土台になっていく同好会の光と影 アニガサキ10話感想

こんにちは。センケイです。

 

箸休め回としてわちゃわちゃの魅力を描きながらも、物語が確実に前に進み、またトラブルの予感も描き出す。

そんなラブライブ!らしさの詰まった見事な回でしたね。

 

しかも、そのトラブルの予感からかえりみてみると、今までの様々なカットが実は伏線だったのではないかと思えてくる。その作り込みに震えさせられます。

 

書くのが遅れており、もう土曜日になってしまったため、今更私に付け加えられることもあまりないのではないか、と一瞬は思いました。

しかし、集団のあり方、そしてアーキテクチャに着目することで、改めて読み解きができそうだと気づいたため、今回はこれを書いていこうと思います。

 

これらの観点から見てみると、上原歩夢の憂鬱も実は、コンテンツとプラットフォームの行き違いといったところから生まれているのではないか。そのように見えてくるところがあります。

 

それでは始めていきましょう。

 

 

プラットフォームとして成熟した同好会

 

ライブの準備を兼ねて始まる、夏合宿。同好会のコミュニティとしての成熟を感じさせられます。

この優木せつ菜のウィンクだけでもう「10話も最高でした!」になりかけましたが、まあ、続きを見ていきましょう。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

3話を思い返してみればせつ菜は、コミュニティや集団のあり方について最も悩んでいた人物の一人でした。そして、高咲侑の心のこもった提案とともに、その悩みを切り抜けてきました。

 

4話において宮下愛が身を持って示したことも加わり、必ずしも共通の価値や目標がなくても、同好会が集団として存続し活動できることが見えてきました。

これまで集団のあり方を悩んできたせつ菜が意気込んでいるのも無理はないでしょう。

 

そして、同好会は実際に基盤として機能するようになってきていました。天王寺璃奈や朝香果林に見たように、自分のスタイルを追求しつつも壁を乗り越える、それを支える人々として息を合わせてきました。

 

これは同好会が、コンテンツというよりもプラットフォームとして機能するようになってきた、そのような側面の表れではないでしょうか。

つまり、コンテンツとして特定の何かを実現するのではなく、プラットフォームとしてそれぞれのやりたいことを支えて育てる、そのような場になってきたように思えるのです。

 

集団には、「我々は何者であるのか?」を答える、「組織アイデンティティ」というものがあります*1

ニジガクのメンバーは、いかにして「ニジガクとはこういう者だ」という考えを作っているのか。

 

集団と組織の社会学』によれば、組織アイデンティティは、①利害、②情愛、③目標、④価値、そして⑤その集団に属していることそのもの、の5つで出来ているとし、⑤がもっとも重要であるといいます。

 

目標や価値を共有していなくても、友愛や、助け合いという意味での利害はあるし、それにそもそも、ニジガクであるということ自体が「私たちはニジガクなんだ」という思いを作ることが出来るわけです。

なので、たとえ大会ラブライブといったような具体的な目標と価値の共有が出来なくても、集団を作ること自体に価値があった。それは簡単なプロセスではなかったかもしれないけど。

だからこそ、中須かすみや侑、せつ菜がニジガクを集団として成り立たせてきたことに、とても意味があったと言えるでしょう。

 

そして、それは今や一人ひとりを育てる場として、息づいているわけですね。

 

そして侑もまた、立役者であると同時に、その恩恵に授かることになっていきます。

 

なお、これは後で述べますが、ニジガクが③目標や④価値というよりも①利害や②情愛によって結びついてきたからこそ、もしそれがズレたならば、痛手となって響くことでしょう。

 

侑の場合

 

侑はスクールアイドルではなく、10話前半時点では、具体的にやりたいことを見出してはいませんでした。

ただこれに対して、愛は何も言わずにただ微笑みます。(こちらもたまらなく素晴らしいカットですね…。)

方向性を示すのではなく、相手を受け入れて、包容≒抱擁すること。それこそが同好会なりの応援の仕方であり、基盤として人を支えているのだなということを垣間見せています。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

そして、人の物語もまた、別の人の物語を動かすものとして機能します。

3話感想の続編では、せつ菜は当初はそのことに気づいていなかった旨を書きました。しかしこの10話のせつ菜はもう、表情や言葉のはしばしから見るに、自分の熱意が人を動かせるものでもあると察しているのではないか。そんな気がしてきます。

 

例えば、何度も練習したせつ菜の話を聞いて、侑が「何度も」という言葉を反芻するシーンでは、せつ菜はこのような表情を見せています。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

それにしても、こうしてアコースティックで「CHASE! 」を聴いてみると意外に切なさがあって、上手くいかない物語のなかを何とか頑張っていこうというような姿勢が感じられて、こみ上げてくるものがあります。

 

せつ菜は今や侑とは、今まで過ごしてきた歴史や、これから未来に作られる歴史、それを共有してともに描いていく関係になりつつあります。

せつ菜は、ピアノを懸命に練習してきた侑の歴史を受け入れ、さらに、侑がこの先思い描く夢という、まだ見ぬ未来の歴史も受け入れます。

さらに、演者とオーディエンス、その立場の違いがあってなお、分かり合おうとして歩み寄っています。

 

5話7話の感想で使った言葉でいえば、せつ菜と侑は、「ラインを描」きあう関係になってきたわけです。

 

 

基盤としての同好会。物語がまた誰かの物語を動かす同好会。そしてときには、個人的な仲で未来を描きあう同好会。

これらのことが響きあったためか、侑もまた新しい夢へといざなわれました。

 

そして、その夢の内容自体も、まさに同好会が持っている基盤としての魅力を、さらに拡張したようなものでした。すなわち、スクールアイドルフェスティバルの開催です。

 

そのフェスティバルは、アイドルとファンの垣根を超えるという意味ではユーザー生成コンテンツ (UGC) 的で、一種のアーキテクチャ*2と言ってもいいでしょう。

なお、UGC というのは、プロというよりはまさに利用者自らがコンテンツを作っていくようなメディアのことを指し、アーキテクチャの典型例を成しています。

YouTube のような動画共有サイトや、食べログのようなレビューサイト、クックパッドのようなレシピ共有サイト、あるいはメルカリのようなフリマサイトもこれに入ってくるでしょう。

 

単独の優勝を目指す大会ラブライブに対して、ファンさえ含めて皆が実質主役として活躍できうるこのスクールアイドルフェスティバルという基盤は、間違いなくスクールアイドル界の重要な土台となっていくことでしょう。

 

 

しかしどうやら、同好会のプラットフォームとしての魅力には、落とし穴もあったようです。

基盤として根付いてきた同好会ですが、果たして全員が全員、同好会が基盤であることを望んでいたのか。

 

かすみ、侑、せつ菜が成立させ、愛が大きく一歩を踏み出し、エマ・ヴェルデが誰のことも放っておかない優しい場にし、そして作られてきた同好会の場。

それらはいずれも素晴らしいことでしたが、当初の狙いからすると…独り歩きしているとも言えるかもしれません。

 

 

現れてきたズレ

 

クエさんが NEO SKY, NEO MAP!  のジャケットについて歩夢の馴染めていなさをご指摘されていて、それを見て気づいたことですが、歩夢が溶け込めなくなってきているという目で見ると、10話前半だけでもすれ違いのシーンが目立っています。改めて、ゾッとさせられます。

 

合宿の内容の一環としてか、皆はライブで次にやりたいことを口々に述べて行きます。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

しかし、歩夢だけは、自分がどのような気持ちになりそうかということしか述べていません。プラットフォームとしての同好会の機能に、あまり便乗できていないようです。

 

この前後のシーンをよく見てみましょう。歩夢と至近距離にまで寄っているのは、ほとんどの場合、侑だけです。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

ごっこが始まるとなれば、阿吽の呼吸でついていくことは出来ている。その意味で、全体の流れからこぼれてしまっているわけではありません。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

しかしそれも1話を思い出してみれば、浮いてしまう怖さからだったのかもしれません。

そしてその、浮いてしまう心配に手を差し伸べたのが、侑その人だったのでした。

 

侑は歩夢のことを、「いつだって」見守る。しかしそれは必ずしも、歩夢の全人格を見守るということにも、侑の全人格が見守るということにも、ならないでしょう。

 

そして歩夢もまた、侑の全人格を見ていたわけではなかったように思います。

 

こちらも3話感想の続編で引用したものですが、今の時代は自分の中に複数の自分の人格があって、それを相手ごとに変えるのはネガティブでもなく普通のことだ、と言われています。

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出典:「若者の親子・友人関係とアイデンティティ―― 16~17歳を対象としたアンケート調査の結果から」 辻 大介, 2004 『関西大学社会学部紀要』35巻2号, pp.147-159

 歩夢は、歩夢のことだけを見ている侑を見ていた。

それはきっと、侑の人格のうちの全部ではなく一部なのです。

 

歩夢が渡したパスケースは、緑色のものでした。緑はピンクの補色であり、ペアとして補い合うには相性のいい色です。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

しかし、侑のイメージカラーは。歩夢は、何者にも染まらない侑のそのパーソナリティーを見ずに、髪の毛の先端や瞳の色にわずかに宿る緑だけを見ていたのかもしれません。

 

また、歩夢はこのとき、自分を見ていて欲しいというかたわら、侑の夢を応援するといった話をしてはいませんでした。

もちろん当時それでも良かったのです。侑にとっては人の夢を応援することが喜びであったし、歩夢はそれに応えたのですから。歩夢の勇気も、思いやりも、決して間違ったものではなかったはずです。

 

しかし今や同好会は、一人の夢を追いかけるコンテンツとしての活動から、誰しもの夢を育てるプラットフォームの活動へと、流れ着いてきています。

それは不幸にも、ほんとうの立役者であった歩夢の思いをよそに進んできてしまいました。

 

さらに悪いことに、今のせつ菜と比べると対照的に歩夢は、変化し続ける侑とその夢を、支持することができていません。いわば、「ラインを描」く関係になっていないのです。

 

それにしても、この変化を追いかけられていないことを除けば、誰も悪くないのに思いがすれ違い、人の気持ちの間にかけ違いが生まれていきます。

現実世界と同様に、アニガサキの世界もやっぱり複雑で、難しい。だからこそ、一人ひとりの活躍が美しく輝くのですが。

 

 

二人だけの静かなお喋りにムードをもたらしてくれたかに見えた花火は、皮肉にも、二人の時間をみんなの時間に変えてしまいます。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

プラットフォームとしてさらなる活躍をしようとする同好会と、それに目をきらめかせる侑。

 

そんなトキメキを表す劇伴は、歩夢の気持ちを置き去りにしていきます。もはや歩夢は、劇伴と同じ気持ちになることさえ許されていないのです。見事と言えばあまりに見事な描写。しかしその悲愴*3で、言葉にもならない思いにさせられます。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

まとめ

 

それぞれがそれぞれの好きなことを追求できる場。

それは確かに難しい課題ではありましたが、同好会がプラットフォームとして機能することで、なんとか達成されてきたものではありました。

そして、それにメンバーたちは確かに救われてきたのです。

 

そしてそのプラットフォームとしての側面は、侑の夢のことも支えたし、さらに言えば、そういうプラットフォーム自体が新しい侑の夢になったのでした。

 

しかし考えてみれば、プラットフォームになっていくことは、最初に歩き始めた歩夢の思いとは、必ずしも一致するものではありません

だからこそ、そうなっていく同好会と、それを追いかけ拡張していく侑に対して、歩夢は両手を上げて賛成することが出来ずにいるのでしょう。

 

しかも、せつ菜と対照的に、歩夢が侑の一部のパーソナリティーにのみ焦点を合わせていることが明らかになってきました。

侑の2つの大事なことは、果たしてお互いに相容れないものとして引き裂かれてしまうのでしょうか。

 

ここまで見てきた私たちファンとしては、歩夢の勇気も、広がっていく同好会の輪も、どちらもともに一歩も譲らず素晴らしいものであることが、痛いほどよく分かります。こうした摩擦が起こることは、とても複雑で、忸怩たる思いです。

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出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 10話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

応援したい歩夢。応援したい同好会のこれからの活動。どちらも大切で、1つだけを選べない難しい葛藤です。そんな葛藤に、私たちが頭を悩まされ、早く11話を見たいという気持ちにさせられないはずはないのです。

 

 

あとがき

 

今回もここまでお読みいただいて、ありがとうございました!

 

実はどう書いたものか、当初かなり悩んでいました。遅くなってしまってすみません。

ですが、プラットフォームやアーキテクチャについて考えることで、同好会全体としての発展も、パーソナルな悩みもどっちも織り込めそうだと思い、それでなんとかうまくまとまったと思います。

それを通じてゾッとしたところというか気付けてきたところが色々あったので、それを楽しめて頂けてたら幸いです。

 

出来れば、同時期に放送中の他のアニメと絡めたことも書いたり、あるいは、3rd の PV についても書いたりしたいのですが、ギリギリになってしまったのでまたの機会にしましょう (「LIKE IT!LOVE IT!」、青属性で攻守を務める桜内梨子センターで遊んでみましたが、眩しくて愛おしいですね…)。

 

それではまた、ファンも一緒になって楽しめるような場のどこかで、お会いしましょう。

*1:「我々は何者でありたいと願うのか:ダイナミックな組織アイデンティティの理解に向けて」。

*2:アーキテクチャの生態系』によれば、ルールや仕組みによって環境が管理されるもの。性質として、特に Google のように生活に定着したものは、その存在が意識されないものになっていくと同時に、次のアーキテクチャの生まれる土台になるともいいます (例えば Google は、 SEO 関係の基盤が生まれる土壌になります。このはてなブログSEO を意識した構造になっているはずですから、ある意味 Google を土台として生まれた次の土台と言えるでしょう)。

*3:余談ですが、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番も、タイトルと第2楽章の明るさとのギャップで知られていますね。