大事なことを何でも教えてくれる Aqours 予備校

こんにちは。センケイです。

 

気がつけばなんと。Aqours があの夢のステージへ返ってくるタイミングまでもう1ヶ月もない一週間もないということで。

最推しグループの公演に向けて Aqours のどのようなところが良いのか、改めて振り返りたい次第です。

 

 

それで思ったのはやはり、いかに Aqours がありとあらゆる点で助けてくれるのか、という点です。

その歌詞で言われていることを忠実にやってみていたら、困りごとがなんとかなってしまったり、挑戦しようと一歩踏み出せたりと、とにかく1つ1つがいい方向に向かっていくのを感じます。

日常はやはりドラマではないから、いきなり大きく変わるようなことは多くは無いのだけど (皆無でもないけど)、 そうした変化を全部集めたら結構すごいんじゃないかって。

 

なので、困りごとや挑戦の種類を軸にして、それぞれどんな風に Aqours の言葉が助けてくれるのか。これを整理していきます。

そうすると見えてくることでしょう。Aqours が支えてくれることの多さが!

 

なお、特に困りごとについては、Aqours に出会う以前も含めた過去の私が経験してきたもの、あるいは私の経験をもとに想像しうるもので、特定の誰かの出来事を暗に表すものではありません。

 

それでは対戦よろしくおねがいします、Aqours 先生!

 

 

挑戦に関すること

 

何かを始めたいのに、まだ始めていない今がつらいとき

そんなときには、「Jump up HIGH!!」「決めたよHand in Hand」があります。

 

こうした歌を聴いていると、このように思います。今すぐ急いで何かをやらなくてもいい、期がだんだんと熟していくから。そのときが来たら動き出せる、と。

今生まれた想いは、いつか「あの日生まれた想い」に変わるでしょう。そしてきっと「時が満ち」、「動きだ」すのでしょう。そのときには多分、「「今だ 今だ!」そう声が聞こえ」るのかもしれません。

 

今は「まだ分からないけど入り口はここかも」と思うだけで良いのかもしれなくって。いつか熟する何かに向かって、「いまがその時とピンと」くるのが大事かなって。

そうした言葉の数々を聴いていると、ひとまずは始めたい気持ちを持つだけでぜんぜん違うのかなって、そのように思えてきます。

 

何かをやってみたいのに、何をやっていいか分からないとき

そんなときには、「Brightest Melody」や「未体験HORIZON」が優しく包み込んでくれることでしょう。

「また始めたい とびっきりの何か?何かを!」という風にうずうずしているとき。しかしその夢の内容は、「それは… なんだろうね!?」という形であっても構わないということなのだと思います。夢は必ずしも今ハッキリしていなくても、それでも良いのかもしれませんね。

「夢のカタチ変わる」し、「正解がひとつきりだなんて 決めないで」良いのです、きっと。最初から正解だと分かっているものに向かわなくても、後から正解がわかってくることだっておうおうにしてあるでしょう。

 

失敗が怖くて始められないとき

さて、この記事を読んでくださるほど Aqours のファンというかたは、もはやこの節を必要としているかたはいらっしゃらないのではないかと、正直思っています。

Aqours の曲オールスターズが一同に介してしまいます!

勇気はどこに?君の胸に!」、「スリリング・ワンウェイ」、「Wake up, Challenger!!」がまずは待ち構えています。

「だめならまた次のチャンスをつかみに」。失敗する自由があるとき、人は学習することができます。

「ガッカリはしたくないって 何を守るつもりさ?」失敗の痛みがあるとしても、それはあもしかしたら挑戦を始める意義と比べると、小さいものなのかもしれません。だから「失敗だって準備運動のひとつ」。

 

「キセキヒカル」は言います。「投げ出したい時こそ 大きく変わる時さ」。行き詰まるようなときもあるからこそ、大きく跳躍し、羽ばたけるのでしょう。

 

また、「MIRACLE WAVE」は言います。「案じるよりやっちゃえ どーんと行け」。やってみて観測するからこそ、分かってくることがある。まるでそう言われたような気持ちになります。観測していないことを予想しても、結局の所良いのかどうか分かりません。入り込んで、中から見るしかないのです。

 

確かに現実世界では、体力にしてもキャパにしても限界があり、何でも挑戦というわけにもいきません。半端に始めて迷惑をかけるのは避けよう、というのも正しい判断なのかなとも思います。なので、せめて未来の自分が受け止めきれる範囲なら。思い切ってぶつかってみたいところですね。

 

新しい環境で何かを始めることになったとき

これはベタかもしれません。しかしやはり「WATER BLUE NEW WORLD」は間違いなく応援してくれるでしょう。

「ずっとここにいたいと思ってるけど きっと旅立ってくって分かってるんだよ」と。そういう状況もあるということを、包み込んでくれます。その上で、「次の輝きへと海を渡ろう」と発破をかけてくれます。

しかしこの曲が温かいのは、それだけではないと思うのです。

「だからこの時を楽しく」。まだ移る前の今ここで全力を出すことが宝物になるということもまた、教えてくれるのです。名残惜しく立ち去ることもあるでしょう。あるいは、ようやく最後のひと頑張りだという必死の思いで立ち去る場合もあるかもしれません。しかしいずれにしても、今ここでやりきったことが次に繋がる、そういうことを教えてくれているように思うのです。

 

場所や移動に関すること

今いる場所のことが好きになれないときは

まずはベタに「夢で夜空を照らしたい」が意味を持つかもしれません。望むと望まざるとに関わらず辿り着いたこの場所というのは、住んだ以上は、「自分を育てた景色」なのではないかと思うのです。

しかしあるいは。「今」いる場所が好きじゃないときには、その理由として、かつて住んだ場所が好きだったから、という理由があるかもしれません。それは、実際の故郷かもしれませんし、あるいは、セカンドホームのようなものかもしれません。いずれにしても、そのようにかつて好きだった場所は、心のふるさとなのかもしれません。

そんなときは「JIMO-AI Dash!」が効くのではないでしょうか。「ココロに持」った「帰る場所」。それが「いつだって 待っててくれる」と思うとき、今この瞬間はその場所を離れていても、その場所の存在が支えになってくれるのかもしれません。

 

何かの転機で知人と離れてしまうときは

卒業や進学、就職や転職、転勤、入籍、あるいはまた別の理由で引っ越したというときに、親しい人と離れてしまうことは少なくないと思います。それをわびしく感じる日には、例えば「not ALONE not HITORI」が優しく語りかけてきてくれるように思います。

「どんなに遠くても大丈夫」「だけどつながる」「ひとりじゃない」。この曲はラジオをテーマにした曲ですが、少し拡大解釈するなら、今の時代はインターネットに助けられることも多いかもしれません。「語り明か」すことも随分しやすくなったという実感があります。そうした道具が充実している今、ひとりじゃないと思うだけでも、結構違ってくるかもしれません。

 

「Next SPARKLING!!」も助けてくれることでしょう。「いまこの時を大切に刻んだのは ぜったい消えないステキな物語」だから。離れても、これまで一緒にいた時間が助け続けてくれる、と、語りかけてくれているようです。そして、「君と僕らはこれからも つながってるんだよ」と。

 

いや、そんな助けがあったとしても。それでもやっぱり何かの理由で離れてしまうのは避けたい。そういう気持ちだってあり得るでしょう。そんなときは「想いよひとつになれ」がヒントをくれることでしょう。

何かを選ばなきゃいけないとき。そのために、例えば親しい人と近くにいることは、必ず諦めなければいけないことなのでしょうか。もちろんそういう場合も存在するかもしれません。でも、諦めない気持ちを心のどこかに残すように促してくれるのが、この曲なのだと思います。

確かに離れてしまったとして「どこにいても同じ明日を信じてる」ことができるかもしれません。でもやっぱりそれに負けないくらい大事なことは、「なにかをつかむことで なにかをあきらめない」こと。どちらも我慢しなくていい道を探し続けていくとき、もしかしたら…離れなくても済むような、新しい第三の答えが見つかるかもしれません。

 

 

新しく知人ができるか不安なときは

自分が今いる場所を離れなければいけないときもあるでしょう。何かのきっかけで遠くに移動したとき、まずは周囲に知人ができることから、頑張らないといけないかもしれません。

そんなとき、「Pops heartで踊るんだもん!」は言います。「人みしりでも大丈夫さ おなじだよ」と。

 

「冒険Type A, B, C‼」は、まさに Type の違いとして、色々な仲の良さのパターンを教えてくれます。きっとどちらも大切なことなんだと思います。

ラスサビのみで聴ける Type C では「ずっと前からの つながり」。毎日の冒険を過ごすのには欠かせない関係性のあり方だと思います。いっぽうで、Type B のように「突然会った誰かとも 語らって 息合って 前に」。そういう冒険だってあるのだということを教えてくれているように感じます。

Type B が Type C に変わることだってあるのかもしれません。一歩を踏み出したいけど…と考えているようなときは、こうした言葉が背中を押してくれるように感じます。

 

時間に関すること

納得できていない過去があるときは

何よりも「WONDERFUL STORES」が効きます。98 % 手を尽くしてきたはずのことでも 2 % 足りなくて叶わないでしまう。そういうことは驚くほど意外にありふれているものです。…いや、そういうことを作中で描いてくれていることこそが、まさにサンシャイン!! が救いの物語であるゆえんと言ってもいいでしょう。

「足りな」さ。「悔し」さ。「届かな」さ。それらを抱えることになろうとも、頑張ってきた今までの時間の重みはあるはずです。

その時の流れは、「だから だから 君に会えた」という形で残ることもあれば、「僕たちの物語」として残ることもあるでしょう。結局、たどり着くことよりも、それまでの道のりや、出会ってきた仲間との間柄が、一番かけがえのないものになる。そういうものではないでしょうか。

 

願いを叶えられず、かけらを拾い集めるように生き抜くサンシャイン!! の物語だからこそ、刺さる言葉がたくさんあります。「空も心も晴れるから」は言います。「いま考えてもしかたない 「あしたよ晴れ!」」と。折れるようなことがあっても、「新しい」「ことしたくな」るのだ、と。何度でも思い出してしまうようなつまずきをしても、その先にまたストーリーを作ることに意味がある。そういうことを教えてくれているのだと思います。

 

未来がどうなるかばかり気にしてしまうときは

期待していることであれ、不安に思うことであれ、今よりも先のことを気にしてしまう時期というのもよくあることだと思います。そのようなとき、前述の WONDERFUL STORES の趣旨に加えて、「未来の僕らは知ってるよ」がさらに補ってくれることでしょう。

未来になれば、そのときの自分や自分たちが「答えを持ってるはず」なのだから、きっと大丈夫。そう呼びかけてくれているように感じます。だから今はそれよりも、いやそういう未来を良いものにするためにも、「ホンキをぶつけあって」いくのが良いのかもしれません。

それにそうして過ごしてきた時間自体が、実際の未来のいかんによらず、物語にも思い出にもなるでしょう。後からしか気づけないけど、その時間そのものが輝きになるということが、サンシャイン!! 屈指のメッセージでした。

それに「僕らの走ってきた道は…」が言うように、「なんて大変なんだろう」と「走ってきた道」は、「繋がりにな」ることも示唆してくれます。

こうした歌たちが、具体的に一歩一歩進んでいくために、今できることを気づかせてくれるのを感じます。

 

 

夢に向かう気持ちが浮き沈みするときは

大きな何かを追い求めるとき、叶えたいことを思い描いているとき。それがいかに大切なことであっても、ずっと初心を続けていくのは大変かもしれません。

しかし、Aqours はこのことについても安心させてくれます。本編1期13話とも通じるポリシーですが、「i-n-g, I TRY!!」では、「希望と、痛みと、ぜんぶ愛しくて」という言葉があります。大変なことも含めて、向かう道のりはそれがどんな道のりでも、やっぱり大事なものだということ。Aqours らしい、胸に響くフレーズです。

「いつでも夢は進行形だな」。イマイチだなと思っている瞬間も、夢を形にしつつある最中、あるいは夢そのものの最中だと思えば。少しずつでも進めていけるかもしれません。

 

場所や人、そして時代が変わっていくことが不安なときは

街や自然の変わらなさを大事にする Aqours、でもだからこそ変わっていくもののことも敏感に見ているのだと思います。個人的には、だから Aqours がとても好きなんです。

こういうこまりごとに向かうとき、助けになってくれるのは恐らく「Fantastic Departure!」や「太陽を追いかけろ!」でしょう。

 

「時代は波よりも速い 寄せては返さない」。それを冷静に見ている Aqours だからこそ、その上で「だからしっかり進んでいこう」という姿勢を貫けるのではないでしょうか。具体的なアドバイスというよりは現状把握を助けてくれるものだけれども、たとえ時代が移りゆくことが避けられなくても「人生のキセキを信じる」ことができるという形で、私たちを鼓舞してくれます。

「いつだって世界って同じじゃない」。だけどその分だけ、「ちがう種類のユメを」「味わ」えるんだってことも教えてくれます。「どうにかなると万能のコトバ」。きっとそれがあれば、時代が波のように今ここにあるものを攫っていこうとしたって、うまい方向に行くんじゃないか、ということも。これらの言葉を通じて、僕たちが希望に向かって歩みを進められるように、励ましてくれているよう感じます。

 

さらに「DREAMY COLOR」はこのように言ってくれるでしょう。

「ミライの色が変わる 変わってもきっと 僕らの想いは変わらない」と。例えば「伝えたい想い」が軸となって、自分や自分たちの物語を支えてくれる。そのように教えてくれているのかもしれません。何かしら軸を持って、それを大事にしているとき、「新しいときめきへと 手を伸ばす」ことができるのかもしれませんね。

 

いまこの瞬間に納得できていないときは

最後に、いまこの瞬間にどうしても何かが腑に落ちなくてしんどいとき、助けてくれる曲を思い出してみましょう。

やっぱりこれを解きほぐしてくれるのは、「なんどだって約束!」だと私は思うのです。

 

実際に私たちはものすごく納得できないときを、かなり長い間過ごしてきました。それでもなお、Aqours は進み続けていたし (黒鷺さんの「いつだっていちばん面白いのは」やスパボさんの「僕の未来だったAqoursへ」で教えて頂けた考え方です)、そのことを通じてずっと力を貰って来ていました。

そのことだけでも、納得できない今であっても打ち破れる道があり得ること、今よりもう少し良いやり方を考え得ること、そうした希望が感じられます。それも、かなりの説得力で。

 

しかしこれに加えて、Aqours には、いつかまた会える日が来るようにという約束がありました。約束というのは、「パフォーマティヴ (≒行為遂行的) 」であって、それ自体が未来の展望を作る、ただの言葉にとどまらないれっきとした行為です*1

ある具体的な未来の展望を示して、そして結果的にそれが実現されることを体現した Aqours、そしてこの歌は、まさに苦しい時期が永遠でなかったことを象徴していると思います。

約束という未来の展望からは、いつかの先に良いことが待っており辛抱強く待つ意味がある、という希望をもらうことができました。それは、特定のしんどさの中でも何かに向かい続ける元気が得られる、という性質のものであったと思います。
そして実際に約束にこたえる形でライブを実施しようとしてくださっている今。そのことが、時間が経てばきっとその「いつかの先」がやってくるという、そういう物語を信じる理由をくれていると思えてならないのです。

 

この歌が助けになるのは今回のこの状況にはとどまらず、この先きっと何度も助けてくれることでしょう。

この約二年間のあいだ耐えてきたことに限らず、これからまた何か難しい状況が起こるかもしれません。

しかしそれでもそのときに、状況はやがて変わるかもしれないと信じられる気がする。いつか胸をはって「しかたないとあきらめない」と言える気がする。道筋があることを、Aqours がああやって示してくれたのですから。

 

 

おわりに

以上で見てきたように、本当に様々なことについて、Aqours がいつでも力になってくれるということが痛感されます。

 

ところで、でも頼りっぱなしだけでもダメだな、と思うこともあります。それを失敗の理由にしたくないということです。

 

Aqours の歌はいつでも寄り添ってくれます。しんどいときにもまた立ち上がれるし、頑張れるときにはもっと頑張れるようになるというのが個人の所感です。

でも結局、何かを決めたり、やってみたりするのは自分だ、という面もありますよね。

私事で言えば、Aqours の曲を普段からずっと聴いていても、やっぱり失敗もしていまいます。…もっと言えば、自分で後から自分を許せない、納得できないと思うような行動や、時間の過ごし方もまだまだ沢山してしまいます。結局、聴いているだけで自分は「できる」というわけにはいかないものですね。歌の中で言われていることを適切な行動や姿勢にしていくには、不断の努力が必要なのかもしれません。

 

ただ、それでもなお。できなかった後で、じゃあ次はどうやっていこう、とか。今から初めてやることを、怖がらずに着手しようとか。そうしたところを支えてくれているという実感があります。ひとりではない、と囁きかけてくれています。少なくとも不断の努力をすることを助けてくれます。

青空Jumping Heart」が、「最初からカンペキに できる筈はないから」と言ったように。良い方に向かい続け、学び続けていきたいですね。

 

また、念の為考えておきたい懸念もあります。こうした Aqours の言葉は、気をつけないと、我慢をするためとか、何かを強いられているのを耐える言葉になってしまわないだろうかという懸念です。言ってしまえば、人をこき使う集団や組織などとも噛み合ってしまいそうで、それが危惧されるのですよね…。

なので、まずは自分や周りの人、および大事にしていることを守ることを優先して、それを前提に Aqours の言葉を読み込むのが考えるのが大切かもしれません。やっぱり「なんどだって約束!」で言われている、「しかたないとあきらめない」、なんですよね。

 

もう1つだけ言うと、Aqours がいかに自分を信じる力をくれるとはいえ、自分だけでは対応が難しい場合もまたあり得ると思います。いかにそれが力の源であるとはいえ、専門機関に相談するほうが好ましい状況というのもまた、存在するでしょう。

 

 

…こうしたことに気をつければ、Aqours の言葉の数々は、いつでも、かなりの力を齎してくれるし、そして、しんどいときには寄り添ってくれるでしょう。

ここで書いてきたことは、私個人がふと思い付ける程度のひとにぎりの例に過ぎません。Aqours は、もっともっと多種多様な形で助けになってくれるに違いないでしょう。

 

未来の期待や不安に囚われて、今この瞬間から目がそれてしまっていないか。あるいは、「しかたないとあきらめ」てしまっていることはないか。

そうやって見落としていることに気づかれせてくれ、自分の物語をより良い方向へといざなってくれる。そういう形で、WINDY STAGE に至るまでずっと Aqours は寄り添ってくれていたし、そのさきもずっと寄り添ってくれるでしょう。

色々なことを学び続けたり、何かを実現したりし続けたりしても、それで自分が完璧だと思えるっていうのはなかなかない話で。でもそんなとき、既に完璧な、いやそれ以上と思えるような公演をされてきた Aqours のかたがたがそれ以上へと向かって進み続けているのを思えば。まだ完璧じゃないから頑張らないとと思える事自体も、甘美に感じられてはこないでしょうか。

「そこまではまだ遠いよ だから僕らはがんばって挑戦だよね」

 

 

 

最後に、おまけですが、東京ドーム公演を前にして居ても立っても居られなくなって幾つか考えていた短歌について、少し補足したいと思います。補足をしないほうがさわやかかなとは思うものの、かなりハイコンテクストで書いたものではありますので。

 

 

これはあまり不親切な隠喩はないかなと思います。

強いて言えば、 (JUDY AND MARY の「ひとつだけ」の言葉を借りれば「風の向こうに 夏が待ってる」と言えるような) 夏に向かうこの季節の良さに反して、やはり梅雨ですから、灰色の空の日も少なくありません。これを受けて、(やはり同「ひとつだけ」に「君の唄で空を青くさせて」とあるように) Aqours が青春の青さや開放性、そして夏をもたらしてくれるに違いないという期待を重ねています。

 

個人的に、やっぱりサンシャイン!! 本編の物語について言えば、廃校という苦痛を経てそれでも立ち上がったところに一番魅力を感じるのです。

何かが起きて目の前が闇になったときでも、(闇という漢字の中に「音」があるだけにいっそう感じるところですが、) 音楽や、そして風が、色を運んできている。そんなイメージを、物語本編および本公演から感じたのです。

廃校のあとの Aqours は、新しい学校に向けて誰も知らない新しい物語を作っていきました。今この瞬間には見えておらず期待しようもない、しかしながら良い未来というのがきっとある。Aqours はそういう展望を感じさせてくれるのです。

 

「はやる」は掛詞です。あのときには Aqours でさえ、少なくとも対面のライブについては、約束しかできなかったかもしれない。でもそれは地中の種のように、ずっと life ≒ live を繋いできてたんですよね。と、今になって気付かされます。それはようやく地上に出て、出航にふさわしい晴天へと向かいます。

 

約束という種にとっても、私たちにとっても、巣ごもりをしなければならない時間はかなり長いものでした。1年くらいで明けると信じていたことさえ懐かしく思い出されます。あまりに長かったから、それは春になってもまだ時期がこない花であるかのようで。でもそれが長かったからこそその分だけ、「なんどだって約束!」がいっそう美しいんですよね。

かつてあったはずの公演名は、~Journey to the Sunshine~。奇しくもこれを回収するかのように、日に向かう花である向日葵が大きく成長する季節になって、その旅の行く先である東京ドームが結実しようとしています。

 

 

それでは、ここまでありがとうございました。

いよいよあと数日となり、本当にあとは楽しむだけ、という形になってきましたね。来る風の中を、全力で楽しみましょう。

*1:例えば、『アイドル/メディア論講義』など。