こんにちは。センケイです。
まだ下書きのまま終わっていない記事やライブ感想もたくさんあるのですが、今回は短い記事にすると決めているので、割り込み的に書き上げてしまいます。
2023/01/07 に参戦した、「Liella! 3rd LoveLive! Tour ~WE WILL!!~」千葉公演の感想記事です。
ツアーはかなり先に進んでいて、すでにもう北海道公演、大阪公演を終了しているところですが、私のこの記憶と想いは色褪せてはいないと思いますので、ご賞味頂けたらなと思います。
今回は、特に心打たれた歌詞を拾って、趣味活動や仕事を励む上で、いかにその言葉が自分を突き動かすものになってくれるか、それを噛みしめる記事にしたいと思います。
いつものパターンですが、自分の中で覚えておきたいコト、あとで振り返りたい忘れたくないコト…を書き、あわよくば読んでくださったかたにも、何かしら意味のあるものを残せれば…というスタイルですね。
それでは早速参りましょう。開演です。
さあ戦うんだいま
僕らの風 巻き起こそう
2022, 「WE WILL!!」『WE WILL!!』LACM-24300
言わずとしれたフレーズで始まる最冒頭。階段を駆け上がる姿を見ればそれだけで重なる想いがとうとうと蘇ります。
7月から始まったこの OP に、何度、仕事に本気で向かい合う気持ちを貰ったことでしょう。
集団 (例えば、会社やサークル) の中で自分にできることを見つけて、その力を最大限発揮しよう、あわよくば自分の努力で集団をもっと強くしよう。そのように思うとき、このフレーズがまさにピッタリで、闘志を燃やしてくれると思うのは私だけでしょうか。
これは私の GitHub の貢献履歴で、書類作業などで開発できなかった時期を除けば、緑の濃い所ほど沢山手を動かしたことを示しています。
3箇所にわたる Aqours ツアーや虹ヶ咲の放送開始も経て、今年4月ごろからかなり開発がはかどっています。中盤以降は、上で挙げた「WE WILL!!」の歌詞にずっと支えられてきました。
でも、まだまだ努力…というか、工夫、効率化が足りてない気がしてます。あるいは、何が皆の役に立つのか。そういう作戦の立てかただって、もっと頑張れるように思います。
今回のあの素晴らしかったライブ、そしてキャストのかたがたの言葉を聴いて、まだこんなところで留まるわけにはいかない、という想いでいっぱいです。
そこで、今回のライブを持続的に思い出し、エネルギーに変え続けるため、ちょっと工夫をしようと思ったのです。
認知行動療法、という方法があります。
これはホントは、ネガティブな気持ちでいっぱいになって困っているときに、自分の気持ちが杞憂であって、実際の状況がいかに本当はマシなのか、これを (目に見えるところに貼っておくなどして) 繰り返し思い出して、思考パターンを改善するときに使われる方法です。
今の自分はこのような状況にあるわけじゃありません。でも同じ方法が使えると思いました。
恥ずかしながら、ふと気を抜いてそこそこの努力で済まそうとしてしまう瞬間がやっぱりあって、1年後とかにそうした瞬間のことを後悔するのではないかと、そのように思ったわけです。それで、この方法を使って、サボる理由を捏造している自分がもし生じたら、その方向性をつどつど修正すべく、同じ方法を使ってみようというわけです。
具体的には、歌詞の言葉を付箋とかに書いて張り出し、見えるところに置いておくことで、ライブのときの「俺も頑張らねば…!」という想い、ボーッとしてはいられないという想いを、怠けそうなときや関係ないことを考えているときに、いつでも思い出そうというそういう寸法です。
さて、能書きが長くなりました。続きを行きましょう。
息切らして走った後はきっと
すりキズも勲章に変わるんだよ
すぐそこに来てるチャンス
僕の番だ 行くんだ 輝くんだよ
2022, 「スター宣言」『WE WILL!!』LACM-24300
カップリングはと言うと、どうしても表題曲より聴く頻度が減りがちになってしまいますし、作業しながら聴いていることの多い自分としては、恥ずかしながらこの曲の歌詞の細部まで細かく把握できていたわけではなかったのですが。
振り付けや演出付きで歌われるその一節の全体的な力強さに、このとき、度肝を抜かされました。
楽しいことがたくさんあっても、あるいは日々努力をしてきているつもりでも、やっぱりしんどいことがゼロになるわけじゃなくて。それは目標から来ることもあれば、不幸な偶然、あるいは自分の至らなさから来る場合もあるんだけど。
そういうしんどさって、避けられたほうが絶対に良かったって考えちゃうと、分岐に失敗したような気持ちになっちゃうわけじゃないですか。ちょっと時間を戻して、工夫の仕方をやり直したい…とか。
でも、「Day1」とも重なるところでもあるけど、起きたことはどうせなら意味のあるものに変えてしまったほうが良い。どっちにしたって戻ってやり直すというわけにはいきませんからね。
でも、「勲章」になるかもしれないって思ったら、それで良いじゃないですか。仮にそのしんどいことが起きなかった自分よりも、それが起きてしまった (事実の) 自分のほうが、余計に頑張れているのかもしれない。
もう覆せないことは、(一頻り反省した後は) そういう風に味方につけたほうが得なのかなって。
ちょっと独善的な解釈かもしれませんけど、そういう力をこの「スター宣言」の一節で、もらえたように思うのですね。
なので、こうした言葉を付箋に書いて机上などに貼っておき、しんどかった記憶、避けられたかもしれない躓いた記憶、それらがざわめいて困ったときなどに、自分を奮起させるのに活用していこうと思います。
近い言葉が、続く「Go!! リスタート」にもあります。これはまさに、何かマイナスのものであっても、それを推進力にしようという一節ですね。
刺さったままのとげが背中押すのは
変われたシグナル
2022, 「Go!! リスタート」『Welcome to 僕らのセカイ / Go!! リスタート』LACM-24312
これが好きすぎたので、これは Twitter のプロフィールに記載し、Twitter を見るたびに頑張る気持ちを燃やし直せるようにしています。ほんとだよ。
ここまでの展開で、既にライブ一本分くらいの深い充足を得ています。もう今日のこの日は最高でした。一生忘れません。
ですが驚くべきことに、まだアニメで言えば3話目くらいのところまでしか来ていないわけです。まだまだここから盛り上がってくるという、そんな僥倖。
さらに驚かされることになるのは、リエラのうたによる展開です。まさか3曲もやってくれるとは。
いや、それよりも、リエラのうたは何となくサイドストーリー的なものだと考えてしまっていたのですが…Liella! の奮闘、戦う意思そのものではないですか?
特に、「迷宮讃歌」、やばいです。
僕たちはいつだって
何が待つか知らない
一秒先でさえ手探り
「迷宮讃歌」『リエラのうた2』LACA-25006
最後にはかならず
空に出会えるはず
「迷宮讃歌」『リエラのうた2』LACA-25006
この複雑な現代社会。それなりに物事が悪くない状態のときでさえ、少し先においても大丈夫かは決して分からない、いつまでも手探りを続けるような、そんな時代なのではないかと感じることが少なくありません。
でも、ずっと迷い続けるだけじゃない。もしかしたらいつまでも続く空ではないかもしれないけど。それでも空が見える瞬間が来る。
そう希望を持っていれば、迷いながらでもきっと先に進めるんじゃないかって。
この曲の中で、「空に出会えるはず」という言葉が2回も聴けたことを思い出して、これを書きながらでさえ涙をこらえながら書いている状態になっています。それくらいのインパクトでした。
この曲にはこんなフレーズもあります。
だけど迷った日々は
きっと宝物になる
「迷宮讃歌」『リエラのうた2』LACA-25006
希望を持って進んだとて、迷う時間が長く続けば続くほど、その道のりを信じることが難しくなるかもしれません。でも、その道のりも全部意味のあるものになると思えたなら、きっと…。
リエラのうたにも、従来の、逆境さえも力に変えていく Liella! の姿がありました。絶対に素晴らしいには違いないとは思っていたものの、心の底から突き動かされるその強さを感じさせられるとは思っておらず、免疫を持っていなかった私は膝から崩れ落ちます。
これらの言葉もやはり付箋に書いて貼り出しておきましょう…。
さらにこの曲が、自分の強さの模索、あるいは弱さへのコンプレックスに惑う2人のテーマ曲 (しかもライブだけのコラボ版!) によって歌われる点が一層強いのですが…記事が終わらなくなってしまうので、一旦次に進むとしましょう。
幕間を挟んで、2期の後半。
「Chance Day, Chance Way!」もまた、さきほどの議論と通じるところがあります。
いまを打ち鳴らしあって
向かうんだ 陽の当たる方へ
誰にでもある(君にだってある)
その希望の輝き(ほらもっともっと見せて!)「Chance Day, Chance Way!」『ビタミンSUMMER! / Chance Day, Chance Way!』LACM-24313
黄金色の景色の中で歌うこの曲は、日に向かうこと、そして輝きが存在しているということを、視覚的な説得力で訴えてくれます。演出で舞う、銀杏を型どった紙片のなんと美しいことか。
個人的に、「誰にでもある」というところに、この曲の強さを感じます。だってこう言われたら、ただの一観客であったはずの自分とて、いよいよ本当にもう引き返せないじゃないですか。
自分も何もやらないわけにはいかない。いや、自分は輝く存在ではないから、みたいな言い訳はもう使えない。そうやって現状維持をして過ごすわけにはいかない…と、そういうメッセージを感じられてしまうわけですね。もちろん人にもよると思うところではありますが。
和ロック的な楽曲にさいきん特に夢中になっていたのもあったので、これにはもう一網打尽です。
この後さらに、強いカップリング曲が続いていきます。「揺らぐわ」に持っていかれるのは自明の理ではあったわけですが、その後よもや、「色づいて透明」にさらに持っていかれることになるとは。
もちろん素晴らしい歌だと理解していたわけですが、具体的なビジュアルが与えられることで、想像を絶する進化を遂げたように感じられました。水しぶきのサインとも重なるところがありますが、照らし返す水面のような瞬きが、頭から離れません。
こんな形だっていい そっと手にした想いを
なくさないように僕ら変わってく
「色づいて透明」『「Welcome to 僕らのセカイ / Go!! リスタート」【第1話盤】』LACM-24312
コミュニケーションのことは自分はあまり感度の高いほうではないので、上手く理解できているのかは分からないのですが。いま具体的にある、誰かと一緒にすでにでき始めていることを大切に積み上げていこうというお話なのであれば、その大事さは痛感されるところではあります。
いろんな光を知っていく そのスピードにね、不安になるときは
思い出してみよう 初めての嬉しさを
「色づいて透明」『「Welcome to 僕らのセカイ / Go!! リスタート」【第1話盤】』LACM-24312
恐らく、夢に向かうことを続けるその中で、外部環境の移り変わりのはやさに戸惑うときであっても、何か心に留めておけるものがあって、それが透明さの理由なのかもしれない。いやどうだろう、合ってるかな。
いずれにしても、積み重ねをしていく大事さ、積み重ねをするための精神的支柱となる初めての喜びを無下にしないようにしようというメッセージだとしたら。自分もこれが出来たら、この先も折れずに頑張っていけるのかなと。そう思わされます。
コミュニケーションの意味では、「Sing!Shine!Smile!」はひとつの極致なのかもしれません。
もしも過去と未来
どこへだって行けてもきっと
ここにいるよずっと
この瞬間君と噛みしめるんだ
「Sing!Shine!Smile!」『Sing!Shine!Smile!』LACM-24315
これは後に登場する Day1 にも通じることかもしれません。過去に固執するでもなく、 未来 (の、恐らく今はまだ無い何か?) に拘泥するでもなく、今日このときを愛おしく感じることの意味。
この歌の場合、それを「君」と共有しているわけです。
こうした時間の1つ1つ、「君」と共有する「この瞬間」1つ1つが、多分、何らかの意味で「初めての嬉しさ」になっている、あるいは積み重ねになっていく。
きっと、積み重なった先に見えてくるものも、積み重ねていかれるこの瞬間のひとときも、ともに大事なものになるのでしょう。この後者の大事さをも協調しているのが、あるいは Liella! のいう「本当の歌」ということなのでしょうか…?
積み重ねるのだとしても、当初から結果を最重要視してそれを「ビルドする」ために積み重ねるのではなく、それに至るまでの過程自体を重んじる。しかも、1人だけではなく、皆とともに「瞬間」を大事にする。それが Liella! なのだと (自分の場合は) 解釈してきましたが…、これが間違ってないとすれば、その時間を大切に噛みしめるのが、Sing!Shine!Smile!であり、色づいて透明なのではないか。
これはオーディエンスである我々のための言葉でもあるかもしれなくって。ライブが終わった後に仕事をどうしよう、とか、夢に向かって何々をしなければ、とか、心配も期待も色々あるのだけど、それはそれとして、今この瞬間をしっかりと楽しめたら…。
そう思うと、今まさに素敵な歌を聴いている最高の瞬間であることがいっそう思い起こされて。
しっとりとした曲調も相まって、私ははらはらと涙を落としていたと思います。
…ちょっと脱線しました。
ここまで書いた時点ですでに 5,500 字ほどになっており、当初考えていたように短い記事ではなくなってしまいましたね…。全部書くのは時間的にも余裕がないし、泣く泣く言及しなかった曲も沢山あるのですが、それでもやはりこれだけは触れなければならないというところがありすぎて。
「私のSymphony」もまた、その1つではないでしょうか。
できっこないよって思ってたことも
踏みだせばほら叶うんだ
「私のSymphony」『「始まりは君の空」[私を叶える物語盤【BD付】]』LACM-24101
新たに加入した新1期生もまた、初めは皆、自分には無理だというわだかまりを持っていた。この背景を受けて、そんな皆が一同に歌う今、ステージの煌めく証明のように、曲のどの部分も輝きを増します。
…敢えてまた少し脱線するとすると。個人的に少し怖いなと思うことがあって、それは、夢が叶ったときに自分はどうなってしまうんだろう?っていうことですね。
最近よく考えているのですが、夢はやっぱり追いかけているときが一番楽しくて、だから叶うかどうかっていうのは実はあまり気にしていなくて。
この延長線上で考えると、すでに叶ってしまった優勝という夢の先で、人物たちは何を思うんだろうって。そこに、自分の怖さを解決してくれるヒントがあるんじゃないかって。
そのような考えから振り返ってみると、実は「追いかける夢の先で」の中には、こんなメッセージがありました。
いっぱい笑おうってさ 歌おうってさ 伝えたいから
まだまだ遠くへ行こう
広がる世界 変わってく景色もあるけど
変わらない情熱は!
「追いかける夢の先で」『追いかける夢の先で』LACM-24301
これがその答えなのかもしれません。
もともと歌うのが好きで、だから情熱を保って進んできた澁谷かのんたちはきっと、何か達成したあともきっと続けていくのだろうな、と、この曲を通じて思えてきました。
スローなしみじみとしたこの曲に合わせて、一息がつけるような日常の風景。この組み合わせに、上手く言語化できないけど、言いも言われぬ独自の感動を覚えていました。
その感動の在り処が、今書いていて少しだけ分かって気がしています。
というのも、このようなふとした日常の風景はきっと、夢が叶うかどうかに関わらず続いていくもので、「Liella! はこうして続いていくのだ!」みたいなメッセージだと思ったら、「夢の先」でも変わらず情熱を持つ姿勢ともよく噛み合っているように思えて。
続いていく、今こうして現に展開されている日常と、Liella! という存在そのものと、その熱意。
これを受けてこちらもまた、叶った先みたいな皮算用を考えるよりも、多分変わらないであろう自分の情熱を信じつつ、今をしみじみと感じておくほうが良いのかなって。そんなひとときを見せてくれた Liella!、そしてあの瞬間に、改めて感謝したいですね。
…さて。長くなりましたが、恐らく自分が Liella! で一番好きである歌、「Day1」で閉めることにしましょう。
遅すぎるなんてない
不可能なんてない
いつだって 思い立ったらその日が始まりの Day1
「Day1」『「ノンフィクション!!/ Starlight Prologue」【第10話盤】』LACM-24145
どの箇所もすごく良くて、推しがセンターの歌でもあるので、どの箇所が特に心に刺さったかを取捨選択するのも断腸の思いです。が、やっぱり一番はこの箇所かな。
自分はあまり後悔をしない主義で、いつでも今日が始まりの日だって、ホントはそう思って生きようとしてきたけど。
でも日々はやっぱり試行錯誤で、ホントはこうしたほうが良かったかな、と思う出来事はいつでも訪れるから、そういう自分の主義を貫通して後悔させていくようなネタの数々に悩まされるときもあって。
もっとよくできたかもしれないこと。もっと前から努力し始めていたならもっともっと良かったかもしれないこと。正直、全部始めからやり直せたらもっと良いのになって、思ってしまうときもある。
だけど、その「始めから」っていつなんだろうと思ったとき、それが今日なのだって教えてくれるのがこの曲なのかなって。今始めるのが結局答えなんだなって。
この歌は、それを何度も、何度も思い出させてくれるのです。
多分、いや絶対、平安名すみれがセンターっていうことも意味があって。歌も踊りもかなり努力してきたすみれが、それでも脚光に恵まれなくて、自分はそういう星に生まれたのだって思い始めてしまっていたのだとしたら。
いつでも遅くなくって、そういう星だと思った景色も、一歩で変わり始めるのだとしたら…。
コンプレックスから、ひょっとしたら諦めかけていたすみれが、それでも諦めずに「始まり」を選んだ勇気。これを見て、引き下がるというわけにはいきません。だから、ますます、この歌に、この歌の言葉に焚き付けられるのです。
ただ心配なのは。今日、始めたら良い。今まで不完全燃焼してしまったなら、これからもっともっと頑張ればいい。良いものを作っていけばいい。そんな風に思うときに、努力したい気持ちについて、自分に嘘をついてサボってしまわないかどうか。今 (1月7日現在)、もっともっと努力したいって思った気持ちが、最初だけになってしまわないかって。そういう心配がわかないわけでもなくて。
だから、こうして記事を書き、そして小さなメモの断片に書いて残そうと決めたのです。
こんな風にしようと思った一番直接のきっかけを、最後に書いておきます。
それは、ライブの最後にペイトン尚未さんが仰っていた、この言葉です。
生半可な努力になんか…するもんか!
ペイトンさんや Liella! の皆さんは、これだけ素晴らしい時間を残して、それでもなお留まることを知らずに、もっと努力をしていかれるというのです。
それも、ただ努力するだけではダメだと。徹底した努力をされるのだと。
ネッチさんが仰っていたお言葉をお借りするなら、そういう言葉はきっと、自分を逃さないためのもので、それをあの場で仰る勇気というのは凄いものだ、って。
だったら、まだこれっぽちも人を笑顔にできているかどうか分からない自分のような者が、そこそこの努力で済ますわけにはいかない。
あのような覚悟を伺った以上、何というか、それを力に変えられなかったら、じゃあいつ自分はやるんだろうって思ってしまってですね。
この日あったことを、その素晴らしさを、力に変えたい。何かを残したい。だったらこの、無限に努力したいという気持ちを、どんなときでも、一番サボりたいときでも、このくらいで良いやって思ってしまいそうなときでも、腰が痛くても*1、逃げ道を塞ぐつもりでやれたらなって。
それを最大化するには、結局言葉に残すことかなと思いまして。それでこうして、ブログとしてもメモとしても言葉を残すようにしたのです。
***
ここまで、ありがとうございました。ちょっと湿っぽい感じになったかもしれませんね。でも、あのライブにいかに意義があって、人…例えば自分…をいかに突き動かすものであったかを、裏付ける記事になっていたらいいなと思います。
それでは、まだ名もないエピソード*2のどこかでお会いしましょう!