こんにちは。センケイです。
うすうす思っていたことですが、最近ますます確信してきたことがあります。
アニガサキがありとあらゆる若者の悩みを丁寧に拾おうとしているように見える点です。
昔からあるような生きづらさ、最近に始まった生きづらさ、とくに中高生や若者に多く現れるであろう悩みを1つ1つ扱って、ヒントを授けている。
買いかぶりかもしれませんが、やっぱりラブライブ!は救いになるアニメに違いないし、とくにアニガサキは、どんなタイプの人にも救いが届くように、いっそう真剣になってるアニメではないかと思った次第でした。
今回は、自分をすっかり「キャラ」で覆い尽くしていることを悩む、ある若者のお話。
「自分をさらけ出すのが難しい」ことに、スポットが当たります。
しかし…考えてみれば、それは必ずしも悪いことだったのでしょうか。
さらけ出す難しさもまた、その若者 桜坂しずくにとって意味のあるものになっていた。この第8話を改めて振り返ってみて、私はそう感じました。
今回のキーワードは、
①「頑張る」ことの複雑化、
②未来を予感させる姿が役に命を吹き込むこと、
③物語は他者の力も借りて作られること、
この3つで行きましょう。
それでは、今週も対戦よろしくおねがいします。
頑張ることは難しい
ラブライブという大会を避けたことで、晴れて「競争」(あるいは市場原理) を離れ、純粋に好きを追求できるようになったかに見えた同好会。
しかし、ライバル校の出現や、あるいは掛け持ちしている他の部活における「評価 (基準)」は、いやがおうにも彼女たちを競争へと引き戻していきます。
それに、競争だって、大事なスパイスの1つには違いないでしょう*1。
しかし今の時代、若者にとっての競争、もっと言えば「頑張り」方というものは、とても複雑になってきているといいます*2。
主演を勝ち取るための競争で、しずくは「自分をさらけ出す」ことが問われます。これは数値や得点で比べることの難しい、たいへん複雑な課題です。
直前に放ったしずくの「頑張りますから…!」という言葉も、どこか虚しい響きがあります*3。
また、自分をさらけ出せるかどうかは、能力だけでなく性格とも関わるようなことだと思います。その点で、かなりセンシティブな課題でもあるのではないでしょうか*4。
それにしても酷だなと思うのは、この「さらけ出す」という目標が、みんなと上手くやっていくという人間関係の目標とは矛盾する (少なくともしずくにはそう映る) 点です。
外の評価から求められる「頑張り」と、仲間とやっていくための「頑張り」が、いつも同じとは限らない。
お互いに相容れない (かに見える) 幾つもの「頑張り」が求められ、引き裂かれる。
そんな苦しみが、いたいけのない1人の少女を襲います。
いちファンとしては、思わず、今のままでも良い、という気持ちにもさせられます。
なるほど確かに、今まで1話〜7話で見てきたしずくの素直さが偽りのものだったとしたら、ショックでないというと嘘になります。しかしショックだからこそ、全部偽物のしずくだったとは思いたくない。それもしずくの良さの1つだ、と言いたくなります。
今の時代は、複数の「キャラ」を持っていることは、別におかしなことではないといいます*5。
対面で見せるしずくのそんな顔も、かりに演技だったとしても、それはそれで構わないのではないか。
そう思ってみると、しずくに突きつけられた課題は、ますます酷なものに思えます。
…しかし、しずくや周りの少女たちには、その課題を乗り越えていく強さがあった。
そんなしずくたちにとってその課題は、確かに大事なものだったのです。
探していく3人
頑張ることは難しい。
「0勝5敗」、負けて続けてもなお挑み続ける中須かすみの胆力は、勝利の秘訣を語るのにふさわしいのかもしれません*6。
それにしても、璃奈ちゃんボードの汎用性や、手の色および厚みの微妙〜な描き分けなど、目の行くところが沢山あるアニメです。
璃奈ちゃんボードにおける星のエフェクトからは、生身の表情をボードが凌駕する可能性が感じられますね。
しずくを助けようとした試みは、すぐにはうまく行きませんでした。
しかし少し間をおいて、天王寺璃奈の気配り、および人のことを分かる力が光ります。
璃奈は、今のしずく「も」しずくだ、と言った。1つの言葉から2つのことが分かります。
第一に、璃奈の目からすれば、今のしずくだけでなく、今までの演じるしずくもまた本当のしずくであったということです。
仮面でも偽物じゃないということを、私たちが心配するまでもなく、友だちはもう受け入れていたんですね。
第二に、璃奈は、さらけ出すことをおそれるしずく、つまりしずくが「本当の自分」と思っているしずくにも、気付き始めたということです。
奇しくもこのことで、しずくは既に「さらけ出」され始めていた。自分とは、他者との関係で決まるもの。本当のしずくは、しずくも知らないところで、生まれることが出来つつあったわけです。
(それにしてもこのシーン、パンの彩度が高い…。新作でしょうか。)
意味のあった悩み
『アイドル/メディア論講義』によると、『ローマの休日』におけるオードリー・ヘプバーンは、未来を予感させたからこそ、その役に命を吹き込めたそうです。
もし最初から大女優であったならば、未来の大女優を予感させる、成長を感じさせるものにはならなかった。というわけです。
未熟な状態から学び取っていく姿こそ、「動作」を感じさせる。そのことこそが、その姿と、その演じている内容との両方に、生命を吹き込むのだそうです。
そして同書は、このような未来志向性は〈アイドル〉にも見られるといいます。
改めて言うなれば、しずくが「さらけ出す」のを怖がったことは、果たしてしずくの足を引っ張ったでしょうか。
いや、その怖がったことこそが、しずくの演じる姿に成長、学び、そして未来への予感をもたらし、姿と演技とに命を吹き込んだのではないでしょうか。
しかも今回の演目「荒野と雨」において、部長が「さらけ出す」演技だと言ったのは、さらけ出すのを怖がること、それ自体だったのです。
しずくがもし最初から自分をさらすのが簡単にできていたら、この「本当の自分を見せることが」「怖い」という演技は、真に迫ったものにはならなかったでしょう。
怖かったこと。それはむしろ大事なものだった。
そして、しずくの熱い意志、そして表現力は、そのことを味方につけ、劇に組み込むところにたどり着いたのです。
また、自分をさらけ出すことができるようになるという、未来へ向かう動きを通じて、しずくはもう1つ大切なものを得ました。それは、「歌いたい」ということです。
同好会のみんなはこれまで、「好き」なこと、「楽しい」こと、「やりたいこと」だからこそ、輝かしい歌を披露してきました。
これはしずくにとって、もう1つの壁になっていたことでしょう。
しかし今のしずくはもう、心から歌いたいという気持ちを、そのメロディやダンスに乗せられるのです。
雷雨は、感情をさらけ出させ、仮面を洗い流すという意味で、確かにしずくの味方です。しかし、もし心から歌えていなければ、痛々しい姿に見えかねない難しい場面だと思います。
しかししずくは見事に、向かい風を意のままにする、勇ましい姿となっていきます。
たとえ人から認められてもなお、自分の全てを受け入れることは簡単ではないと思います。
例えば「迷いや不安」。人に相談することは出来ても、その感情のネガティブさそのものに対しては、一人で立ち向かわなければなりません。
しかし、1つ大きな乗り越えをし、実際に迷いや不安を演目の完成度へと変えたしずくは、それさえも受け入れていこうとする。とても未来志向な勇姿です。
そんなしずくは間違いなく、〈アイドル〉であると同時に、未来の大女優であると言えるのではないでしょうか。
ぶつけあうストーリー
自分と、自分を見つめる自分。この二人を同時に居させることは難しいといいます*7。
そうすると普通、どちらかを他者に任せないといけないことになります。
あるいは自分の物語というものは、いわば「共演」してくれる他者によって、ようやく思い込みでない物語になることができる、とも。
部長は、自分を見つめる自分としても、共演者としても、しずくのことを助けました。しかししずくにとって大事な共演者は、もちろん部長だけではありませんでしたね。
さらけ出すことが怖い。そんな弱みは、かすみとこのような関係性を持てるようになるためにも、必要なことだったのではないでしょうか。
さらけ出すのが怖い、みんなから嫌われてしまうのが怖いという、しずくを支配する物語 (「ドミナント・ストーリー」)。
しかし、物語は他者と一緒に作っていくものでもあります。他者がその支配する物語を拒否したとき、新しい物語が生まれる余地ができるわけです*8。
しずくを真剣に想うことができるかすみは、心の底から物語をぶつけます。
このシーンで個人的に、かすみが本当に優しいなと思ったのは、嫌われないよという言葉に逃げなかった点でした。
世の中はやっぱり甘くないかもしれない。かすみはしずくのことをよく思い遣っているからこそ、うわべの明るい言葉ではなく、しっかりと自分の本心をぶつけているのでしょう。
嫌われてもそれでも良い。そんな物語で、しずくを助けにいきます。
そしてそんな中でも保証できる なけなしのものとして、かすみがぶつけるのは、愛でした。
さらけ出すことを恐れる頑固なしずくや、昔の映画や小説が好きなしずくは、かすみが今知ったばかりのしずくです。
「他のこと」といったしずくは、今のかすみもまだ知らない隠されたしずくです。
そんな風に今まで知らなかった相手の側面を愛することは、手放しでは難しいかもしれません。
しかしかすみの愛は、「あなたは◯◯だから好き」という甘いものではありません。今知ったばかりのことも、まだ知らないことさえも受け入れる、覚悟のある愛なのです*9。
しずくはかすみに対して「かわいい「んじゃないかな〜」」とちょっと誤魔化しもした。
それでもかすみは「私は、桜坂しずくのこと、大好きだから」と言うのです。
これは、かすみが自分をさらけ出すことが出来る人だから出来たのか。いや、それでも簡単なことではなかったと思います。
大切な親友を助けたいという真剣な想いがあり、そして覚悟を決めたからこそ、やっと出てきた言葉だと思うのです。実際、「ここまで言わせた」といって、足早に立ち去ってしまうのですから。
誤魔化すことなく真っ直ぐに言葉を伝えるかすみの勇気は、なんと気丈で、そして温かいものでしょうか。しずくからは笑顔があふれ出てきます。
そして、そのたった一人の愛が、いったいどれほどしずくを励ましたのでしょうか。報われた苦しみの深さといい、そしてその後の演目での強さといい。
まして、頑張る方向を見つけにくく彷徨わなければならない現代において、これほど救われるものがあるでしょうか。
はっきりとしたことは分かりませんが、「やがてひとつの物語」の相手として想われていてもおかしくないかすみ。二人の物語を重ねて、一緒に物語をつくろうと働きかけたのは、かすみのほうからだったのですね。
そして、かすみからあの言葉を引き出すために、やっぱりしずくの悩みはとても大事なものだったのです。
羽ばたいていく未来を予感させ、また、「人生と言う名の大きな舞台」を描いていく二人に、悩んだことをきっかけにいっそう引かれ合った二人に、いったい私たちは、どれほど打ちのめされたら良いのでしょうか。
あとがき
何でしょう、まだシリーズを追っていない人からしたら冗談ではないかと思われるくらいに「今までのよりもさらに良かった…!」と毎回思わされていて、心が持ちませんね…!
いよいよもうダメだってなってきています…。
しずくちゃんもかすみちゃんも大変素晴らしくて、こないだこの髪型にして本当に良かったと思えて、でもちょっと畏れ多くて、複雑な気持ちです。
カワイイ感じが良いな→カワイイといえばかすみん?→実際あの髪型良いよな→画像を見せて「これにしてください!」というのは躊躇われる→「ご希望のワンポイントなどはございますか?」→ワンポイントか…。ア、アシンメトリー!→アシメにしていただきました
— センケイ (@a33554432) November 12, 2020
まあそんな風に、毎週毎週の生活にアニガサキが入ってくる感じがとても楽しいですね。影響を受けたことで、色んなことがちょっとずついいほうに向かっていくというか。
それでは、今回もありがとうございました。
早いもので、13話あるとしてもあと5話という具合になってきましたが、まだまだ楽しんでいきましょう!
なお例によって今回も、ハッシュタグ「#しずく_モノクローム」にて、多くの素晴らしい記事が見つかるものと思いますので、Google から来られたかたはぜひそちらもご覧になってみてください!
*1:『競争社会の歩き方』は、新書で読みやすく、かつ知的態度も誠実で、たいへん参考になります。
*2:『多元化する「能力」と日本社会』。
*3:ところで、後ろが鏡になっているのは、演劇の練習場としてはリアルですが、「自分は何者か」を意識させている感もありますね。
*4:一般にいって、「主体性」や「コミュニケーション能力」など(同書より。)、能力とも性格とも取れることが評価されつつある。現代という時代にはこんな複雑さがあります。
*5:「自己の多面性とアイデンティティの関連」や、「若者の親子・友人関係とアイデンティティ」、『「キャラ」概念の広がりと深まりに向けて』。 3話感想続編でも使ったやつですね。
*6:おどけたシーンのようでいて、あっ…これもスクスタ20章のクライマックスと重ねて考えると、ヤバいですね…。
*7:『自己への物語論的接近』。
*8:同書より。なお以前の Aqours の感想でも参照しています。
*9:『コモンウェルス (上)』を参照しながら5話の感想で書いたエマ・ヴェルデの愛とも、通じるところがありますね。