読書を通じてサンシャイン!! を楽しもう #05 現在と音楽編 〈いま〉という演奏の場

こんにちは、センケイです。

 

今回も長い記事になりますが、

最初に結論から書きましょう。

 

Aqours の大きな魅力は

〈いま〉を追求することにあり、

それは音楽とよく似ている。

 

音楽は、

ある瞬間だけを単独で切り取っても

曲にはならないという意味で、

いまの「先にある」ものが

必ず必要です。

 

いっぽうで、

ある演奏を構成するその瞬間瞬間は、

決して完成へ向けた何かへの

「途中」ではありません。

 

ことライブという空間において、

その瞬間瞬間自体が完成品の要素だと

このように言えるでしょう。

 

響きあう身体』という書籍がいうところの、

音楽の「いま、ここ」性が思い出されます *1

 

 

このような立場に立って Aqours

〈いま〉の在り方を追随したいです。

 

なぜならこの追求によって、

Aqours の良さや「輝き」の良さ、

多種メディアにまたがる

サンシャイン!!全体の良さ、さらには

ラブライブ!シリーズ全体の良さが

改めて見えてくるだろう。

このように考えたのです。

 

少し、例を挟みましょう。

 

WATER BLUE NEW WORLD の

「明日への 途中じゃなく 今は今だね」

 

Hop? Stop? Nonstop! の

「ミライはいまの先にある」

 

奇しくも両者とも渡辺曜

ソロパートの歌詞になっています。

 

一見背反するように見えるこれらが

ともに成立しているのは何故なのか。

 

典型的にはこういった時間感覚、

これに一定の解釈を与えるのが

当記事の目的になります。

 

その実現のために、

作中における現在、過去、未来の意味、

そして適宜その音楽との関係を、

それぞれ追求していきます。

 

遠回りにはなりますが、

いましばらくお付き合いのほど、

よろしくお願いいたします。

 

なお、もちろん、

Aqours が音楽を志すからこそ、

当記事は音楽に着目したいわけです。

 

言うなれば、

Aqours が音楽を理由に集まれたからこそ、

音楽と通底するような時間間隔を持つ。

このように考えてみることで、

そのときに見える視野を、

この記事で探求してみたいのです。

 

 

可能性を探すこととラブライブ!の現在 

 

まず、上で挙げた2つの歌詞は、

現在、過去、未来のうちでも特に、

Aqours現在観を知るための

鍵になるものと考えられます。

 

あとでより詳しく見ますが、

この〈いま〉に集中する姿勢こそ、

思い出という「過去」のいしずえにも

恐らくなっている。

 

 

さらには、

過去を振り返るような歌の中でもなお、

〈いま〉の良さを歌うような場面が

多く見られてきます。

 

このような意味で、

まずは何をおいても「現在」について

着目してみましょう。

 

さて、では

このような現在主義的な面は、

Aqours だけに見られる特徴でしょうか。

 

これは実は μ's から受け継がれた心性だと

解釈できるように思います。

 

現在の時間をどう過ごすのか

徹底して突き詰めること。

 

過去を振り返ってもなお、

今が一番良いとすること。

 

こうした場面を振り返っていきましょう。

 

μ's が主役となる無印のアニメ作品である

ラブライブ!」、以下ではこれを

「無印」と記しましょう。

 

μ's が顕著に現在を重視する箇所でも、

個人的には特に無印の2期8話、

「私の望み」に注目したいです。

 

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出典:ラブライブ!2期8話/
©プロジェクトラブライブ!

 

 

絢瀬絵里東條希を代弁して言うには、

皆で1つの歌を作るということを

行ないたいということ。

 

大会において先に進むことよりも、

よりよい〈いま〉を過ごすために何ができるか

徹底して追及する、そんなシークエンスです。

 

確かに、ここで生まれてくる

Snow halation』という歌は、

それを披露するという未来への意識と、

思い出にしたいという過去への意識も

含んでいなくはないでしょう。

 

しかし、ある意味では「私の望み」が

(日々を過ごす中で)もう叶っているという

内心の吐露。

加えて、曲の披露の直前に、希自身による

「この毎日が大好きで」という想い。

 

これらから、

彼女たちにとっての〈いま〉の過ごし方の大事さが

ふつふつと感じられてきます。

 

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出典:ラブライブ!2期9話/
©プロジェクトラブライブ!

 

彼女たちにとっての現在の大切さが

分かってきたところで、続いて、

彼女たちが「日々」あるいは「日常」

どう付き合うかについて、

少し深堀りしていきましょう。

 

なぜなら、彼女たちはその「日々」の中にこそ

結果的に特別と言える経験を見いだしている、

そのように思えてくるからです。

 

例えば、

ラブライブ」と言われる大きな大会。

ここで勝利を収めることこそが、本当なら

かなり特別な経験をもたらしそうです。

 

しかし μ's は特別な時間を得るために、

その大きな勝利よりも、

皆で歌を作るという可能性の探索こそを、

より重要だと見なしたわけです*2

 

また、ここまで見てきた2期8、9話で

歌のジャンルの候補となっていたのは、

ラブソングです。

 

確かに μ's としては新規の試みですが、

どうやら大会全体としては

それほど新奇なジャンルではなさそうです。

 

特別な経験を目指すときに μ's は、

大きな勝利というものにも頼らず、

新奇のジャンルの導入にも頼っていない。

いうなれば「外部」に頼っていない。

それよりも〈いま〉の可能性を探ること

その探索自体に活路を見出している。

このように解釈できるでしょう。

  

以前の感想記事でも少し書きましたが、

現代は「外部」の導入が難しい時代だ、

このような議論があります。

 

a16777216.hatenablog.com

 

ごくごく大ざっぱに言えば、

「特別」なものが比較的ありふれており、

商品になってもいるようなこの現代。

 

全く新しいことを着手しようとしても、

ある意味ではそれは普通の延長にすぎない。

このような考え方に基づくと、

「外部」というのは手に入れられない、

そんな時代だと言えるでしょう。

 

この辺りの考え方については、

やはり音楽を題材とした BanG Dream!

および関連する幾つかの記事を、

参考にさせて頂いています。

 

μ's についても然りですが、

とりわけ Aqours の「輝き」については、

その意味の解釈がハイコンテキストである点、

かつ〈いま〉の過ごし方を取り扱う点で、

Poppin'Party の「キラキラドキドキ」と

接点を持っているように思えてきます。

これを見て行かない手はないでしょう。

 

少し回り道になりますが、

①外部の不在、②その解決策、

③音楽と自分たちのあり方、

この3点をより理解するために、

以下で詳しく見ていきましょう。

 

まず、

外部なき中でいかに日常を

よりよく過ごすかについては、以下の

soitan さんの記事を拝読して

多くのことを気づかせていただいています。

 

lativior381.hatenablog.com

 

 ハロウィンという出来事を通じて、

結果的に手に入るのはやはり日常だ。

しかし一方でそれは、

拾い損ねていた日常を拾うための

 「きっかけ」としても働いている。

こうしたことが示されています。

 

完全な外部というものがないとしても、

希少な出来事があればそれは

日常の「可能性」を探るための

きっかけになる。そして、

可能性を探ること自体によって、

外部がないなりにも特別な時間を

作り出すことができる。

 

このように考えていけば、μ's の

やろうとしたことの意味が

改めてクリアになってきます。

 

ラブソングかどうかが重要じゃなくても

そうした選択の余地を探ること。

 

曲であるかが重要じゃなくても

皆で何かをするということの

選択の余地を広げること。

 

こうした可能性の探索そのものが、

〈いま〉を生きる希望であるのだ、と

解釈できそうに思います。

 

また、このような可能性の探求、

これを皆で行うということは、

音楽の演奏と通ずる部分があります。

 

ときに規則的なリズムの繰り返しであっても、

それは決して退屈なものではない。

では、何が退屈を防いでいるのか。

音楽の場合それは、皆の間に生まれてくるもの、

言ってみれば「グルーヴ」であるようです。

 

希望の共有という観点から、

ふたたび Poppin'Party のありかたを

参照してみましょう。

 

以下の立教大学バンドリ研究会さんの記事で

示されているのは、

1人の希望をみんなの希望として共有すること、

それが可能性を探るための

強力な基盤の1つとなるという点です。

 

ameblo.jp

 

同じものを実現しようと足掻くことこそが

彼女たち、すなわり μ's や Poppin'Party の

アイデンティティや人間関係を

基礎づけているとするなら。

 

それはあたかも音楽の演奏のようです。

皆が演目という1つのものを作り、

それがグループの理由にもなるのですから。

 

そう思うと、アニメ作品全体が

一つの楽曲のようにも感じられてきます。

 

 

さて、少し回り道になりましたが、

μ's が〈いま〉と追求することについて

まとめていきましょう。

 

Aqours だけでなく μ's もまた、

〈いま〉の可能性を追求するグループだ、

このように言えるでしょう。

 

では、何のために可能性を追求するのか。

 

それは、「外部」なき現代においては、

〈いま〉のありうる可能性を

できるかぎり探っていくことこそが、

拾い損ねた日常を拾い集め、

希望を見出すことに繋がるからだ。

 

このようにまとめることができそうです。

 

最後に、 μ's が、

思い出を振り返るような場面でさえも

〈いま〉を追い求めていることを確認し、

この章の終わりとしましょう。

 

僕たちはひとつの光』において μ's は、

「忘れない いつまでも忘れない」

としながらも、この歌の中であくまで

「いまが最高!」と歌い続けるのでした。

 

〈いま〉を浮かび上がらせる素地、過去

 

 「いつまでも忘れない」という過去の時間は

μ's や Aqours の中でどのように

生まれてくるものなのでしょうか。

 

少し間が空きましたが、

Aqours の話題に戻りましょう。

 

〈いま〉を追い求めながらも、

過去が必要とするのはなぜか。

 

これは以下の記事でもかなり見てきたため、

今回は手短にまとめましょう。

 

a16777216.hatenablog.com

 

前提として、 Aqours の求めものは、

輝くということでした。

しかし、〈いま〉輝いていることを

自分たちで知るのは難しい。

 

そこで1つの方法として時間差を利用し、

これまでの自分たちが「輝いてきた」と

後から知ることを選んだわけです。

 

「時間」を哲学する』は 159P 前後で、

動作が完結して過去になる瞬間にこそ

〈今〉が現れる、といいます*3

 

お風呂に入っている〈今〉は、

いつまで続くかその瞬間には分からないため

区切って取り出すことができません。

 

お風呂からあがるとき、

さっきまでの〈今〉お風呂に入っていたという

事態が浮かび上がってくるのだと言います。

 

ここでようやく今という時間が、

前後から区切られ、

名指しで呼べるようになったわけですね。

 

ある特定の〈いま〉は、過去の中にこそ

浮かび上がってくるというわけです。

 

お風呂の例と異なり、Aqours は、

ここで輝き終わるわけではありませんが、

1つの区切りを見出したのは確かです。

 

このことによってようやく輝く〈いま〉を

自分たちの意識の中に運び入れ、

名指しで指し示すことができた。

このように言えるでしょう。

 

Aqours にとっての過去は、

〈いま〉の輝きをしっかりと認識するために

欠かせないものだった。

 

一方で、過去に輝きを見出せるのは、

〈いま〉を足掻き続け、可能性を探してきた

その結果だともいえるでしょう。

 

今を大事にするがゆえの

過去との関わり方です。

 

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期13話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

再び音楽に例えるなら、

そのときそのときを全力で演奏したとき、

全力で演奏したからこそ、

演奏後に「良い演奏だった」という

結果が目に見える形で現れますね。

 

 

さて、

私がこの曲が好きということも相まって、

この過去の振り返りばかりを

しつこく書いているような気がします。

 

もう少し、未来へと

議論を進めてみることにしましょう。

 

その前に、

前にも参照させていただいたのですが、

まりさるのさんの「砂時計」「くびれ」という

2つの表現が印象に残っているため、

これについて少し考えてみたいです。

 

自分の場合、これを拝見してまず、

「事象の地平面」という表現が

頭に浮かんできました。

 

光や電気、重力の速さなど、

あるモノから他のモノに影響する

あらゆることがらは、原則として、

光の速さを超えることができません*4

 

なお、触れるといった物理的な影響は、

おおむね電磁気の力に含まれます。

 

私たちの体や周りの道具も、

負電荷の電子や正電荷原子核

構成されていますからね。

 

ですから5分前に、

光の秒速×5×60秒よりも

遠くで起こった出来事は、

私に影響できないはずです。

 

同じように、5分以内に、

光の秒速×5×60秒よりも遠くへは

影響を与えることができないでしょう。

 

影響を受けたり与えたりできないと

いう事は、見ることも、

知ることもできません。

 

影響したり、見たりできるギリギリの

この秒数×光の秒速を、

未来方向、過去方向へ伸ばして描いたのが

「事象の地平面」という円錐形の図式です。

 

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作図は筆者。

 

ここではこの図式を流用して、

到達可能な時空間というよりは、

到達可能な選択肢(≒可能性)が

砂時計型になっているとみなしましょう。

 

以下は少し脱線になりますので、

読み飛ばしていただいても構いませんが、

よろしければ数百文字分ほど

お付き合いください。

 

もしある選択肢を選んでいたとしたら、

WONDERFUL STORIES を歌う場面に

到達不可能になっていたとして。

 

逆に WONDERFUL STORIES に到達できる

すべての選択の余地が

過去方向の円錐を作っている・・・。

このような見方をすると

ちょっと面白いかもしれません。

 

いっぽうで未来側は、

WONDERFUL STORIES から到達できる

全ての可能性が許される、と。

 

正直この見方は極端すぎるし、

他の選択肢を実際に許してしまえば

未熟DREAMER を歌った瞬間すらも

除外される可能性が出得ます。

 

そういう意味で、私自身、

この見方に全面的な賛成はできません。

 

しかしこの考え方を部分的に用いて、

「どんな過去でも受け入れる」という

姿勢だけをかんがみるとしたら。

 

この姿勢こそ Aqours が自分たちの過去を

受け入れるための引き金を作ったとしたら。

 

足掻き続ける姿勢にこそ輝きを見つけたという

彼女たちの心境に、

もう少しだけ迫れるかもしれません。

 

この、上記アイデアの部分的な採用は、

魂さんが以下で示されているような

「起きること全てに意味がある」、という

この言葉とも通底するように思います。

 

ishidamashii.hatenablog.com

 

 

可能性を探し続ける先、未来

 

やや安直かもしれませんが、

未来を考える上では避けて通るべきではない、

未体験HORIZON の時間を考えて見ましょう。

 

この曲では、歌詞をパッと見ると、

これまでの活躍を踏まえた上で、

さらなる飛翔を臨んだ歌のようにも見えます。

 

あるいは、

「きっと あとで笑えるからさ」という箇所からは、

その後の未来の視点に立ち、

ときには不安を抱えてきた過去の自分たちを

振り返って応援しているようにも見えます。

 

しかし、この曲を歌うのは、

はたしていつの時点の Aqours なのでしょうか。

 

いくつかの説が頭に浮かんできますが、

ここが面白い所です。

 

キャストのかたがたが、これまでのステージの後、

さらなる活動をされていく、と考えるのが

まずは自然でしょうか。

 

いっぽう、物語世界に結び付けるなら、

ここでまさにメディアミックス性が

発揮されているように思えてきます。

 

いうなれば、

アニメ、マンガ、スクフェス、スクスタ、

あるいは楽曲自体、

Aqours はこうした各媒体の中で、

それぞれごとに独自の物語を形作っている。

 

もちろん、

私たちはこれを同一人物とみなすわけですが、

媒体ごとに異なる設定や時間設定があり、

頭の中でキャラを統合するときには

少しの工夫が求められます。

 

逆に言えば、

自分の好きな風に異なる物語どうしを合成する、

その自由度があると言えるかもしれません。

 

このような条件下で私たちは、

この未体験HORIZON の時間軸の解釈を

試みるわけです。

 

だからこそ、私たちは、

1つの媒体上だけでは実現できないような

複雑な楽しみ方ができるのではないでしょうか。

 

アニメ本編に着目すると、

今までの活躍と成長を踏まえた上で

これからさらに新しい未来を拓いていく事は、

(9人が個々に行うことはできても)

9人全員では出来なくなってしまうでしょう。

 

ここで、CD や MV という媒体が現れ、

(少し古い例えで言えば「時の最果て」のような)

アニメとは独立した時間を確立するからこそ、

いままでを回顧しつつこの先の希望を奏でる。

1つの解釈として、このように理解できましょう。

 

メディアミックスが実現する私たちの夢や、

それを実現する解釈は、枚挙にいとまがありません。

 

μ's や、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

ともに活動を行うというこれまた

文字通り夢のような図式も、

メディアミックスこそがもたらすものでしょう。

 

そのように叶えらえる夢の1つとして、

アニメとしては物語を結実した Aqours の、

あるいはさらに μ's のこれからの活躍を、

〈いま〉や未来として受け取るという夢が

立ち現れたわけです。

 

ところで、

個々の要素に分解して調べるだけでは

全体を把握できない、

そのような複雑な現象の1つを

私たちはよく知っています。

 

そう、音楽ですね。

音楽の哲学入門』は、

ガンの群れを集団として見たときに初めて、

その優美さに気付くとしています。

 

一羽一羽のガンを分析するだけでは

知覚できないはずの優美さです。

 

多くの媒体にまたがるラブライブ!

その1つ1つを単独で楽しむだけでは

経験出来ない深みのある楽しみを、

メディアミックスとしてのラブライブ!

もたらしてくれているのでしょう。

 

ときには漫画版だけで見せる姿を愛し、

それを知っているからこそアニメの姿が

よりいとおしく感じられる。

このような味わいを実感しているのは、

私だけではないはずです。

 

さて、また少し回り道になりました。

 

しかしこのメディアミックスの観点は、

時間というのが一本道的だという

ごく一般的な感覚から、

私たちを少しだけ開放してくれました。

 

再び『「時間」を哲学する』を引くと、

未来というのは期待できるだけで、

存在してはいない、と言い切ります。

 

その存在しない未来を

アニメを超えたほかの媒体に

担わせることができる。

これもメディアミックスの

妙技の1つでしょう。

 

 

さて、この未来編を閉じ、

いよいよまとめに入っていく前に、

もう1つだけ寄り道させてください。

 

未来は存在していないとはいえ、

期待することはできます。

Aqours が未来をどのように期待するのか、

その未来観を少し見てみましょう。

 

これにあたり、

以下のいちきんぐさんの記事が、

多くのことを気づかせてくださいます。

 

ichikingnoblog.hatenablog.com

 

なぜ?どうしてあなたは、最高の今日よりも、どうなるかわからない明日の方を望むことができるの?

私はあなたの妹になりたい - 瞬間を閉じ込められるのかなん。

 

黒澤ルビィに対するこの問いに対して、

いちきんぐさんは最終的に、

回答を以下のように推定されています。

いまが最高「なのに」明日の方が楽しみなのではなくて、最高のいまがある「から」こそ明日がもっと楽しみになる。

私はあなたの妹になりたい - 瞬間を閉じ込められるのかなん。

 

かけがえのない今の時間という

基盤があるからこそ、

その可能性を開いておく。

このように考えられるでしょうか。

 

私が理解する限り、

Aqours は可能性を探求し続けることで

「外部」に頼ることなく

時間を輝かせてきました。

 

常に可能性を追求できるようにすること。

これが今なお Aqours の見ている、

未来像なのかもしれません。

 

再び魂さんの記事からですが、

以下のようなご指摘を踏まえると、

可能性を開くことが可能な理由、および

可能性を開くべき理由もまた

明らかになってきます。

 

ishidamashii.hatenablog.com

 

「過去」は「過去」でしかないけれど、それらは全て切り離されたものではなく、「今」や「未来」へと繋がっていく。 だからこそ「過去」を「今」と切り離して「思い出」として大切にしまっておくのではなく、「今」と「未来」へとつなげるために、常に「開いておく」必要がある。

~もう一度”輝く物語”を始めるために~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第26話(2期13話)「私たちの輝き」 - Love Live!Aftertalk!

 

 

Aqours は可能性の探求の場所として、

ある意味では〈いま〉の連続として

未来を期待している。

 

いっぽうで未来の存在のありかは、

アニメを超えた媒体の中で生み出す。

このように理解できましょうか。

 

 

まとめ、立ち現れる現在と音楽

 

Aqours は、

〈いま〉このときを、

絶えず足掻いて追い求めてきました。

 

過去や未来とも、

そのような生きざまならではの

関り方をしてきています。

 

そしてその関り方は、 

サンシャイン!! の作品(群)があたかも

1つの楽曲であるかのようです。

 

今が「明日への 途中じゃな」いのは、

未来になってようやく完成するものに

向っている最中なのではなく、

今このときが常に完成品の一部だから。

 

楽曲に例えていえば、もちろん、

演奏という作品は終演時に現れるのではなく、

演奏している今のすべてが完成された

作品の一部を成していますね。

 

完成品が時間幅を持っているとも言えます。

 

同じようにサンシャイン!! のアニメ本編

Aqours とともに流れる時間は

その瞬間瞬間が完成品だと理解する。

すると、途中ではなく「今は今」という

この歌詞の意味が解釈できてきます。

 

過去からその時間の全てを「輝いていた」と

振り返れることが、

瞬間瞬間が完成品だったということを

支えているように見えます。

 

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期12話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!
厳密には「」の歌詞の箇所ではありませんが、曜のソロの箇所を参照したいと思います。

 

過去は、

この輝きを認識するために

欠かせない存在でした。

 

しかし逆に言えば、

〈いま〉を全力で行ってきたことが

「輝いていた」過去を作るのであり、

Aqours にとっての過去の意味もまた、

〈いま〉によって与えられている。

このように理解できるでしょう。

 

このことも音楽に似ています。 

「良い演奏だった」という事実は、

今を全力で演奏してきたからこそ、

終演後に見出されます。

 

 

一方で未来。

Aqours にとっての未来は、恐らくは・・・、

まだ見ぬ可能性試す場である。

こう、理解できましょうか。

 

〈いま〉常に可能性を求める Aqours にとって、

ある意味では未来は、

〈いま〉の延長と言えるかもしれません。

 

この意味で「ミライはいまの先にある」。

 

今も未来も可能性を追求し続けるのですから、

その意味でもやはり今は

「途中」ではないというわけです。

 

 

ところで、〈いま〉が完成品にもかかわらず

新たなる可能性を探求し続けるのは

ちょっとおかしくはないか。

こうした疑問が頭をよぎります。

 

しかしここで、もういちど

楽曲について思いを巡らせてみましょう。

 

確かに譜面としては完成したものであり、

演奏もその演奏の時間自体が

完成品として提供されます。

 

しかしその演奏のさなか、

演者たちは微妙な間の掛け合いをします*5

 

ある一打をほんのわずかに遅らせたり、

次の瞬間には前のめらせたりする。

 

これを演者同士が、

連携をとって巧みに行うことで、

グルーヴが生まれるのだと言います。

 

演奏は生きており

そうした可能性の探求それ自体が

演奏をさらに良いものにしていると

言えましょうか*6

 

こう考えると、可能性の追求や探求は、

〈いま〉が完成品であることと

矛盾するものではないのです。

 

このように Aqours の未来は、

可能性を追求し続けるいまの先のものとして

立ち現れてくる。

やはり〈いま〉が起点である、あるいは、

〈いま〉が未来を期待する基盤である、と

このように言えましょうか。

 

過去との関係だけでなく、

未来との関係もまた、

今を追い求めることに基づいて

生まれてきているものと言えるでしょう。

 

 

あるいは Aqours にとって未来は、

「ほかでもありえた」ことを直接実現する

メディアミックスという手法によって、

担保されているとも言えましょうか。

 

今度は一連のメディアミックス群全体を

1つの楽曲とみなすならば、

ここにも音楽的な性質が見えてきます。

 

1つ1つの要素を足し算するだけでは

捉えきれない複雑な全体。

このような楽曲的な性質が、

メディアミックスにもまた見られる。

このように考えられます。

 

〈いま〉、未来に向かって可能性を開き、

その可能性の到達限界である

(比喩の意味での)事象の "地平" を

追い求める Aqours が、

未来へ向けて『未体験HORIZON』を

歌うことは、

半ば必然と言えるのではないでしょうか。

 

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!『未体験HORIZON』MV/
ラブライブ!シリーズ公式チャンネル

 

こうした彼女たちの姿勢は、

今を生きる私たちに

生き方のヒントを与えてくれていると

このようにも思えてきます。

 

先のことを考えながらも、やはり

〈いま〉の良さや可能性を

可能な限り引き出したい。

 

自分(たち)がコレ!と信じたものを、

外から与えられる目標以上に

時には大事にしてみたい。

大会で勝つといった目標以上に、

いまをよりよく過ごすといったことや

成し遂げたいという想いを大事にして。

 

もちろん、目標が何であって、

自分が何が得意であるかにも

依存するとは思います。

しかし場合によっては彼女たちのように、

いまをより良くしたり、

いまの可能性を探ったりすることが、

あるいは結果的に目標への近道に

なっていくかもしれません。

 

そんな彼女たちに憧れながら、

私たちもまた、今を愛し、

その延長に「次の輝き」を探しながら、

未来に向かいたいですね。

 

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期12話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

今回も、長いものをお読みいただき、

ここまでありがとうございました。

 

 

参考文献

 

書籍・Web 

響きあう身体: 音楽・グルーヴ・憑依

響きあう身体: 音楽・グルーヴ・憑依

 

 出版社サイト

 

 

lativior381.hatenablog.com

最終アクセス  2019/10/26

 

 

ameblo.jp

最終アクセス  2019/10/26

 

 

「時間」を哲学する (講談社現代新書)

「時間」を哲学する (講談社現代新書)

 

 出版社サイト

 

 

ch.nicovideo.jp

最終アクセス  2019/10/26 

 

 

ishidamashii.hatenablog.com

最終アクセス  2019/10/26

 

 

ichikingnoblog.hatenablog.com

最終アクセス  2019/10/26

 

 

ishidamashii.hatenablog.com

最終アクセス  2019/10/26

 

 

音楽の哲学入門

音楽の哲学入門

 

 出版社サイト

 

 

 

ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ

ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ

 

 出版社サイト

 

 

音楽作品

 

作詞 畑亜貴、作曲・編曲 佐伯高志、ストリングスアレンジ 倉内達矢『WATER BLUE NEW WORLD』実演 Aqours (2018) LACM-14693

 

 

作詞 畑亜貴、作曲 Kanata Okajima、Keisuke Koyama、編曲 Keisuke Koyama 『Hop? Stop? Nonstop!』実演 Aqours (2019) LACM-14832

 

 

作詞 畑亜貴、作曲 小高光太郎UiNA、編曲 小高光太 『未体験HORIZON』実演 Aqours (2019) LACM-14881

 

 

映像作品

 

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*1:同書 10P 他

*2:面白いことに、勝利以上に可能性の探求を選ぶことでかえって、勝利にも成功するわけですが。これは私たちが何か大きな目標に向かう際のヒントにもなりそうに思います。

*3:ただし、『「時間」を哲学する』の中島さんは、私が記事で足掛かりにしてきたようなハイデガーの未来志向の考えかたには否定的です。このため、この記事は完全に同著と同じ方向を向いているわけではありません。

*4:量子もつれの効果については、私が十分に理解できていないため、ここでは考えません。

*5:再び『響きあう身体』より。特に2章から。

*6:ラブライブ!シリーズのライブの楽曲は、歌を除くと多くの場合録音されたものですが、録音された音楽であっても「ライヴ」性をもたらすということが同『響きあう身体』や、『ソーシャル化する音楽』から理解できます。あるいは、譜面が更新されることに関してはアニメ『Re:ステージ!』11話も参照にしたいところです。奇しくも、「閉じてた本がまた開いた」という比喩が巧みに導入されています。