外の世界はときに行く先に、鞄に、そして光の中に

こんにちは。センケイです。

 

ツイッターや記事では WONDERFUL STORIES の話ばかりして来ましたが、やっぱり自分の中でスイッチが入り始めたのは PURE PHRASE からであって、忘れられない光景として焼き付いています。

これは、その焼き付いた理由もそうだし、ベルーナドームの性質や、そこでの出来事も含めて振り返らなければと思い、関係する他の曲の話も少し混ぜつつ、改めて言葉にしておきたいと思います。

 

特に、「新しい世界」には幾つもの意味があったのではないかと思ってハッとし、これを文字としてまとめなければ、という想いに駆られたのです。

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YouTube限定公開】PURE PHRASE Special MV/ (Love Live! series)ラブライブ!シリーズ公式チャンネル

 

土曜についてひとしきり書いたので、日曜専用の記事も書かねばとは思っていましたが、また土曜多めになることご容赦ください。

それでは参りましょう。

 

 

PURE PHRASE が訪れた先と、連れてきたもの

 

このツアー中、新しい世界、外の世界がキーワードになると思われるものは PURE PHRASE に限ったことではありませんが、まずは PURE PHRASE について書ききってしまいたいと思います。

 

この曲を素朴に理解しようとすると、新しい世界というのは、桜内梨子Aqours のメンバーになることで見ることができた世界のこと、これでほぼ間違いないでしょう。

例えば、「出会いって魔法? 会えなかったら 今の私じゃない私」というフレーズからは、他の8人と出会い、そしてときを紡いできたことが、梨子にとって重要な何かをもたらしたのだ、と理解できます。

この曲での逢田さんの衣装がさながら旅人のようであったこともあり、新しい世界は沼津や内浦のことを指しているようにも見えたのですが、もう少し抽象的に、9人で過ごすようになった物語の全般を指すと考えるほうが、よりしっくり来るかもしれません。

 

 

ここで理解を深めるために、少し理屈のパートを挟んでみます。

組織・コミュニティデザイン』という本では、昔の事例にはなりますが 1984 年に始まったプロジェクトで、智頭町 (ちづちょう) に新しい産業を芽生えさせつつ活性化させるという営みが紹介されています。ここで、「第三者」「外の世界」という概念がたびたび触れられています。

 

ここでいう第三者というのは、複数の人が溶け合っているときに、その共通の経験から生み出される、その誰のポジションとも異なる視点から発される声のことです。

ここではその声は、皆にとって何が自然な行ないなのかを示すもの、つまり「規範」であるとされています。また、溶け合いとは、お互いが頻繁に他者になる、つまり頻繁に相手の経験を自分のことのように感じることであるとされています。

梨子は高海千歌を初め、各メンバーの状況を自分事として受け止め、またお互いの役割を入れ替えてその境界を曖昧にするようなことを多く経験します。その意味で溶け合いがあり、そこには「第三者」の規範、つまり9人にとっての自然な振る舞いが生まれていったことでしょう。

 

本の話題に戻ると、智頭町でのプロジェクトを特に中心になって進めたある2人が「第三者」の声を代弁するとき、外部から人を招き入れたり、外の街に積極的に訪れたりし、「外の世界」を取り入れていたようです。外の人を含む外の世界の招き入れが、第三者の声を営んでいく上で重要であることが伺えます。

 

この話を読んで改めてハッとしました。というのも梨子本人が、元々は外の世界から現れ、曲を書くということを含む外の世界を、連れてきた人物ではなかったでしょうか。

梨子が Aqours という外の世界を見るとき、梨子もまた8人に外の世界を見せた人物であったのではないでしょうか。外というのはお互いの中にあったのです。

 

これを踏まえた上で、以下がこの日の7曲目に在った PURE PHRASE の感動の理由だったのではないかと思います。

外の世界を探していることを梨子が歌うとき、まさにここに外の世界があったこと。8人にとっての梨子の世界。梨子が8人のもとを訪れてその目で見た世界。そして、私たちファンが新衣装を通じて見る、PURE PHRASE という新しい世界そのもの。

さらにベルーナドームが外に通じていることを通じて、私は個人的に、外の世界を全身で感じていました。この場にある梨子の世界に留まらず、梨子や8人が、そして私たちたちファンがいつの日か向かうだろう外のどこか、新しいどこかがそこにあるのだと。

 

そのうえ、3月という季節がやってくるなり、その場に一面の桜があったこと。

思い返してみれば、梨子は春風とともに訪れ、少なくとも千歌の心象風景を追う限りでは、桜を連れてきた人物でもありました。

千歌と渡辺曜のもとに梨子が訪れた喜びを表現しているであろう、決めたよ Hand in Hand の真っ最中に、つぼみが満開へと変わるのを思い出してみましょう。

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ラブライブ!サンシャイン!1期1話/©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

悪魔合体

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ラブライブ!サンシャイン!1期1話/©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

考えてみればこの日、長いときを経てついに、ついに一杯になったこの球場ではじめてその3万人が同じ色を灯したのは、この曲が最初ではなかったでしょうか。

気象庁によればこの日 2022 年 3 月 5 日、所沢市は今年始まって以来もっとも高い最高気温 17.8 度を記録しました。

この陽気で春の確かな実感がある中、少し早足にもたらされた桜の絨毯。少し早いけどあるいは、沼津から連れてきてもらった河津桜のピンクでしょうか。このように、梨子は、あるいは逢田さんは、私たちのもとに桜をいざなってくれたのです。

 

しかしこれもまたある意味では私たちファンが暗黙に理解している皆にとっての「自然 (なこと)」、つまり規範による部分もありますね。ソロ曲ではそのイメージカラーにするという規範による部分が。

この第三者の声という規範があることで、私たちはこの春に桜を連れてくる存在になりました。同時に、桜を連れてくる皆 ≒ 「ベルーナドーム」あるいは「会場」になることができたのです。

自分自身、外の世界を作る一部になりながら、皆 ≒ 会場がもたらしてくださる外の世界に身を浸せること。これこそが、それなりに長い人生を歩んできたはずだったのにまるで経験したことがなかったような、これまでと違う世界を見たような経験になったのだと思うのです。

 

私事ながら、全国的な桜の季節が舞い降りる前にと、満を持して μ's の物語の2期を見返していたところでした。するとそこで、9人皆で物語を共有し、さらにそれを (学校のみんな?あるいは) ファンのみんなと共有することが μ's の本質であるということを、思い出すことができました。

WONDERFUL STOR「IES」と複数形になっているところから Aqours は恐らく9人それぞれ別の物語を持っているのだろうけど、それでもなお Aqours の9つの物語も恐らくそれぞれ完全に独立のものではないだろうし、また、ファンが同じ夢を追いかけられる点もやはり共通していることでしょう。

僭越な考えかもしれませんが、それに今となっては 10 人目を名乗るのもおこがましい気もしてしまうのだけれど、もし、ファンである私たちもまたその場の夢を実現するための登場人物であったならば。

このように自分を登場人物にしてくれるかもしれないラブライブ!の枠組みが、その外の世界の風景がよりいっそう染み入るように、物語の中から一緒に桜色の世界を見せるように仕掛けてくれたのだと思うのです。梨子が眼前に見た外の世界を、梨子が誘い入れた外の世界を、そして海 = OCEAN の中から伸ばした MV の梨子の手が、陽射し ≒ SUNNY のもとへと出たとき、振り返る外の世界を*1

 

また、これは想像ですが、キャストさん9名もそれぞれ、お互いのところに外の世界を連れてきているのかな、という気がしました。それぞれが何かしら音楽関係でソロ活動をされていて、かなりの刺激になっていることが想像に難くありません。そういう切磋琢磨があってあの輝かしいパフォーマンスに至っているのだとしたら。何か、心の洗われるような想いになります。

 

その結実があるとしたら、それが歌の内容に特に現れている曲の1つが、届かない星だとしても であると想像します。

今歌われる星ってなんだろう。その1つはやはり変わることなく μ's かな、とも思いましたが、それだけではない気もしました。この先にある、まだ見たこともないキャストさんご自身たちの姿もまた、もしかしたら星なんじゃないかなって。

いずれにしても、2 days の東京ドームを一度いっぱいにした超人気グループであってもなお、さらに目指すものがあり、今はまだ届かないけど手をのばそうということを歌ってらっしゃるわけです。

その先にどんな新しい世界を見てらっしゃるのか。それが何であれ、決してとどまるところを知らないその勇姿に、改めて強く打たれた気持ちになりました。今の自分は妥協してしまっていないかと、いい意味で不安になることができました。

 

 

美しさの日曜日、そしてそれよりも先のこと

 

日曜日の話をするならば、コットンキャンディえいえいおー!もまた、外の世界を見られたがゆえに胸に深く刻まれた曲であったのではないでしょうか。

既に多くのかたが言及してらっしゃるので詳細は省きますが、MV の映像で描かれていた内容に対する外の世界が描かれていたことが、その衝撃、笑い、作品としての美しさ、そして感動に結びついていたのではないかと思います。

 

シマウマや、リュックのモチーフになったキャラクター、大量に吹き出す飴はどこから調達されてきたのか。飛び飛びのコマに描かれるゆえに躍動感の突出したあの動きは、もしなめらかに繋ぐならどんな動きなのか。

MV であればキャラや小道具は無から生じられるし、どんな不連続な動きも描くことができるのだけど、MV の四角の外の世界、あるいはコマとコマの間の世界が描かれたことに驚嘆してしまいました。外や間を補完し、その再現への熱意、あるいはその一連の舞台の完成度への熱意は、あまりにも美しいものだったのです。

そこにはさらに、姉妹の繋がりという外の世界、あるいは、小宮さんが真顔を得意技にしてらっしゃるという作品世界の外の世界があったのかもしれません。

それらを全て交わらせることで、MV 内外が渾然一体となった時空間を作ってらっしゃった、それにこそ自分の心が鷲掴みにされたのではなかったかと思います。

 

 

日曜日はそうしたソロ曲の他に、MC のところでも、土曜にはなかった感動を多く頂くかたちになりました。

9名のどの言葉からも大きな勇気を頂くかたちになったのですが、やはり降幡さんが君のこころは輝いてるかいを引用して仰っていた「みらい 変わりはじめた」というお話が忘れられません。

声を聞きたい!というお話に続いて話してらっしゃったので、自分としては、やっと (ドームのような大会場でも) 音楽ができるようになってきた、というお話かなと思って胸に刻んでおりました。でももしかするとその次に仰っていた話題である、今度は Aqours がサンシャイン!! を作っていく、という文脈の話であったのかもしれません。どちらの文脈であっても、たいへん胸に響くものであることには変わりないのですが。

 

ただどちらの文脈で受け取ったとしても、こうしてまた音楽が戻ってきたことについて、たとえそれがあまりに待ち望んだものであったとはいえ、「元の世界に戻った」と思うだけでは勿体ないしちょっと違うのではないか。そう思えてきたのです。

黒鷺さんのお言葉を借りるなら、この2年ほどの時間というのは、決してただ過ぎ去るのを待っていたような時間ではなくて。キャストやスタッフのかたがたも、ずっとより良いものを作ってきてらっしゃった、そのために鍛錬もしてらっしゃった時間だったのだと思います。

だから、いくらずっと待っていたからとはいえ、こうして音楽がようやく戻ってきたことだけに着目していては勿体ないし、失礼かもしれないなと。Aqours のかたがたは、2年分の蓄積の先にある素晴らしいパフォーマンスを現にこうしてしてらっしゃるのです。

 

そこで、この2年間はあくまで世界の境界であって、この 2022 年の春から始まるものこそ、新しい世界なんじゃないかなと。

そこには新しい、さらに洗練されたパフォーマンスがあります。また、もっと形式的なところでは、これはスペースをしたさいの感想戦でどなたかが仰っていた話なのですが、声が出せない条件下でいい意味で新しい見せ方をしている SUKI for you, DREAM for you! のような演目もあります。

 

 

あの2日間で見た/始まった外の世界

 

PURE PHRASE やコットンキャンディえいえいおー!のような初披露曲に代表されるように、外に開かれた時空間で私たちは、人物が訪れた先としての外の世界や、人物といっしょにやってきた外の世界、あるいは人物を描いた四角には収まらない外の世界を見せてもらうことができました。

そしてその力は、3万人ものかたが来られていて、だからこそより増幅されたものになったのではないかとも感じられました。

 

これもまた感想戦でどなたかが仰っていた受け売りなのですが、not ALONE not HITORI で「僕らを照らしてる」「星」というのは私たちファンのペンライトであって、あの曲順は私たちが作ることができた虹へのアンサーなのではないか、と。そんなお話をお伺いしたのでした。

もしそうだとするならば、そしてこれも僭越な話ですが、もしキャストさんたちの「みんながここに連れてきてくれた」というお話を一度真に受けてみるとするならば。私たちファンもまたひとつの外の世界なのかもしれません。

こうしたファン、あるいは会場という外の世界が何をもたらしたのかは預かり知ることのできるものではありませんが、少なくとも、得も言われぬ光景だったということだけは言えるのではないでしょうか。それは少なくとも私にとっては感動の大きな源でした。私にとってはこれも大事な外の世界であったのです。

 

そして、これから待っているのは、音楽がやっと人類のもとにかえってきたのちの、私たちの新しい世界です。

キャストさんたちがこれからもまだまだ止まらないと仰っているのを聞いて、またしても受け取ってしまったのは、自分のこれからの世界を頑張りたいという想いです。

この頑張りたいという気持ちを持った今振り返るからこそ、あのときの曲の数々、旅の途中のような、あるいはお祭りのような、どこか知らない場所に来たような感じが、ますます彩りを増して感じられているように思います。

 

あの夢のステージへ 「再び――」とあるけれども、きっとそれは全く知らない世界で。まだ起こってもいない時間だから、それはそうなのですが。

そんな6月の日も含めた未来の知らない世界を、それに向かっていくエネルギーを持った日々を、キャストさんにも負けないくらいのつもりで、過ごしていきたいですね。

 

それでは、ここまでありがとうございました。

誰もが、そして社会情勢が無事であることを祈りつつ、それぞれの新しい世界で、そしてきっと文京区でお会いしましょう。

*1:OCEAN のキービジュアルでは海の内側のみが描かれていますが、SUNNY では視野角が 180 度よりも広く、空と海の両方が絵に収められています。まるでいま出てきたばかりの海を、外の世界として見つめ返しているようです。