放任。自主性。輪をえがく夢。ニジガクの強さが分かった2期9話感想

こんにちは。センケイです。

 

1期、2期を通じてアニガサキが残してきたメッセージがどういうものであったか。毎話毎話が最終回だ、と言われるとその通りに感じるのですが、この9話に関しては、メッセージの集大成という風に見てもまた面白いかもしれません。

 

 

自分が1期のアニガサキから感じてきたのは、各話ごとにそれぞれ処世術がある、という点でした。

そしてその基盤として働いているのが、条件を課すことなく人を受け入れる、同好会という場である、と。

 

これに加えて見事だと感じていたのは、各話ごとに個人の悩みを解決していくだけでなく、全体としてグローバルな生存戦略も見せている点でした。

 

まず、個人の悩み1つ1つについては、どのように人の生存を助けるか、あるいはどのように自分が生存するかについて、言ってみれば事例集のようになっているとも感じました。

自分が持っている人にはない特殊事情や、ときの流れや環境から求められる (かのように見える) 圧力。こうした事情の中にある人をどのようにケアするのか。あるいはどのようにケアされる (やり方がありうる) のか。

対して、同好会が集団としてどのように生存していくかについても、その中で少しずつ進展を見る形で描かれてきましたね。集団間競争には敢えて応じない選択、己の内なる声に従いつつ個々人の個性を出していく選択、他者の自由をたっとぶ選択、そして集団内では意図して競争を良しとしていく選択、と。

 

2期では、集団としてのこれらのポリシーが、いかにメンバーの諸実践に活きてくるかということが、より詳しく描かれてきたように思います。

集団間での競争を前提としていないからこそ、エマ・ヴェルデたちは初期から鐘嵐珠のことを気にかけていたし、朝香果林たちはライバルという関係性の意義を見出していた。

後者は、川本美里という人物を救う形で働きます。すでに親しい相手との間で競争関係になるとき、それが止むに止まれず経験しているコンプレックスに対して緩衝材として働く、という描写になっていました*1

 

 

今回の2期9話は、1期3話にて「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それでいいんじゃない!?」と高咲侑が示した、公開性が高い同好会のしきたりや、その自由の中だからこそ実現できるような集団内競争、あるいは相手に干渉しすぎないといった間接的な働きかけが、お互いの扶助としてよく機能した回であったと思います。

今回の記事では、同好会のポリシーが基盤にしつつ、どのような手助けが2期9話で行われたか、加えて、助けられる側の自主性がどのように尊重されたか。これらを記述していきたいと思います。

さらにこれを通じて、コミュニティとしてのニジガクの強さを再考します。

1期のときには自分の記事は、同好会がコミュニティとしてどのようにメンバーを助ける存在になっており、どのようなセーフティーネットとして働いているのか、これをずっと追求してきました。今回は2期9話での手の差し伸べ方から、自主性の尊重や競争する意義も含めた、コミュニティの存在価値を追求していきます。

 

なお今期、5、6話以外については心を打たれたポイントを書けていなかったので、この機にそれも振り返ろうと思います。

 

 

介入することなく助ける QU4RTZ と DiverDiva

 

2期において最初に同好会を引っ張っていく役割は、QU4RTZ の4人に委ねられます。嵐珠はどこか放っておけない。その考えを互いに共感しあった4人は、嵐珠を助けようという気持ちから、結果的に自分たちを相互に助け合うという別の到達点に至れたのかもしれません。

天王寺璃奈の提案により1人ずつやりたいことを合宿形式で挙げることになった4人は、中須かすみ宅、近江彼方宅、璃奈宅で順次熟議していくも、かえって目指すものがバラバラであることが確認されてしまいました。

しかし、こうして集まったことは決して無駄にはなりません。

最後にエマ宅に集まるとき、上記のように璃奈が提案したこと、かすみ宅においてかすみが皆の良さを引き出す努力をしていたこと、彼方宅において彼方が面倒見が良かったこと。このようなお互いの長所を、お互いに見出すことが可能になったのです。そして1期から見られてきたように、エマが芯がとても強いということもまた、この場で本人に伝えられました。

自分視点では気づきにくい視点を与え合うという相互扶助の道を、最終的に彼女たちは見出していったわけですね。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期3話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

ここで興味深いのは、個々人の困りごとを直接助け合ってはいない点ですね。言葉で示したり、行動で示したりするだけでも、お互いを強めあい力を与えあえる形になっている。この点においては、相互に視点を与え合う助け合いも、ライバル関係も、重なるところがあるように思います。

 

メンバーおよびメンバーと親しい人物の、困りごとややりたいことに対して、直接介入することが少ない点に、自由をたっとぶ同好会の特徴が現れていると思います。

ところで、これは1期から見られる傾向でもありました。

例えば近江姉妹に対しては、彼方に対してはあくまで気持ちをヒアリングするに留めたり、遥に対しては彼方がパフォーマンスを見せることでメッセージを示したりしていました。より踏み込む場合があっても、ほとんどの場合は同好会としてでなく、特定の1人だけが詳しく寄り添うというていを取っていました。例外的なのは、璃奈に対して、全員で今後の展望を一緒に考えようとした点でしょう。しかしそれでも、璃奈が自ら解決策を生み出すのをあくまで支援する形に落ち着きました。

しかし2期ではこの特徴が膨らみ、より相手の自由意志に委ねることが多かったように思います。

今度は、DiverDiva の場合を見てみましょう。

 

2期4話にて詳細に描かれる DiverDiva もまた、自分 (たち) が何をするべきかを見出しながら結成に至ったという点で、 QU4RTZ と同様にスムーズな誕生の仕方をします。しかし、調和をモットーとする QU4RTZ とは、目指す方向性が異なる形になります。

 

通院を余儀なくされていた美里が退院したものの、何かを抱えている様子だったことに気付く果林と宮下愛。実は愛が大きく羽ばたき、眩しく活躍していることこそが遠因であったと知り、まさかというカミングアウトに一時はスクールアイドルを断念しそうになる愛。

個人的には、確かにそう思うに違いないと思える二人の心の動きに、深い感銘を受けました。この点、2期4話はとても印象に残る回でした。

さらにまた個人的な印象になりますが、既にこれまでに、時にはビビっていたり (3,000 人規模の大会場に1人で向かい合うとなれば、誰しもそうなるでしょうから、果林特有の弱みというわけでも決してないのですが)、ズボラな面を見せたりし、弱い部分も隠さずに示してきた果林だからこそ、締めるところできっちり締める冷静な言葉の数々は、心に刺さるものでした。

揺れ惑う愛に対して「そんな話、意味ないわよ」「オンラインライブだって近いんだから、しっかりしなきゃ」「じゃあ代わりに、私がステージに立ってあげる」といった対応はいずれも毅然として頼もしく、愛の「やめるのやめる」「本当はスクールアイドル、もっともっとやりたいよう!」という言葉を引き出した上での「それがあなたよ」という受け止め方は、とても颯爽としていました。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期4話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

調和とライバリティに共通するもの

 

さて、調和というテーマをベースに、同好会の (協力関係という) 方法論の意義を嵐珠に唱えようとする QU4RTZ と、ライバル関係というテーマをベースに、美里にお返しをしたり、笑顔になってもらおうとしたり DiverDiva では、方向性としてはその方法論が異なっています。

しかしむしろここに、同好会としての共通の基盤が色濃く出ているのではないか、というのが私の考えです。そのポイントは2つあります。

 

ポイントの1つ目は、2つのユニットは、ライブを見せることで間接的に当の相手を駆り立てようとする意味で、相手のやり方に直接干渉していないという共通点です。

QU4RTZ の場合、確かに、嵐珠を同好会に誘おうと直接働きかける場面もありました。しかし、璃奈やエマからは、やり方の自由に干渉するものではないという説明がありました。「同好会は、そんな (「自由なステージだってできな」いような) 場所じゃないよ。」「嵐珠ちゃんは嵐珠ちゃんのままで一緒にやれるはずだよ」と。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期2話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

DiverDiva の愛もこれと似ています。「明日から一歩でも 進んでみようって思えるような」という形でメッセージ性を持ってはいるものの、直接それを相手に求めるわけではなくあくまでその可能性を提示するに留めており、また、大勢にこれを投げかける点でソフトな伝達をしています。

具体的に求めているものは「笑顔になる覚悟」であり、徹底してライブから薫陶を受けてもらうことに主眼を置いています。ご存知のようにこれが結果的に、相手をより意欲的な方向に動かすわけですが。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期4話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

さて、QU4RTZ と DiverDiva に共通の基盤があることが見て取れるもう1つのポイントは、同好会の活動が、メンバー一人ひとりによる自由な創造のプロセスになっているという点です。

相手の自由を重んじるだけでなく、自分自身の自由も大事にしており、かつ創造性を持って臨んでいるわけですね。

 

自由で創造的なプロセスというのは、公共の場を作る源でもあります。少し遠回りになりますが、確認していきましょう。

 

同好会という場は、やりたい気持ちさえあれば良いというポリシーに立つ、公開性の高い場です。この公開性の高さの時点で、自由や創造性の登場を待つことなく、すでに公共性パブリックさを発揮しています*2

公共性についての伝統的な考え方では、公共性はあ共通の合意形成の場であり、交換やコミュニケーションなどの機能を持つ場です。同好会も、例に漏れずこのような場として働いていると言えるでしょう。

しかしニジガクの強みはこれにとどまりません。同好会の自由や創造性は、また別の公共性として働くのです。

 

さて疑問になるのは、果たして皆のコンセンサスが作られたり、交換などのシステムが成立したりするだけで、この複雑な現代社会の荒波を乗り越えられるような、強いコミュニティたり得るでしょうか。

実際、公共性についての近年の研究では、コンセンサスやシステムに結びつきだけでは物足りないという主張が、やはり多く挙がってきています *3

なぜなら、合意といっても、コミュニティが指す範囲 (満場一致の「満場」は誰までを含んでいるのか?) は曖昧だし、それに良い意味でも悪い意味でも、集団から独立した個人が着目されている時代でもあるから *4、こうした要素のことも考えてみよう、というわけです。

 

これを受けて、例えばトゥレーヌという学者が提案するのは、「平等の権利をもつ者どうしが互いに他者の個人的・集合的プロジェクトを尊重する」という社会モデルです*5。これは特によくニジガクと馴染むとモデルですね。

さらに、トゥレーヌに注目する学者タッカーが主張するには、永続的なルールで作られるものというよりは、流動的で不安定な実践と創造性が、こんにちの公共の場の特徴であるというのです*6

 

互いに他者の個人的プロジェクトを尊重するから、ソロアイドルでの活動がしやすく、しかもそれぞれの個性を発揮する形で表現できる。他者の集合的プロジェクトを尊重するから、それに実践が流動的であるから、一度はソロ活動をしようと合意をしたものの、後からユニット活動へと方向転換をすることもできる。

トゥレーヌのような学者によれば、重要なのは自由な個人・分人による創造的な活動だ、ということになるでしょう。そうすれば、こうしたスクールアイドルたちの表現の数々が、小さな社会を構成する諸要素になっているとも考えられます。

現代社会の事情に適応するかのごとく、システム的な結びつきにとどまらずに、文化的な基盤と、個人の自由でもってコミュニティを強いものにしている。これこそがニジガクの生存戦略ではないでしょうか。

もっと言えば、パフォーマンスを初めとする文化的活動、および創造的な個々人のあり方による刺激が、新しい文化的活動と自由を生む好循環、これがニジガクを頑健にする源泉なのではないかと思われます。

 

ここまでを少しまとめましょう。


ここまでは、QU4RTZ にも DiverDiva にも共通する考え方が2つありそうだということを追究してみました。1つは相手の自由をおもんぱかること。もう1つは、自分自身が自由に、そして創造的に活動するということ。


これらは今風に考えるなら、公共の場を作るエッセンスでもあり、だからこそニジガクがコミュニティとして頑健になっているのではないか。

 

…少し理屈が続きました。

ここからは具体例として、そうした自他の自由の尊重や創造性の発揮が、実際にニジガクの強さとして機能しているところを見ていきましょう。

少し先取りすると、こうした文化は QU4RTZ や DiverDiva だけでなく、ひいてはニジガク全体にある文化であることも垣間見えてきます。

 

 

立ち向かい、助け、強め合うニジガク

 

思えば当初からそうでした。例えば優木せつ菜。彼女は、ある意味では嵐珠の理想を早々と体現していたのかもしれません。

侑と上原歩夢の心に火をつけたことで、結果的には同好会再始動を引き金を引きましたし、エマたちが合流した新しい同好会でエマが「せつ菜ちゃん、すっごく素敵なスクールアイドルだし…」(抜きで再開というわけにはいかない)と言ったように、皆の刺激になったパフォーマンス、さらには表現をしようとする意志が、巡り巡ってせつ菜を救うセーフティーネットとして戻ってきたのでした。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1期1話/©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

直接人に誘いかけずに、かつ主体的に、最高のパフォーマンスを見せることこそが、やがてはコミュニティ形成に繋がり、それがその本人を含めて皆を助ける基盤となって成熟してきたわけでしたね。1期4話にて愛や璃奈が加入するきっかけを作ったのもまた、せつ菜のパフォーマンスでした。

その集大成の1つとも言える場面が、ここでしょう。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期6話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

優れたパフォーマンスの数々や、旧同好会として意欲的に牽引してきた姿勢。好きなことを自主的に表現しようとする姿。そうした文化的で創造的な活動がパイプラインとなり、自分自身を含んで人を救う公共の場を作ってきたわけです*7

これは、第二回スクールアイドルフェスティバルの白紙撤回という2期きっての危機的状況であり、同好会という集団として対面する大きな壁に対して立ち向かう、組織としての対応とも言えるでしょう。

文化的活動で結びついてきた結束は、このような危機に対して対応する強さにもなったし、今回 Y.G.国際学園、東雲学院、藤黄学園、そして紫苑女学院という他校の協力を得るに至ったのも、同好会の皆が精力的に表現を見せてきた結果であったのではないでしょうか。

 

それによって成員一人ひとりが、巡り巡って助けられてきたし、集団として課題に向き合うことも可能になったのではないか。

 

 

組織としての同好会の強さがメンバーを助ける事例を、2期8話からもう1つ事例を見ておきましょう。

この例が面白いのは、単に助けになるというだけでなく、互いの創造性を高め合い、好循環を作る例にもなっている点です。

 

2期8話の中核をなす場面。メンバーの中でも人一倍、個々人の自由意志を大事にしてきた侑本人が得た気づきは、「自分を目一杯伝えようとしている、皆の姿にときめいていた」というものでした。

侑が大事にしてきた、自主的、主体的に活動できる文化と素地。そのなかでのびのびと表現することができてきた皆の姿は、「決まりはな」く「自由に」創作活動をすることを助けるという形で、侑自身へと循環してきます

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期8話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

言ってみれば、文字通りの通貨がシステムとして働くかわりに、表現やその主体的な姿勢が通貨となって、次の表現や主体性を生むという循環を作っているわけですね。

 

このプロセスにおいては相手の主体性を尊重しながら動くことが大事になるから、あくまで干渉するのは最小限に留め、相手が自主的に動くのを待つような関わり方が望ましいのかもしれません。

親密であるがゆえに侑を気にかけがちだった歩夢は、今では侑を信頼し、気にかける以上に、自分のなすべきことを全うしていきます。しかも、皆に呼びかける形で。とても凛とした姿勢が印象に残ります。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期8話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

これも筋が通っている話で、成すべきことを成したことこそが、侑を助けることに対しても近道だったわけですよね。A・ZU・NA の音楽が始まったからこそ、侑が気づきを得ることができたのです。

自由と主体性がどうして大事なのか。それは、単に相手の主体性を邪魔しないというからでだけでなく、自分が主体的に動くからこそかえって相手の琴線に触れるから。2期でニジガクが示してきたのは、こういうことですよね。

 

皆の主体性が侑の主体性を膨らませ、それは TOKIMEKI Runners として1つの最高到達点に至ります。

侑の主体性と、伸びやかなる創造性は、さらに皆の創造性を刺激して。それは多くの創造のぶつかり合いを水平統合するかのように。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期8話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

皆が独立に活躍するからこそ、それをつないでいくのは、そうした自主性や表現、あるいは夢。

桜坂しずくが、言葉を伝えようとするモーションで示した「言ってるだけでイイ気分」という夢。これを声にして通じ合ってきたのでしょうか。そして通じ合っていくのでしょうか。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期8話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

ところで振り返ってみると意外にも、MC において夢の話題をしているのは3ユニットの中で、 A・ZU・NA だけのようでしたね。しかも TOKIMEKI Runners と同様に、両方の意味で夢を用いています。

曲中においてさえもまるで方向性の異なっている3人だからこそ一層、夢を共通の基盤として活用してきたのでしょうか?現時点ではちょっと理由がわからないのですが、また考えてみたいですね。もしくは、仮説を持ってらっしゃるかたがいらしたら、もしくはそういう言及がどこかでなされていたら、お知らせいただけると幸いです!

 

 

人に介入をする代わりに、自分自身の成すべきことややりたいことを自由に追求するという文化。

これが例えばせつ菜や、侑――だけではありませんが――といった個々人を巡り巡って助けてきたし、危機に対応する力にもなりました。そしてお互いの創造性をさらに強め合うという形でも、コミュニティの持つ機能として働いてきたわけでしたね。

 

 

…では、その集団としての強さは、集団自身や中のメンバーだけを助けるのでしょうか?

上の理屈パートで少しだけですが、コミュニティが指す範囲が (ふつう) 曖昧になりがちだ、ということを書きました。

そうです。この物語での文化的活動のネットワークは、もう外にも広がりつつあったのですよね。

 

 

ミアを助けたものは完璧さか?循環か?

 

嵐珠はやはりある意味で、せつ菜になりたかったのかもしれません。ストレートに技術を見せることが、最終的には繋がりになっていく、そんな夢を見ながら。

 

相手に干渉するよりは、表現を見せるほうがかえってコミュニケーションになる。それが嵐珠の思い描いていたものではなかったかと思います。

でもこれって実は、ほとんど同好会とも共通の枠組みですよね。

実際 嵐珠は、同好会に属する前から、すでに同好会と同じ輪の中で互いの創造を強めあってきていたわけです。エマが、「ある人が、素敵なライブを見せてくれたから、私たちはもっと成長することができました」と言ったように。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期8話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

相手と自分の自由を邪魔せず、道を突き進んでいく。パフォーマンスが通貨になって人と人を媒介する。こうした枠組みは、すでに嵐珠と同好会が互いに強め合える下地を整えていたのかもしれません。

そして、表現したいものを表現するというポリシーは、もちろんオーディエンスの皆に届いていくわけで、だからこそ三船栞子やミア・テイラーもまた、この輪の中に自然に入ってこられたのかもしれません。

 

2期7話は、ここまで考えてきたような自由の尊重とは若干パターンが違っていて、同好会総出で内心を探りに行くという、ちょっとお節介にも見える接し方をしていましたね。

これは当初不思議に思っていたのですが、よく振り返ってみると、これに至るまでの間、栞子に対する間接的な働きかけが重ねられていました。

2期3話や4話、6話の各ライブによって、栞子は少しずつ心をときめかせていきます。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期3話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

彼方や愛のように、相手の心境を敏感に察しつつ配慮ある対応できる人物がいるわけですから*8、栞子がこれまでの鑑賞を経て主体的にスクールアイドルを始めたくなっていたことを、確信を持って察していたのかもしれませんね。

 

また栞子は、フェスティバルの会期中は登壇せず、職務に専念するという選択をすることができました。この意味でやはり自由は尊重されていたし、また、成すべきことを成すというポリシーが栞子と同好会に共通してあることも分かりましたね。

 

 

ミアの場合は、そのペルソナからいくと、侑の音楽や表現を認めつつもまだ対等ではないと考えていたというか、侑を認めることを恥ずかしがってハッキリ自覚しないでいたのではないか。そんな風に考えたくなります。

自分のほうが上だ…と考えてしまっている限りにおいては、同好会に対して、競争相手として互いに強め合おうというモードになることは難しかったかもしれません。

 

そうすると、嵐珠がキーパーソンになります。

ミアがいなければ嵐珠は同好会に入るに至れなかったかもしれない。しかし同じように、嵐珠がいなければ、ミアもまた同好会に入るに至れなかったかもしれません。

璃奈の助けもやはり欠かせないものであったと思われますが、同時に、嵐珠の存在もまたミア加入に際して欠かせないものだったのではないでしょうか。「僕は、ずっと思ってたよ。鐘嵐珠ほど perfect なやつはいないって」とあるように、嵐珠だからこそ、ミアにライバル意識を持たせることができたのだと思います。

嵐珠こそが、互いに創造性を高め合うようなネットワークにミアを引き入れた、その人だったのではないでしょうか。

 

そして嵐珠にとってみればミア、そして栞子は、今から手を伸ばし始めるのでも遅くはないということを教えてくれた人物たちに違いありません。

 

そもそも、人が手を伸ばすことをやめてしまう瞬間とは、どんな瞬間なのでしょうか?「学習性無力感」として知られる現象があるように、上手くいく道筋が見えなくなった瞬間こそが、諦めてしまう瞬間なのではないでしょうか。

だとしたら、できるようになるよう相手を支持するよりも、できる道筋が存在することを相手に示してやったほうが、かえって相手の助けになる。こうした場合も少なくないでしょう。

第一に、素朴にやりたい気持ちに基づいて表現するということ。第二に、こうした自主的に表現をし合うことが、人と人とを結んでコミュニティを作るということ。

ミアが、素朴に、かつ主体的に表現をしたいと思い至ると、それを汲み取ったためでもあるのか、同好会は一同そろって助けに駆けつけます。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

義務感というよりも、素朴に表現をしたいというお互いの想いこそが、相互扶助をするネットワークになるということ。嵐珠から見れば、ミアはまさにその道の存在を示す先駆者であったのですね。

 

 

このように、そして「ありがとう、璃奈。やるべきことが、見えてきたよ」とあったように、成すべきことを成すのが一番相手へのメッセージになりました。

そしてその一歩はもちろん、嵐珠を救うとものいうだけでなく、ミア自身を救うものでもありました。

「スクールアイドルは、やりたい気持ちがあれば、誰でも受け入れてくれる。」逆に言えば必要だったものは、ミアが持つことができずにいたものは、やりたい気持ちだったということでしょう。

誰でも受け入れるという公共性を伴う同好会は、ただそこに存在し、ミアを待っていた。そういうタイプの助けです。

いっぽう璃奈は、親しみを持って近づきます。同好会の公共性と補う、親密性の力と言っていいかもしれません。

璃奈は同好会と比べると、少し踏み込んで働きかけますが、しかしそれでも決して、相手の意志をないがしろにするような接し方ではありませんでした。なにしろテイラー家の名前に束縛されるミアに対して、必ずしも囚われなくていい、と呼びかけていたのですから。

制約に囚われることや考え方に囚われること。そのような状況にあった璃奈を、同好会が救ってくれた。そして璃奈もまた、ここでミアを救ったのです。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

「(巡り巡って 僕の元へ戻ってきたよ)」*9。誰かに届ける表現は、巡り巡って自分を助ける形で返ってくる。誰かに助けられた経験は、巡り巡って他の誰かを助けていく。

自由な表現も、行き詰まった物語からの救いの手も、輪をなして巡り、次の誰かを、あるいはまた自分自身を助けていく。同好会とは、やはり、そういうネットワークだったのです。

 

昔は持っていたはずの自分のための物語。しかし、いつのまにか隠されてしまった物語。隠していた別の重たい物語から抜けたミアの物語は、空に向かって手を伸ばしました。

最後の言葉は、宛先が曖昧にされているものですが、他でもないミア自身のためのものだったのかもしれません。

一度は隠してしまったその輝きを。長い間しまい込んでしまった眩しさを。もうそれを持っていても構わないのだから。「(どうか光を閉ざさないで)」*10

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

自分自身の弱さを隠していたミアがそれにようやく向かい合い、そしてそのかつての自分の弱さに語りかける言葉は、例えようもなく優しいものです。それは儚いようでいてても強いもので。

 

 

3人の「もう一度」と 13 人の頑健さが導くもの

上で書いたように、ミアをしてお互いを高め合いたいという気持ちにさせたのがまさに嵐珠であったとするならば。ミアを動かした感情の中にはきっと感謝の気持ちもあったはずで。その気持ちを一番うまく表せる方法に、ミアはたどり着いたのでした。それは、素直に自分自身のやりたいことを、全力で表現するということ。

 

自分自身にやっと素直になれたミア。そして栞子。そしてようやく素直な気持ちになりかける嵐珠。特に、「(どうか光を閉ざさないで)」という、ミア自身のための言葉を聴いて、そして夢を叶えるまでの道を切り開いた姿を見て、何の希望も感じないというわけにはいかなかったことでしょう。遠回りのようでいて、これが近道だったのです。

しかし嵐珠は、他の二人よりももう少しだけ難しい想いがあったのかもしれません。

ソロではできないことを、ユニットや9人でやってしまえる。こうした、シンクロするパフォーマンスと協力関係とが渾然一体となった、そんな到達点を、新しい夢だと思ってしまったのかもしれません。それはきっと、ただ始めればできる、というものでもなくて。

 

でも、夢を自覚することはできた。にして伝えることはできた。同好会は夢を持ちさえすれば受け入れてくれる場所だから、本当はこんなふうに、素直になれさえすればよかった。その素直になる後押しを、ミアと栞子がそれぞれ違う形でしてくれたのです。

それに、それはもう、一部叶いつつあったものだったのではないでしょうか。確かに一緒にステージに立つということはまだできていないけれども、すでにお互いの表現がお互いの表現をさらに良いものにするという、創造性の強め合いの中に、嵐珠はもう入っていました。

嵐珠のおかげで QU4RTZ はユニットを組めた。侑は前に進むことができた。嵐珠はもう、表現を通じて助け合う公共性の中にいたのです。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

嵐珠の物語は、きっともう始まっていたのです。「やりたいと思ったときから、きっともう始まっている」んですよね、エマさん*11

だから栞子は、「もう一度」、と言います。「ここから始めませんか?」と。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

誰でも受け入れるネットワーク、お互いに表現を見せて高め合うネットワーク、表現する者同士助け合うネットワーク。

これに加えて、栞子、嵐珠、そしてミアの3人の間には、もうライバリティのネットワークも、しかも親しみのネットワークも生まれています。

それに3人は、きっと加わるタイミングが近いという意味でも一層、お互いへの親近感があるでしょうし、さらに言えば3人とも、一度何かを諦めたところからまた夢を見るという身。

同好会の中に何重もの繋がりがあることに加えて、さらに境遇の近い3人という縁も加わった今、今度こそ不安になることなく、上手くやっていけることでしょう。

 

 

 

ニジガクは、大会出場よりも、皆が自由に「やりたいこと」をできることを優先してきた場所だから、1人1人が自主的に、好きなことを表現できます。

そして、自分の気持ちで全力で表現することは、相手の自由を邪魔しないし、それにかえって相手を強くしたり、助けたりすることができる。ニジガクはこの文化も大切にしていています。これは、ルールや約束事を設けるのとはまた違う形で、人と人を結びつける力になります。

こうした力を持つからこそきっと、ニジガクはソロ中心の活動でありながら、繋がりを作り、そして誰のことも辛い状態にさせない、そういう強いコミュニティでいられるのでしょう。

 

自分では気づかないことをお互いに気づかせ合ったり、ライバルとして元気づけ合ったり、物語を作り合ったり、そして、希望の道筋があることをリアルタイムに体現してみたり。

 

そうした色々なやりかたで協力関係を作るという繋がりの頑健さこそが、13 人の笑顔を導く源になったのでしょう。

出典: ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話/©2022 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 

今回かなり長文ではありましたが、ここまでありがとうございました!

 

やはり薫陶を受けたためか、私自身も、やらなきゃ、とか、良い成果にしなきゃ、といった気持ちで書けたと思います。

結局 15,000 字弱になりましたが、なんとか書ききりました。TOKIMEKI Runners についても、これは…!とウズウズしていたので、この機に後追いでもなにか書けたらとは思っていましたので。と思っていたところに、この9話ですよ…。もう止まってはいられませんでした。

 

嵐珠ちゃんの夢の意味の解釈が、少し難しいようにも感じたりはしました。皆と一緒に協力して何かをすることが夢なんだとしたら、皆のほうは夢さえあれば協力するはずだから、なんかデッドロックかも?などと考えていたりしました。もしくは、片方解決すれば両方とも解決してしまうやつかな、とも。

でも、それでいいんだ、と思いました。本当は、嵐珠ちゃんのやりたいことも、皆のやろうとしていることもすぐ近くまで来ていて。だからこそあとほんの少し何かがあれば良かったのかもしれないな、というところで、繋がって感じられました。素直さだけが足りてなくって、だからミアちゃんが素直さを見せることが、最後のピースとしてハマったのかもしれないな、って。

 

それと、アニガサキのコミュニティとしての強さは再三感じていたので、これが結構内容に反映できていたとしたら嬉しいです。集団として、あるいは一人ひとりが生き残るためとして、学べる処世術がかなり描かれていたように思ったため、その観点から見ておきたいというのがありました。

 

1期からアニガサキは処世術として学べるところがたくさんあると感じていて、そこにも毎回感銘を受けていたので、なるべく話として盛り込みたかったですし、いずれは1期のことも含めて、全体的にその観点をまとめた話を書きたいですね。

 

それでは、願わくば江東区調布市で、あるいは鎌倉市で?またお会いしましょう!

*1:競争相手として競争するという表現もあったため、メタ競争関係とも言えるかもしれません。

*2:3話の感想の記事で参照してきた見方です。

*3:モダニティの変容と公共圏』。特に3章「近代と非理性的モメント」より。なお、こちらも3話感想記事で引用してきた内容になります。

*4:これは今に始まった話ではなく、例えば『第四の消費』などで言われているように、ウォークマンのような個人専用の商品の登場などからも示唆されてきたものでした。

*5:再び『モダニティの変容と公共圏』3章。

*6:同上。

*7:「今回は仕方ないじゃないですか。私は生徒会長なんですよ…」というせつ菜に対して、同好会の皆に対しても頼って良いとする皆の反応は、同書にてドライゼクが言ったとしている「多元的な自己」と通じているように思います。すなわち個人の全人格が連帯の中に位置付けられない状況でも、スクールアイドルという属性を持つ限りはスクールアイドルという連帯で架橋される、という理解をすることができそうに思います。またの機会により詳しく考えたいですね。

*8:考えてみれば、2名とも、最も身近な相手のうちの1人については、心の内を察せないという出来事がありましたね。近いからこそ難しいのか。これもまた考える余地がありそうです。ところで個人的に彼方の対応力で好きなのは、沢山あるのですが特に、カメラについて熱弁する侑に対する「へぇ〜?」ですね。

*9:YouTube【限定公開】stars we chase / ミア・テイラー(CV.内田 秀)【『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』TVアニメ2期 第9話ダンスシーン映像】」掲出の日本語訳より。

*10:同上。

*11:ご存知、1期5話でエマが果林に言うセリフです。