読書を通じてサンシャイン!! を楽しもう #01 自己物語編 私たちとみんなの物語

 

こんにちは。センケイです。

 

↓↓ 2020/01/14 改訂 ↓↓

 

最初に率直に言ってしまうと、

ラブライブ!サンシャイン!! *1のアニメを

一周目ではしっかりと楽しめなかった。

そんな自分がいました。

 

その理由はおそらく、

「輝き」の意味を理解することに

時間がかかったためです。

 

輝きの意味はこのストーリーにおいて

きわめて大事な働きをしています。

 

にもかかわらず、あくまで個人的には、

その意味の理解が難しく感じました。

 

今回は、Aqours物語に着目することで、

輝きの意味をきちんと理解し、

アニメの魅力を再発見できればと思います。

 

このような躓き方をしたのは、

あるいは私だけかもしれません。

しかしもしほかに似た体験のかたがいたら。

 

あるいはそうでなくても、

より深くサンシャイン!! に迫るために

あてはめられそうなものの見方を

探しているかたがいたら。

 

そんなかたがたに貢献することができれば

望外の喜びです。

 

 

さて、ところで今回は、

物語の中でもとりわけ、

自己物語」というものに着目します。

 

では、

「自己物語」とは一体何でしょうか?

 

人は、

自分が今まで生きてきた時間を振り返るとき、

おそらく、多かれ少なかれ

今までの時間を物語にして振り返るでしょう。

 

つまり人は自分の物語、

「自己物語」を持っている、

ということになります。

 

加えて言えば、物語にするということは、

時間のすべてを振り返るのではなく、

特に意味のある出来事をピックアップして

振り返るということになります。

 

すべての時間を振り返るには、

生きてきた時間と同じだけの長さが

必要になりますからね。

 

このような「自己物語」という

ものの見方を使って、

サンシャイン!! を振り返ります。

 

このアイデアを得たのは、 

いぬかいさんという方のツイートを

お見かけさせていただいたおかげです。

 

迷惑になるといけないので

直接引用は避けますが、

それを拝読した限り、

サンシャイン!!ではどうやらこの

自己物語の考えが鍵になりそうなのです。

 

しかし考えてみれば確かにそうだと

思って頂けるかもしれません。

 

サンシャイン!!において

高海千歌達が掲げる目標である輝きは、

Aqours にとっての Aqours の物語」と

よく重なっていると考えられるためです。

 

自己物語の考えを使うことで

「輝き」の理解が深まり、

ひいてはアニメ本編を一層

味わい深いものとして享受できる。

これが、この記事の目標になります。

 

それでは、

自己物語がその面白さに関わるさまを、

確かめていきましょう。

 

本稿の構成としては、

自己物語とは何か?ということを

初めにざっと列挙し、

以降、アニメと照らし合わせながら、

少しずつその例を確かめていきます。

 

具体的には、

2期13話の時間に至るまでの失敗や克服、

成長や自己認識について、

眺め返していきます。

 

原則アニメ本編を射程にしますが、

劇場版についても関連するところは

適宜触れていきます。

 

そして最後に、

2期13話においてその自己認識が、

どのように花開くのか、

じっくりと確認したいと思います。

 

↑↑ 2020/01/14 改訂 ここまで ↑↑

 

失敗を乗り越えるための社会的な自己

 

早速ストーリーに入っていきますが、

そのまえに、簡単に箇条書きで

自己物語の性質をまとめます。

 

自己への物語論的接近』における

自己物語は、私が理解する限り、

以下の5点に集約できそうです。

 

① 一貫性と変化(成長)とを

  両立させにくいこと。

 

他者とのやりとりを経て

  物語が作られること。

 

③ 自分自身や判断基準を作りあげる

  基盤になること。

 

事後的にしか

  リアルを得られない場合があること。

 

⑤ 他者の助けでしか解消されない

  矛盾を含んでいること。

 

1つ1つの詳しい意味は、

本編を見ていく中で

適宜説明していきます。

 

Aqours は、本編のうち、

幾つかの挫折を経験してしまいます。

個人的には、特に1期8話と2期7話が

その典型的な場面だと考えています。

 

これらについて見ていきましょう。

 

他者との共同編集

1期8話、東京での惨敗を受け、

津島善子は落胆していないかのように

ふるまっています。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期8話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

ここで早速、

自己物語の1つ目の性質、

 ① 一貫性と変化(成長)を

  両立させにくいこと。

が意味を帯びてきます。

 

自分の物語を一貫させることには

大きなモチベーションがあります。

 

自分で自分を納得できること。

他者に首尾よく説明できること。

 

このためには物語の一貫性が

必要になります。

 

ただし、

物語に一貫性を持たせるためには

出来事を隠すことも求められます。

 

7話まで懸命にやってきた Aqours

努力を積み重ねてきた Aqours

これを Aqours の物語として貫くとき

大会での出来事は邪魔者になります。

 

ここでの善子の振る舞い、そして

以降における千歌の振る舞いは、

挫折の隠ぺいによって

一貫性を守っているものだと

考えられます。

 

ところで、ここでの善子のふるまいは、他のメンバーへの気遣いだと解釈することもでき、そう思うと心温まるシーンの1つでもありますね。

 

以降この8話では、

落胆を繕うシーンが続きます。

これにより、当座の一貫性が

守られていきます。

自分たちは頑張ってきたんだと。

 

しかしこのことは一方で、

変化のチャンスを犠牲にもします。

一貫性にこだわってしまう以上、

新しい自分(たち)が舞い込む余地を

塞いでしまうからです。

 

しかし幸か不幸か、

この後のシークエンスにおいて

隠ぺいが破られていくわけですね。

 

沼津駅に迎えに来てくれた

学校のみんなに対して、

おのおの要領を得ない回答を

しばらく続けてしまいます。

 

しかし黒澤ダイヤの登場によって

黒澤ルビィは不意に堰を切ります。

 

1期表題にもなっている渡辺曜

「くやしくないの?」の悲痛と合わせ、

緩急をつけた悲痛の吐露に、

胸が締め付けられるような場面です。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期8話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

物語という言葉の中で一貫性を目指すも

非言語ではほころびが出てしまう。

このような理解も可能そうです。

 

ところで、黒澤ルビィの強さは

弱さをも味方につける点ではないか、と

感じられるシーンが多数あります。

これは後に見ていきます。

 

さて、この後のシークエンスでは

隠ぺいがほころんでいきます。

逆に言えばこのことにより、

(成長を含む)変化の余地が生まれる。

そのように考えられます。

 

 ここにおいて作中で焦点が当たるのは、

リーダーの自負ゆえか隠ぺいを

続けようとする、千歌の姿です。

 

ポジティブさを一貫することで

挫折を隠ぺいすること。

この矛盾をそのままにすること。

これが今、

千歌の物語を支配している。

 

ここにおいて、自己物語の性質

② 他者とのやりとりを経て

  物語が作られること。

が、立ち現れます。

 

隠ぺいを続けるには、他者の承認を

得られなければなりません*2

これも、自己物語が他者との共同作業で

作られるゆえんの1つです。

 

曜の「くやしくないの?」は、

いい意味で千歌の自己認識を

認めないでしまうことで、

前に進む糸口に繋げたのでしょう。

 

千歌には必ずしも見えていなかった

代替の物語を示すこと。

主にこの2つの力を貸して、

千歌を繰り返し支えます。

 

このことが、千歌の自己物語に

再構成の余地を生んでいきます。

 

これに対して桜内梨子は、

曜とは異なる仕方で千歌を支えます。

 

聞き手として「語り」を聞くことで、

千歌が矛盾のない物語を作り直す

チャンスを与えています。

 

なお、#00 で降れた「再帰的近代化」という概念は、単に他者が聞き手になるだけでも自分自身を見出すことに繋がると主張しているそうですが、機を改めて考えたいと思います。) 

 

かくして、

失敗した自分(たち)を隠ぺいせず

生きられた経験として取り込み、

自己矛盾のない物語を編み始めます。

 

今までの一貫性を一時諦めることで、

新しい変化、成長へと、

再び一歩を踏み出します。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期8話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

はっきりとは描かれませんが、

曜や梨子、他のメンバーもそれぞれに

新しい変化へと動きだしている。

そう感じさせるカットです。

 

 

なお、個々人についてだけではなく

Aqours 全体も、

他者との出会いややりとりで

再構築されたと理解できそうです。

 

このときはまだ他者として接した

ダイヤの存在が、孕んでいた

自己矛盾を解きほぐしつつあった。

 

このように考えることも可能でしょう。

 

ダイヤには、口にははっきり示さずに人の言動を促す、いい意味で策略家的な動きが目立ちます。これも機を改めて。

 さらに言えば、松浦果南は「いいんじゃない?」と意見を取りまとめる力が強く、小原鞠莉は、全員に向けてというより個々人に対して提案する千歌に代わってか、みんなの前で提案する力が強いのを感じます。

 なるほど振り返ってみれば、3年生は意思決定にかなりの能力があり、劇場版序盤において残された6人が一時的に大きく自信喪失する理由というのも、よく分かる気がします。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期3話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!
1期3話での3人のライブ案や、2期2話で二手に分かれる提案など、越えられるギリギリの壁を提案する鞠莉の姿が頼もしいです。

 

以上で見てきたように、1期8話は、

こうした自分達の一貫性のほころび、

ひいてはそれが成長の機会にもなる、

そうした一幕であったと思います。

 

 

こうした Aqours の自己像の獲得は、

1期後半を通じて、

さらに熟成されていきます。

 

 

ドミナントの卒業

ここで、

1つ立ち寄りたい概念があります。

 

冒頭で触れていなかったものの1つで、

ドミナントストーリーという概念です。

これは、自他ともに受け入れやすい、

典型的な物語のことを指します*3

 

このドミナントストーリーは、

その力強さゆえに、

自分(たち)の生きられた経験に基づく

自分たちらしい物語の形成を

しばしば邪魔してしまうようです。

 

例えば μ's の物語は、

典型的、というよりはここでは象徴的、という方が近いかもしれませんが、そういうドミナントとして

どうしても自分たちの物語に

当てはめたくなるものなのだと思います。

 

しかし、自分たちの生きてきた時間が

μ's のそれと違うのであれば、

その当てはめからはいずれ、

脱却しなければならないでしょう。

 

幸いにも、かの国府津根府川にて

その克服が達成されます*4

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期12話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

この物語の再獲得は、

9人になった Aqours の中で改めて 

 Aqours 像の共有と確認をする意味でも、

重要であると考えられます*5

 

物語を支えるみんな

このようにして熟成してきた

Aqours の物語は、1期13話において

大きな局面を迎えます。

 

自己物語は、前述のように、

他者との相互作用の中で作り上げる以上

他者に受け入れられる物語でなければ

なりません。

 

これに対して、1期13話は、

正直、初見のときは楽しみ方に悩んだのですが、

Aqours の物語が、皆に受け入れられて

(社会の中に)定着し、

確かな物語になっていく様子を描きます。

 

これを通じて Aqours の物語は

より具体的で生きられたものになります。

後で述べますが、これは2期7話に

重要な意味を持って再来しますね。

 

また、この1期13話は、

竹取の翁さんがご指摘されるように、

さらに以下の意味を見出すことも

可能そうです。

 

それは、1期13話の寸劇のシーンが、

実は皆の輝く場を用意するために

必要であったということ。

 

Aqours 自身は、Aqours の物語を

良く知っているからこそ、

以下のことを体感しつつあります。

 

「嬉しいことばかりじゃなくて、

辛くて、大変こと」があっても、

「全部を楽しんで、みんなと進」むことで

輝きになるのだということを。

 

観客の皆はまだ、輝きを見出すための、

この物語を十分に知ってはいません。

 

Aqours がその経験の中でやっと

発見しつつある輝きが、観客の皆にも

発見されるものになるためには、やはり

Aqours が経験してきた悲喜も

共有される必要があったわけです*6

 

あるいは、この会場にいる

アニメ時空の観客たちに、

MIRAI TICKET を十全に楽しむための

準備をさせた、とも解釈できます。

 

Aqours の物語を知る私たち視聴者は、

以下のことを身をもって実感しています。

MIRAI TICKET という曲もまた、

背後にある物語によって

大きく魅力が引き出される曲である、と。

 

この会場にいるアニメ時空の観客たちに

MIRAI TICKET のための物語を与えないのは

いささか可哀そうとさえいえるでしょう。

  

なお、少し先取りになりますが、

事後的にこそ意味を持つ、という

冒頭に挙げた自己物語の性質④も、

ここで立ち現れ始めます。

 

見てください、このダイヤの

満面の笑みを。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期13話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

1期1話のダイヤはまるで悪役のように、

シリアスな劇伴 「Conflict with diamond」

を背負い、行く手を阻む振る舞いをしました。

その時点でダイヤはかなり

険しい表情を見せていました。

 

しかし本心とともに事後的に振り返れば、

これも肯定的な通過点の1つだったのか。

そう言わんばかりの笑みを、

ここでダイヤは披露します。

 

 

さて、

ここまで、1期の8話以降をざっと見て、

千歌の物語や Aqours の物語が

Aqours 内外のやりとりを通じて)

いかに他者とともに作り上げられるかを

確認してきました。

 

そしてその作られてきた・・・あるいは

事後的に初めて見出された物語こそ

Aqours にとって重要になるということの、

片鱗を少しずつ見出してきました。

 

2期を通じて、この Aqours の物語の意味は

作品の骨格にさらに関わっていきます。

 

 

自己の力強さと難しさ

ここまでは主に、

他者の力の効力について見てきました。

 

ここで、自分の力の効力を考えるため

冒頭の自己物語の性質③、

③ 自分自身や判断基準を作りあげる

  基盤になること。

これについて考えていきます。

 

変わらない自己の力

他者との関わりや人間関係が

自己物語を作るとはいえ、

他者が「自己」を直接変えるわけではない。

前述の本ではこれについて 168P で、

他者との関係は自己物語を通してのみ自己を生み出す

と説明しています。

 

同書は、関係が変わるとき、

直ちに「自己」が変わるわけではない。

物語が変わることを通じてはじめて

自己が変わるのだ、としています。

 

言い換えれば、

物語こそが自分自身を作り上げるのだと

理解することができます。

 

自己心理学の最先端』には、

これを補強する議論があります。

自己物語を持つことによって、[…]自己のアイデンティティが保持されます。

と、自己物語が自己の形成に

大きな影響を持っていることを

示していします*7

 

さらにこの同書では、

自己の行動の指針についても、

私たちの日々の行動は、気まぐれに起こされるのではなく、抱えている自己物語に基づく過去の解釈と未来の予期によって構造化されています。

としています。

つまり、物語が行動に対して

一貫性を与えることを示唆しています*8

 

Aqours に対して、μ's あるいは

Saint Snow が教えてくれたものは、

自分を貫き通すということ、

これだったのかもしれません。

 

1期12話における Aqours

μ's からの卒業を胸に決めました。

 

しかしだからといってもちろん、

μ's の物語がそこまでの過程において

不要だったわけではないでしょう。

 

魂さんがご指摘されるように、

自己肯定感が低い千歌や、

うまく自分を信じきれない梨子

彼女たちに対し μ's は、

「自分を信じ」る基盤となって

大きな働きを為したのでしょう。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!1期2話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

2期6話 の MIRACLE WAVE に対する

Saint Snow の貢献も、

見逃せないものに思います。

 

「何が起ころうと逃げない」一貫性を

配信を通じて間接的に訴えるのみでなく、

「圧倒的なパフォーマンスを見せて」と

直接助言をもする鹿角聖良。

 

こうしたやりとりが、

かのロンダートバク転や

ドルフィンウェーブの成功に対して

一定の貢献をしたと言えるでしょう。

 

なお、Aqours の中でも曜は、

内部から自信を支えてきているように

感じられます。

 

「大丈夫。」というセリフの多さ。

そして決勝進出が判明してから

千歌に抱き寄るまでのこの

反射神経的な早さ。

信じる能力があったからこその

成せる力でしょう。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期7話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

なお、この2期7話において、

すでに輝きを探すことへの答えが

出つつあります。

 

しかしやはり、物語は結末をもとに

編纂されなければならないため、

この時点ではまだ確信に至らない。

もっと言うと、

物語として完成しないのでしょう。

 

自己の限界と、再び他者の力

 

2期7話では、Aqours

再び大きな壁に阻まれてしまいます。

 

廃校が阻止できなければ、

もはや輝くことができないのか。

 

コントロールできない不条理に

目的を見失いかけるかのようです。

 

メンバーを代表する視点としてか、

カメラが千歌視点に引き寄せられます。

 

皆の顔がその視界に入らない描写が

しばらく続くことになり、

失意がひしひしと伝わってきます。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期7話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

Aqours の皆は千歌を励ましますが、

しかし一方で

練習に力を入れられないという失意は

実は皆同じなのだと明かされます。

 

廃校を阻止できないのであれば

何のために Aqours の物語を続ける

(≒ 輝きを目指す)のか。

 

Aqours の皆、すなわち「自己」の中で

この物語への処方を見出すことには

困難を極めていました。

 

冒頭で挙げた自己物語の性質⑤、

 ⑤他者の助けでしか解消されない

 矛盾を含んでいること。

このことが効いていると考えられます。

 

自分を見る自分と、

自分から見られる自分の

一人二役をすることはできません。

これゆえ自分の物語の視点を変えるには

他者の助けが必要なのです。

 

ここにおいて実は、前述の1期13話が

伏線になってきているのでしょう。

浦の星女学院の皆は、1期13話を通じ、

Aqours の物語を詳しく聞いているのです。

 

少し脱線しますが、物語のなかには通常

今までの出来事の全ては入りません。

要約のために出来事が取捨選択され、

編纂されているのです*9

 

この瞬間においては、Aqours の物語は

「学校を救えなかった」ことを結末にし

編纂し直されてしまっている。

ここには、

見落とされている視点や出来事が

必ずあるはずです。

 

ここで、Aqours の物語をよく知り

それゆえに Aqours の物語に臨床的*10

関われる浦の星のみんなこそが、

他者としてその視点を脱構築できる。

このような構図と考えられます。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期7話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

この学校の名前を、残してきてほしい。

廃校阻止でしか学校を救えない、

このようなドミナント*11に縛られない

新しい別の事実を提供する。

その力は強力です。

 

浦の星のみんなの力によって、

Aqours は再び輝きを目指し

歩み始めます。

 

ところで、

「助けて、ラブライブ!」の意味は

2期1話において回収されたとの見方が

強いですが、ここにおいてもまた

学校を救う方法がラブライブとなっており、

やはり「助けて、ラブライブ!」という

物語であったことが

再確認されます。 

 

なお、2期1話で全国進出未達成を受け国木田花丸はいち早く「過ぎたことをいつまで言ってても仕方ないずら」と述べ、次のことに向かっていく強さを感じさせますが、これについても機を改めて考えましょう。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期1話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

他者の力の効果は、奇しくも、

自己の力を示してくれた

Saint Snow に対しても、

訪れていくことになります。

 

転倒によって決勝進出のみならず

ステージ上を楽しむことさえも

台無しになってしまった。

 

鹿角理亞を包み込みつつも、

自らも涙を頬に伝わせてしまう、

姉 聖良の姿。

こんな不条理な物語が

理亞を襲ってしまうのです。

 

こんな創造を絶するような苦しみ。

このような中にさえ救いを見せたのが、

Saint Snow にとっての他者

Aqours であったことは、

言うまでもありませんね。

 

自分では対応しきれない

ドミナントな物語の支配に対し、

新しい気付きを与える。

まさしく他者の力の成せる技です。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期8話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

ここにおいて巧みなことにルビィは、

相手に反論するのではなく、

受け入れた上で新たに提案するという

カウンセリングさながらの援助をします。

 

具体的には、

理亞の「最後の大会だったのに・・・」

に対し、「じゃあ、

最後にしなければいいんじゃないかな」

という提案をします。

 

ところで、

後述するといったルビィの強さが、

この箇所前後で多数現れて見えます。

 

「普段気弱そうなくせに」と語る理亞。

そのように映ったルビィだからこそ、

理亞に姉について熱弁せしめ、

ふさぎこんでいた状態から

立ち直らせたのではないでしょうか。

 

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期8話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

劇場版の序盤においても、

「お姉ちゃん・・・。」とこぼすことが

皆の注意を引き付け、

問題意識を焦点化させる。

一見弱そうな立ち振る舞いこそを、

強さとして活かしているかのようです。

 

そして驚くべきことに、

劇場版で Saint Snow が披露する曲

Believe again では、

強さを求めたら 弱さも受け入れてみようよ

・・・と歌っているではありませんか!

 

他にも、

新しくなれ 古い殻を破って進め

と、ある意味ではらしくない歌詞を歌い、

Aqours との相互作用を通して

Saint Snow が新しい強さを

獲得してきたさまが感じられます。

 

 

みんなで叶える物語 

2期13話。

晴れてラブライブ!の決勝で優勝。

しかし、その達成とは裏腹に、

驚くほど穏やかな描写が

間をとって描かれていきます。

このことについて考えてみましょう。

 

2期12話における勝ちたい理由の確認も、自己物語を考えるうえで重要に思いますが、9人それぞれの動機を考えるにはかなりの紙幅が必要に思いますので、今後の課題にします。

例えば果南の「でもそれ以上に楽しみたい。」の一言は、楽しむこと自体を目的にしているときに限って成功しがちなサンシャイン!! のストーリーによく沿っていますが、内情はもっと複雑なようです。アオイさんがご指摘されているように、楽しいだけではうまくいかないことを知っているからこそこのセリフが出たとも考えられます。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期12話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 

WONDERFUL STORIES への凝集

浦の星のみんなに「輝いていたよ」と

言われたものの、その後のシーンでは

輝きについて納得しきった様子では

ありません。

 

これもまた、

自分を見る自分と

自分から見られる自分の両立が

本質的にできないためでしょうか。

 

高槻かなこさんはインタビュー中で

輝きについて以下のように回答しています*12

輝きは自分でわかるものではないと思っています。光の中にいたら、自分が光っているかはわからないのといっしょで。

 

この矛盾を解決する方法として、

他者の視点を借りる方法の他に、

時間をずらす方法があります。

 

見る自分の時間と見られる自分の時間とを

ずらすという方法です。

このことが2期13話で効いてきます。

 

メンバーたちが扉を閉めるシーンが

一通り描かれたあとには、

千歌が今までの記憶の宿る場所を

回り直すシーンが、

さらにゆったりと描かれます。

 

初見で2期13話を見たときは、

1期13話よりはすぐに楽しめたものの、

単に「ファンサービスなのかな」と

少し縮小した見方をしてしまいました。

 

もちろんその側面もあるかもしれませんが、

作中の輝きと物語との関係を考えると、

その理解では不十分だと痛感されます。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期13話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

1期1話から明らかにされているように

サンシャイン!! の最大の課題は

輝きを見つけることであり、

その観点は終始ぶれていません。

 

廃校やラブライブが問題視されるのも、

それが輝くことにかかわるからだ、

このように位置付けられてきました。

 

最大の課題をこの時点でいまだ

完全には解決しておらず、

ある意味では危機的状況です。

 

この問題に答えるために、

校内を回るシーンは

なくてはならないものになっています。

 

前述しましたように、

物語は全ての時間を描くのではなく、

必ず取捨選択が行われます。

 

このシーンにおいて千歌は、

これまでの時間を辿り、

物語を編纂しているのでしょう。

このことが最後に辿り着く答えを

作り上げているものと考えられます。

 

少し時間が前後しますが、例えば

扉を閉めるシーンで曜たちが

「みんなと一緒に過ごせて、

 本当に楽しかった」

と振り返るシーンが、

これまでの時間の有意義さを強調しています。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期13話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

みんなが振り返れるこれまでの物語が

それぞれにある。

 

この辺りを考えていくと、

最後に体育館に Aqours の皆が揃う点には

実に多くの意味が重なっています。

 

9人みんなの物語が満ちあふれること。

9人みんながお互いに他者になって

物語を支え合えること。

お互いがいたからこそ出来たことが

はっきりと思い出されるということ。

 

当話後半で再び扉を開いていくのは、

今までの時間が終わったという見方以上に

今までの時間が意味があるという見方が

いっそう大事だ、と強調するためだった。

そのように言えましょうか。

 

そして最後に歌われる

WONDERFUL STORIES。

 

ここで自己物語の性質④、

事後的にしか

  リアルを得られない場合があること。

このことが、この大団円とともに

サンシャイン!! 全体を捉え返すための

要石として働きかけます。

 

この時間に収束するかのように、

結末を起点として物語が完成される

さまざまの準備が整います。

 

輝きに次ぐ大きな課題である、

決勝大会での披露

学校の関わりについてけじめをつけ、

その事後の時間に入りました。

そして、2期13話を通じ、

今までの時間の編集作業も

丁寧に行われてきました。

 

時間をずらすことが可能になり、

ようやく、自己の物語を見直すことが

可能になったのです。

 

また、物語の聞き手となる他者も、

ここに結集します。

 

まずは Aqours の9人。

そして、Aqours を応援してきた

浦の星のみんなが、聞き手として

体育館に集まることで、

自己物語の”語り”を支えます。

 

また、他でもない私たちファンも、

ここまでの Aqours の物語を

十分に認知しており、

今から始まる彼女たちの”語り”を

受け入れる準備をもって支えます*13

 

こうして、

千歌たち Aqours の自己物語が、

WONDERFUL STORIES とともに

納得のいく結晶化を果たします。

 

これ自体が輝きであったと納得できる。

そのような自己物語が、

ついに堂々と立ち現れます。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期13話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

歌とともに、これまでの歌の場面が

メタ的に重なります。

 

衣装や、恐らくはダンスの動きも、

これまでを圧縮するかのようであり、

どの時間も意味があったから

今が有るのだと再確認させる、

強い演出と映像です。

 

一方、歌詞そのものによって、

この物語たち自体が輝きであること、

すなわち輝き続けていたということが

繰り返し明らかにされます。

 

自己物語の完成を待っていたのであり、

まさに自己物語へと向かい続けた

物語だったのです。

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出典:ラブライブ!サンシャイン!!2期13話/
©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

少し見方を変えますと、 

今までみてきた26話分の面白さが

このわずかな時間の内に凝集される、

かなりの密度が構築されています。

 

なので、我々ファンがこれについて

何も感じないはずはないのです。

 

現代における音楽の聴き方が、

物語から反射神経的なものに

変わってきていると理解される中*14

ラブライブ!うたの☆プリンスさまっ♪

アイドルアニメは、これまでにも

物語の復権を狙うかのように

曲に物語を付与してきました。

 

26話全体が意味を与える楽曲である

WONDERFUL STORIES は、

その究極形の1つと言えるでしょう。

 

このように物語という屋台骨が

わずかな時間のうちに凝集し、

さらに、音楽、歌詞、衣装とダンスが

いずれもこの結晶化を補強する。

映像として堪能するうえでも、

何重もの意味が詰め込まれた

3分十数秒の時間です。

 

 

自己物語は自分の一貫性を支えるとともに

他者によっても作られるのであり、

Aqours の物語も、

それによって何度も支えられてきました。

 

そして物語は結論を起点として

事後的にのみ語られるのであり、

このため最後まで見つからなった

輝きが、最後の3分強の時間で

物語そのものとしてようやく現れ、

今までの時間の全てを

統合するのでした。

 

 

※ 2019/03/04 追記

 

この曲についてだけでもまだまだ

考えるべきことが多くため、

後からでまた恐縮ですが

少し追記します。

 

まず、月並みではありますが、

ここまで見てきたように

事後的にのみその「過程」の意味が

分かるからこそ、

「未来のぼくらは知って」いると

歌われていたのでしょう。

 

その過程の意義が明確でなくても

そのときには全力でやる。

このことがいかに前向きであるかは、

さらに下の箇所で追記を加えます。

 

また、まさにこの曲自体について

ご執筆されているものとして

十六夜まよさんの記事があります。

 

すでに読まれているかたには

蛇足にはなってしまいますが、

こちらをお読みいただくことで、

より深い意味をご堪能できるかと

存じています。

 

物語すべての時間が

音楽に集約された意味についても、

こちらの

思い出(=物語)とメロディー(=挿入歌)は密接な繋がりがあります。

というご指摘から理解できます。

 

2期12話において一人一人の物語を

確認し直した意義についても、

こちらの「STORIES」という

ご指摘から理解できます。

※ 追記ここまで

 

ここまで書いてきたことにより、

Aqours にとって自己物語が

根底をなすものであったことが、

改めて確認できたと思います。

 

また、事後から振り返ることに

意味があるという議論を通じて、

サンシャイン!! にはもう一度最初から

見返す意義があることも、

間接的に示せたと思います。

 

WONDERFUL STORIES に学ぶ現代の処世術

この楽曲に続くサンシャイン!!の物語は、

現代に暮らす私たちに多くのことを

教えてくれているように思います。

最後に、これについても

少し考えてみます。

 

以下、かなり私の考えが混じりますが、

よろしくお付き合いください。

 

終身雇用の神話は崩れつつあり、

雇用の流動化が目立ちます。

バウマンに「液状化する社会」と

表現されるような時代です*15

 

これに伴い、おそらくですが、

1つの技術だけで生計をたて続けることが

難しい時代になったのではないでしょうか。

 

少し大胆な見方をすると、

廃校は職業や雇用の不安定化を、

そして廃校後の活動の継続

そんな時代の生き抜き方を、

それぞれ示しているのでは

ないでしょうか。

 

1つの組織に属し続けることや、

ある閉じた信頼関係の中だけで

うまくやり続けることが、難しい時代。

 

廃校はこうした組織の不安定化を

象徴しているかのようです。

 

そんな中であっても次の目標を見出す。

そんな彼女たちは、

流動化する現代を切り抜けるための

一つの冴えたやりかたを私達に

教えてくれているのだと思います。

 

文字通り、液体的なしなやかさと

言ってよいかもしれません。

 

次の目標を見出すこと。そして、

新しい人間関係に対して

上手くやっていくすべを見出すこと。

このような動的な対応を、

私たちに示してくれるのです。

 

面白いことに、静真高等学校の生徒に対しては、善子の配信や渡辺月の配信など情報空間を経由して、接近していくことになります。これについては次回以降、移動と都市編、存在と情報編、文化と他者編にて考えます。

 

必ずしも望みどおりにならないなか、

それでもやり続ける重要さについては、

しかめっ面にさせるゲームは成功する』34P が

良い手がかりを与えてくれます*16

私たちは勝利を得るに足る努力はするべきですが、究極の目標とするべきは、勝利ではなく学ぶことです。

 

 

このように、やり続けること自体の

価値が肯定されることで、

優勝してなお歌い続ける意味も

改めて自然に理解されます。


さらに言うと、こうした考えにより、

起こる出来事1つ1つについて

意味を見出そうとすることも

支持されると考えられます。

 

理由は、第一に、

私たち人間の時間の中で、

全てのパターンの学習はできず、

有限の出来事から学ぶほかないため。

 

第二に、

予期の通りにならない出来事が

突発的に起こるせいで

全てを予め計画できないのであれば、

そうした出来事を活用する方向で

今後の方針をつど練り直すことが

重要と考えられるためです。

 

言い換えると、偶然起きた出来事が

自分の物語≒計画の中でどのように

位置づけられるかについて、

つど吟味する形になります。

 

不運を自称する善子は、劇場版でも、

欄干から転落するときに羽根を落とし

鞠莉の母に気付かれてしまいます。

 

しかしこのことがあったからこそ、

スペイン広場においてのお披露目があり、

鞠莉の母に意志を伝えることができた。

Aqours の物語は、

結果的に起こったことを、

むしろ意味のある出来事として

位置づけ直してしまうのです*17

 

 

『15時17分パリ行き』かのように

出来事が自分を導くように理解し、

 

前述の『しかめっ面にさせるゲームは成功する』のように

勝つこと以上に学びを続け、

 

強化学習のように今を起点にして

よりよい方向をめざし*18

 

そして自己物語のように

未来から過去を再解釈すること。


WONDERFUL STORIES が私たちに

示してくれているのは、

出来事と過程とを意味のあるものとして

受容することの重要さなのでしょう。

 

※ 2019/03/04 追記

成功の保障されない未来について

全力で立ち向かう意味については、

2019/03/03 のファンミも踏まえて

もう少し考えることができそうです。

 

人生において、あたかもゲームのように

失敗して立ち直り続けることは、

ある程度までは妥当します。

 

しかし、

現実ではゲームと違い、失敗に伴う影響を

避けることができません*19

 

この意味ではやはり人生は

完全にゲームや強化学習ではなく、

まさに「遊びじゃない」のです。

 

成長機会となる、

失敗と改善の繰り返しも、

安全が保障されません。

 

それでもなおやる。だからこそ

「勇気」が必要なのでしょう。

 

「本気になるときは今」としながら

「だめならまた次のチャンスをつかみに」

行こうとすること。

だめな可能性があるにもかかわらず

本気で立ち向かっていくことは、

並大抵ではないと思います。

 

それでもこの歌、

勇気はどこに?君の胸に!」は、

このことを歌っている。

だから「勇気」が要るのでしょう。

 

ゲームのようにつねに

学習と進歩を続けることを、

現実へも拡張しようとしてもいます。

 

確かに失敗にダメージが

伴うかもしれない。

それでも全力を出すことが、

自分の力になっていく。

その「過程」自体が活きていく。

 

ゲームのようにはいかない現実で

それでも動的に挑戦を続ける「勇気」が

重要とすることで、

いっそう、この不安定な現代の

私たちの生き方を応援してくれている、

そのように思います。

 

現実の荒波を生きている、

現実の Aqours の彼女たちが歌うことで

いっそうその意味が

際立ったように感じました*20

 

私事で恐縮ですが、私も丁度

少しリスクを取った挑戦をしていて

それでも全力を出そうと奮い立った

さなかであったので、

これを武蔵野の森で聴いたときは

涙が頬を伝うほど溢れました。

 

 

あるいはこうも考えられます。

前述しましたように、

彼女たち自身には

彼女たち自身を発見しきれない

原理的な困難さがあります。

 

Aqours に限ったことではなく、

一般に他者の力が必要という

ことですね。

 

そのような中で

「信じてあげなよ 自分だけのチカラ」と

歌詞が現れることについては、

若干不思議な印象を受けます。

 

しかしキャストのかたがたからすれば

いい意味で登場人物は他者であり、

作中の彼女たちを他者として

捉えられているのかもしれません。

 

だとすると、キャストのかたがたが

「信じてあげなよ 自分だけのチカラ」と

歌唱されていることについては、

さらなる意味を感じます。

 

登場人物に対しての応援歌とも

解釈できるということですね。

 

ともあれ、

勇気はどこに?君の胸に!」は

多重な意味を持つ応援歌であると

解釈可能であり、

ゲームとは違った困難さを持つ

現実世界について、

それでも挑戦を続ける勇気を持とう

私たちを励ましてくれる、

そのような意味を感じました。

 

下の課題に残しますように、

まりさるのさんがご指摘されるような

2期終幕以降現実に開かれていく

Aqours について、

このことも関連するよう考えられます。

 

※ 追記ここまで

 

今後の課題

ここまで、1期2期を通覧して

自己物語が深く関わっていることを

見出してきました。

 

しかし、当然と言えば当然ですが、

考察しきれなかったことも

多数あります。

 

1つ目は、WONDERFUL STORIES を

中心にした前後の流れについてです。

 

ここでは、WONDERFUL STORIES を

1つの結節点のように捉えましたが、

その先にどう広がっていくのかについて

当記事では特に言及できていません。

 

例えば、まりさるのさんの記事のように、

同曲を砂時計のくびれとして、

以降は現実へと開いていく、という見方も

可能でしょう。

 

現実の Aqours にどうつながったか、

劇場版で新しい他者たちに

どう出会っていったかについても

考察されていく必要があるように

思っています。

 

特に静真高等学校の生徒との出会いは

重要です。

 

今や身内となった浦の星のみんなだと、

物語を支える他者の中でも特に

「他者的な他者」を演じられないと

考えられるからです*21

 

また、他者の承認を得るといっても

WONDERFUL STORIES の場合は

少し複雑で、「物語が輝きだった」

という物語、言うなれば

メタ物語を承認する形になります。

これについても記事中では

十分に考えることができていません。

 

また、劇場版での流れを踏まえると、

この曲が唯一の結節点では

ないかもしれません。

 

NAっくんさんのご指摘のように、

Brightest Melody を演じて初めて

やりきった状態になったのだと

考えるべきかもしれません。

 

結節点をどこに位置付けるか、

あるいは単一でなく複数の

曲と出来事の一連の流れこそを

結節点にするべきなのか、

これも考える必要があると

感じています。

 

また、個々人の自己物語についても

ほんらい考察されるべきところが

多数あったと思います。

特に、WATER BLUE NEW WORLD に

象徴されるように、

鞠莉、花丸、梨子の3人の物語の

変化については*22

それぞれ詳しく考える必要が

あるでしょう。

 

以上のように、

まだ多数の課題が残りますが、

サンシャイン!! と自己物語との

対応について、一定の議論が

出来たと思います。

 

また、課題についても、

執筆される方にもしご参考いただければ

僥倖の極みです。

 

長くなりましたが、

ここまでありがとうございました。

 

次の記事の順序は迷うところですが、

お楽しみにして頂けると幸いです。

 

情報空間を通じた他者との出会いとして

存在と情報編、あるいは

文化と他者編を書くか。

 

あるいは、移動と都市編か。

このあたりのいずれかを

着手していきます。

 

→ 最初に存在と情報編が完成しました。

a16777216.hatenablog.com

 

 

参考文献

書籍

www.keisoshobo.co.jp

2001年 勁草書房 

 

www.kadokawa.co.jp

2017年 電撃G’sマガジン編集部 編

 

sekaishisosha.jp

2006年 片桐雅隆 著

 

ci.nii.ac.jp

 

www.shin-yo-sha.co.jp

 2016年 松本健太郎 編 新曜社

 

www.borndigital.co.jp

2015年 イェスパー・ユール 著

 

 

ci.nii.ac.jp

 

www.morikita.co.jp

2000年 R. Sutton、 A. Barto 著

 

www.kadokawa.co.jp

2018年 電撃G’sマガジン編集部 編

 

www.newgamesorder.jp

2016年 イェスパー・ユール 著

 

www.hou-bun.com

2018年

 

 オンライン

ishidamashii.hatenablog.com

 2019/02/28 最終アクセス

 

ishidamashii.hatenablog.com

 2019/02/28 最終アクセス

 

togetter.com

2019/02/28 最終アクセス

 

aoiroma.hatenablog.com

2019/02/28 最終アクセス

 

aqours-mayoism.hatenablog.jp

2019/03/04 最終アクセス

 

aoiroma.hatenablog.com

2019/02/28 最終アクセス

 

ichikingnoblog.hatenablog.com

2019/02/28 最終アクセス

 

yurinti.hatenablog.com

2019/03/04 最終アクセス

 

ch.nicovideo.jp

2019/02/28 最終アクセス

 

na-ckn.hatenadiary.jp

2019/02/28 最終アクセス

 

映像作品

www.lovelive-anime.jp

 

recreators.tv

 

wwws.warnerbros.co.jp

*1:ラブライブ!サンシャイン!!』は「サンシャイン!!」と、『ラブライブ!』は「無印」、作中の大会名は「ラブライブ」、と表記を統一します

*2:『自己への物語論的接近』170P

*3:『自己への物語論的接近』24P, 60P 等

*4:この舞台が国府津とも根府川ともいえる旨については、 momorin さんの無印2期11話の考察にて。

*5:集合的記憶は、[…]ともに成員であることを確認し嗚合っていく。」『認知社会学の構想』 169P。ただし同著では、現代は集合的過去の構築が難しくなりつつあることも指摘しています。例えば 185-186P ではノラを参照し、集合的記憶が、具体的な場所や祭典などの「記憶の場」に限定されたとしています。これを踏まえると、劇場版での学校をもう一度見に行く意味やライブをすることの意味は、「記憶の場」の確認だとも言えそうです。

*6:なお1期13話全体についてのこうした演技は、『TVアニメオフィシャルBOOK』での酒井監督の、彼女たちならそうしたいと思うだろう、というコメントによっても、かなり納得できるものになります。

*7:13P, 「自己のアイデンティティ」, 榎本博明

*8:15P, 「自己のアイデンティティ」, 榎本博明

*9:前述の『自己への物語論的接近』のほか、『自己心理学の最先端』にて

*10:『自己への物語論的接近』に従い、よりよいほうにする、くらいの意味で用います。

*11:前掲『自己への物語論的接近』で、ドミナントストーリーは、このような皆を支配してしまう意味にも使用されるようです。例えば 100P。

*12:ラブライブ!サンシャイン!! TVアニメオフィシャルBOOK2』 102P

*13:Re:CREATORS』のように、私たち視聴者の承認自体が(他者として)物語を支えると見ても良いかもしれません。今までの物語こそが輝きだったという Aqours の”語り”を私たちが承認することで、それが(社会的に構築された)事実になるわけです。

*14:例えば『オルタナティブロックの社会学』232P ではスコット・ラッシュを参照しつつ、私たちと音楽との関わりが、物語や言説を必要としない「触知的」なものになった、としています。

*15:理論で読むメディア文化』4 - 5P

*16:ここで重要となるのは、ただ漠然とやり続けるだけではなく、勝利を目指している点です。他にも例えば、アオイさんが書かれているように、競争の中で勝利を目指したからこそ見出せることがあったとも言えるでしょう。

*17:いちきんぐさんのご指摘のように、むしろ鞠莉や6人の Aqours が自分たちを理解するために、欠かせない要素になった、と理解できます。

*18:例えば森北出版さんの『強化学習』など。判別や分類を得意とする従来の機械学習と異なり、より良いことが期待できる選択肢を学んでいく機械学習

*19:ゲーム研究のバイブルである書『ハーフ・リアル』では、ゲームが満たすべき条件の1つに、結果が現実に影響するかしないかを自由に選べること、を挙げています。

*20:ファンミの Aqours が現実により近いという議論については、ゆーりんちーさんのご指摘があります

*21:他者的な他者については例えば『アニメ聖地巡礼の観光社会学』223P。

*22:3人の変化については『ラブライブ!サンシャイン!! TVアニメオフィシャルBOOK2』70P の酒井監督コメントにて。