あの日のはじまりに歌われた未体験HORIZON のことを、今振り返る

こんにちは。センケイです。

 

かれこれあの記憶に残るお祭りから2年経つんですね。とても意味のある時間だった、さいたま市でのそのひととき。

しかし自分としては今の所、μ's パートしか書けずに「エターナっ」てしまっていました。ですが、やはりあのときの Aqours とニジガクの演目、そしてその選曲があったことが、ファンとしての自分、そしていち個人としての自分にとって意味のあるものだったということを改めてひしひしと感じています。ですので、この周年の機会に少し書き残しておこうと思います。

 

特に冒頭で未体験HORIZON のあったことは、その後の社会的状況、コンテンツと私たちファン達の状況、そして私事ながら私個人のその前後の状況から振り返ると、その歌詞の意味からしてもしみじみ感じられるところであります。今回は、これを文字に表してみたいと思います。

 

なお前提として、昨年末の数日で行われたライブ群には参戦しておらず、配信も視聴していないため、そこで行われたことのコンテクストは反映しておりません。薄情かもしれませんが…、倍率の高さから落選のショックを避けたかったこと、今年2月のライブがあると信じてそのライブ経験の希少さを高めたかったことが理由です。この点、ご了承いただけると幸いです。それでは参りましょう。

 

出だしはこの先もまだ旅が続いていくことを暗示した A メロ。すでに劇場版、そして 5th ライブがそれぞれ 2019 年に執り行われた中、もし μ's と同じ流れならば…、と。余計な憶測はしないほうがいいに決まっていますが、それでもほんの少し脳裏をかすめる不安。

それを拭い去るかのような一言、「またはじまるよ」が告げられます。

この一言に改めて安心し、これからも追いかけていきたい!となったのは、私一人ではないのではないでしょうか。そしてその 2020 年、Final という文言ではなくはっきりと 6th と書かれた報せが。情勢がどうなるかということをよそに、その事自体から救われる気持ちになったのが、改めて思い出されます。

 

少し後に続く、「セカイは広いってこと 知りたいんだ」。

こちら私事で恐縮だし、前に既にある程度書いていることなので新規情報でも無いのですが、自分はこのライブの直前に辛いことと辛い時期があり、それがようやく終息して、割り切ることが出来始めたのがこの頃でした。

小さいながらも一つの具体的な、安定して暖まるセカイ。それがなくなっていったばかりだったのです。当時は強がって、そのこととは無関係にライブを楽しもうとはしていました。でも、今思えばやっぱりある程度重ねてしまっていましたね。正直言えば、流した涙の3割から4割くらいは、そこから来ていたのだと思います。

でもこのときこの言葉を聴けたことが、今の自分の強さの1つになっているのだなぁということを今、感じます。その頃は、それまでのセカイが大事ではなかったと解釈することで、それで割り切ることが出来ていました。でも今は変わりました。色々なセカイの広さを感じてきたすえに、たとえその小さなセカイを大事な思い出だと思い返したとしても、そのセカイが今無いせいで傷つくことはなくなりました。言い換えれば具体的な1つ1つのことに、そこまで捕われなくなったのかな。

 

少し飛んで、サビ。「これからもっともっと 夢のカタチ変わるんだ」。

それでも、そう、具体的なことは大事じゃないわけじゃありません。それらは1つ1つ意味を持ってきているはずです。でも、そうした具体的なことに、しっかり焦点を合わせることが、いつも正しいとは限らない。それが僕が Aqours から学んできたことです。目指す場所は変わっても良い*1。それに、これはマインドフルネスの知見でもありますが、ものすごく具体的なことって、実現しようとすれば実現するものでもありませんよね。今日も或る誰かのツイートで、研究は狙って成功できるものでもない、続けることに意味がある、という趣旨の漫画が回ってきていました。

抽象的に、自分が納得行くように行動できていれば良いんだと。いつしかそんな方針を信じられるようになっていました。自分なりに、会社をがっかりさせないようにするとか、形になるものを残すとか、人を傷つけないようにするとか。それを自分なりに言動に起こしたとき、常に正しいわけでもないし、常に上手くいくわけでもないし、都度反省もするんだけど、大きな方針としては抽象的に頑張るので良いのだ、と、今では信じることが出来ます。流石にいい歳になってきたから自信が出てきたのかな、とも思ったけど、やっぱりその陰には Aqours の歌があったんだな、と、ふと感じたのでした。これはきっと普遍的なことだと思うのです。

だから、「そう なんでも! 失敗のなかにあるよ 成功のヒント それがわかってきたのが 成長ってことなんだね?」

去年になって、自分が次に目標としたいことが抽象的なものになってきたのに気付いて、今までにはなかったことだったので最初は戸惑ったのだけど、前に書いたように (2022/01/21 注: 記事ではまだ書いてませんでした。)『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の助けも相まって、それにもだんだんと合点がいってきました。そしてそれは、もう一昨年の始めに、Aqours から聴いていたことでもあったのですね。

 

私事がかなり続いてしまいました。もう少し一般的な話をしましょう。

今だからこそ改めて刺さること。それは、

「きっと あとで笑えるからさ きっと ぜんぶ乗りこえていくよ」。

僕たちファンにとって、苦しい時間がずっと続いてきました。そしてそれは、あまり想像するのはおこがましいし、なおかつ胸の詰まることでもあるのですが…、スタッフのかたがた、さらにはキャストのかたがたにとっても、苦しいものだったのではないかと想像されます。

でもきっとそのことさえも、後で振り返れば、上のようになるのかもしれない。昨年末、セトリを見る限りこの曲が歌われたようではなかったけど、それでも良いのだと思っています。ついに、ついに AqoursAqours として、また舞台に立ったのですから。そのことが、きっとあとで笑えるということを、示しはじめていますよね。そんなあとでが、来うるものであるということを。

 

…そんな希望があればこそ…。たとえまた新しい不安が出てきたとしても、そんな先のことよりもまずは、こう言えるのでしょう。

「今日は一度しかない やり切って生きてこう毎日」。

未来に何があろうとも、楽しく生きた今日はなくならないし、それに、この今を熱心にやったほうが、未来がよくなることに貢献できるかもしれないじゃないですか。*2そんな気持ちをここでもまた、思い出させて貰いました。

 

Aqours の歌を通じて信じることが出来るようになったことは、少し抽象的に頑張ろうとすることで、失敗してもそれを学びにするということ。そして、今を全力で楽しんでいくということ。

そしてそれは、今年に入ってまた少し情勢の読めない暗いニュースが出てきたことを受けて、それでも意欲的に日々を過ごすために役に立つものでした。

それに、「すべてを見守」る水平線…。

僕らがそんな環境に包まれていることを気づかせてくれるところも、心のゆとりをさらに与えてくれるものだと思います。

でも、これからまた抽象的な頑張りかたをするなら、おそらく難くなるのは、続けていくということです。私たちは長い時間、この情勢にさらされることになってしまいました。それに、情勢に限らず、長年頑張って来ているものが皆すぐ形になるわけではもちろんありませんよね。

その助けになるような言葉、「想いをとめないでずっと」。

本当に、この1曲だけでも、支えになるようなことばかりだと感じられます。ファンの一員としての話に戻るなら、もしも…ほんとうにもしも具体的な1つの大切な日を失くすことがまた起きても…それでも彼女たちやスタッフのかたがたを、追いかけ続けられると自分を信じられます。

 

上の、想いをとめないでは、信じるパッションを捨てないでということでしょうか。

だとしたら、最後のサビで歌われる、漢字違いの「思いをとめないで」は、何かを形にするために手を動かし続けよう、ということかもしれません。

不安がらずに今を見つめつつも、それでもこっそりより良い未来へ向かうための、夢、想い、そして思い。それらはきっと、自信を持って続けることのための、助けなのだと思います。

真実を描いた、本、そして「思い出」は大事なものだけど、それはあくまで「抱いて」いくもの。

その代わりに、とめないでいるのは、白紙のページ、そして、思い。そうして行き続けていければな、と。「前に…」。

 

 

中盤ちょっと湿っぽくなったかもしれませんが、ここまでありがとうございました。かなり自分に寄せた具体的な救われの話になりましたが、そんな救われの一例を、何かのヒントとしてお読み頂けたなら嬉しい限りです。

それでは、水平線が見守るこんなセカイのどこかで、そんなセカイに平和が訪れたころに…、またお会いしましょう。

*1:CYaRon!の演奏や作曲に TAKUYA さんがご参加されているのでここで言及しておくと、恩田さんの作曲の曲ではありますが、「目指す場所は いつも 変わるけれど 信じてるものは いつも 変わらない」という歌詞が、JUDY AND MARY の「ダイナマイト」という曲にあるのが思い出されますね。作詞は YUKI さんです。

*2:最近ハマっている『メタ認知で〈学ぶ力〉を高める』という書籍では、例えば「「自分にはできる」と考えると,やる気が出る」という知見があります。