散漫、過集中、そして退屈への対策を振り返る… 続・散漫編

こんにちは。センケイです。

 

前回は割と考えてみれば当たり前を中心に書いていた気がしますので、せっかくならもう少し能書きとか、自分の苦労話を交えた対策などを書こうかなと思い、続編を書きます。

それに、前回は頭の容量が余る話ばかりしてしまったので、枯渇する場面の対策を今回は考えましょう。

 

参考になりそうな能書き、再び

 

能書きというのは、以下のような、ワーキングメモリーに対する私の理解です。

  • だいたい誰でも7つ前後のスロットがある。
  • このスロットは、短期記憶または注意に使える。

 

気が散って作業ができない、というのは、何かに注意してしまうあまり、7つのスロットをフルに短期記憶に使えていない、という状態だと想像されます。

 

もしかしたら短期記憶が使えていない ≒ 作業ができない、という表現に違和感があるかもしれませんが、作業というのは一般に複数の情報を組み合わせて行なうものですから、「一時的に情報を頭のどこかに保管しておく」ことなしには作業出来ない、というイメージです。

比喩をするなら、7つのスロットをフルに使えずに作業するというのは、とても狭い机で作業するイメージです。使用すべきものをあまり置いておけなくなります。この「もの」が情報に相当している、という感じです。

 

7つ全部使っても足りない、という場合には、作業スペースを外付けすることが役に立つでしょう。つまり、紙に書いたり、PC 上にメモするなどして、記憶の外部化をするというわけです。

 

しかしとはいえ、外部記憶を読んで使おうにも自分の中の短期記憶が枯渇してしまうことは避けたいものです。恐らくですが、外部記憶を自分の中に再取り込みするときにも、短期記憶を使う必要があるのではないでしょうか。

ここで、上に書いたように、何かに注意を向けていると、その分、使える短期記憶が横取りされるようになっているようです。では、注意を取られないことこそが、散漫を避ける基本的なテクニックになるのではないでしょうか。

 

「注意」を奪われない基本的な環境作り

 

まずはかなり普通の対策が思い浮かびますが、それが重要であったとしても記事としては面白くなくなる可能性がありますので、足早にいきましょう。

散らかりを避ける。片付ける。その他、目や耳を引き付けるノイズを取り除く。気になる事柄を作らない。空腹になる前に空腹対策を。暑さ寒さ対策や、肌触りの悪さ対策、その他もろもろの気になることを除く対策を…

 

なお、片付ける際に、自分のように散らかしがちな人間に取って便利だったのは、「何でも入れちゃう BOX」を作ることでした。

片付けようと思わないと片付けられない場合、片付けようと思う機会って普通あまり現れませんから、自然に散らかってしまいます。しかし何でも入れちゃう BOX ひとつ用意し、その中を散らかす代わりに他の場所にものを置かなくすれば、全体的には片付きが維持されます。そもそも散らかり始まるのを防げます。

応用編として、毎日使う版の BOX とは別に、たまにだが大事なタイミングで使う版の BOX (生命保険による控除の情報などをストック) も用意すると、とりあえず何かあればそれを探せば良いという形で安心できます。

他にも、背の高いものを入れる BOX などを別途作ると便利かもしれません。おやつやアルコール、化粧水などが視界を遮らなくなります。

 

 

注意を取られる原因を分析する

 

視界や環境から注意を奪う原因を一通り取り除くことで、かなりマシにはなるものの、それでも厳密に注意を周りに向けないのは難しいとは思います。

これは恐らく、内面から注意を奪うものが湧き上がるためではないでしょうか。

理想を言えば、作業に対して興奮して没頭し、いわゆる「フロー」状態になってしまえば気が散ることはかなり避けられると思うのですが。

このフローあるいはゾーンに入った状態の実現は、次々回の「退屈編」でまた考えるとして、理想的ではない状態でも何とかする方法を考えます。

 

多くの場合、内面から注意を引き付ける何かというのは、面白いなにかか、怖い何か、あるいは習慣になっている何かだと考えられます。

一般にどうなのかについてはわからないので、ここでは一旦、私自身の場合を考え、多少一般化できそうなものを例に挙げてみます。

もちろん、ちょっと違うな、という部分は多く出てくるかもしれませんが、原因を分析してあれこれ対応をしてみるのが大事、という具合にさっと流して頂けたら幸いです。

 

まずは面白い何かについて。

今この場にはないけれども楽しみな何かがある場合、例えば帰宅後のゲームの再開を待ち望んでいる場合、これは注意を奪う大きな原因の1つになり得ます。そこで、その待ち望みの面白さを目減りさせてみます。

これもかなり主観の話なのですが、自分の場合、何かを楽しみにしすぎてしまうと、その楽しみさが減ってしまうように感じられるのです。ハードルを上げてしまっているのかもしれません。あるいは、楽しさの前借りをしてしまっている、といったところでしょうか。

ひとまずこのように、楽しみにする行為が無駄であり、自分の足を引っ張るものであると考えることで、その享楽から距離を取ってみます。

あるいは、その楽しみさを仕事に活用する方法を (無理にでも) 考えるのは1つの方法かもしれません。ゲームやバトルものについていえば、戦闘や戦略の技法は仕事上の戦略に転用できるアイデアが多くあるため、何か使える部分を引っ張り出せる可能性はなくはないです。あるいはバトルに限らず、登場人物間の関係やカップリングのあり方を仕事上の道具同士に置き換えてみると、それへの親近感や、頭の中での概念操作のしやすさに役立つかもしれません。

 

自分の場合をもっと具体的に言うと、Factorio みたいに工場を作るゲームが無茶苦茶好きなので、そこで学んだことを仕事に活かそうとかはよくやります。

実際、「Factorio 仕事」でググると色々なアイデアが見つかるのですが、よく言われているのは、自動化は大事だが最初は手動が早い場合も多い、というコンセプトなどですね。こうしたコンセプトに気付き直して、仕事に使おうとしてみると、その楽しみを思い出してしまって注意が逸れそうになるのを、もう一度仕事に引き戻してやれます。…多分。

 

Twitter やメールチェックなどについても同様のことが言えると思います。

それと距離を取る工夫をするか…例えば携帯電話を視界の外に置くなど…、それか、仕事との接点を見出そうとしてみます。仕事で役立ちそうなテクニックのメモ場として Twitter を活用する、といった具合ですね。

自分の場合よくやってしまってハッとするものとして、とにかく情報の差分を欲しがる、というのがあります。メール、Slack、ニュース、Twitter やその他の SNS アプリなど、とにかくさっきから何か状態変化しているものをさかんに求めてしまうという悪い癖があることに気付きました。しかし何事もまずは気付くことからです。これが自分の作業の妨げになっていると気付くことで、対策を始められます。…多分。少なくとも、開きそうになる瞬間に「…これ、いつものアレだ!」と思い、開くのをやめるとかがしやすくなりました。

 

次に、怖いことや、不安なことについて。

不安に対する対策については実は前に結構書いたのでここでは新たに書きませんが、自分が好きなやり方はこうです。

不安みたいなネガティブな感情は、自分を強くするための道具だと思っているので、自分を強くするために役立たないものは (まぁ不快な感情でもあるし) とりあえず捨てよう、というやり方です。捨てやすくなる方法は、ちゃんとした心理学の本なら割といい情報があるし、それでも捨てにくいという場合には、快も不快も自分を彩る様々な感情の1つなのでそれを慈しもう、という感じです。好きな作品の言葉を借りるなら、「嬉しいことばかりじゃなくて、辛くて、大変なことだっていっぱいあると思う。でも私、それを楽しみたい!」ですね*1

 

あるいは、今自分が取り組んでいる作業の完成像、あるいは完成までにかかった時間に対する不安もあるかもしれません。

こうした不安を取り除こうとしても、恐らく最初は思い通りに取り除くのが難しい気がします。自分の場合、今ではこうした不安は、作業の質を高めるために使えない限りは意味がないから忘れよう、と割り切れるのですが、習慣化出来るまでには時間が掛かったかもしれません。が、今こうできていることを思うと、どうやらこの不安を気にしないという習慣は、身に付けられるもののようです。恐らくポイントは、いつもお世話になっている好きな本*2の言葉を借りるなら、「評価ばかりを気にすると学習における新たな挑戦意欲が低下する」、というわけで評価を気にしすぎないから得だぞ、ということだと思います。

いずれにしても、少なくとも自分の場合は取り除く習慣が出来た…ということを記しておきたいと思います。十何年も前の自分がこの事実を知ることが出来たら随分楽になっただろうなと思いますが…、まぁ良しとしましょう。

また、これまでの経験を振り返ってみると、かつて自分が不安になった環境って、概して人を誰しも不安にさせる環境だったなぁという気がしました。

自分と似た不安の声を探して、これはもしや自分の作業工程のせいではなく、環境のせいで不安が引き起こされているのでは?とし、不安の原因を「統制」*3してみるのは1つの手かもしれません。

また、これもすぐに実現できるものではありませんが、わざわざ不安を駆り立てるような周囲の圧力のある場所の代わりに、そうではない居場所を探し続けることも、重要なことかもしれません…。

 

なお、役に立っていない感情を捨てよう、というのは、快感の一部にも当てはまると思います。メールや Twitter であまりにも新しい情報を探してしまうとき、「本当にその新しい情報という幸福感は、自分を強くするために役立っているの…?」という疑問は、開き過ぎを防ぐのに役立ちます。…多分。快感ならある程度自分に許しても良いと思いますが、それがあまりに自分の効率を下げるのあれば、このような対策も悪くないと思います。

 

最後に、習慣になっているような、注意の妨げになる何かです。

これはほんとうに人それぞれではないかと思いますので、ここで一般的なことを挙げるのはこれこそ難しいのではないかと思います。そこで、やはり自分の場合癖になっていたことと、その対策を少し挙げてみます。

 

これは実はかなり最近気付いたことなのですが、自分は会議中、自分と直接関係のない話、例えば他の人がどんなタスクをやっているかという話のときに、一言一句を聞いて理解しようとしていた、そのような癖があったのですね。いや、これはこれで正しい会議の参加の仕方の1つだとは思います。しかし、これはどうも自分にとっては相性が悪く、効率が悪いやり方だったと、今思えばそのような仕方だったと思います。

このような直接は関係ないトピックに対して、これは無意識のうちにやっていたことなのですが、聞き方の姿勢を変えてみていました。自分の出来ることやタスクの範囲、あるいは会社としてのポリシーをもとに、どのようにすればその発話者のタスクに貢献できるのか?そんな立場から聞いてみていました。すると、話がスッと入ってきて疲れにくくなり、結果的にはむしろ会議後まで覚えていることが増えるようになったし、周りの反応から察する限りでは、前よりもどうやら筋の良い質問が出来るようになっているようなのでした。

1つには、あるトピックがあったとして、結局自分がそれとどう関わるか?が重要だったのだと思うし、それに、ポイントを抑えるほうが、全てを把握しようとするよりも重要だったのかもしれません。どちらにしたって、全てを把握するのは集中力の消耗が激しく、難しいわけだし。

ただこれは私の好みの問題でもあるようでした。私の場合は、タスクやツールの汎用化とか抽象化、それのカバー範囲を広げることに特に興味があるし、自分のタスクを自分だけの狭い範囲で考えていると飽きちゃうので、この姿勢とどうやら相性が良いようなのでした。

まああと、癖として、細かいところに着目しすぎる癖があると分かったこと、これ自体が割といい発見だったのだとも思いました。恐らく、一言一句聞くといっても、どのへんに目線を置くかのやり方は色々あって、自分の場合は人と比べて特に、蟻の目になりすぎていた気がします。

 

まさにこれを書いていて気付きましたが、考えてみれば一人での作業中も、ほぼ同じ原因が集中を妨げていました。

自分はどうも今目の前に見えていることに集中しすぎるようなのです。このため、一度読んだ箇所をまた読んだりして、時間を少しずつ削られ、チリツモでそこそこ遠回りをしてしまっていたのですね。

本当は、今の居場所と進むべき方向、材料の全体像を毎回思い出すことをまず最初にすべきだったなぁと。あるいは少なくとも、不要なタブやファイルを毎回最初に閉じる癖をつければ、そこそこマシに出来るかもしれません。

あるいは、今自分が何を見ているのか?聞いているのか?をモニタリングすることによっても、自分を迷子の状態から引き戻せる気がしました。上のように会議での振る舞いを改善できたのは、思えばこのモニタリングのためでもあった記憶があります。

 

まとめ

 

ここまで書いてきたのは、作業を散漫にするのは自分の注意を引き付ける何かであり、その何かと向き合うのはなかなか良さそう、ということでした。

 

その何か、特に内側から湧き出てくるものは人によって大きく異なるかもしれません。ここでは、自分を例に取り、楽しみなことや不安なこと、癖で着目してしまうことを挙げてみました。

楽しみなことや不安なことは、個人的には、自分を強くするものかどうかを分類して、自分を強くしないものは (少なくとも仕事中は) 気にしないようにする工夫を挙げてみました。

気にしないことの習慣化には時間がかかる可能性もありますが、手助けになるテクは色々あるように思います。少し挙げるなら、感情に気付いたり、その存在を受け入れたりすることは、第一歩になるのではないかと。

気付くだけでもかなりくみし易くなるものとして、「新しい情報への中毒」という原因を1つピックアップしてみました。

(まぁそう色々書いてはいても、こと Twitter などに気を散らされない対策についてはまだまだ発展途上なのですが…、まだまだもっと頑張ります。)

 

気付く重要さは、着目の癖についてもよく当てはまると思われます。

私が細部に着目しすぎる癖があるという事例と、気付いたことを受けて対策を立てるそのプロセス、例えば居場所と方向性を思い出すと良いのでは?という対策に至るプロセスを、リアルタイムで構築してみました。

 

 

生まれてこの方自分はかなり散漫な人間で、その戦いの歴史も長いいっぽう、今は割と納得できる集中の仕方も出来ることが多いので、なぜ今に至ったのか?を文としてまとめておくと何となく意味がありそうだぞ、ということで、備忘録も兼ねて整理してみました。

もちろん、私以上に多くの気付きや対策を得られていたり、結果として遥かに高いパフォーマンスを出されているかたも、かなり多くいらっしゃるとは思います。

しかしこれはこれで、書き出したとしても無くなる技術ではないし、ひょっとしたら役立つかもな道具箱として置いておくので使ってね!という気持ちです。

いずれにしたって最低一人、未来の自分という読者がいますからね。そして、書いていて弱点の克服方法をさらに1つ発見できたこともあり、書いてよかったなと思います。

 

それでは、もしここまで、あるいは部分的にでも読んでくださったかたがおられたならば、ありがとうございました!

また、何かに気を引きつけられたり、それを回避したり…、そんな道のりのどこかで、お会いしましょう。

*1:ラブライブ!サンシャイン!1期13話。

*2:メタ認知で〈学ぶ力〉を高める』。

*3:着目している原因とは別の原因で生じている効果を (観測をもとに) 取り除く、という意味になります。