夢を追いかけていた日のことを思い出して

あまりはっきりとは書きませんが、とても心に残るいくつか (主に2つ) の経験が出来たことで、理想や夢に向かうことの大事さ、そして自分の夢に夢中になる気持ちを思い出す形になりました。

なので、経験についてはぼかして書きつつ、夢に向かう気持ちをもう一度燃やしていきたいと思い、短めの記事を書きます。

 

 

これはある1つの経験…いや奇跡的にも2つですね…から受け取ったメッセージですが、素顔っていうのはこのご時世じゃなくても、なかなか見せられない、あるいは自分でも分からないものだったのですよね。考えてみれば。

 

「これが自分」ってはっきり言えない中でも、分からないなりに、あるいはうまく工夫して繕って、それで進んでいく。そうすることの大事さを、しみじみと感じることになりました。

 

単純に出来事を通じてとても応援されて、もう一度夢に向かいたいと思った理由としてはそれがメインでもあるのですが。でもそれだけじゃなくて、曲がりなりにも進むので構わないんだという言葉を聴いたり、動きを見たりして、それで何かこう心の底からふつふつと勇気づけられました。

 

ただ、もちろん曲りなりに進むと言っても、ただ明日を今日よりよく過ごそうというのと、1つ大きめの目標を持つのとは、ちょっと違いますよね。

もちろんどちらのほうが偉いとかは無いんですけど、今の自分は、去年心に抱いたはずの後者が弱くなってきちゃってて、いつしか前者だけになってしまって。

その目標のことだけ考えるとかじゃなくて、時々思い出すとかだけでも良いから、やっぱり目標を胸に抱きながら時間を過ごしたいなって。そうすることで、日々の充実感を得ていたはずなんです。

 

火がついたはずの目標は、すぐに止まるようなものではなく、いまも生煮えのままになっていると思うのですが、時間が無いとか、他にやりたいことがあるとかって、自分に言い訳していたな、やりたいことをやれてなかったな、と思いました。

でも、短期的に来月はひとまずこうなっていたいっていうモチベーションと、長期的に遠い目標を夢見る自分とは、やっぱりどっちが本物というわけでも無いのでしょう。だから、夢に素直になるからといって、前者をやりたい気持ちを無碍にしなくても良いんだろうなって。

 

あまり器用ではないので、1つやり始めるとかかりっきりになってしまう自分なので、今はたまたま前者に全振りしつつありましたけど、根底に流れる血のようなものとしても後者もまた温めよう、一直線でなくてもいいから。そんなことを考えたのでした。

 

それではここまでありがとうございました!

 

メタな話ですが、私のささいな夢は、やっぱりテキストを書くことです。

また、何らかのテキストのどこかでお会いしましょう!

 

 

※ 2022/01/17 追記 ↓↓

 

あれからテキストという一つの具体的な目標へと到達することができました。

 

でも、夢が叶ってしまった分、次はどうしようと色々考えるようになって。結局の所、次の目標は、抽象的なものになりつつあります。複雑なものを理解する、とか、コツのコツを知る、とかね。

 

最初はそのことにほんの少し戸惑いましたが、でもこの記事の中で答えは出ていました。夢は大きいもので良いのだ、と。大きいということは遠いということだし、それであれば抽象的なものである可能性は高いはず。そう思えば、抽象的なものでも問題ないですよねと。

 

抽象的だと情熱を注ぎ込むのが難しいのでは?という疑問も無くはなかったですが、本日 01/17 に Aqours 1st の映像を劇場で見て、遠い、抽象的な夢であっても、今からそれに気持ちを燃やすことは可能だと気付きました。

 

 

今この瞬間が「始まりだ」と思える瞬間かもしれないと思ったら、雑に過ごすというわけには行きませんよね。

それに、ということは、この記事で書いている「大きな目標」との対立軸、「明日を今日よりよく過ごそう」との両立もしやすいはずです。そのことが何かの始まりかもしれない。夢がある程度の抽象性を持っている分、より多様な今日/明日が、その夢に繋がる可能性が高まるわけですね。

 

そう思えば、年末の記事を書いていて思った以上に、抽象的な夢は意欲の源泉として活用できる気がしてきました。

 

そんな感じで…、こんな追記ももし読みになっているかたがいらっしゃったなら…、ここまで本当にありがとうございました!

追記ここまで ↑↑