Hearts of Iron IV の日本プレイとアンビバレンス

こんにちは。センケイです。

 

Hearts of Iron というシリーズをご存じでしょうか。

 

工夫をしないと日本語で遊べないので、皆が知っているゲームではないという気がしています。
一方で、かの Civilization のおススメの上位のほうに登場する売れ筋のゲームでもあるため、詳しいかたもまた多いのかもしれません。

 

いずれにせよ、何しろ第二次世界大戦を再現するゲームということで、始める際にはじゃっかんの気まずさを感じるゲームではありました。

一方で「平和を欲すれば、戦争を研究せよ」*1という側面は無視できないところです。近代の戦争に関するものをなんでも拒絶するだけでなく、深く立ち入ることもまた重要といえるでしょう。その意味では、学びが大きく、おススメしたいゲームと言えます。

 

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出典:Hearts of Iron IV


 

さて、そのような言葉を背景にしつつも、恥ずかしながらメインの動機は他にありました。当時の戦争をもっと知りたい好奇心や、ゲームとしては絶対面白いだろうという悪い期待があったことは、これは否めません。

また、皮肉なことに、相対的に言えば枢軸国のほうが拡張政策を取っていく分、ゲームとしては良くできているのです。

自分の思想的な好みとしては、まずナショナリズムアイデンティティーの基本に据えること自体に抵抗があり、ましてや民間人への残虐なふるまいを含む侵略行為などもってのほかなのですが、ゲームとしては大変好みのものであり、葛藤を抱えながらも始めることにしました。

 

Hearts of Iron III ではドイツで途中までプレイしていたので、今回はあえて日本でプレイを開始しました。

ナショナリズムはイヤと言いつつも、当時にして本邦が世界七大 Major countries に含まれるほどに、技術や工業力、さらには海軍力があったことには、正直ちょっと誇りを感じてしまいました。

(「本邦」と書けば概ね伝わるというのは、言語共同体と地域が概ね一致していることを前提にしているため、厳密にいえば議論の余地がある姿勢かもしれませんが、これについてはまた別の機会に。)

まあなにしろ我々ゲーマーはゆうに100を超える艦船を互いに顔で区別できるくらい熟知しているわけですから、ゲームとしては、やっぱり面白いわけです。

 

ほんとうは色々能書きを書いていかずに素直に書いていくほうがゲーム日記としては優れたものになった気もしますが、これを機に改めて感じたことも色々とあったので、そうした面も含んだ記事として楽しんでいただけたらと思います。

 

 

 

準備、そして日中戦争の始まり

さて、ゲームの開始年はデフォルトでは 1936 年から始まります。

 

シムシティカタンの開拓者たちと同様、工場については、工場を作ればより工場が増やせるという指数関数的な増加のメカニズムがあります。

それならば、ということで、まさに工場を増やすための工場である民間工場をとにかく建ててみます(もっと最適化しようという快感につられて3回くらい最初からやりなおしてしまいました。インフラが発達した地方に建てるほうが速く建つなど、10%~20%ほど速める TIPS を都度都度発見してしまったためです。さいしょによく熟知しておくべきでした。National focus も、研究スロットが5つになるパスを最優先しつつ、工場を強めるものを最初に解禁するように工夫します。)

 

史実モードを ON にしている日本の場合、中華民国との戦いは盧溝橋事件から始まります。英語版では Marco Polo Bridge Incident となっており最初は何のことかよく分かりませんでしたが、これが盧溝橋事件の英訳のようです。

いろいろ思うところがあるのには目をつむり、とにかく始めてみましょう。

この National focus を選ぶと抗日戦争に対しての戦力がかなり弱まりますが、10% ずつ 戦力が回復する Decision を少しの時間差で5回選べ、Marco Polo Bridge Incident 開始前のデバフなし状態に戻れます(回復する Decision が5回選べることに気付かず、ここでも半年から1年ほど戻ってやりなおすのを数回繰り返しました)。

 

Shanxi, いわば山西派は、きょうびまで知らなかったのですが軍閥時代に自治が分かれた名残か、中華民国と別の国扱いになっています。こちらの山西派に対しては、何とか押し込めます。

しかし中華民国の中央軍はやはり強いです。

補給で賄える人員が拮抗しているためか、国境を一歩も動かすことができません。

山東半島海兵隊を侵入させると、中華民国は同じ補給内で戦力を分散させないといけなくなるため、これでようやく押し込んでいけます。

 

自国領では人口の 2.5% を徴兵するのに対して占領地からは最大でも 0.5% 前後、つまり自国領の 1/5 ほどまでマンパワーが下がってしまうので、なるべく犠牲を最小にし、相手の損耗の 1/5 以下程度を目指していきます。

 

1940年夏、ようやく大勢が決し、あとは主に Xibei San Ma、つまり西北三馬を残すのみとなりました。史実と違い、あちこちに同時に手を出さなかった分、勝てたのでしょうか。

 

アジア・太平洋戦争の行く末

こうなるとしばらくは拮抗する戦いというのはなく、余裕が出ます。何もかもが最強の国アメリカ合衆国に勝てるのかは最後まで心配の種でしたが、ひとまずフィリピンに手をかけない間は、片手間でしか攻撃してきません。

やはり National focus の中に次の戦争の口実があり、英領マラヤ、英領インド、オランダ領インドネシアらとの戦いになります。タコのアイコンに日本っぽさを感じます。

英国軍はやはり中華民国以上に屈強で、局所戦で苦戦します。しかしアジアに本気を出す余力がないのか、数で押し負けることはありません。

海が多く多少時間を要しますが、順当にいけば一円を占領できていきます。インドを押さえる頃には、人口10億の巨大帝国へと相成ります。

こうなってくると、いくら占領地で 0.5% しか徴兵できないとはいえ、マンパワーの心配はだいぶ少なくなってきます。

 

しかし、別のことが気になってきます。

ドイツがソ連と戦争を開始したということで、最初はお仲間のドイツが二正面を相手にやられてしまわないか心配したのですが、むしろソ連をものともしない圧倒的な帝国に成長しつつあるではないですか。

さきほどの 1940年夏時点で比較しても、日本が工場数 126 だったのに対し、この時点でドイツには 319 の工場があります。どこで差がついてしまったのでしょうか。イベントで大きく土地を奪取したのか、あるいはヨーロッパの工場力が当時をして全体的に凄かったのか。今思うと、損耗を恐れてのんびりやりすぎたのかもしれません。

ちなみに、ゲーム開始時点ですでに大きく劣っていたのなら諦めも付きますが、1936 年時点での工場数は日本 49 に対してドイツ 69 と 1.5 倍差未満で、これは言い訳にできません。

ともあれ、工場数でドイツに勝ることを、このころから裏の目標として意識します。

 

落ち着いてからフィリピンとも片を付け、アメリカ上陸を目指します。圧倒的な強国であり、最初はあまり陸軍を擁していなかったものの、すでにこの頃には海軍と空軍だけでなく陸軍でも日本を圧倒しつつあり、近海に近づくにつれ、ハラハラしてきます。

 

アリューシャン諸島最西端にある Attu Island なる島に、静かに上陸していきます。今見てみたところ、史実では激しい戦いがあったようですが、今回なぜか上陸がうまくいってしまい、不気味な静けさにますます恐ろしさを感じます。

 

アリューシャン諸島を伝ってにじり寄るように上がっていきます。上陸後に集中攻撃を受けたらひとたまりもないので、別の箇所にもブラフの Naval invation をするなどしました。が、アラスカを本気で取り返しには来ず、いよいよ本格的な上陸を開始していくことになります。

普通に考えたら、上陸を放っておくと不味いことになるので、全力で追い出しに来てもおかしくはないのですが、AI プレイヤーのアメリカにはそうした判断がなかったのでしょうか。

 

以降、拍子抜けとまではいかないまでも、それなりの規模の戦いを経、西海岸を占拠し始めます。ワシントン州まで来たときは、ここで来たか、という具合にかなりの戦力に出くわしました。しかしそれでもなお、総勢の半分くらいはどこかほかに出払っているようで、陸軍数でこちらが勝る形になりました。

さいしょはほとんど制空権を取られていたため、局所的に 1.5 倍程度の戦力ではまるで押し勝てませんでした。が、相手は都市に戦力を固めがちな分、その周りが手薄になり、手薄をせめて都市を囲み、籠城戦に持ち込ませて撃滅するという悪いことを繰り返し、押し込んでいきます。

こうなってくると、アルミニウムが十分に入手できはじめ、工場力もだいぶ余裕ができてくるので(かれこれ 400 工場くらいまで増加)、不足分の航空機を急速に補っていけます。このゲームの総合スコアはほぼほぼ航空機数で決まってきているようで、ソ連を抜き4位、ドイツを抜き3位と、総合スコアで英米に次ぐ順位にと浮上してきます。

 

さてこの頃独ソ戦はというと、最初こそ拮抗していたものの、徐々にドイツが押し勝っていき、一度国境が動き始めると雪だるま式に東へと戦線が動いていきました。放っておくとすぐモスクワに達し、ソ連がほぼすべてドイツになってしまいます。

こうなってしまうと先の工場数の目標が厳しくなるため、少し時を戻して1~2割だけでも割譲を得ようと試みるなどしました。州都を抑えた土地は、少ない勝利ポイントで割譲を得られるようです。それで、アゼルバイジャン付近など工場数総計にして総計 30 - 40 を得るまで粘りました。かなりさかのぼらないかぎり、このくらいが限界でしょう。

 

アメリカが 400 ほどの、イギリスが 250 ほどの工場を抱えており、これらを占拠すれば逆転できるだろうと急いでみます。

アメリ東海岸まで到達すると、今度はグリーンランドから回ってイギリス侵入を試みます。

実際、イギリス上陸後は、ドイツが 900 工場くらいなのに対して日本は 750 工場くらいまで、あと少し…。

と、ここで講和会議です。

日本はアメリカとイギリスをほぼすべて占領したものの、なんと、犠牲を払って長い戦いをずっと続けてきたからなのか、ドイツのほうが 1.5 倍ほど勝利ポイントが多く割り当てられています。長い講和会議の結果(何回かやりなおし)、実際の占領地よりは一割減ほどの土地を保有することになりました。

ここで、実は日本の国策のせいなのか特徴のせいなのか、占領地での工場数がなぜか2割ほど無くなってしまっているではありませんか!これによって工場数がさらに減り、最終的に 696 工場になりました。対するドイツは 927 工場。ウーム。まあ、航空機数も1万機を超え、この時点で晴れて総合スコア1位になったため、この辺で満足することにしましょう。

 

ドイツと頂上決戦をするのも面白いかもしれない、ということもちょっと考えました。確かに陸軍ではドイツが 1.5 倍近くあり、土地や工場もドイツに文字通り軍配が上がるのですが、対し日本は Home Islands をはじめ、北アメリカやイギリスなど重要拠点の多くを海に囲まれる形で有しています。

日本海軍が守るこうした拠点は(加えて、これと同程度の艦船数を誇るアメリカ、イギリスも傀儡に加えています)、決して上陸を許さないでしょう。東アジアや東南アジア、インドについても、国境付近に高山があり、かなり時間を稼げます。

攻めについてはというと、こちらはブリテン島なる強力な防空要塞で、大陸ににらみをきかせています。山岳地帯で粘って時間を稼いでいる間、好きに爆撃や Naval invation を加えられるわけです。直接戦闘には不利な戦いを、地の利と総合力でカバーする。なかなか良いではないですか。

 

…とまあ、いずれやってみたい妄想は膨らみますが、ここまでで膨大な時間を消費しており、加えて、領土が国から国へと渡されていけばいくほどまた悲劇があるんだろうな、などという想像が頭をよぎり始めたので、やはりこの辺でいったんやめておきましょう。

 

 

改めて史実を振り返る

失敗の本質』といった本を見ていくとずいぶん情けない敗け方をしていたことがわかります。これを受けて、俺だったらうまくやるぞ、という感じで、たまには時を忘れて無邪気に IF を遊んでしまうわけです。

まあしかし、そのように楽しめたのも、この Hearts of Iron IV というゲームが、細部を隠蔽しているという意味で優れた作品であるからこそ、可能だったのでしょう。

 

以下も恥ずかしながら興味本位で手に取った本ですが、その名もずばり『第二次世界大戦』という本があります。さて、展開こそ目が離せず、興奮して一気に読んだものの、やはり枢軸国たるや、残虐さにせよ、凄惨な動機にせよ、あまりにむごたらしかったということに気づき、胸が悪くなってしまうのです。

ゲームの表面では現れてこないため気にしないで済むわけですが、もし、軍が占領地を得るたびに、史実と同じく民間人に対しても惨殺やレイプを繰り返しているのだとしたらどう思うか。
歴史の教科書を振り返ってみて、ジャワ島まで占領してたの凄いじゃん、などとも一瞬思ってしまいましたが、その陰に何があったかを考えるとやはり安穏としてはいられません。

いや、民間人はもとより、軍人の犠牲だって痛ましいに決まっています。なんなら自国民の軍人だって、軍備拡張政策のために国の犠牲になっていいはずがありません。

 

まして、拡張政策の国々が、もしも世界を占拠し、ルールとなってしまっていたのなら。

第二次世界大戦』という本は、上の結果のような世界になったとき、どれほど世界が絶望に包まれてしまったであろうかを、改めて教えてくれたのでした。 

とりわけ、何度も戦場に選ばれ、奪われ続けたポーランドの受けた一連の苦しみを知ると、いくらゲームだと割り切っても「ドイツのポーランドを日本が占領しよう」などと考えたくなくなってしまいます。

 

敗戦という結果がもたらしたこんにちの生活も、我々にとって恩恵の大きなものになっています。日本の憲法は大幅にアップデートされ、ようやく基本的な人権が保障されはじめました。同書にあるように、婦人参政権が導入されたことも大きいです。

イギリスが、ときのチャーチル首相が、アメリカが参戦するまで何が何でも戦い抜くとし、バトル・オブ・ブリテンにて勝利をおさめていなければ、私たちの自由は、今よりも遥かに制限されたものになっていたかもしれません。

 

なお、この本に限らず、今回のゲームプレイをきっかけに学んだことは数多くありました。例えば、蔣介石(あるいは蔣中正)のことを改めて調べてみると、彼の言葉は心に残るものばかりでした。それで私たちがただちに許されるわけではないにせよ、私たちにとって救いになる言葉もあります。

Wikipedia いわく「日本と、生涯に渡り深い関係を持っていた。」とされる彼の人生からは、後世に残された私たちが何を思うか、考えさせられるところが多々あります。

 

素晴らしきこのゲーム

色々書きましたが、いずれにしても Hearts of Iron IV は大変面白く、素晴らしいゲームです。本当に寝る間も惜しいくらい面白くて、夏だということもあり空が白んできたことに危機感を覚えて寝るような晩も何晩もありました。Civilization V, Transport Fever, Factorio に次いで、いつのまにかプレイ時間が4位になっていました。

技術ツリーなども洗練されており、一見細かく見える采配も1つ1つしっかり面白いです。即効性ではなくじわじわと効き目を表してくるほんのちょっと施策の積み重ねは、頭の使い方が仕事術にも似ている感じがし、いい訓練になる感じがします。

それに、こういう風に歴史を知るきっかけになる点も、素晴らしいではありませんか。私はこういうきっかけになる点でもこのゲームが好きです。

 

最初に、皮肉なことに枢軸国のほうがゲームとしてよくできている、という旨を書きました。考えてみれば、拡張政策がそういう人間の欲望に触れるからこそ、人が戦争に駆り立てられるのかもしれません。

それならば、だからこそ現実においては、そのようなことが始まることのないよう、理性でその欲望に立ち向かわないといけない。あるいは、情動をして恐怖の感覚を受け継いでいかなければならない。今思えば、これこそが最大の学びだったのかもしれません。

いっぽう、ゲームでだけは羽目を外して楽しむというのも、オツなものです。

 

終戦からもうすぐ75年を迎えるわけですが、今猛烈にハマってしまっても大丈夫という心の準備または可処分時間の準備ができたさいには、是非遊んでみてください。

 

それでは、今回もありがとうございました。

 

 

参考文献

 

store.steampowered.com

 

 

第二次世界大戦 (シリーズ戦争学入門)

第二次世界大戦 (シリーズ戦争学入門)

 

出版社サイト

 

 

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ニューステージ世界史詳覧

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  • 作者:浜島書店
  • 発売日: 1998/08/01
  • メディア: 単行本
 

 出版社サイト(2020年度版)

 

 

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*1:第二次世界大戦』より。