21章は20章と比べるとかなりストレートに素敵なお話で、言葉を付け加えるのも野暮かも、という気持ちは少しありました。
しかしそれでも、裏切りや信頼、「愛」とは何かを考えてみたら、考えてみる前よりはいくぶん、感じられたことが増えたように思いますので、これを文にまとめたいと思います。
部に移動したメンバーの動機もまだ明らかでないところが多いですが、それも少しずつ触れていきつつ、メンバー間の信頼関係を見ていきましょう。
宮下愛の場合
宮下愛は、いま部に属している中でも、いちばん部に行かなさそうなメンバーだったという印象があります。
その理由は作中でもあまり描かれないままになっていますが、ここで一つ立ち寄って考えてみましょう。
考えられるシナリオはいくつかあります。
まず1つは、これは悲観的であるためあまり考えたくないものですが、愛は誰に対しても親切に出来る人物だけに、見た目の親しさから感じられるよりはほんの少し、同好会のメンバーと (まだ) 距離を置いているという可能性です。
愛は桜坂しずくからの電話に対して、「同じスクールアイドル愛を持つ者として」皆仲良くできたら嬉しい、という旨を言います。
これがもし、愛と同好会との間の話なのであれば、仲良くしたい理由としては広すぎるくくりと言うか、今まで過ごしてきた時間を差し置いてずいぶんあっさりした表現だな、と感じられます。
まるで、少しだけ距離を感じさせるようなひとことです。
これは、同じように次々と人と打ち解ける、アニガサキ11話時点での高咲侑とも重なるところを感じます。周りの期待とは少しギャップができるため、その場合、愛自身もまた、そのことに悩みを抱いているのかもしれません。
誰に対しても人当たりがいいだけに、心から敬愛し、天王寺璃奈と同じくらいのレベルの親友と言えるようになることは、愛にとってむしろ時間がかかることなのかもしれません。
2つめのシナリオは、近いところでもう少し明るい解釈をしたもので、たとえ所属が違っても関係は変わらない、と考えている可能性です。
これも多少ドライではありますが、いっぽうで、メンバーに対して厚い信頼を置いているということでもあります。これはこれで愛らしい感じがあります。
普段から様々な部活でヘルパーをしている愛にとっては、その後同じ場所で活動していなくても友だちであり続けられる、そのように考えていてもおかしくありませんね。
3つめは、他のものと両立できるシナリオですが、部という場で何が得られるのかを実験的に探索している可能性です。
4話感想で見てきたように、愛は自分の (さらには自分たちの) 道を自分で描ける人物です。
新しい可能性を探して、さらに自分たちのステージを前に進めるために、吸収できるものはなんでも吸収しているのかも知れませんね。
あるいは、意識的にであれ無意識的にであれ、二つに分かれて切磋琢磨することが、最終的にみんなの情熱を高めてレベルアップにいざなうかもしれない、そのような期待を持っていたのかもしれません。
やはり4話感想で書いたことですが、愛は正解のないなかを模索することの出来る人物でもありました。
新しい正解を求めて。あるいは、失敗することも恐れず、試せることは試して。そういう愛の姿勢が、最終的に10人あるいは11人の世界を広げてくれるに違いありません。
また、いずれにしても、愛はしずくを心配し、しずくが皆に気持ちを伝えられることを望んでいます。愛の思いやりが感じられる一幕です。
しずくにとって技術的にだけでなく精神的にも、非常に頼りになる先輩であったことでしょう。
愛が部に移動していたことは、確かに意外なことではありましたが、ここで重要な意味を持つことになったわけです。
なお、朝香果林についてはまた機会を改めて考えたいと思います。
ただ、一つ思い当たるとすれば、部での厳しい修練についていくことも、ライバルに負けないための果林なりの闘争心、あるいは、一種の強がりだと考えると自然でしょうか。
同好会のメンバーの前ではケロッとした表情や物言いをしつつも、内心強がっているのだとしたら、これもまたなかなか魅力的な側面だな、と感じられますね。
測るということ
さて、しずくは部で自分の演目をしたとき、それを完璧なものだと認識していました。しかし、そこに足りないものがあることを中須かすみは指摘します。
しずくが気付かないでいたのはなぜなのか。これを考えてみましょう。
考えてみれば「完璧」というのは、測定できる基準がはっきりと定まって初めて、言える言葉ではないでしょうか。
しかし、基準のなかで完璧を達成しようとするとき、あまりにそこに集中しすぎると、その基準の外にある側面を見落としてしまいます*1。
はっきりとした目標を信じてしずくは、ある意味では盲目になってしまっていたのでしょう。
この、基準に「合わせに行く」のが上手いというしずくの特徴は、かなりアニガサキのパーソナリティーと一貫していて絶妙ですね。
そしてその迷宮の中から助け出すのがやっぱりかすみだ、という点が、見事というほかありません。
かすみについてさらに言えば、観客の少ない中で苦しみに耐えるというよりも、それでもなお「楽しむ」という姿勢を貫くところがあまりに輝かしいです。
そして、だからこそ心を奪われるしずく…。
ところで、ミア・テイラーという人物もまた、基準に翻弄されている人物として描かれていますね。
彼女は「バズる」ということを度々口にします。もちろんそれは多くの人物に曲を届けるに際してとても大事なものですが、もちろんそこからこぼれ落ちる観点はいろいろとあるでしょう。
それともう一点。
高度な技術についてもまた、とても重要だということが言えますよね。論拠を見つけて来ようと思いましたが、μ's や Aqours の技術を思い出してみれば、調べるまでもないことかもしれません。
高度な技術を基礎として、それゆえいっそう「一緒に楽しむ」姿勢を輝かせるしずく。新しい要素を模索し、今までに得てきたものを組み合わせて次へと進んでいく姿は、これもまた見事と言うほかありません。
もともとしずくは、演じることが上手く、かつ世界観を構築することも巧みな人物でした (以下は21章ではなくとある人物のキズナエピソードですが、参照しておきましょう)。
演じることの上に高度な技術が乗り、他方で世界観の上に「一緒に楽しむ」ことが乗り、その両者が交わる。このとき、いかにしずくが無敵になったかは、計り知ることができませんね。
信頼、そしてメディアとしての「愛」
同好会、とりわけ「あなた」がしずくを見送ることができたのも、待つことが出来たのも、信頼によるものと考えるのが良いかもしれません。
ここで、信頼とは何でしょうか。
例えば故 山岸俊男さんは、信頼について詳しく研究してきた社会心理学者ですが、伊藤亜紗さんの『手の倫理』では、山岸さんの述べる信頼のエッセンスについての引用と、分かりやすい説明があります。
それによれば信頼とは、相手の裏切りを不可能にすることではないそうです。
そうではなく信頼とは、相手が裏切ることが可能にもかかわらず、ひどいことをしないだろうと期待することなのだそうです。
その引用と説明では、こんな例えも使っています。相手が嘘をついたときに、針千本マシーンが自動的に針を飲ませるという場合。このとき、相手は嘘をつくことが不可能になりますが、これは信頼ではなく、「安心」なのだそうです。
相手が嘘をつくことが可能なのに、きっと嘘をつかないだろうと期待すること。これが信頼だというわけです。
「あなた」をはじめとする同好会は、しずくが同好会に戻ってくるように物理的な制約を掛けたわけではなかった。
しずくはきっと戻ってきてくれる。あるいは、仮に戻ってこなかったとしても、それでもいい関係を続けていける。恐らく、そのような信頼があったのでしょう。
3話感想で参照した『モダニティの変容と公共圏』から読み取る限り、「愛」もまた、信頼と近いところがあります。自分の期待を裏切る自由が相手にあるからこそ、成り立つという点において。
愛を確かめるという行為は、愛が不変である保証がないからこそ、意味を持つというわけです。
相手の気持ちがわからない。だからこそ、愛を確かめるというやりとり、相互作用が、メディアとして生じるというのです。
(メディアという言葉は、通貨や SNS でのメッセージなど、やりとりの媒体を指す言葉として使われています。)
しずくがかすみの期待通りにしてくれるのか、しずくがかすみを愛してくれているのか、かすみには分からない。分からないからこそ、まるで気持ちを探るような遠回しなやりとりも多く見られます。
しずくが部に行くと決めたことは、かすみにとってかなりのショックだったはずですから、かすみにとってしずくの愛がわからなくなるのは、当然のことかもしれません。
しかし、愛が分からなくなるからこそ、それを確かめるためのメディアとしての「愛」が、いっそう活発さを増していたのだと思います。
ライブ披露後、探り合うようなやりとりを続けるなかで、少しずつ気持ちを明らかにするしずく。
かすみの「声」が聞こえて、いかに引き込まれたかを、しずくはつまびらかにします。当初「応援なんてするもんか」と思っていただけに、その言葉の重みはますます大きなものになります。
本当は応援しないつもりだったという本音。それでも心を奪われてしまったという本音。
かすみはしずくの本音に心を許し、ついにしずくに「大好き」と言います。
そして、しずくはハグで応えます。
確かめ合いは、次第に触れる関係へと深まっていきました。
9話感想でも参照してきましたが、『手の倫理』によれば、触れることは距離ゼロどころか距離マイナスで相手を分かることです。そして、自分から相手、相手から自分へと、その効果が相互的に共鳴することでもあるといいます。
ほんの少しずつ確かめあうところからやり直さなければいけなかった2人が、ダイレクトに想いを伝えあう距離にまで、とうとう戻ってくることができたのです。
いや、そのお互いへの想いは、今までよりももっと強まったことでしょう。
そして、璃奈を巻き込んだ3人のハグへ。
心の伝わる「触れる」という関係で、嘘をつくのは難しいでしょう。
3人で一緒にいる喜びを本心から伝えるしずくとかすみに、璃奈はどれほど安心したことでしょうか。
こうして、一度すれ違ったからこそ、愛を確かめ合い、いっそう気持ちを響かせ合うことができた同好会。
その同好会のこの先が見られると思ったら、22章の訪れが楽しみでなりません。
あとがき
駆け足で書いてきましたが、やはりメディアミックスは結構良いな、ということを改めて感じ始めてきました。
愛おしい9人あるいは10人、11人の活躍を、できるだけ多く見ていたい。その中には、流れがガラッと変わるような意外な展開も含まれて欲しい。
でも、それはきっとアニメ26話分の中に収まらない気がするし、それに急展開によってこれまでの素晴らしい流れの腰が折れてしまったとしても、それはそれで惜しい。
そんな贅沢な葛藤に応えてくれるのが、やっぱりメディアミックスなんだろうな、という風にも思います。
ラブライブ!の伝統を汲んで最大1年間の物語とするならば、描ける展開の長さや幅には限りがあります。
その制限がなければ、来年、あるいは卒業後の時間の中で新しい急展開が描かれれば良いのかもしれない。でもそれが出来ないのだから、別メディアの中で、同じ季節をめぐる間の全く新しい出来事を見守ることになります。
それに応えてくれるのが、こうしたメディアミックスなのでしょう。
さて、「和洋中のコラボドリンク」というような伏線のようなメタファーも出てきましたし、同好会だけでなく部の動きもどうなっていくのかも、面白くなっていきそうです。更新が待ち遠しいですね。
それでは、今回もありがとうございました。
また、22章にてお会いしましょう!
*1:『測ること』という本は、測る基準に集中しすぎることで本当の目的からズレていってしまう例を、分かりやすく多数紹介してくれています。