届かない星でも手を伸ばし応援する、∅th ライブレポート

 

こんにちは、センケイです。

 

今回は訳あって不参加になりましたが、

それでも何か生産的なことが言えないかと思い、

記事を書くことしました。

 

不参加でもファンとして貢献できそうなことは無いか、

あるいはほかのファンの皆さんにとって

お役に立てそうなことは何か無いか、

これらを少し振り返り、書いてみました。

 

お目汚しになってしまうかもしれないと思い、

投稿するかどうか少し迷っておりましたが。 

しかし以下のような自分の性格/考えから、

やはり投稿を踏み切りました。

 

人生は素直な喜びだけではなく

ありとあらゆる感情に彩られているし、

それを感じないのは勿体ない。

なので、落選に伴って出てきた感情というのも

意味を持ったものなのだと考えていました。

 

複雑な様々な感情、

こうした事柄を経験していくのも

なかなか奥が深くて良いものです。

これをうまくお伝えできればと。

 

加えて言えば、感情だけでなく、

そのときに頭をよぎった考え方も、

これまた落選ならではの意味を持ったり、

何らかの形でファンとして提供できたりする余地が

あるかもしれない。

 

このように考え、

やはり記事としてまとめ、

投稿することにしたのです。

 

 

なお、タイトルの ∅ という記号は、

空集合を意味するものです。

 

能書きが長くなりました。

それでは始めていきましょう。

 

 

今までのライブの効果が改めて分かる、実用面

 

まずはライブに参加した場合の、

その実用的な価値を考えていきましょう。

 

素直に思い当たるのは、

ライブに参加することで、

勉強や仕事がいかに頑張れるか、という点です。

 

ここにおいて、不参加という状況が、

逆説的にその価値を高く感じさせること。

これも十分考えうるでしょう。

今回はこれを見ていきましょう。

 

例えば 2018年の秋に行われた、

東京ドームの 4th ライブ。

 

果たしてそれがもたらす仕事への効果は、

たかだが半年程度しか持続せずに

終わってしまうものなのでしょうか?

 

もちろん、否、と答えたいところです。

 

しかし、ここで私が 5th に参加できた場合、

この2019年の夏以降の頑張りが、

4th によるものなのか、 5th によるものなのか

分からなくなってしまいます。

 

ある意味では今回の不参加によって、

4th のおかげで頑張れる効果が、

半年どころかもっと続いていること

これを示す絶好の機会を得たわけです。

 

そしてもし、

4th による頑張りが1年あるいはそれ以上継続できると

示すことができたなら。

以下のような効果を生めるでしょう。

 

仮に今後も半年周期でナンバリングがあるとして。

6th、7th ともに参加できたとしましょう。

 

その場合、2020年夏から秋にかけての半年間は

2つのライブの効果が重ね塗りの状態になり、

その両者の効果を2重に感じながら

勉強と仕事に勤しむことができるでしょう。

 

ここにおいて、

その効果の存在を前もって確認出来ていることが

重要な意味を持ちます。

 

「6th や 7th からまだ1年も経過していない今、

自分が頑張れないはずがない。

自分が頑張れなければ、ある意味、

6th や 7th の価値を貶めてしまう。」

 

このような自覚を持つことで、

何度でも苦難に立ち向かっていけることでしょう。

 

ただしもちろん、万一にも職場や組織から一方的に搾取されるような状況になった場合は、そのためにのみ頑張るという状況は避けたいところです。以下はあくまで私の価値観ですが・・・万が一にも一方的な搾取を受けそうな場合には、ライブに勇気をもらったおかげで職場に改善を求めたり、あるいは転職したりすることができた、そのようなメタな頑張りがあっても良いように考えています。

  

あわよくばこのことを通じて

ライブの効果が1年程度以上継続するのだ、と

その効果を知らしめ、

お役に立てたらなあ、と思う次第です。

 

サイエンティフィックにちゃんとやろうと思うならば、以下のようにしなければならないでしょう。 4th 参加群と 4th 不参加群をそれぞれ数十名以上、できれば数百名のかたがたから集め、プラシーボ効果を除くために 4th 不参加群 には 4th と称した偽物のライブを鑑賞してもらい、 BD の総購入枚数や楽曲の鑑賞時間といった因子を統制して純粋な 4th の効果を測定する必要があるでしょう。さらにいえば、仕事がはかどるとは何か?を数値で表現できる形で定義する必要があります。しかしこれは大変に困難かつ、明らかに倫理的な問題も含んでおり、不可能です。したがって、ここではあくまで個人の感覚として示すという形になります。

 

 

彩りに満ちた時間、情緒面

 

もちろん、最後の望みを失った

4月25日当初こそ、一時的に失意にくれました。

しかし以降は必ずしも悪い意味ではなく、

実に様々な感情に触れることができました。

 

強いものからやんわりとしたものまで

色々な強度のものがありましたが、

その中には初めて感じるようなものも

多く含まれていたように思います。

 

しかしいずれにせよ、

それほどまでにその作品が、彼女たちが、

自分にとって大きな存在だったのだと

改めて分かったわけです。

 

あるいはこのように自問自答できます。

ナンバリングに一度参加できなかったからといって、

応援をやめてしまうようなものなのか?と。

 

確かに、幸運にも 3rd, 4th に参加できたおかげで

応援したいという気持ちは

それまでよりずっと強くなった。

しかし逆に参加できなかったことが、

応援したい気持ちの足を引っ張るのでしょうか?

 

この答えももちろん、否、というわけです。

 

複雑な、大小さまざまな感情が寄せて返すこと。

このことがその良い根拠になります。

 

あるいは、感じた感情というよりは、

むしろ行動こそが意味を持つかもしれません。

そうだとしたら、これからこそ頑張り時だ、と

腕が奮い立たされるわけです。

 

 

ところで、経験してきた感情の内訳については

なかなか説明が難しいのですが。

 

上手く言えそうなものから選ぶとすれば、

遠いからこそ一層壮大に感じられる、という面が

あったように思います。

 

その2日間のことを思い浮かべるたび、

どういうわけだか自分の場合、何度も

『Main theme of Lovelive! Sunshine!!』が

頭をよぎったわけですが。

 

自分にとってはどこかの遠い出来事になるであろう

その想いから、

イヤーワームとして頭を流れるその曲、そして

一緒に思い浮かべられるドームの風景は、

いっそう崇高さの高いものに感じられた。

そのように思い返すことができます。

 

それともう1つ挙げてみましょう。

この夏を乗り切る方法の1つとして、例えば

「『WONDERFUL STORIES』を聴いて仕事しても

 鳥肌を立てるほどには悶絶しないぞ・・・!」

というのを試してみましたが。

それでもなお結果は、

全身ローストチキンになった、というわけです。

 

いかに自分がこれを好きで、

あるいはそうでなくても実にいい曲なのだということが

本当に改めてよく分かりました。

 

何かを好きであることの良さ、

音楽1つ取ってもこんなにも気持ちを動かされる良さ、

そのような有難みをここ数週間痛感してきた点は、

それなりに目論見通りだったと言えるでしょう。

 

 

もう1つ言うとすれば、

一度行けない経験をすることで、

次に行けるとき、一層有難く感じられるものと

考えられます。

 

上の考えがもし正しいなら。

これまで感じたことがないほどの

強い衝動を感じたいと思うとき、

行けなかった経験こそが、そのピークの高さを

下支えすることになるでしょう。

 

 

その他に得られた様々なもの 結果面

Poppin'Party については、

あまり長く書きすぎないようにしましょう。

 

確かに、この 5th に行けない見込みが高まったことに

背中を押されて、対バンイベントの応募を決心しましたが。

この 5th に行けようと行けまいと、いずれにしても

当然応募すべき素晴らしいライブだったためです。

 

しかし強いて言えば4月25日、ほぼ同時に両者の当確があり、

運命めいたものを感じた点を挙げたいと思います。

 

あらかじめ結果を予測できない物事が多いこの時代、

その成功率自体はコントロールできないが、

逆にそのランダムさに身をゆだねるような選択の仕方も

ありかもしれないなあ、などと

感じたわけです。

 

具体的にライブに絞ってお話すると。

一生懸命応援したい好きなグループがいくつもあり、

運よく全てのライブに参加できてしまうと

お金や時間、体力が足りないというとき。

 

そんなときは思い切って確率に任せてしまうのも

1つの参加/応援の仕方かなあ、という風に

思うようにもなりました。 

 

再び一般化すると。

この考え方は、ある意味では

職業選択や、プロジェクトの優先順位決め、

趣味における参加団体の選択にも

当てはまるかなと思うわけです。

 

どうしようもなく選択に迷ったとき、

自分ではなく何かが決めてくれる、

そのように考えることで肩の荷がおりる場面も

多少あるかもしれません。

 

もちろん、連番してくださるかたを探すといった手もありえたとは思っていますが。自分は性格上、返しきれないほどの大きな恩恵を授かってしまうと、緊張していつも通り立ち振る舞えない、ということが分かってきているのです。このため、予め相互連番で取ろうと約束していない限り、一貫してこれは自制してきているという面がありました。また、ここまで書いてきましたように、不参加だからこその味わいもある、という価値観に依るところもありました。これは自分の性格ゆえなため、もちろん、連番相手を探すことに否定的な感情があるわけではありません。

 

 

また、落選する人も出るという事態は

重要なものに思います。

それだけのすそ野の広がりを

意味するわけですから。

 

ファンでないけど興味を持ち始めたかたに対し、

「ドーム公演でも当たらないほど人気なんだ」

と、大手を振って説明できるわけですね。

 

また、この落選の数は潜在的なファン数を

表現するものですね。

この数が大きいほうが、

東京ドームやそれを超える会場サイズの実現を

容易にするのだと考えられるわけです。

 

 

田村淳さんが、応募し当落を待つという

その過程も含めて楽しまれていた話は

有名ですが。

 

落選する可能性やその事態、

それがコンテンツの味わいを広げるものとして

この記事では書いてきました。

 

その中にも一定の楽しさがあり、

それがあるからこそ当選は意味を持ち、

そして落選の中にも新たな応援の余地はある。

 

例えばライブの価値の高さや、

外れてなお作品の好きさが薄れないということを、

逆照射できるかもしれない。

 

会場内のこと、選ばれる曲のこと、

そもそも会場に行けるかどうか、

それだけでなくさらに様々な、

望んだようになることやならないこと、

様々な大波小波

それら1つ1つに意味があるのだということを、

改めて考えてみたかったわけです。

 

そのようなことを感じて頂ければ、

この上ない喜びです。

 

・・・これを書いている時点で、

6th の情報が入ってきておらず、

上で書いたような 6th や 7th に関する期待も、

どうなっていくのか分からないことに

鼓動が早まってしまいはするのですが。

 

きっと「未来の僕らは知ってる」のですから、

どう転んでいこうとも受け入れ、味わい、

そしてやはり相も変わらず

応援をしていきたいですね。

 

それではここまで、

ありがとうございました。

 

未来のどこかでお会いしましょう。