まずは銅などを掘る機械を置き、

(こいつが動くには燃料が必要なので、)

手動で燃料を与えてやります。

 

まだ、鉄や銅を加工して機械や設備を作るようなものは、

一切できていないので、

自動化されたシステムと呼ぶには程遠いです。

 

しかし、この1つのモジュールを作るだけで大分手が空くため、

このおかげで、後続の自動化が体よく進むようになります。

 

さて、機械と人のハイブリッドという手法は、

相当程度システムが機械化出来た後でも

重要になる局面がかなりあることをよく経験しますが・・・

これについては長くなるため、またどこかで。

 

1.2.スケーラビリティー

 

さて、この後・・・

自動化を急ぎすぎて、重大なミスを2つ犯します。

 

そのうちの1つがスケーラビリティー。

 

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真ん中の段は、

左半分と右半分とで、

作るものを変えていますが、

 

右半分は、画面外の右のほうに湖があるため、

これ以上工場を拡大できなくなっています。

 

つまり工場全体を、2倍、3倍、・・・と拡大するのを

非常に困難にしてしまっているのです。

 

思えば当然のことでしたが、

何倍にも大きくなるのに備え、なるべく簡単に拡大できるよう

設計を考えるべきなのでした。

 

現実では不幸にも、結局拡大どころか縮小することになり、

 拡大に備えることがかえって無駄になる場合も多いですので、

 そもそも拡大するのかを見極める必要があったりしますね・・・

 

1.3.各部門を専門化する

 

さらにこのあと困難に直面します。

 

加工する機械へのインプット・アウトプットのベルトコンベアに

無関係のものを溜めすぎてしまい、

工場が何度も機能停止に陥ります。

 

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この工場では緑のフラスコを作り、

下のコンベアに流すはずなのですが・・・

 

下のコンベアが別の具材で埋められており、

緑のフラスコを流せません。

このアームは相当融通が利く万能なヤツで、

 インプットてあろうとアウトプットであろうと、

 手渡すべきものを自動で手渡してくれるスグレモノですが(現実でも欲しいくらい)、

 コンベアの奥側がいっぱいだと置けない、という難点(利点でもある)があります

 

これに対する解決策はズバリ、

各加工場に対応するコンベアにはそれに関係するものしか流さない、

でした。

欲張って兼用にするからうまくいかないのです・・・

 

下記のブログを拝見し唖然としました。

極論、うまいかたのやり方を見ることが、

一番仕事に役立つかもしれません。

holdgame.net

 

スケーラビリティと合わせて振り返ると、

 

なるべく小さい範囲に工場を作ろうとするのでなく、土地をふんだんに使って、

隙間とかも残すことで後で改修しやすくし、

かつインとアウトを専門化するべきだったということですね。

 

ところで現実では、専門化が必ずしもうまくいかない場合もあるかもしれません。

横断的に知識を活用することと、専任することのトレードオフ

情報を階層化することと、メールのパス数をなるべく減らすことのトレードオフ

規模の経済と、管理が行き届かなくなることのトレードオフ

そして、前述の、人と機械のハイブリッドの必要性。

このあたりもまたの機会に改めて考えたく思います。

 

ともあれこの factorio の世界でうまくやるには、

上のような工夫が賢いやり方であったわけです。

そしてこれは現実においても一定の有用性を持つに違いありません。

 

1.4.バッファと恒常性

 

さて、雨量しかり、

世の中供給が一定とは限りませんから、

そのデコボコを埋める工夫が必要であります。

 

それは例えばダムだったりします。

 

上のような失態の中、

今回唯一自分を褒められる点があったとすれば、

 

ダムのような一時保管箇所を挟むことで

流量をなるべく一定にした点です。

 

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電車でたまに運ばれてくる鉄をコンベアに移すさい、

なるべく時間当たりの供給を一定量にするために、

 

箱に一時保管するというクッションを挟み、

そこから、非常にゆっくりとしたペースで取り出していきます。

 

(まあ、これも誰でも思いついてるかもしれませんが・・・笑)

 

森は水を大地にとどめ、

川の流量をなるべく一定にする天然のダムだなんて言ったりしますが、

まあそんな感じをイメージしつつ。

 

 

他にも「見えているリマインダー」みたいなテクニック

例えば、次のTODOを敢えて途中までやりかけておくことで、

 その場にいったときに思い出せるようにするとか

なんてのも考えられます。

 

これは前に、下記の終盤の「散らかすメリットを考える」でも考察しました。

a16777216.hatenablog.com

 

さて、

長くなってきたのでこの辺りにしたく思います。

 

次回への布石とまとめ

 

最後に、残りの2~3についての布石だけ残しておくことにします。

 

ゲームのある暮らしを考え始めると、

もちろん費用対効果も頭をよぎります。

 

ゲームの中で「さいきょう」を目指す際もやはり現実と同様に、

95% を 99% にするには、

ふつう相当な時間がかかると思います。

 

いかに 20% の努力で 80% の「さいきょう」を目指すのか?

これもある意味ゲームのうまさと言えますね。

 

(その意味でも、教訓としてはよかったものの、

 上の1.2~1.3みたいなミスは避けたほうがいいわけですね)

 

もちろん、「ゲームと生活」の中には、

これを包含してもっと広大な考察の余地が広がります。

 

 

一方、「どのような題材ならシミュレーションに出来うるか。」

 

これを一般化する切り口では、

たとえば「現実の中でゲームに似た構造を有するものは何か?」

などが考えられますね。

 

戦いはもちろん、

経済や政治なんかは非常にゲーム的といえるでしょう。

 

一方、「生産や物流」は、ゲームと少し遠いように感じられます。

そんな中、Factorio のもたらした貢献として、

「いかに(非ゲーム的な現実から)ゲームに近しい側面を切り取るか?」

という問いを

垣間見たように思います。

 

 

この見方を通じて、非ゲーム的な現実のシミュレーション化や、

他にどのようなゲームができうるかを、

次回考えていきたく。

 

 

さて、ここまで、

ゲームの中から仕事に応用できそうなエッセンスを見出してきました。

 

これは Factorio という、

いかに自動化するかが問われるゲームだからこそと言えるでしょう。

(そしてその自動化を実装するための、ゲームの自由度の高さ。)

 

これを一般化して考えるなら、

・「短期についての最適化」と「長期についての最適化」の優先順位決め

・自然や社会、生態系など、既存の構造から模倣できること

 

このようにまとめられるでしょうか。

 

また、この2点は、問いかけと解釈することも出来そうです。

 

さらに、こうした問いは、上記のゲームに限らず、

普遍的なものであるはずです。

 

とするならば、

よりさまざまなゲームの中で答えを探る、

という課題も残されます。

 

これを踏まえて、最後の布石に

「ゲームは生命をシミュレーションするか?

(そしてその見方は仕事に有用足り得るか?)」

を、残します。

 

絶え間なく自分の縄張りを拡大し、

個体を増やし続けることを善とする集団。

 

 

jp.automaton.am

これは、

(生体の詳細な部分はさておき)

生物の集団の挙動そのものではないでしょうか。

 

そしてその普遍性・状況依存性を探求する窓口としても

十分な価値を発揮できるのではないでしょうか。

 

・ゲームと、生命としての人間の関わり合いは。

・生命のどのような側面がゲームたり得るのか。

・そして、ゲームを通じて集団の挙動を理解したとき、その応用は。

 

・・・と、次回とのつながりも、薄っすら残せました。

 

 

それではまた次回。

ありがとうございました。

 

参考文献

「ほるげー Factorio:8時間クリア実績獲得のための手順メモ その[1, 2]」2017/07/15 アクセス